泣いていると思いました? 残念、断罪を回避いたしますわ。

どんぶり

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「……バロン代官。この執務室、少々『帳簿の密度』が低すぎませんこと?」


 夜更けの代官邸。ポルカは、没収したばかりの代官の机の引き出しをすべて抜き取り、床に並べていた。


 カイルは、入り口で震えている代官の護衛たちを笑顔で威圧しながら、ポルカの手元を覗き込む。


「密度が低い、とは? これだけ大量の書類があれば、十分怪しいと思いますが」


「いいえ、カイル様。これほど大規模な横領を働く人間が、これほど『綺麗すぎる』帳簿しか残さないはずがありませんわ。事務職の勘が、ここには『書かれていない真実』があると告げています」


 ポルカは立ち上がると、おもむろに壁に飾られていた代官の肖像画を外した。


 そこには金庫……ではなく、小さな、本当に小さな「吸気口」のような穴があった。


「あら、カイル様。この穴、風が吹いていないのに、かすかに『古い紙のインクの匂い』がしますわ」


「……流石ですね。鼻まで事務官仕様ですか」


 カイルが壁の隙間に細い針金を差し込み、手際よく仕掛けを解除する。


 すると、壁の一部が回転し、中からカビ臭い一束の書類が現れた。


「ひ、ひいいっ! それは、それはただの、個人的な……!」


 バロン代官が泡を吹いて倒れそうになるが、ポルカはその書類を素早くひったくった。


 中を見ると、そこには見たこともない奇妙な記号の羅列が並んでいる。


「……これは? 暗号、でしょうか。隣国クレシェンドの古代文字をベースにしたコードのようですが」


 カイルが眉を寄せるが、ポルカは既に懐から「暗号解読用・多機能算盤」を取り出していた。


「案件番号22『不適切な言語による財務諸表の作成』。……カイル様、暗号だろうと何だろうと、数字の法則性までは隠せませんわ。この記号の並び……これ、ただの『複式簿記』ですわね」


 ポルカの指が算盤の上を弾丸のような速さで跳ねる。


「……あ、出ましたわ。これ、隣国の商会からの『特別融資契約書』です。貸付利息は……なんと驚きの『ゼロパーセント』。……慈善事業でもない限り、あり得ない数字ですわね」


「無利子で隣国が金を貸す……。その見返りは、金銭ではなく『便宜』ということか」


 カイルの瞳が、一瞬で冷酷な政治家のそれに変わった。


「……なるほど。シリウス殿下を王位に就かせる代わりに、このエトワール地方の関税権を譲渡する……。これは横領どころか、国家転覆の証拠ですよ」


「まあ、なんて非効率な。関税権を渡してしまったら、将来的な税収予測が立てられなくなりますわ。事務的に見て、最悪のディール(取引)です」


 ポルカは、暗号の書類に真っ赤なペンで『要再提出』と大きく書き込んだ。


「シリウス様もバロン代官も、数字の計算が絶望的に下手すぎます。こんな条件で契約を結ぶなんて、公爵家の教育が泣きますわ」


「ポルカ。これは冗談では済みません。隣国のスパイが、既にこの領地に入り込んでいる可能性があります」


 その時、執務室の窓が激しく割れ、黒装束の男たちが数人、室内に躍り込んできた。


 彼らの手には、鋭く光る短剣が握られている。


「……証拠は返してもらうぞ、小娘!」


 ポルカは、眉一つ動かさずに、手元の重厚な「監査用大型バインダー」を構えた。


「案件番号23『業務時間外の乱入および備品の破損』。……カイル様、窓ガラスの修理費、この方々の身包みを剥いで補填してもよろしいかしら?」


「ええ、許可します。……ですが、あなたのドレスが汚れるのは私の本意ではありません。……下がっていてください、ポルカ」


 カイルが、腰に下げた細剣を音もなく抜いた。


 しかし、ポルカは下がらなかった。


「いいえ。この方々、私の『重要証拠書類』を汚れた手で触ろうとしましたわ。……これは、監査官としてのプライドが許しません!」


 ポルカは、襲いかかってきた男の一人の脳天に、鋼鉄製の算盤を正確無比な角度で叩き込んだ。


「……っ!? なんだ、この女……!?」


「計算しなさい! 私の算盤の角が、貴方の頭蓋骨に及ぼす衝撃力(ニュートン)を!」


 物理法則に基づいた(?)打撃に、スパイの一人が白目を向いて崩れ落ちる。


 カイルも、鮮やかな剣捌きで残りの男たちの武器を弾き飛ばし、あっという間に制圧してしまった。


「……ポルカ。あなた、意外と武闘派だったのですね」


「失礼ね。私はただ、事務作業の邪魔を排除しただけですわ。……さて、カイル様。この捕らえたスパイの方々の『尋問・管理コスト』も計算に入れないといけませんわね」


 ポルカは乱れた髪を直し、再びペンを執った。


「……ああ。今夜の残業は、さらに長くなりそうですわ」


 暗闇の中、ポルカの眼鏡が青白く光る。


 彼女の敵は、もはや無能な元婚約者だけではない。国を揺るがす巨大な陰謀さえも、彼女にとっては「整理すべき未整理案件」に過ぎなかった。
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