白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十話「生者の意味」 その四

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 聞き慣れない鳥の声に、目を開ける。
 夕暮れの日差しは窓掛に遮られ、部屋の中は残った光で薄ぼんやりと照らし出されていて、現実味が希薄だった。
 ハイドリシアは一瞬、故郷の城に戻ってきたのかと思った。
 しかし、そんな期待は部屋を見回すだけで簡単に砕け散ってしまう。
 壁には見たこともない大陸の大地図が掛けられ、柱や天井で僅かな光を灯しているのは、ハイドリシアが知る洋燈ランプではなく魔法の灯りだ。
 空調設備が発する僅かな音の正体をハイドリシアは理解できなかったし、自分が身体を預けている寝台さえ、彼女の故郷では作ることができない精度を持つ工芸品だった。
 ハイドリシアは大きく息を吐き、天井を見上げて礼拝堂での一件を思い出した。
 すると不思議なことに憎しみを覚えることはなく、何もかもが空虚に思えた。
『滅んでしまえ』
 そう思ったのはハイドリシアの姉だけではなかっただろう。
 あの日、魔族に蹂躙された多くの民や兵士が同じように思ったはずだ。
『こんな世界などいらない』
 彼女自身、そう思ったことは何度もあった。村々が焼かれていく様を見て、逃げ遅れた民の骸で舗装された街道を見て、戦場の真っ赤に染まった小川を見て、仲間が喰われていく様を見て、世界を守ろうという覚悟の裏にいつも、こんな世界など壊れてしまえばいいという願望があった。
 その願いの果てに、世界は自分の歴史を閉じた。
「ああああああ……」
 顔を覆い、呻く。
 涙が溢れては頬を伝って枕を濡らす。
 自分たちはなんのために戦ってきたのか。
 仲間たちは誰のために死んでいったのか。
「何故、わたしは生きてるんだ……!」
 あのまま死んでいれば良かった。
 姉たちと共に世界の終焉を迎えていれば良かった。
「間違っていたと、言ってくれればいいのに……」
 リリスフィールはハイドリシアたちの行動を否定しなかった。
 むしろ正しい行いをしたと言っているようだった。そしてそれは、事実だった。
 リリスフィールは世界の終焉に関して一切の責任を認めていない。誰に対してもだ。
 その世界に住む者が世界を滅ぼしたところで、それはあくまで世界の意志だと判断される。外敵が現われたわけでもなく、世界の管理機構に異常が生じた訳でもない。
 ならばその結末としての世界の終焉は、ごく自然なことだ。リリスフィールはそう判断したし、話を聞いたレクティファールさえも同じ結論に達している。
 そこに善悪は存在しない。故に正しい道もなければ責めるべき罪もあり得ない。
「わたしはぁ……」
 だからこそ、ハイドリシアは苦しむ。
 自分では間違っていると思っているのに、誰もがそれを認めない。罪と罰は一個人では完結しないのだ。
 罪は何らかの法によって明確化され、それを雪ぐために罰が存在する。罪が認められないならば罰は発生せず、どれだけの時間が経とうとも決して赦されることはない。
「ころせ……わたしを……だれか……」
 赤ん坊のように身体を丸め、自分の中の罪を誰かが認めてくれるのを待ち続ける。
 そんなハイドリシアの姿は、決して勇者と呼べるようなものではなかった。
 彼女の存在意義は潰え、それを認める者はいない。ならば罪だけでも認めて欲しいと願えば、それさえ叶わない。
 仲間たちは善意で罪を否定し、リリスフィールは彼女の中の定義に従って罪の存在を否定する。
「うああ……」
 ふと、何のための涙だろうかと考える。
 そして自分の稚児染みた我儘のための涙だと気付き、ハイドリシアはさらに嗚咽するのだった。

                            ◇ ◇ ◇

 ハイドリシアが目覚めてひと月が経った。
 その間、ライエスたち三人は迎賓館で暮らしながら自分たちの今後について考えを巡らせ、各々の将来を見据え始めていた。
 だが、ハイドリシアだけは人形のように生気を失ったまま、漫然とその日を過ごしている。アーリュが宗教書の執筆を手伝って欲しいと頼めばその通りにするし、ライエスが議論を持ちかければそれに応える。ロディが手合わせを望めば、ハイドリシアは衰えた身体で剣を握ることもあった。
 しかし、三人はハイドリシアが限りなく死人に近い存在になっていると気付いていた。
 いつ自分の命を絶つか分からないとして侍女たちにも警戒を促しているが、その素振りさえ見せることはない。
「振子人形のようですね」
 侍女がお茶を淹れながら呟いた言葉に、ロディが眉根を寄せた。
 三人はここ一週間、移民が皇国国民として認められるための試験を受けるため、迎賓館の管理責任者である乙女騎士のひとり、ベルヴィア・フストファを講師として勉強会を開いている。
 その中で自然とハイドリシアの話が出て、ベルヴィアが同じ運動を繰り返す人形の一種を例に出したのだった。
 ライエスは借りた資料にあった振子人形を思い出し、アーリュはその言葉から感じる印象そのままに、ベルヴィアの言葉が正しいと思った。
「どうする?」
 そのハイドリシアの今後に関する問いは、幾度も繰り返されたものだ。
 迎賓館の使用に期限はないが、三人はこの国のことを学ぶたびに自分たちは過分な待遇を受けているのだと知った。
 何か仕事をさせて欲しいと言っても、ベルヴィアは成人試験に合格していない者の労働を禁じた労働法を盾にそれを許可せず、ただ三人の故郷に関する研究の手伝いをすることだけを要請した。
「誰かが守り続けるのもいい。あいつはそれだけのことをしてきた」
 ロディは磁碗を睨みながら、そう自分に言い聞かせる。勇者として過分な期待と責任を背負ってきたのだから、それから解き放たれたとしても問題ないと思っていた。
「しかし、我々に助けられることで余計に傷は深くなる。そう考えれば、我々は離れた方がいいかもしれない」
 ライエスは皇国に留まり、故地存続の一縷の望みを賭けて次元間観測の研究者になるつもりだった。貸し与えられた様々な資料を読み込むうちに、皇国がこれらの研究でもっとも先んじていると知ったからだった。
「わたしは、ずっと一緒にいてもいいと思う」
 アーリュは四界神殿の皇都神殿に身を寄せ、そこにある神学校で自らの信仰をより昇華させようとしていた。
 或いは、自分の持つ教えに適合した神がこの世界にもいるかもしれないという希望を抱いてのことだ。
「――それで、レクティファール陛下は何か?」
 ロディは探るような視線をベルヴィアに向け、訊ねる。
 現状彼らの生殺与奪はレクティファールに握られている。その意志こそがもっとも優先されるのだ。
「これと言って何も。リリスフィール様は散々お仕置きされたようで、庭で転がりながらふて腐れておりましたが」
「そうか……」
 ロディは自分たちの好敵手がもう存在しないことに途方もない喪失感を抱いた。
 戦うことで自分を奮い立たせることはできる。しかし戦うには相手が必要であり、彼らにとって最も大きな敵だった存在は、この世界では単なる一精霊でしかない。
 その精霊を従える者は彼らの恩人であり、敵対することはできない。
「ですが……」
 そう口を開いたベルヴィアだが、その口はすぐに閉じられた。
「何です?」
「いえ、わたくしには何とも……」
 ライエスが先を促そうとしても、ベルヴィアはそれ以上言葉を続けることはなかった。
(本部のお姉さま方が何を考えているかなんて、わたしには分からないもの……)
 特別護衛旅団の旅団本部に於いて繰り広げられている論争に、ベルヴィアは関わり合いになるつもりはなかった。
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