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【第十幕】RPGのエンディング
溶くもなく、常しえに凍つ
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午前四時二十五分を迎えた。5thステージ「ビタミンD」が、今ここに開幕したのだ。
ピクルスたちは、まず第五チルド室に入った。冷凍保存されているギュウギュウはすぐに見つかった。ピクルスが、ニュウニュウから教わった魔法で彼を目覚めさせ、脱出経路を手早く伝えた。
「もおおぉー、ウシもう生きて出られないと思ってたんだ」
「ニュウニュウさんが待っていますわよ。無事お逃げになって」
「ありがもおぉ、なにかお礼をしないとね。ウシにできることならなんでもいいから、いってみて?」
「それなら、ギュウギュウさん、武器いかが? 扱い方教えますわよ!」
「おいおい、ピクルスさんよお! 今それどころじゃあないんだぜ」
「そうでしたわね……」
もう四時三十分だ。
魔王ギョーザー牛千の側近たちが検査日誌を持って、第十まであるチルド室へと散らばりつつある。冷凍庫の温度チェックが行われるのだ。
ギュウギュウを安全な方向へ逃がしてから、二人は牛千が寝ている第一チルド室に入った。
ここを担当しているシルバセット‐バンビーフは、側近長でそれなりに強い。牛千が起きてしまう前に倒しておきたい。
部屋の片隅に詰み上げられている段ボール箱をカモフラージュにして身を潜め、様子を窺う。
(よおし、今こそが宣戦一隅の好機、だぜ?)
(そうね……)
二人は顔色と目配せだけで会話をしている。
だが、そのピクルスの瞳が曇っている。白い冷気によるものではない。
(ピクルス、どうしたんだあ?)
(急に胸が……まるで銀のフォークで突かれたかのよう、寒いわ)
(なんだとお! そいつは健康上良くないぜ。身体を冷やすな)
(シュア)
ピクルスのいつもの覇気が、今は失われている。
(今日の戦いは雨天順延、とするか?)
(ええ、残念無念……わたくし、勝てませんもの)
晴れ乙女の目に涙が浮かんだ。
そうなると速やかに撤退すべきである。牛千を倒さないまま側近たちが戻ってくれば、より一層逃げにくくなるのだ。
今からは魔王軍が相手ではなく、いわんや、時間との戦いになる。
バンビーフが段ボール箱の山から十分に遠ざかったのを確認して、先にヨツバがそっと立ち上がった。
(よおし、今が引き際だ。ピクルス、同時に走り出そうぜ)
(ラジャ)
ピクルスも音を出さないように細心に注意して立ち上がり、ヨツバのすぐ背後まで歩んだ。
「ああっ……」
冷たいコンクリートの床にピクルスが倒れ込み、バタと音が響く。
『ちるとむろ、いすくにゐるか、きこゆるね~♪』
不審者の潜入に気づいたバンビーフが開戦歌を詠んでいる。
『うしのちよに、いとむきみたち~♪』
ヨツバの耳へ二度目になる啖呵。間違いない、戦闘モードに入った。
ここはバンビーフだけを始末して、牛千が起きる前に退散するのが最善策だ。
「しゃあねえぜ、ここは俺様が絶対食い止める。ピクルスは先に逃げろ! 生きて待つんだ。俺様の嫁になる約束だからなあっ!」
駆け出したヨツバには見えていなかった。ピクルスがどうして倒れたのかを知らないのだ。足を滑らせたのではない。大きな誤算だった。
寝起きで不機嫌な牛千の反撃を受けて、彼は帰らぬ人になる。それをピクルスが知る機会は、恐らく訪れないといえよう。
ヨツバには陰影すら見抜けなかった、SILVERに輝くフォーク、これが神殺しの戟――遥か大昔、Ξと呼称されていた武器だ。
ピクルスの心の臓は、マイナス250℃で保冷され続ける。
溶くもなく、常しえに凍つ。
【FREEZE END】
Ω Ω Ω
アグリッパ大陸西部の小さな街キヌドウフは、もう古く寂びれている。
周囲の建物が次々と取り壊されてしまった。ぽつりと一つ残るRCビルディングも、壁のひび割れと色あせから古さが窺える築八十年、これとて例外はなく、既に解体日が決まっている。天然物であろうと、人工物であろうと、その存在活動がとこしえに続くことなど、この世にはない。
最後の一つとなったカーテンが午後の強い日輪を遮る三階の事務所を除き、他は全て退去済みだ。
室内には、硬いチェアに老男性が腰かけて、少年向け週刊マンガの誌面を熱心に眺めている。もう読まなくとも、セリフは流れる。
他に誰もいない。机上の真ん中で、やはりこちらも古びてはいるものの、クリーム色の旧式電話機が、威勢の良い電鈴音を繰り返している。
十回に達した節目、老男性の片手がゆるりと伸びて受話器を握る。
「毎度ぉ、なんでも配達のグラハム便でまあ~」
『ポセイドンだ』
「おっポセイドンはん! お久しぶりでんなあ、景気どないでっか?」
『ぼちぼちだ』
老男性の明るい商売文句に対し、ポセイドンの静かで短い返答は対極だ。
「はっははあ、そうでっかそうでっかあ、はあ~、そんで荷物は?」
『預けておいたシベッコのnだ』
「シベッコでっか?」
『そうだ』
「あれでっか。いよいよ届けるんでんなあ?」
シベッコとは、花粉を意味する符丁だ。
ピクルスたちは、まず第五チルド室に入った。冷凍保存されているギュウギュウはすぐに見つかった。ピクルスが、ニュウニュウから教わった魔法で彼を目覚めさせ、脱出経路を手早く伝えた。
「もおおぉー、ウシもう生きて出られないと思ってたんだ」
「ニュウニュウさんが待っていますわよ。無事お逃げになって」
「ありがもおぉ、なにかお礼をしないとね。ウシにできることならなんでもいいから、いってみて?」
「それなら、ギュウギュウさん、武器いかが? 扱い方教えますわよ!」
「おいおい、ピクルスさんよお! 今それどころじゃあないんだぜ」
「そうでしたわね……」
もう四時三十分だ。
魔王ギョーザー牛千の側近たちが検査日誌を持って、第十まであるチルド室へと散らばりつつある。冷凍庫の温度チェックが行われるのだ。
ギュウギュウを安全な方向へ逃がしてから、二人は牛千が寝ている第一チルド室に入った。
ここを担当しているシルバセット‐バンビーフは、側近長でそれなりに強い。牛千が起きてしまう前に倒しておきたい。
部屋の片隅に詰み上げられている段ボール箱をカモフラージュにして身を潜め、様子を窺う。
(よおし、今こそが宣戦一隅の好機、だぜ?)
(そうね……)
二人は顔色と目配せだけで会話をしている。
だが、そのピクルスの瞳が曇っている。白い冷気によるものではない。
(ピクルス、どうしたんだあ?)
(急に胸が……まるで銀のフォークで突かれたかのよう、寒いわ)
(なんだとお! そいつは健康上良くないぜ。身体を冷やすな)
(シュア)
ピクルスのいつもの覇気が、今は失われている。
(今日の戦いは雨天順延、とするか?)
(ええ、残念無念……わたくし、勝てませんもの)
晴れ乙女の目に涙が浮かんだ。
そうなると速やかに撤退すべきである。牛千を倒さないまま側近たちが戻ってくれば、より一層逃げにくくなるのだ。
今からは魔王軍が相手ではなく、いわんや、時間との戦いになる。
バンビーフが段ボール箱の山から十分に遠ざかったのを確認して、先にヨツバがそっと立ち上がった。
(よおし、今が引き際だ。ピクルス、同時に走り出そうぜ)
(ラジャ)
ピクルスも音を出さないように細心に注意して立ち上がり、ヨツバのすぐ背後まで歩んだ。
「ああっ……」
冷たいコンクリートの床にピクルスが倒れ込み、バタと音が響く。
『ちるとむろ、いすくにゐるか、きこゆるね~♪』
不審者の潜入に気づいたバンビーフが開戦歌を詠んでいる。
『うしのちよに、いとむきみたち~♪』
ヨツバの耳へ二度目になる啖呵。間違いない、戦闘モードに入った。
ここはバンビーフだけを始末して、牛千が起きる前に退散するのが最善策だ。
「しゃあねえぜ、ここは俺様が絶対食い止める。ピクルスは先に逃げろ! 生きて待つんだ。俺様の嫁になる約束だからなあっ!」
駆け出したヨツバには見えていなかった。ピクルスがどうして倒れたのかを知らないのだ。足を滑らせたのではない。大きな誤算だった。
寝起きで不機嫌な牛千の反撃を受けて、彼は帰らぬ人になる。それをピクルスが知る機会は、恐らく訪れないといえよう。
ヨツバには陰影すら見抜けなかった、SILVERに輝くフォーク、これが神殺しの戟――遥か大昔、Ξと呼称されていた武器だ。
ピクルスの心の臓は、マイナス250℃で保冷され続ける。
溶くもなく、常しえに凍つ。
【FREEZE END】
Ω Ω Ω
アグリッパ大陸西部の小さな街キヌドウフは、もう古く寂びれている。
周囲の建物が次々と取り壊されてしまった。ぽつりと一つ残るRCビルディングも、壁のひび割れと色あせから古さが窺える築八十年、これとて例外はなく、既に解体日が決まっている。天然物であろうと、人工物であろうと、その存在活動がとこしえに続くことなど、この世にはない。
最後の一つとなったカーテンが午後の強い日輪を遮る三階の事務所を除き、他は全て退去済みだ。
室内には、硬いチェアに老男性が腰かけて、少年向け週刊マンガの誌面を熱心に眺めている。もう読まなくとも、セリフは流れる。
他に誰もいない。机上の真ん中で、やはりこちらも古びてはいるものの、クリーム色の旧式電話機が、威勢の良い電鈴音を繰り返している。
十回に達した節目、老男性の片手がゆるりと伸びて受話器を握る。
「毎度ぉ、なんでも配達のグラハム便でまあ~」
『ポセイドンだ』
「おっポセイドンはん! お久しぶりでんなあ、景気どないでっか?」
『ぼちぼちだ』
老男性の明るい商売文句に対し、ポセイドンの静かで短い返答は対極だ。
「はっははあ、そうでっかそうでっかあ、はあ~、そんで荷物は?」
『預けておいたシベッコのnだ』
「シベッコでっか?」
『そうだ』
「あれでっか。いよいよ届けるんでんなあ?」
シベッコとは、花粉を意味する符丁だ。
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