さとうと編集。

cancan

文字の大きさ
13 / 15

007 Master Donut

しおりを挟む
 
 去年の話。

 思ったより寒くない十二月末。坂の上にある編集部。
 どこかせわしないこの場所に私はいた。

 なぜかというと暇を持て余していたからだ。




 「あ――――っ!!! ドーナツが食べたいい!!!!!!!!!!!!」

 「そうですか」
 
 私の魂の叫びにたいする青木の反応は冷淡だった。

 「私にドーナツを好きなだけ食べさせてくれる心のやさしい紳士、何処かにいませんかねー」
 
 チラチラと青木の顔を覗く私。

 「そうですね」
 
 冷たい反応。
 この反応を見る限りこのダメ編集が私にドーナツを奢る可能性は限りなくゼロに近いことがわかった。
 
 しかし何というか……青木の声に張りはなく(いつもないが今日は特にない)顔色(顔のつくりは常に悪い)も良いとはいえない。
 
 きっと年末進行による連日の仕事で疲れきっているのだろう。
 
 ブラック企業に勤める人間の悲しい現実。

 会社の儲けは国への税金、株主への配当と役員報酬に振り当てられるだけで、下っ端社員や底辺ラノベ作家にはほとんど回ってこなかった。

 
 「私にドーナツ奢ってくれたらパンツ見せてあげますよ?」

 「遠慮しておきます」
 
 即答だった。
 
 ――お解かりいただけただろうか。

 私はこの一言で彼の疲労が限界を迎えようとしていることを悟った。
 美少女現役女子高生である天月さとうのパンツを見たくない人間などこの世にいるだろうか?
 いやいない。存在するわけがないのだ。
 老若男はもちろん女だって見たい。
 
 絶対。
 
 これは間違いのない真実なのである。
 うまく説明できないけどそうなのだ。

 そんな尊い存在のさとう先生のパンツをたった100円のドーナツで見れる、というチャンスを棒に振る青木はもはや魂を失った存在。
 つまり――死人なのだ。
 
 それと誤解のないようにいわせていただく。
 もし青木がこのパンツ取引に合意した場合は、事前に用意しておいた食パンが二枚映った画像を見せるつもりであったことを伝えておきたい。
 
 「わかりました。では今回だけ特別に私がお疲れの青木にジュースを奢ります」

 我ながら自分は天使なのではないかと思う提案。

 「え……」
 
 だが青木は十二月末にもなろうこの日、二〇一八年一番驚いた出来事があったかのような顔をした。
 
 それはとても心外だった。


 「コーヒーでいいですよね?」

 「え、ああ……そうですね。あ、ありがとうございます」




 ――十五分後




 私は暖かい缶コーヒーとペットボトルの紅茶を両手に持っていた。
 

 「どこまで買いに行ったんですか?」

 「エスカレーターの前の自販機」
 
 コーヒーを渡す。

 「それにしては時間かかりましたね」
 
 受け取る青木。
 
 「そうですか?」

 「ええ」

 
 彼は何か不信感を抱いているのだろう。
 そわそわしていた。
 
 つまり私が飲み物をご馳走するという行為がそれ程珍しいことなのだと捉えているのかもしれない。

 失礼な話である。

 確かに青木に飲み物を頼まれたら、いつもコップに水道水を入れて持って行く私ではあるが……
 酷い話である。
 
 「ところで青木はどれくらい私がドーナツに愛着があるのかご存知でしょうか?」

 「いえ、というか僕すごく忙しいのですけれども」
 
 なぜかコーヒーを入念に調べる青木。
 上下逆さにしたり振ったり、匂いを嗅いだりしている。
 
 「まあまあ、時間はとらせません簡単な話です」

 「はあ……そうですか」

 確認作業にやっと満足したのかフタを開けコーヒーを飲む。
 私はそんな様子を気にせず話を続ける。

 「私には目隠しをしながら食べたドーナツの種類を当てられるという特殊能力を持っています。人呼んで【マスタードーナッツ】!!!」

 「……」
 
 青木は似たような話を聞いたことあるぞ、といった表情。
 自分で二つ名を紹介している人間を始めて見たぞ。といった感情も私には読みとれた。

 「これがどういうことか青木にはわかりますか?」

 「さあ」
 
 さっぱりわからないといった感じ。
 このような話はどうでもいいといった感情も読み取れた。

 「つまりこういうことです」
 
 といって私はスマホを操作する。
 
 ある音声を再生するためだ。

 「これはなんなのですか?」

 「まあ聞いてみてください」


 私がスマホの音声ファイルをプレイヤーで再生すると流れてきたのはこんな言葉だった――

 
 『私にドーナツ奢ってくれたらパンツ見せてあげますよ?』
 
 『え、ああ……そうですね。あ、ありがとうございます』


 そこから聞こえてきたパンツを見るためにドーナツを奢る大人……それは紛れもなく坂の上編集部新人編集者グラップラー青木の声であった。
 
 「えぇえぇ――!?」

 「これは酷い」
 
 「酷いのは天月さとう――お前だ!」

 私に指をさしながら叫ぶ。

 「ジュース買いに行ってなかなか戻ってこないと思っていたら……隠れて録音した音声を編集していたな!!!!!!」

 「さあ、なんのことでしょう」

 確かに私はスマホで隠れて録音しておいた音声を編集していた。
 といっても途中の会話をぶった切っただけだが。
 

 「てかさとう先生の声も入っているから結局のところ、脅しには使えないでしょう!!」

 「そこは加工します」

 「いやそれは、加工しますの間違いだ!!!!」


 「でもこれでわかっていただけたのではないでしょうか?」

 「何が?」


 「私がマスタードーナツと呼ばれているわけを――」

 「わからないです」

 「ドーナツを食べるためには手段を選ばないからですよ!!!!!」

 私は勝ち誇った顔をしていた。


 「そうですか」

 青木は呆れている。




 でも次の日に私はドーナツを三個奢ってもらった。
 
 忘年会だ。
 
 「そんなに私のパンツが見たかったんですか?」
 
 「いやこれはコーヒーを奢ってもらいましたから、そのお礼ですよ」
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

処理中です...