さとうと編集。

cancan

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007 Master Donut

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 去年の話。

 思ったより寒くない十二月末。坂の上にある編集部。
 どこかせわしないこの場所に私はいた。

 なぜかというと暇を持て余していたからだ。




 「あ――――っ!!! ドーナツが食べたいい!!!!!!!!!!!!」

 「そうですか」
 
 私の魂の叫びにたいする青木の反応は冷淡だった。

 「私にドーナツを好きなだけ食べさせてくれる心のやさしい紳士、何処かにいませんかねー」
 
 チラチラと青木の顔を覗く私。

 「そうですね」
 
 冷たい反応。
 この反応を見る限りこのダメ編集が私にドーナツを奢る可能性は限りなくゼロに近いことがわかった。
 
 しかし何というか……青木の声に張りはなく(いつもないが今日は特にない)顔色(顔のつくりは常に悪い)も良いとはいえない。
 
 きっと年末進行による連日の仕事で疲れきっているのだろう。
 
 ブラック企業に勤める人間の悲しい現実。

 会社の儲けは国への税金、株主への配当と役員報酬に振り当てられるだけで、下っ端社員や底辺ラノベ作家にはほとんど回ってこなかった。

 
 「私にドーナツ奢ってくれたらパンツ見せてあげますよ?」

 「遠慮しておきます」
 
 即答だった。
 
 ――お解かりいただけただろうか。

 私はこの一言で彼の疲労が限界を迎えようとしていることを悟った。
 美少女現役女子高生である天月さとうのパンツを見たくない人間などこの世にいるだろうか?
 いやいない。存在するわけがないのだ。
 老若男はもちろん女だって見たい。
 
 絶対。
 
 これは間違いのない真実なのである。
 うまく説明できないけどそうなのだ。

 そんな尊い存在のさとう先生のパンツをたった100円のドーナツで見れる、というチャンスを棒に振る青木はもはや魂を失った存在。
 つまり――死人なのだ。
 
 それと誤解のないようにいわせていただく。
 もし青木がこのパンツ取引に合意した場合は、事前に用意しておいた食パンが二枚映った画像を見せるつもりであったことを伝えておきたい。
 
 「わかりました。では今回だけ特別に私がお疲れの青木にジュースを奢ります」

 我ながら自分は天使なのではないかと思う提案。

 「え……」
 
 だが青木は十二月末にもなろうこの日、二〇一八年一番驚いた出来事があったかのような顔をした。
 
 それはとても心外だった。


 「コーヒーでいいですよね?」

 「え、ああ……そうですね。あ、ありがとうございます」




 ――十五分後




 私は暖かい缶コーヒーとペットボトルの紅茶を両手に持っていた。
 

 「どこまで買いに行ったんですか?」

 「エスカレーターの前の自販機」
 
 コーヒーを渡す。

 「それにしては時間かかりましたね」
 
 受け取る青木。
 
 「そうですか?」

 「ええ」

 
 彼は何か不信感を抱いているのだろう。
 そわそわしていた。
 
 つまり私が飲み物をご馳走するという行為がそれ程珍しいことなのだと捉えているのかもしれない。

 失礼な話である。

 確かに青木に飲み物を頼まれたら、いつもコップに水道水を入れて持って行く私ではあるが……
 酷い話である。
 
 「ところで青木はどれくらい私がドーナツに愛着があるのかご存知でしょうか?」

 「いえ、というか僕すごく忙しいのですけれども」
 
 なぜかコーヒーを入念に調べる青木。
 上下逆さにしたり振ったり、匂いを嗅いだりしている。
 
 「まあまあ、時間はとらせません簡単な話です」

 「はあ……そうですか」

 確認作業にやっと満足したのかフタを開けコーヒーを飲む。
 私はそんな様子を気にせず話を続ける。

 「私には目隠しをしながら食べたドーナツの種類を当てられるという特殊能力を持っています。人呼んで【マスタードーナッツ】!!!」

 「……」
 
 青木は似たような話を聞いたことあるぞ、といった表情。
 自分で二つ名を紹介している人間を始めて見たぞ。といった感情も私には読みとれた。

 「これがどういうことか青木にはわかりますか?」

 「さあ」
 
 さっぱりわからないといった感じ。
 このような話はどうでもいいといった感情も読み取れた。

 「つまりこういうことです」
 
 といって私はスマホを操作する。
 
 ある音声を再生するためだ。

 「これはなんなのですか?」

 「まあ聞いてみてください」


 私がスマホの音声ファイルをプレイヤーで再生すると流れてきたのはこんな言葉だった――

 
 『私にドーナツ奢ってくれたらパンツ見せてあげますよ?』
 
 『え、ああ……そうですね。あ、ありがとうございます』


 そこから聞こえてきたパンツを見るためにドーナツを奢る大人……それは紛れもなく坂の上編集部新人編集者グラップラー青木の声であった。
 
 「えぇえぇ――!?」

 「これは酷い」
 
 「酷いのは天月さとう――お前だ!」

 私に指をさしながら叫ぶ。

 「ジュース買いに行ってなかなか戻ってこないと思っていたら……隠れて録音した音声を編集していたな!!!!!!」

 「さあ、なんのことでしょう」

 確かに私はスマホで隠れて録音しておいた音声を編集していた。
 といっても途中の会話をぶった切っただけだが。
 

 「てかさとう先生の声も入っているから結局のところ、脅しには使えないでしょう!!」

 「そこは加工します」

 「いやそれは、加工しますの間違いだ!!!!」


 「でもこれでわかっていただけたのではないでしょうか?」

 「何が?」


 「私がマスタードーナツと呼ばれているわけを――」

 「わからないです」

 「ドーナツを食べるためには手段を選ばないからですよ!!!!!」

 私は勝ち誇った顔をしていた。


 「そうですか」

 青木は呆れている。




 でも次の日に私はドーナツを三個奢ってもらった。
 
 忘年会だ。
 
 「そんなに私のパンツが見たかったんですか?」
 
 「いやこれはコーヒーを奢ってもらいましたから、そのお礼ですよ」
 
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