白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十話「生者の意味」 その三

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 アーリュと共に足を踏み入れた礼拝堂は絵硝子を通した光に照らされ、静謐な空気に満ちて故郷にあった聖堂によく似た雰囲気を持っていた。
 両開きの扉を開け、その正面に銀色に輝く聖印が鎮座している。聖印の手前の書見台には、アーリュが持ち込んだ最後の聖典が擦り切れた表紙を見せていた。
「灯りをお願いします」
「はい」
 侍女が一礼し、扉の横にあった制御盤を指で撫でる。すると、柱に取り付けてあった魔導燈にぼんやりとした光が宿った。
「できるだけ王都の聖堂に似せて貰ったの。単なる神官だったわたしができるのはこれくらいだから……」
 より高位の神職であれば、聖堂に関する諸々の決まり事も熟知していただろう。だが従軍神官であったアーリュには、聖堂の雰囲気を模倣することぐらいしかできない。
「聖堂にあった図書館も消えちゃって、ここにあるのは小さな簡易聖典ひとつだけ。ここもね、本当は拒否されると思ってお願いしたんだよ。生まれてからずっとわたしを支えてくれた教えが消えちゃって、どうしても怖くて、我儘を言ってダメだって言われたら諦められるかなって思って……」
 アーリュは礼拝堂に並ぶ長椅子のひとつに座り、正面に見える聖印を見詰める。
本来は聖別された貴金属で作るべきものだが、アーリュには秘蹟を行うだけの位がない。
 故に、この礼拝堂は形だけのものだ。
 絵硝子の模様や聖印の形、礼拝堂の様式を真似ただけの紛い物。それでも、アーリュはここに自分がこれまで培ってきた信仰の答えを見出していた。
「ねえ、リシィ」
 アーリュは隣に立つハイドリシアを見上げ、その手を握った。
 ハイドリシアの手に伝わる感触は、他の神官たちのように滑らかなものではない。戦場では杖を振るって直接敵を打擲するすることもあったため、アーリュの手のひらは皮膚が硬化してごつごつしていた。
「わたしたちがここに来たことは間違っていたの?」
「それは、でも……」
 ハイドリシアは背後を振り向き、ロディとライエスの顔を見た。
 彼らは扉の近くでふたりの様子を眺めるだけで、何も口にするつもりはないようだった。
 その様子を見て、ハイドリシアは両の拳を固く握り締めた。自分が言わなければならないと思った。
「間違ってはいない。ここにあの邪神がいるなら、わたしたちがここに来たことは間違ってない……!」
 あれは自分たちが討つべき相手なのだ。
 そのために多くの将兵が命を落とし、仲間たちが散っていった。ただ世界を移したからといって、それをやめる理由にはならない。
「じゃあ、どうするつもりなの?」
「もちろん、この世界の理を学んで力を付けて……」
 ハイドリシアは諦めるつもりなど微塵もなかった。
 この世界で自分たちの力がなくなったとしても、それは相手も同じことだ。目覚めたときに見たリリスフィールは、かつてのような強大な力を感じさせることはなかった。
「討って、どうするの?」
「え?」
 ハイドリシアは横合いから突き付けられたその問い掛けに驚き、そのままの表情でアーリュを見た。
 アーリュは柔和な笑みを打ち消し、真っ直ぐにハイドリシアを見据えていた。
「邪神はもう邪神ではなくなっていて、魔族もかつての魔族ではなくなっているんだよ」
「でも、奴らがやったことは……」
「この世界で彼らが行った行為は、この世界で裁かれるべきでしょう。同じように、あの世界で彼らが行ったことは、あの世界でしか裁くことはできないの」
「そんな莫迦なことがあってたまるか!」
 激昂したハイドリシアは、アーリュの肩を掴んで叫んだ。
「わたしたちは奴らの犯した罪を覚えているんだ! なのに何故奴らを許さなくてはならない!?」
「じゃあ、彼らの罪は何処にあるの?」
 アーリュは掴まれた肩に走る痛みを堪えつつ、こちらを心配そうに見詰める仲間に大丈夫だと一瞥を送ってハイドリシアに問い返した。
「どこ……だと」
「わたしたちが大義とするべき罪はどこにあるの? この世界のどこにわたしたちが大義とするべき法が存在しているの?」
 ハイドリシアたちの故郷において、法とは神に属する権利であった。
 彼らは神の名に於いて定められた法に従って生きていた。
「リシィ。わたしたちはもう力も大義も持っていないの」
 アーリュの声は震えていた。
 彼女は恐ろしいまでに理知的であり、ハイドリシアに同調する己の本心を雁字搦めにしてでも法を貫こうとしていた。
 それだけが、彼女に許された数少ない信仰の在り方だった。
「だが……」
 尚も反論しようとするハイドリシア。しかし、その言葉を天上からの声が遮った。
「――バカじゃねえノ?」
 四人が驚いて顔を上げると、聖印の上に腰掛けたリリスフィールが酷薄な笑みを浮かべて彼らを見下ろしていた。
 ふわふわと揺れる衣裳の向こうに、白い肌が見え隠れする。
「貴様……!」
「駄目!」
 リリスフィールに飛び掛かろうとするハイドリシアを、アーリュが羽交い締めにする。すぐにロディが走り寄り、ハイドリシアの腕を掴んだ。
「落ち着け」
「落ち着いていられるか!」
 暴れるハイドリシアは、ロディの顔に何度も平手を打ち込んだ。そし離せと叫び、リリスフィールの嘲笑を買った。
「まだ、分カらないノか?」
「何を!」
 リリスフィールは聖印をこつこつと叩き、アーリュ、ロディ、ライエスの顔を順に眺める。三人はリリスフィールの視線から目を逸らした。
「この印ハ、ワタシが人族にくれてやったモのだ。正しくハ、ワタシと同じ調整端末だがな」
 ハイドリシアはその言葉に目を見開き、アーリュに顔を向けた。
 アーリュはしばらく沈黙したあと、小さく頷いた。
「そんな莫迦なことが……」
「事実だよ、リシィ」
 ライエスがリリスフィールに近付きながらそう言った。
 彼はリリスフィールを見上げ、様々な感情の入り交じった声で問うた。
「そうですね、精霊神様」
「ワタシは貴様らが言うカミではないが、常に同期シテいたからな。機能的には同じカミだ」
「世界を管理する端末、でよろしいのですね」
「ソウだ」
 リリスフィールは鷹揚に頷き、手のひらに光の粒を浮かべてそこに神槍〈グリュベール〉を形成した。
「お前たちハかつて、ワタシを封印したいと別の端末に願っタ。ワタシたちはその願いをカナえル道具を作り、くれてやった」
 神槍を弄びながら、リリスフィールはケラケラと笑う。
 その笑い声が響くたび、ハイドリシアが獣のような唸り声を上げた。
「何故、自分たちを害する願いを叶えたのですか」
「害スルことなど不可能だからダ。貴様らとて、髪の一本が切れたところで傷付いたトハ思うまい?」
 リリスフィールは世界にとって幾つも存在する端末のひとつでしかない。彼女が失われたとしても、その役目を別の端末によって補わせることは難しいことではなかった。
 彼らの世界が歪み、崩壊するほどの情報喪失が発生したのは、リリスフィールだけではなく魔族たちも数多く転移させたからだ。
 特定の情報ばかりが欠損したことで、世界は歪みを矯正することができずに崩壊したのである。
「貴様らの祷りは、ワタシたちにとって貴重な情報素材だった。必須ではないガ」
 ハイドリシアは怒りで身体を震わせていた。
 自分たち人間が多くの犠牲の上に成し遂げた偉業が無意味だったと言われたのだ。
「世界を停滞させナいタメに、ワタシたちは存在した。停滞は劣化をマねくからな」
 世界を可能な限り健全な状態に維持するため、時に争わせ、時に共存させる。特定の生命を保護することもあれば、災害によって絶滅させることもあった。
 これは総て、世界の維持のために行われていた。
「では何故、我々が世界を崩壊させるのを黙って見過ごしたのです。あなた方はそれを防ぐ役目を負っていたのではないですか?」
 ライエスの疑問への答えは、リリスフィールの笑い声だった。
「世界の一部である貴様らが、ジブンたちで滅びを選んだノダ。何故それを防がなければナラない? それが世界の寿命だったダケダろう?」
 世界がリリスフィールたちに求めたのは、あくまでも誰かの意志に拠らず偶発的に世界が滅びることを防ぐことだ。
 或いは世界の外からの干渉によって世界が滅びることも、彼らが防ぐべき事態だ。
 しかし、世界の中で誰かが崩壊を望んだとしても、それは彼らの基準では自然なことである。
「誰かが世界を滅亡を願い、それを実行スルなら。ワタシたちはそれヲ妨害しない」
「誰が世界の崩壊など望むか! わたしたちはお前たちが攻め込んできたから……」
 ハイドリシアの叫びに、リリスフィールは喉を震わせて笑った。
「何をイウカと思えば、生憎だが貴様の姉は最後の瞬間、『奴隷としての生を強要されるなら、人としての滅びを選ぶ』――そう願ったゾ?」
「な……それは……」
 リリスフィールは聖印から飛び立ち、ふわりとハイドリシアの眼前に降り立つ。
 そしてぐっと顔を近付けて彼女の目を覗き込み、笑みを浮かべた。
「良かったナ。滅んだぞ」
 ハイドリシアの目の前が、暗転した。
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