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9.まさかの。
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意外と長い階段を、美鶴は普通に下りていく。
照明はない。
将にとっては真っ暗な階段で、前を行く父の背中も見えてはいない。
「お、親父ぃ……前にいるんだよな……?」
さすがに気弱な声にもなる。
完全に壁に寄りかかるようにして、そろりそろりと足を運ぶ。
「当たり前だ。遅いぞ。たかだか二階から地下室への長さだ。すぐに着く」
その声は何かに遮られてた響きを持っていた。
直線の階段では敷地がどれだけ必要なのだという話で、何カ所か折り返しになっている。
壁伝いに伸ばした指先が突き当たって、ゆっくりと見えていない折り返しを曲がって、足先で段差を探りながら下りていく。
……と、うっすら周囲が見えるようになった。
階下の部屋へと繋がる扉の隙間から、明かりが漏れているのだ。
暗闇に慣れた目には十分な明かりだったが、先で立ち止まっている美鶴は、目を眇めていた。
「ここを開けたら向こうは明るい。目を見開いていたら、眩むぞ」
確かに、暗いところからいきなり明るいところへ出たら、眩しくてまっくろくろすけだらけになろう。
将はこくりと頷いて、同じように目を眇めた。
「香奈、俺だ。開けてもらってもいいか?」
とんとんとノックをして呼びかける。
この壁の向こうにいるのは、一目惚れして憧れていた相手だったが、今は、そう思っていた自分も信じたくない気持ちにすらなっていた。
「どうぞ、おじさま」
しかし確かにこれは香奈ちゃんの声。
信じたくなかろうがなんだろうが、気持ちとは無関係に将の心臓はばくばくと壊れそうに早打ちしていた。
美鶴は、おう、と軽く応えて壁のどこかに触れた。
ぱちん、と部屋の明かりをつけるような音。
部屋からは本棚がスイッチになっていたが、こちらからだと普通のスイッチが壁にあるらしい。将には暗くてよく見えなかったが、壁がスライドして開き、明かりが階段へと流れ込んでくると、普通に開閉スイッチがあるのも見て取れた。
「それで、もう全部お話しされたの?」
ふわふわとした柔らかそうな素材のロングワンピースに身を包んだ香奈が、こくんと首を傾げて美鶴を見上げた。
将がいるのはわかっていても、視線はちらりとも向けず、美鶴に歩み寄っていく。
「ああ、だが見ての通り、こいつ、ぼんやりしてるからな」
「ずっと見てきたけど、ちょっと……ううん、とても彼は幼すぎるわ。あたしには釣り合わないと思うのよ。おじさまには申し訳ないけれど……」
将はぽかんとしてやり取りを聞いている。
幼すぎる?
釣り合わない?
可愛らしい香奈ちゃんからそんな言葉が辛辣な棘を持って発せられるなんて、いやこれ、どっきり?と、将の脳裏に、大成功のプラカードを持った美鶴が浮かぶ。
しかし現実は、想いを裏切るものだ。
ショックを受けている将を余所に、ふたりは言いたい放題になってきた。
「おじさまが、うちにはサラブレッドがいるからなんていうから、お世話になろうと思ったのよ。まさかこんな鈍くていつまでも子どもみたいなお坊ちゃまだなんて想いもしなかったし」
「いや、血筋は悪くないと思うんだよ。なんたって、俺と百合亜の息子なんだ。混じり気なしの吸血族なんだけどね。俺もまあ、まさかここまで覚醒しないとは……」
「あたし、がんばったんだから。少しでも早く、見合う相手になってもらわなきゃって。でも、彼、全然気がつかないんだもの」
「いやいや、香奈の誘惑に負けないってのも、それはそれで……」
「んもうっ、おじさま、どちらの肩を持つつもりなのっ?」
美鶴の胸に飛び込んで、緩い拳でぽかすかとその胸を叩く姿は、一見、可愛い娘の我が儘を言いくるめている父親、と見えそうな光景だ。
なにかが違うぞ、これ……。
違和感が強く将の背を押した。
「えっと……なにその、がんばったって。香奈ちゃんはなにもかも全部知ってての、今日のあれこれだったわけ……?」
美鶴からゆるりと離れた香奈は、くすくすと可笑しそうに肩を揺らした。
「ほら、やっぱり鈍いわ」
「ななななにがだよっ」
「折に触れて、ずっと、語りかけていたのに」
だからなにが……っと前のめりになった将に、香奈の囁きが降り注ぐようにかけられた。
「目を覚まして……早く……目覚めて。将くん……」
その声に、将は硬直するしかなかった。
「あああああの夢は、香奈ちゃんだったのか……っ?」
「そうよ。いつまでたっても自覚しないし、この階段に気付いても知らんふりでつまんないし」
「ああもう、なんで親父も香奈ちゃんも……あ、もしかして、同じ学校なのって、わざとなのかっ?」
香奈も美鶴も呆れたように笑みを張り付けた。
馬鹿にされている?
───胃がちりちりする。
からかわれている?
───脳がぐるぐるする。
怒っていいのか悲しんでいいのかいっそちょうどよかったとへらへら笑ってしまえばいいのか……。
今の将には処理しきれなかった。
全て見透かされていた。
それも、一目惚れした女の子……いや、もしかしたら、ホントに吸血鬼だと言うのなら、その能力でわざと好きにさせられただけなのかも知れない。
だとしたら、自分の気持ちは想いは、実はどこにも存在していなかったのかも知れない。
一瞬にして駆け巡った思考は、自分で自分を消した。
将の意識はそこで途絶えた。
ぼうっとしてしまった将に、美鶴は、おいどうした?とやや心配そうに声を掛けたが、返事はない。
ぷっつんしちゃったんじゃない?と自分の頭をとんとんと指で叩いて見せる香奈に、ちょっとベッド借りるよ、寝かせた方がいいかも、と美鶴が将を引き寄せようとしたその時。
将の姿が揺れたようだった。
するりと風圧で飛ばされでもしたかのように後退る。
「……将……?」
眉を寄せた美鶴に、やや表情を硬くした将は、踵を返した。
下りてくる時にはあんなにおどおどしていた階段を、スムーズに駆け上がる。
後から百合亜に聞いたところによると、足音も立てずに玄関へ向かい、出て行ったらしい。
美鶴は、溜め息をついて、リビングのソファに寝そべった。
照明はない。
将にとっては真っ暗な階段で、前を行く父の背中も見えてはいない。
「お、親父ぃ……前にいるんだよな……?」
さすがに気弱な声にもなる。
完全に壁に寄りかかるようにして、そろりそろりと足を運ぶ。
「当たり前だ。遅いぞ。たかだか二階から地下室への長さだ。すぐに着く」
その声は何かに遮られてた響きを持っていた。
直線の階段では敷地がどれだけ必要なのだという話で、何カ所か折り返しになっている。
壁伝いに伸ばした指先が突き当たって、ゆっくりと見えていない折り返しを曲がって、足先で段差を探りながら下りていく。
……と、うっすら周囲が見えるようになった。
階下の部屋へと繋がる扉の隙間から、明かりが漏れているのだ。
暗闇に慣れた目には十分な明かりだったが、先で立ち止まっている美鶴は、目を眇めていた。
「ここを開けたら向こうは明るい。目を見開いていたら、眩むぞ」
確かに、暗いところからいきなり明るいところへ出たら、眩しくてまっくろくろすけだらけになろう。
将はこくりと頷いて、同じように目を眇めた。
「香奈、俺だ。開けてもらってもいいか?」
とんとんとノックをして呼びかける。
この壁の向こうにいるのは、一目惚れして憧れていた相手だったが、今は、そう思っていた自分も信じたくない気持ちにすらなっていた。
「どうぞ、おじさま」
しかし確かにこれは香奈ちゃんの声。
信じたくなかろうがなんだろうが、気持ちとは無関係に将の心臓はばくばくと壊れそうに早打ちしていた。
美鶴は、おう、と軽く応えて壁のどこかに触れた。
ぱちん、と部屋の明かりをつけるような音。
部屋からは本棚がスイッチになっていたが、こちらからだと普通のスイッチが壁にあるらしい。将には暗くてよく見えなかったが、壁がスライドして開き、明かりが階段へと流れ込んでくると、普通に開閉スイッチがあるのも見て取れた。
「それで、もう全部お話しされたの?」
ふわふわとした柔らかそうな素材のロングワンピースに身を包んだ香奈が、こくんと首を傾げて美鶴を見上げた。
将がいるのはわかっていても、視線はちらりとも向けず、美鶴に歩み寄っていく。
「ああ、だが見ての通り、こいつ、ぼんやりしてるからな」
「ずっと見てきたけど、ちょっと……ううん、とても彼は幼すぎるわ。あたしには釣り合わないと思うのよ。おじさまには申し訳ないけれど……」
将はぽかんとしてやり取りを聞いている。
幼すぎる?
釣り合わない?
可愛らしい香奈ちゃんからそんな言葉が辛辣な棘を持って発せられるなんて、いやこれ、どっきり?と、将の脳裏に、大成功のプラカードを持った美鶴が浮かぶ。
しかし現実は、想いを裏切るものだ。
ショックを受けている将を余所に、ふたりは言いたい放題になってきた。
「おじさまが、うちにはサラブレッドがいるからなんていうから、お世話になろうと思ったのよ。まさかこんな鈍くていつまでも子どもみたいなお坊ちゃまだなんて想いもしなかったし」
「いや、血筋は悪くないと思うんだよ。なんたって、俺と百合亜の息子なんだ。混じり気なしの吸血族なんだけどね。俺もまあ、まさかここまで覚醒しないとは……」
「あたし、がんばったんだから。少しでも早く、見合う相手になってもらわなきゃって。でも、彼、全然気がつかないんだもの」
「いやいや、香奈の誘惑に負けないってのも、それはそれで……」
「んもうっ、おじさま、どちらの肩を持つつもりなのっ?」
美鶴の胸に飛び込んで、緩い拳でぽかすかとその胸を叩く姿は、一見、可愛い娘の我が儘を言いくるめている父親、と見えそうな光景だ。
なにかが違うぞ、これ……。
違和感が強く将の背を押した。
「えっと……なにその、がんばったって。香奈ちゃんはなにもかも全部知ってての、今日のあれこれだったわけ……?」
美鶴からゆるりと離れた香奈は、くすくすと可笑しそうに肩を揺らした。
「ほら、やっぱり鈍いわ」
「ななななにがだよっ」
「折に触れて、ずっと、語りかけていたのに」
だからなにが……っと前のめりになった将に、香奈の囁きが降り注ぐようにかけられた。
「目を覚まして……早く……目覚めて。将くん……」
その声に、将は硬直するしかなかった。
「あああああの夢は、香奈ちゃんだったのか……っ?」
「そうよ。いつまでたっても自覚しないし、この階段に気付いても知らんふりでつまんないし」
「ああもう、なんで親父も香奈ちゃんも……あ、もしかして、同じ学校なのって、わざとなのかっ?」
香奈も美鶴も呆れたように笑みを張り付けた。
馬鹿にされている?
───胃がちりちりする。
からかわれている?
───脳がぐるぐるする。
怒っていいのか悲しんでいいのかいっそちょうどよかったとへらへら笑ってしまえばいいのか……。
今の将には処理しきれなかった。
全て見透かされていた。
それも、一目惚れした女の子……いや、もしかしたら、ホントに吸血鬼だと言うのなら、その能力でわざと好きにさせられただけなのかも知れない。
だとしたら、自分の気持ちは想いは、実はどこにも存在していなかったのかも知れない。
一瞬にして駆け巡った思考は、自分で自分を消した。
将の意識はそこで途絶えた。
ぼうっとしてしまった将に、美鶴は、おいどうした?とやや心配そうに声を掛けたが、返事はない。
ぷっつんしちゃったんじゃない?と自分の頭をとんとんと指で叩いて見せる香奈に、ちょっとベッド借りるよ、寝かせた方がいいかも、と美鶴が将を引き寄せようとしたその時。
将の姿が揺れたようだった。
するりと風圧で飛ばされでもしたかのように後退る。
「……将……?」
眉を寄せた美鶴に、やや表情を硬くした将は、踵を返した。
下りてくる時にはあんなにおどおどしていた階段を、スムーズに駆け上がる。
後から百合亜に聞いたところによると、足音も立てずに玄関へ向かい、出て行ったらしい。
美鶴は、溜め息をついて、リビングのソファに寝そべった。
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