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第三章 幕引き
3-6 君を待つ
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「蓉杏、……じゃない」
王太子妃の居室。その部屋を訪れた女官を、央華は不審の目で見る。
女官は蓉杏の服を着ているが、彼女ではない。一体誰だ?
二目見て央華はその正体に気づき、我が目を疑った。
「董星……?」
おそるおそる話しかけると、女官の姿をした董星はうなずいた。
央華は駆け寄って、董星の袖に触れる。
「どうしたの? わざわざこんな格好で来るなんて……今日の御前会議で……王太子にならなかったの?」
もっともな質問だ。董星は今日までにあった出来事を説明する。
王太子妃の馬車襲撃の結末は、壮宇の望んだ通りに終わった。
義兄の壮宇は、愛妾の恵明とともに山中の離宮に幽閉の処分となった。
事件の発端となった旬進は、使用人たちにとってあまりいい主人ではなかったようだ。謹慎中の身だったが、自分の屋敷で毒をあおった所を発見された。自分で意図してのことかどうか、判然としなかった。
それでもとにかく当主が亡くなったので、家門は断絶し一家は離散。所領は没収され王家の直轄として組み込まれる。
そして、董星は正式に王太子と認められ、東宮に入った。
なので、公然と王太子妃の居室を訪ねることができるはずなのだが、そうはしなかった。
「君に会いたかった」
董星は言った。
「誰にも邪魔されずに会いに来たかったんだ。もし王太子として来たならば、問答無用で周囲が押し切ってしまう心配があって……」
「優しいのね」
「君はどうしたい? 今ならまだ、……帰れる」
「私の答えは決まっているわ。あなたはどうなの?」
央華はまっすぐに董星を見つめる。董星も央華を見つめ返す。
「俺は……君に、妃になってほしい。ずっと君が好きだった。これからも」
「それならば、よろこんで。私もあなたが好きよ。ずっと、あなたの王道のお供をするわ」
「ありがとう、央華」
どちらともなく腕をのばしてお互いに触れようとする。その時、董星は一瞬ためらってから言った。
「一つ大事なことを言っておかなければならないんだけど……君を妃にしたら、俺は愛妾を置くつもりはなくて……」
「それは、寝所を一緒にするということ?」
央華は董星が聞きづらいことをはっきりと言う。董星の方がかえって戸惑った。
「えっと、……慣習通りの正妃ならばその必要がないかもしれなくて、君も寝所は別にするつもりで東宮に来たのかもしれないし……」
「どちらになっても、覚悟の上で来てるわ。でも、あなたと一緒なら、うれしい」
央華は董星に抱き着く。
「うん……」
董星も央華の背中に手を回す。もう少し彼女を引き寄せようとしたところで、頭に差した簪と簪とが先にぶつかった。董星がこんな格好をしているのでなければ絶対に起きないことだ。
二人は顔を見合わせて笑い出す。
「傍から見たら、おかしな二人組だわね、私たち。姉妹に見えるかしら?」
「着替えるよ。実は自分の服も持って歩いて来た。王太子の格好をして、君の部屋から出て行っても、差し支えないかな」
「もちろんよ」
央華は董星の着替えを手伝う。その時に気づいたのは、蓉杏の服の袖の中に、櫛が入っていたことだ。子どもが好むようなかわいらしい魚の形の櫛。
央華はその櫛を手に取ると、だまって再び董星に抱き着いた。董星も彼女を抱きしめて言う。
「早く結婚したいな……でも俺は十六歳で君は十四歳だし、結婚はあと一年は待たないと」
この国では十五歳が成人で、その年になると結婚ができた。
「董星、私、あなたに嘘をついていたことがあるの、私、本当は十六歳なの。あなたと同じ」
「えっ? だって昔……」
紫煙殿で会った昔、彼女は董星より二つ年下だと言っていた。
「それは、早すぎる結婚を避けるための用心だったの。神事だけならいいけれど、もし、実質的な結婚の行為を伴うんだったら、それは成人を待つように、と」
「そうか」
「そうなの……」
二人とも少しだけ顔を赤くして見つめ合った。
「あ……それでも、少し待った方がいいかな。短絡的にそうなったんじゃなくって、礼を尽くして妃を迎えるんだってことを、周囲にも示したい。君のためならばどれだけでも待っても惜しくはなないって……」
「ええ、ありがとう。大好きよ、董星」
部屋の前の池で、水の跳ねる音がした。二人は見た。
池の中で魚が跳ねている。月の光を浴びて、魚たちが次々に跳ね、音を立てて水面に落ちる、潜る。魚たちはいっせいに池の外に向かって泳ぎ去って行った。
魚は紫煙殿の使い、という言い伝えもある。四年前に二人がいったん別れることになったのも、川を渡っている時に魚が跳ねたせいだ。
今回はは魚たちは行く末の決まったことを見届けて、帰って行くように思えた。
央華が思い出したように語る。
「私がいた紫煙殿は女人の神殿の総本山。神官の派遣を求められれば必ず応じる。知ってた?」
「何となく……」
「王妃の役割は、第一に国の神官でしょう? それで、私が選ばれて、王太子との結婚は断れないけれど、代わりにどちらか選べって蓉杏に言われたの」
「どちらか?」
「もし既に想う人がいたのなら、忘れることもできるし、思い続けることもできるって。忘れた方が楽なこともあるって。でも私は思い続けることにしたの……妃になって王族になれば、その人にどこかで会えるかもしれないし、それだけで十分だって思って」
「……」
「王太子が差し向けた馬車に乗らなかったのは私のちょっとした反抗。でも、実際に想う人と再会して、形式だけでもほかの男の妃になるってその人に伝えるのは、悲しかった。でも今は、あなたとこうして、夢のようね……」
王太子妃の居室。その部屋を訪れた女官を、央華は不審の目で見る。
女官は蓉杏の服を着ているが、彼女ではない。一体誰だ?
二目見て央華はその正体に気づき、我が目を疑った。
「董星……?」
おそるおそる話しかけると、女官の姿をした董星はうなずいた。
央華は駆け寄って、董星の袖に触れる。
「どうしたの? わざわざこんな格好で来るなんて……今日の御前会議で……王太子にならなかったの?」
もっともな質問だ。董星は今日までにあった出来事を説明する。
王太子妃の馬車襲撃の結末は、壮宇の望んだ通りに終わった。
義兄の壮宇は、愛妾の恵明とともに山中の離宮に幽閉の処分となった。
事件の発端となった旬進は、使用人たちにとってあまりいい主人ではなかったようだ。謹慎中の身だったが、自分の屋敷で毒をあおった所を発見された。自分で意図してのことかどうか、判然としなかった。
それでもとにかく当主が亡くなったので、家門は断絶し一家は離散。所領は没収され王家の直轄として組み込まれる。
そして、董星は正式に王太子と認められ、東宮に入った。
なので、公然と王太子妃の居室を訪ねることができるはずなのだが、そうはしなかった。
「君に会いたかった」
董星は言った。
「誰にも邪魔されずに会いに来たかったんだ。もし王太子として来たならば、問答無用で周囲が押し切ってしまう心配があって……」
「優しいのね」
「君はどうしたい? 今ならまだ、……帰れる」
「私の答えは決まっているわ。あなたはどうなの?」
央華はまっすぐに董星を見つめる。董星も央華を見つめ返す。
「俺は……君に、妃になってほしい。ずっと君が好きだった。これからも」
「それならば、よろこんで。私もあなたが好きよ。ずっと、あなたの王道のお供をするわ」
「ありがとう、央華」
どちらともなく腕をのばしてお互いに触れようとする。その時、董星は一瞬ためらってから言った。
「一つ大事なことを言っておかなければならないんだけど……君を妃にしたら、俺は愛妾を置くつもりはなくて……」
「それは、寝所を一緒にするということ?」
央華は董星が聞きづらいことをはっきりと言う。董星の方がかえって戸惑った。
「えっと、……慣習通りの正妃ならばその必要がないかもしれなくて、君も寝所は別にするつもりで東宮に来たのかもしれないし……」
「どちらになっても、覚悟の上で来てるわ。でも、あなたと一緒なら、うれしい」
央華は董星に抱き着く。
「うん……」
董星も央華の背中に手を回す。もう少し彼女を引き寄せようとしたところで、頭に差した簪と簪とが先にぶつかった。董星がこんな格好をしているのでなければ絶対に起きないことだ。
二人は顔を見合わせて笑い出す。
「傍から見たら、おかしな二人組だわね、私たち。姉妹に見えるかしら?」
「着替えるよ。実は自分の服も持って歩いて来た。王太子の格好をして、君の部屋から出て行っても、差し支えないかな」
「もちろんよ」
央華は董星の着替えを手伝う。その時に気づいたのは、蓉杏の服の袖の中に、櫛が入っていたことだ。子どもが好むようなかわいらしい魚の形の櫛。
央華はその櫛を手に取ると、だまって再び董星に抱き着いた。董星も彼女を抱きしめて言う。
「早く結婚したいな……でも俺は十六歳で君は十四歳だし、結婚はあと一年は待たないと」
この国では十五歳が成人で、その年になると結婚ができた。
「董星、私、あなたに嘘をついていたことがあるの、私、本当は十六歳なの。あなたと同じ」
「えっ? だって昔……」
紫煙殿で会った昔、彼女は董星より二つ年下だと言っていた。
「それは、早すぎる結婚を避けるための用心だったの。神事だけならいいけれど、もし、実質的な結婚の行為を伴うんだったら、それは成人を待つように、と」
「そうか」
「そうなの……」
二人とも少しだけ顔を赤くして見つめ合った。
「あ……それでも、少し待った方がいいかな。短絡的にそうなったんじゃなくって、礼を尽くして妃を迎えるんだってことを、周囲にも示したい。君のためならばどれだけでも待っても惜しくはなないって……」
「ええ、ありがとう。大好きよ、董星」
部屋の前の池で、水の跳ねる音がした。二人は見た。
池の中で魚が跳ねている。月の光を浴びて、魚たちが次々に跳ね、音を立てて水面に落ちる、潜る。魚たちはいっせいに池の外に向かって泳ぎ去って行った。
魚は紫煙殿の使い、という言い伝えもある。四年前に二人がいったん別れることになったのも、川を渡っている時に魚が跳ねたせいだ。
今回はは魚たちは行く末の決まったことを見届けて、帰って行くように思えた。
央華が思い出したように語る。
「私がいた紫煙殿は女人の神殿の総本山。神官の派遣を求められれば必ず応じる。知ってた?」
「何となく……」
「王妃の役割は、第一に国の神官でしょう? それで、私が選ばれて、王太子との結婚は断れないけれど、代わりにどちらか選べって蓉杏に言われたの」
「どちらか?」
「もし既に想う人がいたのなら、忘れることもできるし、思い続けることもできるって。忘れた方が楽なこともあるって。でも私は思い続けることにしたの……妃になって王族になれば、その人にどこかで会えるかもしれないし、それだけで十分だって思って」
「……」
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