7 / 28
7
しおりを挟む
「……本当に行くのですか、お父様。その、ボロ布を纏った姿で」
深夜。公爵邸の裏門に、怪しげな影が三つありました。
一人は私、カナタ。そして、使い古された麻のシャツを着て、どこからどう見ても『引退した頑固な船乗り』にしか見えないお父様。
最後に、フードを深く被り、不気味なほどの威圧感を放ちつつも足元は動きやすさ重視の革靴という、オズワルド様です。
「何を言うか、カナタ。これは潜入工作だ。公爵家の主が下町で油まみれのドーナツを貪っているなど、万が一にもバレてはならんのだぞ」
お父様が、ボロボロの帽子を深く被り直しながら、真剣な顔で言いました。
「……お父様、ノリノリですね。オズワルド様も、その格好で『氷の騎士』とか呼ばれるのは、無理があると思いますわよ」
「……問題ない。今の私は、ただの飢えた一兵卒だ。師匠、案内を頼む。私の胃袋が、昨日の続きを求めて叫んでいるんだ」
オズワルド様の声が、深夜の静寂に低く響きました。どうしてこの人は、ジャンクフードの話をする時だけ、こんなに格好良い声を出せるのでしょうか。
「わかりましたわ。では、今夜の目的地は……下町最深部、『魔女の揚げ釜』です!」
「『魔女の揚げ釜』……。なんという、心躍る響きだ……」
お父様が、ごくりと唾を飲み込みました。
私たちは、寝静まった街を影のように移動しました。
到着したのは、細い路地の突き当たりにある、一軒の小さな屋台。
そこでは、太ったおばさんが巨大な鍋で、正体不明の生地を次々と揚げていました。
「おばさん! 『特製・悪魔の耳』を三つ! 蜜は倍がけで!」
「あいよ! お嬢ちゃん、今日は用心棒二人も連れてきたのかい? 景気がいいねぇ!」
差し出されたのは、人間の耳のような形をした揚げ菓子。
表面からは油がじゅわじゅわと染み出し、その上からドロリとした黒蜜と、大量の粉砂糖が振りかけられています。
「……っ! これだ。これだよ、カナタ! この、健康という言葉を辞書から抹殺したような外見!」
お父様が、震える手で揚げ菓子を受け取りました。
そして、公爵としてのマナーも、社交界の権威も全て投げ捨てて、豪快にガブリと食らいつきました。
「…………あふっ、はふっ……熱い! だが、この甘さ、そして暴力的な油の背徳感! ……あぁ、生き返るようだ!」
お父様の目から、一筋の涙がこぼれました。そんなに感動することかしら。
「……。………………」
隣では、オズワルド様が無言で、しかし恐ろしいスピードで揚げ菓子を口に運んでいました。
彼の口の周りは、瞬く間に粉砂糖で真っ白になっています。
「……オズワルド様、落ち着いてください。逃げませんから」
「……師匠。これは、いけない。この『蜜』の粘り気が、舌に絡みついて離れない。……私の国では、砂糖は薬のように大切に扱われるが、ここでは……ここでは、砂糖は凶器だ。それも、最高の殺傷能力を持つ凶器だ」
「大げさですわね。でも、気に入っていただけたようで何よりです」
私は自分の分の『悪魔の耳』を頬張りながら、満足げに二人を眺めました。
王太子の隣で、毒見役がチェックした冷めた料理を、ミリ単位の所作で食べていた頃が嘘のようです。
「……なあ、オズワルド殿」
お父様が、指についた蜜を舐めながら、オズワルド様に話しかけました。
「なんでしょうか、フォルセティ公爵」
「……貴殿は、私の娘をどう思っている? こんな、品位の欠片もない遊びに付き合わせてしまって」
私は、食べる手を止めました。お父様、いきなり何を言い出すんですか。
オズワルド様は、粉砂糖まみれの顔をゆっくりと上げ、夜空を見上げました。
「……カナタ嬢は、私に『光』を教えてくれた人です」
「光?」
「ええ。形式という闇に閉ざされていた私の食生活に、揚げ油という名の眩い光を差し込んでくれた。……彼女がいなければ、私は一生、味のしないスープで満足するだけの木偶の坊で終わっていたでしょう」
オズワルド様の言葉は、どこまでも真剣でした。……内容はただの食いしん坊の告白ですけど。
「……ほう。そこまで彼女を買ってくれているのか」
「私は、彼女を尊敬しています。この『自由』を勝ち取るために、彼女がどれほどのものを投げ打ったのか。……私には、彼女の笑顔が、どんな宝石よりも輝いて見える」
(……ちょっと。オズワルド様。そんな真面目な顔で、口の周り白くして、何てこと言うんですか)
私の心臓が、少しだけ変なリズムを刻みました。
これは、きっと、揚げ物の油が胸焼けを起こしているせいに違いありません。
「……。……そうか。ならば、今後もカナタの『指導』を受けてくれるのだな?」
「もちろんです。……次は、あの『炭火で焼いた内臓料理』を攻略したいと思っています」
「おお! あれか! あれは酒が進むぞ! カナタ、明日はそれだな!」
「……。……お二人とも、話が勝手に進んでますわよ」
私は、呆れ果ててため息をつきました。
氷の公爵と、厳格な父公爵。
この国の未来を担う重鎮二人が、深夜に屋台の端っこで、揚げ菓子の蜜を分け合っている。
この光景を、あのリュカオン殿下が見たら、きっと腰を抜かして失神することでしょう。
「……ま、いいわ。お父様、オズワルド様。もう一個、おかわりします?」
「「……頼む!!」」
二人の声が見事に重なりました。
私は、追加の揚げ菓子を注文するために、再びおばさんに声をかけました。
夜風は少し冷たかったけれど、揚げたての菓子の熱さと、二人の妙な熱気のせいで、私の心はいつになくポカポカと温かかったのでした。
深夜。公爵邸の裏門に、怪しげな影が三つありました。
一人は私、カナタ。そして、使い古された麻のシャツを着て、どこからどう見ても『引退した頑固な船乗り』にしか見えないお父様。
最後に、フードを深く被り、不気味なほどの威圧感を放ちつつも足元は動きやすさ重視の革靴という、オズワルド様です。
「何を言うか、カナタ。これは潜入工作だ。公爵家の主が下町で油まみれのドーナツを貪っているなど、万が一にもバレてはならんのだぞ」
お父様が、ボロボロの帽子を深く被り直しながら、真剣な顔で言いました。
「……お父様、ノリノリですね。オズワルド様も、その格好で『氷の騎士』とか呼ばれるのは、無理があると思いますわよ」
「……問題ない。今の私は、ただの飢えた一兵卒だ。師匠、案内を頼む。私の胃袋が、昨日の続きを求めて叫んでいるんだ」
オズワルド様の声が、深夜の静寂に低く響きました。どうしてこの人は、ジャンクフードの話をする時だけ、こんなに格好良い声を出せるのでしょうか。
「わかりましたわ。では、今夜の目的地は……下町最深部、『魔女の揚げ釜』です!」
「『魔女の揚げ釜』……。なんという、心躍る響きだ……」
お父様が、ごくりと唾を飲み込みました。
私たちは、寝静まった街を影のように移動しました。
到着したのは、細い路地の突き当たりにある、一軒の小さな屋台。
そこでは、太ったおばさんが巨大な鍋で、正体不明の生地を次々と揚げていました。
「おばさん! 『特製・悪魔の耳』を三つ! 蜜は倍がけで!」
「あいよ! お嬢ちゃん、今日は用心棒二人も連れてきたのかい? 景気がいいねぇ!」
差し出されたのは、人間の耳のような形をした揚げ菓子。
表面からは油がじゅわじゅわと染み出し、その上からドロリとした黒蜜と、大量の粉砂糖が振りかけられています。
「……っ! これだ。これだよ、カナタ! この、健康という言葉を辞書から抹殺したような外見!」
お父様が、震える手で揚げ菓子を受け取りました。
そして、公爵としてのマナーも、社交界の権威も全て投げ捨てて、豪快にガブリと食らいつきました。
「…………あふっ、はふっ……熱い! だが、この甘さ、そして暴力的な油の背徳感! ……あぁ、生き返るようだ!」
お父様の目から、一筋の涙がこぼれました。そんなに感動することかしら。
「……。………………」
隣では、オズワルド様が無言で、しかし恐ろしいスピードで揚げ菓子を口に運んでいました。
彼の口の周りは、瞬く間に粉砂糖で真っ白になっています。
「……オズワルド様、落ち着いてください。逃げませんから」
「……師匠。これは、いけない。この『蜜』の粘り気が、舌に絡みついて離れない。……私の国では、砂糖は薬のように大切に扱われるが、ここでは……ここでは、砂糖は凶器だ。それも、最高の殺傷能力を持つ凶器だ」
「大げさですわね。でも、気に入っていただけたようで何よりです」
私は自分の分の『悪魔の耳』を頬張りながら、満足げに二人を眺めました。
王太子の隣で、毒見役がチェックした冷めた料理を、ミリ単位の所作で食べていた頃が嘘のようです。
「……なあ、オズワルド殿」
お父様が、指についた蜜を舐めながら、オズワルド様に話しかけました。
「なんでしょうか、フォルセティ公爵」
「……貴殿は、私の娘をどう思っている? こんな、品位の欠片もない遊びに付き合わせてしまって」
私は、食べる手を止めました。お父様、いきなり何を言い出すんですか。
オズワルド様は、粉砂糖まみれの顔をゆっくりと上げ、夜空を見上げました。
「……カナタ嬢は、私に『光』を教えてくれた人です」
「光?」
「ええ。形式という闇に閉ざされていた私の食生活に、揚げ油という名の眩い光を差し込んでくれた。……彼女がいなければ、私は一生、味のしないスープで満足するだけの木偶の坊で終わっていたでしょう」
オズワルド様の言葉は、どこまでも真剣でした。……内容はただの食いしん坊の告白ですけど。
「……ほう。そこまで彼女を買ってくれているのか」
「私は、彼女を尊敬しています。この『自由』を勝ち取るために、彼女がどれほどのものを投げ打ったのか。……私には、彼女の笑顔が、どんな宝石よりも輝いて見える」
(……ちょっと。オズワルド様。そんな真面目な顔で、口の周り白くして、何てこと言うんですか)
私の心臓が、少しだけ変なリズムを刻みました。
これは、きっと、揚げ物の油が胸焼けを起こしているせいに違いありません。
「……。……そうか。ならば、今後もカナタの『指導』を受けてくれるのだな?」
「もちろんです。……次は、あの『炭火で焼いた内臓料理』を攻略したいと思っています」
「おお! あれか! あれは酒が進むぞ! カナタ、明日はそれだな!」
「……。……お二人とも、話が勝手に進んでますわよ」
私は、呆れ果ててため息をつきました。
氷の公爵と、厳格な父公爵。
この国の未来を担う重鎮二人が、深夜に屋台の端っこで、揚げ菓子の蜜を分け合っている。
この光景を、あのリュカオン殿下が見たら、きっと腰を抜かして失神することでしょう。
「……ま、いいわ。お父様、オズワルド様。もう一個、おかわりします?」
「「……頼む!!」」
二人の声が見事に重なりました。
私は、追加の揚げ菓子を注文するために、再びおばさんに声をかけました。
夜風は少し冷たかったけれど、揚げたての菓子の熱さと、二人の妙な熱気のせいで、私の心はいつになくポカポカと温かかったのでした。
2
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜
矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』
彼はいつだって誠実な婚約者だった。
嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。
『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』
『……分かりました、ロイド様』
私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。
結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。
なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。
※この作品の設定は架空のものです。
※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
根暗令嬢の華麗なる転身
しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」
ミューズは茶会が嫌いだった。
茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。
公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。
何不自由なく、暮らしていた。
家族からも愛されて育った。
それを壊したのは悪意ある言葉。
「あんな不細工な令嬢見たことない」
それなのに今回の茶会だけは断れなかった。
父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。
婚約者選びのものとして。
国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず…
応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*)
ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。
同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。
立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。
一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。
描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。
ゆるりとお楽しみください。
こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる