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「あぁ、すまんね。ジン、花江は?」
布団から顔だけ出している英治の側に、執事のジンが立ち見下ろす。
「奥様は、少しご気分が悪いとかで、おやすみになっておられます」
ジンは、新聞受けから抜いた新聞を英治へと差し出し、起き上がった英治の隣に腰を下ろす。
「最近は、めっきり寒くなったからな···」
「もうすぐこちらに来て三年と半年になりますか」
「そんなもんか。どれ今日は···」
英治が新聞を広げるとジンは、少し離れた場所に移動する。
「旦那様、お食事はいかがなされますか?」
「うん。お前と一緒のものでいいよ」
と答え新聞から目を話さずに答える。
「暫くお待ちを···」
ジンは、頭を下げ部屋を出て行く。
カラカラカラカラ···ジャッ···ジャッ···
戸の隙間から、漂う空腹にはキツい美味そうな匂い。
コンッ···カタンッ···
戸を少し開けジンが顔を出し、
「旦那様、朝食のご用意が出来ました」
声を掛け、戸の側に立ち英治が座布団の上に座るのを待つ。
「おー、美味そうだな。腹が減っていかん」
英治は、腹を擦りながら座布団の上に座り、胡座をかく。
「今朝のはなんだ?」
「はい。本日のは、ブタ肉のソテーに野菜を添えた物とトマトスープでございます」
テーブルの上には、少し温めたパンと珈琲が乗っていた。
「ジン、お前は?食わなくていいのか?」
カチャカチャとナイフやフォークの音を立て、英治は出来立ての食事を腹に詰め込む。
「はい。私は先に頂かせて貰いました。少しブタ肉の脂がきつかったですが、どうですか?」
ジンは、英治の口元をジッと見ていた。
「んー、儂にはちょうどいいが、少しこの肉は固くないかな?」
「少し柔らかい部分にしたつもりですが···。夕餉には、その肉をミンチにいたしましょう」
ジンは、笑う事もなく真っ直ぐに答える。
英治の毎度の食事に掛ける時間は短く、
「さ、旦那様。少しお外を歩かれては···」
「そうだな。今日は天気もよいし···」
窓からはサンサンと冬にしては暖かな日差しが室内に注がれていた。
「もうすぐクリスマスか···」
「さようで。今年は、どなたが参られるのでしょうか」
ジンはそう言い、棚に飾られた1枚の家族写真を見る。その中には、英治、花江の側に一組の夫妻、小さな男の子がいた。
「孫の文哉でも来てくれれば、あいつも喜ぶだろうに」
英治は、閉じられた部屋の戸を寂しく見つめ、
「花江、少し散歩してくるからな」
声を掛け、ジンが用意したダッフルコートに身を包んだ。
「うぅっ。少し寒いが、震える程でもないな」
英治と一緒にジンも歩幅を合わせるように歩いていく。
「大丈夫ですか?旦那様」
ジンは、顔を見上げ英治を見る。
「なぁに、外に出るのも久し振りだからな。少し足がフラついただけだ。心配するでない、ジン」
「あ、旦那様。はす向かいの池田様の奥様ですよ」
ジンに言われ、顔を向けると池田の妻君が、こちらを向いて少し目を背けた。
「なんじゃ、あの態度は···」
「旦那様、きちんと挨拶をしませんと」
ジンに窘められ、おはようございますと軽く頭を下げ、池田の妻君も頭を下げ中に入っていった。
「旦那様、駅前の公園に行きますか?大きなモミの木が本日飾り付けられるとか」
ジンに手を取られ、英治は引っ張られるように歩いていく。
途中、何人かご近所の人とすれ違うも、挨拶をしただけで終わる。花江が、元気な頃は···
「ほら、旦那様。着きましたよ」
いつの間にか駅前公園のモミの木の前に立っていた。
「きれいじゃの。」
「ええ。まだ明るいのにとても美しい」
「花江にも見せてやりたい」
「大丈夫ですよ。その頃には、とてもきれいに見られますから」
ジンがそう言うと、英治は小さくそうかと呟いた。
公園のベンチに座り、暫く柔らかな風を感じながらモミの木を眺めていた。
「旦那様、そろそろ帰りませんと。奥様が···」
「そうだな。そろそろ、腹も減ったし」
「昼げは、温かなスープにしましょう。ブタ肉の脂もいいダシになりますし」
「そうだな。ジン、お前もたまには···」
「はい。承知しております」
家に帰ると、ジンはヒーターのスイッチを入れてから、英治にひざ掛けを渡す。
「ありがとう。お前だけだ、いつも儂や花江に優しくしてくれるのは···」
「有り難きお言葉···」
ジンは頭を下げ、台所へと向かい昼げの支度をし始めた。
カタンッ···ガタッ···カチッ···
暫くすると、台所から漂う匂いに英治の腹が騒ぎ始め、
「お待たせしました」
ジンが、トレイを押してきた。
「あぁ、いい匂いだ···」
コンソメをベースに野菜の甘い匂い、焼いてから煮込んだのか美味そうな肉の脂の匂いが、英治の腹を騒ぎたてる。
ズッ···
一口すすってみる。
「どうでしょうか?お味の方は···」
ジンが、伺うように英治を見る。
「お前の料理は、いつも上手い。ここ最近、腕を上げたのか?」
ちぎったパンをスープに浸しながら口に頬張る英治。
「いえ、特に。あ、お肉を変えただけですよ。そのせいでしょう」
ジンは、微笑みながら英治を見る。
「そうか···」
英治は、側にいるジンを見る。
「もうすぐか?」
「······。旦那様、おかわりは?」
ジンは、英治の問に答えず、スープのおかわりをすすめる。
「そうだな。このスープは格別上手い···」
「はい···」
ジンの目にも、英治の目にも光るものがあったが、何も発せずスープを最後の一滴まできれいに平らげた。
「少し昼寝がしたい。席を外してくれんか?」
「はい」
ジンは、汚れた食器を流しに浸けこむと静かに邸を出ていった。
「花江···」
英治は、一言呟き箪笥の引き出しから便箋と万年筆を取り出し、再びテーブルに向かった。
静かな部屋には、英治の息遣いと万年筆を走らせる音、時折鼻を啜る音が聞こえていた。
トンッ···
書いた便箋数枚を折りたたみ、真っ白な封筒に入れ、固く風をし、その上に烙印を押すと、その封筒を通帳と一緒に鞄の中に詰め込んだ。
「旦那様···」
「うん。今しがた終わった」
いつの間にかジンが、そばに来ていた。
「さようで···。クリスマスには、嬉しいお客様がきますから」
「そうか。楽しくなるかな?」
「はい。それは、かなり···」
「そうか。なら良かった。ジン、お前はどうするんだ?これから···」
英治は、小さくなった目で、ジンを見、
「それを聞いてどうするんです?その内、わかりますよ」
ジンは、寂しそうに笑い、英治を見返す。
「さ、私は少し買い物に行って参ります」
「そうか。だったら、花江の好きな花でも買ってきてくれんか?」
「かしこまりました」
ジンは再び邸を出ると、真っ直ぐある場所に向かった。
「花江···」
締め切られた戸を開け、中に入る。花江は、布団に包まれて眠っていた。
「もうすぐだ。花江。クリスマスには、皆が来るらしい。お前も楽しみにしてろ。」
「ええ。誰がくるのかしら?あなたは、お聞きになって?」
「いや。ジンは、教えてくれなんだ」
花江の痩せ細った手を握り、英治はソッと唇を重ねた。
「今度は、楽しく過ごせるといいな···」
「ええ。少し眠りますよ」
花江は、優しく笑い、目を閉じた。
「旦那様ー。っと···」
走ってきたのか、ジンは髪も服もボロボロになって帰ってきた。
「ジン、どうしたんだ?お前らしくもない。その身なりは」
「だ、大丈夫です。ちょっと、野良犬に喧嘩吹っ掛け···。直ぐに、お茶を···」
ひとつ喉を鳴らしてから、ジンはそそくさと台所に逃げ、英治は小さく笑った。
ポットの湯を茶葉を入れた急須に注ぎ、湯呑みを軽く温める。
コポコポと静かに英治の好きな玉露を注ぎ、小さな和菓子と一緒に差し出すと、
「おや、今日は栗鹿の子か。花江も起きたら食べさせてあげよう」
「はい。温度はいかがですか?」
ズッ···
「うむ。ちょうどよい。散々、花江には···」
「はい。怒られました」
ジンが、照れくさそうに笑いながら言うのも無理はない。ジンは、今まで落ち着きがなく、よく粗相をしては、花江に怒られていたのだ。
「もうすぐですね···」
「あぁ。そうだな。もうすぐだ···」
それから2日たったクリスマスイブの朝···
「ほら、あなた!朝ですよ!いつまで寝てるんですか!もぉ、お義父様やお義母様がお見えになってますよ!!」
「ん?あれ、ジンは?」
「ジンもお部屋に居ますよ。ほら、早く早く!!」
花江のこんな元気な顔を見たのは、いつ位振りだろうか。
「花江、お前···」
いつも見ていた花江とは違うような。
「あら、なぁに?私の顔になんかついてます?」
「いや···。父さんと母さんが来てるのか?」
『おかしいな。二人共、何年か前に相次いで亡くなったのに···』
英治は、花江が立っている戸を開けるのが怖かった。ジンは?どこに?
カタンッ···
「遅いぞ、英治。客をこんなに待たせおって」
「······。」
『これは、どういうことだ?』
「英治、何を突っ立てるの?そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔をして···」
『二人共、どうしてこんなに若いんだ?』
不思議に思い英治は、自分の手を見ると···
「嘘だ···」
「ね、旦那様。嬉しいお客様でしょ?」
ジンが、いつもの燕尾服で英治に耳打ちした。
「あぁ。でも、どうして···」
『そっか。今日なんだな··』
「もぉ、まーた二人して!」
花江は、少し頬を膨らまし英治とジンを睨む。
「奥様、今日のお召し物大変お似合いですよ」
すかさずジンが、フォローに周り、英治も続いて、
「今日は、いつもより可愛い」
と花江を持ち上げる。
「花江、いつもありがとう」
英治の言葉に花江は、顔を赤らめた。
「おいおい、俺らの事見えてないだろ!」
父さんの野次に、部屋に笑いの渦が起こる。
「でも、父さん達も元気そうで良かったよ」
「あっちはな、凄い居心地がいいし、皆元気だ」
「ほら、見て!」
母さんが、袖を捲り腕を差し出す。
「ここ、覚えてる?」
「あぁ。そこは、俺が学生の時に···」
『行きたかった大学に落ちて、家で暴れまくった時、偶然にも止めた母さんを突き飛ばして···』
「母さん、あの時は···」
「いいのよ!いいの!あなたに無理な事をお願いした私達が悪かったんですもの。ねぇ」
と母さんが父さんを見、父さんも頷く。
「でも、良かったよ。お前が、幸せで···」
「花江ちゃんもあっちでは、のんびりしてるものね」
「ええ。ジン···」
「はい」
静かにお茶を啜っていたジンが、こちらを見る。
「あなたもご苦労様。もう少し頑張るのよ」
「はい。奥様も···」
昼げを済まし、お茶を飲みながらも昔話に華を咲かせ···
壁に掛けた時計が、午後の五時を知らせる。
「もう、か。早いもんだな。千寿」
「そうね···。花江ちゃん、何か言うことないの?」
英治の側でモジモジしてる花江に問う。
「英治さん。ありがとう。あとで、また会いましょ。愛してる···」
花江の方から、英治に唇を重ねた瞬間、二人の周りが眩しく光り···
「行っちまったか···」
「はい。旦那様?」
「ジン。俺は、幸せだったのか?」
「はい···。文仁様が、お悪いのですから、あれは···」
『果たして、本当にそうだろうか?』
英治は、息子である文仁とその嫁の朱里を浮かべた。
「旦那様?風呂の支度が出来ましたが、入られますか?」
「入るさ。入らないとまずいだろ···」
「ええ」
ジンの英治を見る光が、一層強くなる。
「俺が風呂に入ってる間に、酒の用意を···」
「かしこまりました」
英治は、深く溜息を付くと、意を決し立ち上がり風呂場へと向かう。
『いつも思うが、ジンはいつ掃除をしているのだろうか?』
英治が、物音で目を覚ます音も立てず、色々とこなしていく。
「お前は、本当に不思議な奴だ」
「有り難き幸せ」
英治は、これまでよりも長く温めの湯に浸かり、今までの事を思い出していた。
コンッ···
「旦那様?大丈夫でございますか?かれこれ、入られて1時間になりますが···」
「すまんな。そんなに浸かっておったか···」
ジンに身体を拭って貰い、真新しい寝間着に袖を通す。
「あと···」
「3時間でございます。そしたら、私は···」
「あぁ、頼むよ···」
居間に行くと、酒の支度はなく、
「こちらに···」
花江が眠ってる部屋へと通される。
「待ってましたよ。男の癖に長風呂なのね···」
花江が、和服姿で待っていた。
「ジン、今夜は頼みますよ···」
「はい」
「今夜は、桜鯛か」
「はい。毎月一度はお二人で呑まれる時は、必ず···」
花江に酒を注いでもらい、桜鯛を摘む。
「まだ、季節でもなかろうが。ジン、無理を言ってすまんな」
「いえ。旦那様の旅立ちの日ですから···」
ジンもいつもの燕尾服から、黒のスーツに変わっていた。
「お前も、呑めればな···」
「申し訳ございません。なにぶん私は···」
「だめですよ、あなた。ジンにはジンの役目があるのですから···」
「そうだな。っと、ジン。これを頼まれてくれんか?」
英治は、白い封筒と通帳を差し出し、ジンはひとつ頷き、それを小さな鞄へと入れる。
「ふぅっ。そろそろ、か···」
「あなた···」
花江が、心配そうな顔つきで英治を見る。
「大丈夫だ。お前や父さんや母さんがいる。もう怖くはない···」
「ジン···」
花江が、ジンを呼ぶとジンの目が真っ赤になっていった。
「では、旦那様。お床に···」
「うむ···」
ジンに支えられ、英治は花江の待つ部屋に入る。
「ジン、頼むよ···」
「·······。」
英治は、布団に入ってから真っ直ぐ天井を見ていた···
「花江···文仁···父さん···母さん···」
いつの間にか、英治の閉じた目からは涙が頬を伝い、静かな部屋にはガリッ···ゴリッ···と重く冷たい音が響いていく···
次の日も、そのまた次の日も······
「終わったか···」
ジンは、見覚えのある物体から顔を上げるといつもの場所に座り、背を丸めた···
「旦那様···今から···」
パサッ···
三ヶ月後···
「···そうよねぇ。最近···」
「あっ!きたきた!こっちこっち!」
田所瑞希が、派出所のお巡りさんと一緒に駆け寄ってきた長谷川早希を手招いた。
「確か、ここは···」
「西山さん。西山英治さん。奥さんもいるんですけど、病気で臥せってるみたいで···」
派出所に勤務する村上総悟は、家庭調査表で名前や住所を確認しながら、田所瑞希達の話を聞いていた。
「ここんとこ、なんかこの前を通ると、妙な匂いもして、声を掛けるんですけど。ねぇ···」
「うちのジョンなんて···」
二人の話を聞くのも疲れてきた村上は、チャイムを鳴らすも応答もない西山英治宅の前で困っていた。
「鍵は、掛かってるみたいですね」
ドアノブを回すが、開くこともなかったが、新聞受けから中を覗きこむと、確かに妙な匂いが鼻をつく。
「こんにちはー。駅前派出所の村上ですがー」
大きな声で呼びかけても、薄暗い部屋からは物音ひとつしなかった。
「どうしましょう?」
「ねぇ···」
「んーっ」
三人揃って顔を見合わせた時、
「あの···すいません。」
三人の少し横から、こちらを伺う声がした。
「あの、なにか?ここ、うちの···父の家なんですが···」
目の前に現れたのは、淡いピンク色のスーツを着た女性とその後ろに立っていた高校生位の男の子。
「あの···父に何か?」
「えっと、西山さんの···」
村上は、調査表を片手に女性と男の子を見る。
「あー、たぶん義理の娘さんで···確か···」
田所瑞希は、頭を天に向け、
「確か、朱里さん?」
「え?ええ···。」
「まだ?俺、早く帰りたいんだけど···」
「ちょっと待ってなさい!」
母親が窘めると、男の子は再びヘッドホンをし目を閉じた。
「ここ最近、西山さんのお姿が見えないとか、異臭がするとご近所の方が知らせてくれまして···」
「はぁ···」
ひとまず、義理の娘である朱里に、鍵を開けて貰い声を掛けるも、
「変ね···。お義父さまー?いないんですかー?」
朱里が、ヒールを脱ぎ捨て中に入っていく。
「あ、奥さん!だめですよ!まだ···」
朱里は、一番正面の部屋に入ろうとして手を止めた。というより、手で口を覆った。
「なーに、この匂い···」
「うわっ、くっせ!」
「······。」
「むーらーかーみーさんっ!」
「は、はい···」
女性ふたりに背中を押され、奥へ奥へと進んでいくと、異臭の度合いも強くなり、
「こ、ここからは、自分が行くんで!ここで、待っててください」
村上は、自分が怖くて震えてないか?悟られないように、一歩一歩進み···
ゴクッ···
「西山さん!開けますよ!失礼します!」
バンッ!
「ひぃっ!」
静かに開けたつもりが、勢い良く開いてしまい、西山朱里が声をあげた。
「お義父さま?」
薄暗い部屋に布団に誰かが横たわってるのが、わかる。
「西山···さん?電気···」
パチンッ···
「あ」
「ひ」
「うっ···」
「うげぇっ!!!」
「「ひぃーーーーーっ!!」」
「おとう······さ···」
ひとり静かだったのは、孫の文哉だけ。チラッと見て、軽く鼻を鳴らしただけ···
それからが大変だった。
何台ものパトカーから刑事が来ては、西山家を行ったりきたりして、側にいた田所瑞希も長谷川早希もいつしか、消えていた。
「あんた、内心嬉しいだろ」
「······。」
朱里は、一瞬それが愛してやまない息子の口から出た言葉とは信じたくなかった。
『親に向かって、あんた?』
「えっ?」
「ま、俺はせいせいしてるけどな。じじいが死んでくれて···」
「······。」
『嘘。お義父さまのことをじじい?』
「だって、あんたそんな顔してんじゃん」
「······。」
『これが、私が産んで育ててきた文哉なんだろうか?』
「あ、あの···ご遺体をこれから署まで運ぶので···」
「ふっ···。じゃ、俺、帰るから!」
「ちょ、文哉!!」
義父であっただろう遺体は、担架に乗せられ朱里は、村上巡査と一緒に署に向かい、色々な調書を取られ、亡き義父母が住んでいた住まいへと戻る。
『あんただって、じじいが死んでくれて、せいせいしてんだろ?親父と一緒に···』
文哉が、去り際朱里に吐いた言葉は、深く胸に突き刺さった。
『これが、買っていた犬の首にぶら下がっていた鞄に入っておられました』
と村上巡査から渡されたのは、息子文哉の貯金通帳と私が達家族に当てられた遺書。
「こんなもの······」
一度は読んで目の前が真っ暗になった。
文仁が知ったら、きっと破り捨て怒り狂うだろう。
『西山英治及び花江の全財産を、恵まれない子供達のたんぽぽ財団に寄付しろ。それが、お前達への復讐だ』
「あなたに取って、可愛かったのは、文哉だけか。ふっ···」
文哉宛の通帳には、生前贈与なのか、1000万入っていた。
「あーあっ!これから、どうしよっかな」
朱里は、目に涙を溜め文仁が待つ自宅へと向かっていた···
布団から顔だけ出している英治の側に、執事のジンが立ち見下ろす。
「奥様は、少しご気分が悪いとかで、おやすみになっておられます」
ジンは、新聞受けから抜いた新聞を英治へと差し出し、起き上がった英治の隣に腰を下ろす。
「最近は、めっきり寒くなったからな···」
「もうすぐこちらに来て三年と半年になりますか」
「そんなもんか。どれ今日は···」
英治が新聞を広げるとジンは、少し離れた場所に移動する。
「旦那様、お食事はいかがなされますか?」
「うん。お前と一緒のものでいいよ」
と答え新聞から目を話さずに答える。
「暫くお待ちを···」
ジンは、頭を下げ部屋を出て行く。
カラカラカラカラ···ジャッ···ジャッ···
戸の隙間から、漂う空腹にはキツい美味そうな匂い。
コンッ···カタンッ···
戸を少し開けジンが顔を出し、
「旦那様、朝食のご用意が出来ました」
声を掛け、戸の側に立ち英治が座布団の上に座るのを待つ。
「おー、美味そうだな。腹が減っていかん」
英治は、腹を擦りながら座布団の上に座り、胡座をかく。
「今朝のはなんだ?」
「はい。本日のは、ブタ肉のソテーに野菜を添えた物とトマトスープでございます」
テーブルの上には、少し温めたパンと珈琲が乗っていた。
「ジン、お前は?食わなくていいのか?」
カチャカチャとナイフやフォークの音を立て、英治は出来立ての食事を腹に詰め込む。
「はい。私は先に頂かせて貰いました。少しブタ肉の脂がきつかったですが、どうですか?」
ジンは、英治の口元をジッと見ていた。
「んー、儂にはちょうどいいが、少しこの肉は固くないかな?」
「少し柔らかい部分にしたつもりですが···。夕餉には、その肉をミンチにいたしましょう」
ジンは、笑う事もなく真っ直ぐに答える。
英治の毎度の食事に掛ける時間は短く、
「さ、旦那様。少しお外を歩かれては···」
「そうだな。今日は天気もよいし···」
窓からはサンサンと冬にしては暖かな日差しが室内に注がれていた。
「もうすぐクリスマスか···」
「さようで。今年は、どなたが参られるのでしょうか」
ジンはそう言い、棚に飾られた1枚の家族写真を見る。その中には、英治、花江の側に一組の夫妻、小さな男の子がいた。
「孫の文哉でも来てくれれば、あいつも喜ぶだろうに」
英治は、閉じられた部屋の戸を寂しく見つめ、
「花江、少し散歩してくるからな」
声を掛け、ジンが用意したダッフルコートに身を包んだ。
「うぅっ。少し寒いが、震える程でもないな」
英治と一緒にジンも歩幅を合わせるように歩いていく。
「大丈夫ですか?旦那様」
ジンは、顔を見上げ英治を見る。
「なぁに、外に出るのも久し振りだからな。少し足がフラついただけだ。心配するでない、ジン」
「あ、旦那様。はす向かいの池田様の奥様ですよ」
ジンに言われ、顔を向けると池田の妻君が、こちらを向いて少し目を背けた。
「なんじゃ、あの態度は···」
「旦那様、きちんと挨拶をしませんと」
ジンに窘められ、おはようございますと軽く頭を下げ、池田の妻君も頭を下げ中に入っていった。
「旦那様、駅前の公園に行きますか?大きなモミの木が本日飾り付けられるとか」
ジンに手を取られ、英治は引っ張られるように歩いていく。
途中、何人かご近所の人とすれ違うも、挨拶をしただけで終わる。花江が、元気な頃は···
「ほら、旦那様。着きましたよ」
いつの間にか駅前公園のモミの木の前に立っていた。
「きれいじゃの。」
「ええ。まだ明るいのにとても美しい」
「花江にも見せてやりたい」
「大丈夫ですよ。その頃には、とてもきれいに見られますから」
ジンがそう言うと、英治は小さくそうかと呟いた。
公園のベンチに座り、暫く柔らかな風を感じながらモミの木を眺めていた。
「旦那様、そろそろ帰りませんと。奥様が···」
「そうだな。そろそろ、腹も減ったし」
「昼げは、温かなスープにしましょう。ブタ肉の脂もいいダシになりますし」
「そうだな。ジン、お前もたまには···」
「はい。承知しております」
家に帰ると、ジンはヒーターのスイッチを入れてから、英治にひざ掛けを渡す。
「ありがとう。お前だけだ、いつも儂や花江に優しくしてくれるのは···」
「有り難きお言葉···」
ジンは頭を下げ、台所へと向かい昼げの支度をし始めた。
カタンッ···ガタッ···カチッ···
暫くすると、台所から漂う匂いに英治の腹が騒ぎ始め、
「お待たせしました」
ジンが、トレイを押してきた。
「あぁ、いい匂いだ···」
コンソメをベースに野菜の甘い匂い、焼いてから煮込んだのか美味そうな肉の脂の匂いが、英治の腹を騒ぎたてる。
ズッ···
一口すすってみる。
「どうでしょうか?お味の方は···」
ジンが、伺うように英治を見る。
「お前の料理は、いつも上手い。ここ最近、腕を上げたのか?」
ちぎったパンをスープに浸しながら口に頬張る英治。
「いえ、特に。あ、お肉を変えただけですよ。そのせいでしょう」
ジンは、微笑みながら英治を見る。
「そうか···」
英治は、側にいるジンを見る。
「もうすぐか?」
「······。旦那様、おかわりは?」
ジンは、英治の問に答えず、スープのおかわりをすすめる。
「そうだな。このスープは格別上手い···」
「はい···」
ジンの目にも、英治の目にも光るものがあったが、何も発せずスープを最後の一滴まできれいに平らげた。
「少し昼寝がしたい。席を外してくれんか?」
「はい」
ジンは、汚れた食器を流しに浸けこむと静かに邸を出ていった。
「花江···」
英治は、一言呟き箪笥の引き出しから便箋と万年筆を取り出し、再びテーブルに向かった。
静かな部屋には、英治の息遣いと万年筆を走らせる音、時折鼻を啜る音が聞こえていた。
トンッ···
書いた便箋数枚を折りたたみ、真っ白な封筒に入れ、固く風をし、その上に烙印を押すと、その封筒を通帳と一緒に鞄の中に詰め込んだ。
「旦那様···」
「うん。今しがた終わった」
いつの間にかジンが、そばに来ていた。
「さようで···。クリスマスには、嬉しいお客様がきますから」
「そうか。楽しくなるかな?」
「はい。それは、かなり···」
「そうか。なら良かった。ジン、お前はどうするんだ?これから···」
英治は、小さくなった目で、ジンを見、
「それを聞いてどうするんです?その内、わかりますよ」
ジンは、寂しそうに笑い、英治を見返す。
「さ、私は少し買い物に行って参ります」
「そうか。だったら、花江の好きな花でも買ってきてくれんか?」
「かしこまりました」
ジンは再び邸を出ると、真っ直ぐある場所に向かった。
「花江···」
締め切られた戸を開け、中に入る。花江は、布団に包まれて眠っていた。
「もうすぐだ。花江。クリスマスには、皆が来るらしい。お前も楽しみにしてろ。」
「ええ。誰がくるのかしら?あなたは、お聞きになって?」
「いや。ジンは、教えてくれなんだ」
花江の痩せ細った手を握り、英治はソッと唇を重ねた。
「今度は、楽しく過ごせるといいな···」
「ええ。少し眠りますよ」
花江は、優しく笑い、目を閉じた。
「旦那様ー。っと···」
走ってきたのか、ジンは髪も服もボロボロになって帰ってきた。
「ジン、どうしたんだ?お前らしくもない。その身なりは」
「だ、大丈夫です。ちょっと、野良犬に喧嘩吹っ掛け···。直ぐに、お茶を···」
ひとつ喉を鳴らしてから、ジンはそそくさと台所に逃げ、英治は小さく笑った。
ポットの湯を茶葉を入れた急須に注ぎ、湯呑みを軽く温める。
コポコポと静かに英治の好きな玉露を注ぎ、小さな和菓子と一緒に差し出すと、
「おや、今日は栗鹿の子か。花江も起きたら食べさせてあげよう」
「はい。温度はいかがですか?」
ズッ···
「うむ。ちょうどよい。散々、花江には···」
「はい。怒られました」
ジンが、照れくさそうに笑いながら言うのも無理はない。ジンは、今まで落ち着きがなく、よく粗相をしては、花江に怒られていたのだ。
「もうすぐですね···」
「あぁ。そうだな。もうすぐだ···」
それから2日たったクリスマスイブの朝···
「ほら、あなた!朝ですよ!いつまで寝てるんですか!もぉ、お義父様やお義母様がお見えになってますよ!!」
「ん?あれ、ジンは?」
「ジンもお部屋に居ますよ。ほら、早く早く!!」
花江のこんな元気な顔を見たのは、いつ位振りだろうか。
「花江、お前···」
いつも見ていた花江とは違うような。
「あら、なぁに?私の顔になんかついてます?」
「いや···。父さんと母さんが来てるのか?」
『おかしいな。二人共、何年か前に相次いで亡くなったのに···』
英治は、花江が立っている戸を開けるのが怖かった。ジンは?どこに?
カタンッ···
「遅いぞ、英治。客をこんなに待たせおって」
「······。」
『これは、どういうことだ?』
「英治、何を突っ立てるの?そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔をして···」
『二人共、どうしてこんなに若いんだ?』
不思議に思い英治は、自分の手を見ると···
「嘘だ···」
「ね、旦那様。嬉しいお客様でしょ?」
ジンが、いつもの燕尾服で英治に耳打ちした。
「あぁ。でも、どうして···」
『そっか。今日なんだな··』
「もぉ、まーた二人して!」
花江は、少し頬を膨らまし英治とジンを睨む。
「奥様、今日のお召し物大変お似合いですよ」
すかさずジンが、フォローに周り、英治も続いて、
「今日は、いつもより可愛い」
と花江を持ち上げる。
「花江、いつもありがとう」
英治の言葉に花江は、顔を赤らめた。
「おいおい、俺らの事見えてないだろ!」
父さんの野次に、部屋に笑いの渦が起こる。
「でも、父さん達も元気そうで良かったよ」
「あっちはな、凄い居心地がいいし、皆元気だ」
「ほら、見て!」
母さんが、袖を捲り腕を差し出す。
「ここ、覚えてる?」
「あぁ。そこは、俺が学生の時に···」
『行きたかった大学に落ちて、家で暴れまくった時、偶然にも止めた母さんを突き飛ばして···』
「母さん、あの時は···」
「いいのよ!いいの!あなたに無理な事をお願いした私達が悪かったんですもの。ねぇ」
と母さんが父さんを見、父さんも頷く。
「でも、良かったよ。お前が、幸せで···」
「花江ちゃんもあっちでは、のんびりしてるものね」
「ええ。ジン···」
「はい」
静かにお茶を啜っていたジンが、こちらを見る。
「あなたもご苦労様。もう少し頑張るのよ」
「はい。奥様も···」
昼げを済まし、お茶を飲みながらも昔話に華を咲かせ···
壁に掛けた時計が、午後の五時を知らせる。
「もう、か。早いもんだな。千寿」
「そうね···。花江ちゃん、何か言うことないの?」
英治の側でモジモジしてる花江に問う。
「英治さん。ありがとう。あとで、また会いましょ。愛してる···」
花江の方から、英治に唇を重ねた瞬間、二人の周りが眩しく光り···
「行っちまったか···」
「はい。旦那様?」
「ジン。俺は、幸せだったのか?」
「はい···。文仁様が、お悪いのですから、あれは···」
『果たして、本当にそうだろうか?』
英治は、息子である文仁とその嫁の朱里を浮かべた。
「旦那様?風呂の支度が出来ましたが、入られますか?」
「入るさ。入らないとまずいだろ···」
「ええ」
ジンの英治を見る光が、一層強くなる。
「俺が風呂に入ってる間に、酒の用意を···」
「かしこまりました」
英治は、深く溜息を付くと、意を決し立ち上がり風呂場へと向かう。
『いつも思うが、ジンはいつ掃除をしているのだろうか?』
英治が、物音で目を覚ます音も立てず、色々とこなしていく。
「お前は、本当に不思議な奴だ」
「有り難き幸せ」
英治は、これまでよりも長く温めの湯に浸かり、今までの事を思い出していた。
コンッ···
「旦那様?大丈夫でございますか?かれこれ、入られて1時間になりますが···」
「すまんな。そんなに浸かっておったか···」
ジンに身体を拭って貰い、真新しい寝間着に袖を通す。
「あと···」
「3時間でございます。そしたら、私は···」
「あぁ、頼むよ···」
居間に行くと、酒の支度はなく、
「こちらに···」
花江が眠ってる部屋へと通される。
「待ってましたよ。男の癖に長風呂なのね···」
花江が、和服姿で待っていた。
「ジン、今夜は頼みますよ···」
「はい」
「今夜は、桜鯛か」
「はい。毎月一度はお二人で呑まれる時は、必ず···」
花江に酒を注いでもらい、桜鯛を摘む。
「まだ、季節でもなかろうが。ジン、無理を言ってすまんな」
「いえ。旦那様の旅立ちの日ですから···」
ジンもいつもの燕尾服から、黒のスーツに変わっていた。
「お前も、呑めればな···」
「申し訳ございません。なにぶん私は···」
「だめですよ、あなた。ジンにはジンの役目があるのですから···」
「そうだな。っと、ジン。これを頼まれてくれんか?」
英治は、白い封筒と通帳を差し出し、ジンはひとつ頷き、それを小さな鞄へと入れる。
「ふぅっ。そろそろ、か···」
「あなた···」
花江が、心配そうな顔つきで英治を見る。
「大丈夫だ。お前や父さんや母さんがいる。もう怖くはない···」
「ジン···」
花江が、ジンを呼ぶとジンの目が真っ赤になっていった。
「では、旦那様。お床に···」
「うむ···」
ジンに支えられ、英治は花江の待つ部屋に入る。
「ジン、頼むよ···」
「·······。」
英治は、布団に入ってから真っ直ぐ天井を見ていた···
「花江···文仁···父さん···母さん···」
いつの間にか、英治の閉じた目からは涙が頬を伝い、静かな部屋にはガリッ···ゴリッ···と重く冷たい音が響いていく···
次の日も、そのまた次の日も······
「終わったか···」
ジンは、見覚えのある物体から顔を上げるといつもの場所に座り、背を丸めた···
「旦那様···今から···」
パサッ···
三ヶ月後···
「···そうよねぇ。最近···」
「あっ!きたきた!こっちこっち!」
田所瑞希が、派出所のお巡りさんと一緒に駆け寄ってきた長谷川早希を手招いた。
「確か、ここは···」
「西山さん。西山英治さん。奥さんもいるんですけど、病気で臥せってるみたいで···」
派出所に勤務する村上総悟は、家庭調査表で名前や住所を確認しながら、田所瑞希達の話を聞いていた。
「ここんとこ、なんかこの前を通ると、妙な匂いもして、声を掛けるんですけど。ねぇ···」
「うちのジョンなんて···」
二人の話を聞くのも疲れてきた村上は、チャイムを鳴らすも応答もない西山英治宅の前で困っていた。
「鍵は、掛かってるみたいですね」
ドアノブを回すが、開くこともなかったが、新聞受けから中を覗きこむと、確かに妙な匂いが鼻をつく。
「こんにちはー。駅前派出所の村上ですがー」
大きな声で呼びかけても、薄暗い部屋からは物音ひとつしなかった。
「どうしましょう?」
「ねぇ···」
「んーっ」
三人揃って顔を見合わせた時、
「あの···すいません。」
三人の少し横から、こちらを伺う声がした。
「あの、なにか?ここ、うちの···父の家なんですが···」
目の前に現れたのは、淡いピンク色のスーツを着た女性とその後ろに立っていた高校生位の男の子。
「あの···父に何か?」
「えっと、西山さんの···」
村上は、調査表を片手に女性と男の子を見る。
「あー、たぶん義理の娘さんで···確か···」
田所瑞希は、頭を天に向け、
「確か、朱里さん?」
「え?ええ···。」
「まだ?俺、早く帰りたいんだけど···」
「ちょっと待ってなさい!」
母親が窘めると、男の子は再びヘッドホンをし目を閉じた。
「ここ最近、西山さんのお姿が見えないとか、異臭がするとご近所の方が知らせてくれまして···」
「はぁ···」
ひとまず、義理の娘である朱里に、鍵を開けて貰い声を掛けるも、
「変ね···。お義父さまー?いないんですかー?」
朱里が、ヒールを脱ぎ捨て中に入っていく。
「あ、奥さん!だめですよ!まだ···」
朱里は、一番正面の部屋に入ろうとして手を止めた。というより、手で口を覆った。
「なーに、この匂い···」
「うわっ、くっせ!」
「······。」
「むーらーかーみーさんっ!」
「は、はい···」
女性ふたりに背中を押され、奥へ奥へと進んでいくと、異臭の度合いも強くなり、
「こ、ここからは、自分が行くんで!ここで、待っててください」
村上は、自分が怖くて震えてないか?悟られないように、一歩一歩進み···
ゴクッ···
「西山さん!開けますよ!失礼します!」
バンッ!
「ひぃっ!」
静かに開けたつもりが、勢い良く開いてしまい、西山朱里が声をあげた。
「お義父さま?」
薄暗い部屋に布団に誰かが横たわってるのが、わかる。
「西山···さん?電気···」
パチンッ···
「あ」
「ひ」
「うっ···」
「うげぇっ!!!」
「「ひぃーーーーーっ!!」」
「おとう······さ···」
ひとり静かだったのは、孫の文哉だけ。チラッと見て、軽く鼻を鳴らしただけ···
それからが大変だった。
何台ものパトカーから刑事が来ては、西山家を行ったりきたりして、側にいた田所瑞希も長谷川早希もいつしか、消えていた。
「あんた、内心嬉しいだろ」
「······。」
朱里は、一瞬それが愛してやまない息子の口から出た言葉とは信じたくなかった。
『親に向かって、あんた?』
「えっ?」
「ま、俺はせいせいしてるけどな。じじいが死んでくれて···」
「······。」
『嘘。お義父さまのことをじじい?』
「だって、あんたそんな顔してんじゃん」
「······。」
『これが、私が産んで育ててきた文哉なんだろうか?』
「あ、あの···ご遺体をこれから署まで運ぶので···」
「ふっ···。じゃ、俺、帰るから!」
「ちょ、文哉!!」
義父であっただろう遺体は、担架に乗せられ朱里は、村上巡査と一緒に署に向かい、色々な調書を取られ、亡き義父母が住んでいた住まいへと戻る。
『あんただって、じじいが死んでくれて、せいせいしてんだろ?親父と一緒に···』
文哉が、去り際朱里に吐いた言葉は、深く胸に突き刺さった。
『これが、買っていた犬の首にぶら下がっていた鞄に入っておられました』
と村上巡査から渡されたのは、息子文哉の貯金通帳と私が達家族に当てられた遺書。
「こんなもの······」
一度は読んで目の前が真っ暗になった。
文仁が知ったら、きっと破り捨て怒り狂うだろう。
『西山英治及び花江の全財産を、恵まれない子供達のたんぽぽ財団に寄付しろ。それが、お前達への復讐だ』
「あなたに取って、可愛かったのは、文哉だけか。ふっ···」
文哉宛の通帳には、生前贈与なのか、1000万入っていた。
「あーあっ!これから、どうしよっかな」
朱里は、目に涙を溜め文仁が待つ自宅へと向かっていた···
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