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【第十一幕】烏賊令嬢のお涙頂戴物語
煩悩との戦い、いざエングラン皇国へ
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壊れたブルーカルパッチョが元の姿に直ったのは不幸中の幸いといえよう。
だが、ピクルスの心は晴れない。芥子の種によって、悩みの種であった「突発性烏賊着ぐるみ症」が回復へ向かってはいるものの、煩悩という自身の存在すらも脅かす精神の弱さが自分につきまとったことについて、実に遺憾千万であるからだ。
「わたくしには、やはり精神修養が必要なのでしょうねえ……」
「ピクルスお嬢様、良くぞ仰いました。かくなる上は、エングラン皇国におられます高名なる精神科医ポアソン先生に、一度ご相談なさってはいかがでしょうか?」
「シュアー!」
「では、私とともに」
「なりませんわ。ジッゲンは、キュウカンバの邸を守らなければなりません。そのための第一執事なのですもの」
「ですが、お一人でという訳には……」
ジッゲンバーグは、その点に関して折れたくても折れられず、ためらわずにもいられない。第一執事としての立場上、キュウカンバの邸と一人娘のピクルスの身の安全とを天秤にかける訳にはいかないのだ。
「そうですわね。でも、チョリソールは明日からの軍事演習がありますから、今回はザラメについてきて貰いましょう。それでよろしいかしら?」
「分かりました。無茶な行動などは、くれぐれもなされませぬように」
「シュアー!」
こうしてブルーカルパッチョがキュウカンバ邸に戻り、ジッゲンバーグと大きなセントバーナード犬ザラメを入れ替え、すぐさま飛び立った。
数時間後、エングラン皇国に到着したピクルスとザラメが、並んでストリートを歩いている。
「おかしいわねえ、この辺りのはず、なのですけれど……」
地下鉄プディングポンチ駅からなら、徒歩でもそれほど遠くはないとジッゲンバーグから聞いていた。ジェットフットという飛翔装置を使えばあっという間に着くだろうとピクルスは思った。それで飛んだものの、とても見当違いのところに着地してしまったのだ。乗り換えをしてベーグル・ストリート駅まで進む方が、明らかに早かったであろう。
「ピクルス大佐!」
「なんですの?」
「昔から『犬も飛べば道に迷う』という諺が、犬社会にはあります」
「ん?」
人間社会では、少なくとも聞いたことのない諺だ。
「不明な土地で闇雲に飛ぶと思わぬ事態を招き兼ねない、という意味です」
「それも、そうですわね。おほほほ」
地理を熟知している土地でならジェットフットで飛ぶ方が効率も良いが、知らないところだと、道に迷ったりして余計に時間と足を浪費したりする。その真理を、ザラメという部下に諭されたのである。人間の社会にある諺にも「急がば回れ」というのがあり、それくらいは知っている。
「今回は、これはこれで、教訓になりましたね」
「いいますわねえ、ザラメ軍曹」
「あっつつ、これは出過ぎました」
「いいえ、構いませんわ♪」
「わおん、ありがたきお言葉です」
たとえ相手が犬であれ熊であれ、正しい真理を発する部下の口を封じたりはせず、素直に学び取ろうとする姿勢のピクルスである。
Ω Ω Ω
私立探偵シャーベット‐メープルにとって、シーフードは冷麺に使う食材だ。別の調理法は決してあり得ない。シーフード冷麺に目がないということ。
「ポアソン、あんたも一緒にどう?」
「いえ、私はシーフードなどは、ちょっとあれなので……」
シャーベットの友人で、精神衛生専門医のポアソン‐ジョワは、栄養学博士でもある。にもかかわらず彼女には偏食癖があり、魚貝類をほとんど口にしない。そのことをシャーベットも知らない訳ではない。
「あんたも、お魚を食べてドコサキ、えっとドコサなんとか、摂取すべきよ」
「ドコサヘキサエン酸、略してDHAですね」
「そうそう、それよそれ。DHAは血の巡りも良くなるし、記憶力だってね。そうすれば、あんたの推理ももっと推理らしい推理になる、とあたしは推理しているのよお、いっつもね。ウフフρ♪」
化学にも料理にもかなり詳しいシャーベットは、ドコサヘキサエン酸くらい噛まずにいえるのだが、ポアソンがシーフードに関しては意固地になりがちなので、あえて彼女の口にいわせたいのだ。
それで、普段から温厚で滅多に感情を表に出さないポアソンの方は、表向き平静を装っているものの、この今ばかりは心の大海原に「フィッシュ&チップスですら食べるものか!」という叫びがトビウオのように飛び跳ねるような気持ちを抑えることで精一杯なのだ。
「おや、誰かきたみたいよ」
「え、そうなのですか?」
「ほらほら、DHAが足りていないから耳まで遠くなるのよ。うふふふ」
「…………」
ところが、待てど暮らせど、ここベーグル・ストリート122βのドアは、コンともドンとも鳴りはしなかった。
そのお陰で、シャーベットはランチを中断せずに済んだし、ポアソンもコーンフレークをゆっくり食べることができた。
だが、ピクルスの心は晴れない。芥子の種によって、悩みの種であった「突発性烏賊着ぐるみ症」が回復へ向かってはいるものの、煩悩という自身の存在すらも脅かす精神の弱さが自分につきまとったことについて、実に遺憾千万であるからだ。
「わたくしには、やはり精神修養が必要なのでしょうねえ……」
「ピクルスお嬢様、良くぞ仰いました。かくなる上は、エングラン皇国におられます高名なる精神科医ポアソン先生に、一度ご相談なさってはいかがでしょうか?」
「シュアー!」
「では、私とともに」
「なりませんわ。ジッゲンは、キュウカンバの邸を守らなければなりません。そのための第一執事なのですもの」
「ですが、お一人でという訳には……」
ジッゲンバーグは、その点に関して折れたくても折れられず、ためらわずにもいられない。第一執事としての立場上、キュウカンバの邸と一人娘のピクルスの身の安全とを天秤にかける訳にはいかないのだ。
「そうですわね。でも、チョリソールは明日からの軍事演習がありますから、今回はザラメについてきて貰いましょう。それでよろしいかしら?」
「分かりました。無茶な行動などは、くれぐれもなされませぬように」
「シュアー!」
こうしてブルーカルパッチョがキュウカンバ邸に戻り、ジッゲンバーグと大きなセントバーナード犬ザラメを入れ替え、すぐさま飛び立った。
数時間後、エングラン皇国に到着したピクルスとザラメが、並んでストリートを歩いている。
「おかしいわねえ、この辺りのはず、なのですけれど……」
地下鉄プディングポンチ駅からなら、徒歩でもそれほど遠くはないとジッゲンバーグから聞いていた。ジェットフットという飛翔装置を使えばあっという間に着くだろうとピクルスは思った。それで飛んだものの、とても見当違いのところに着地してしまったのだ。乗り換えをしてベーグル・ストリート駅まで進む方が、明らかに早かったであろう。
「ピクルス大佐!」
「なんですの?」
「昔から『犬も飛べば道に迷う』という諺が、犬社会にはあります」
「ん?」
人間社会では、少なくとも聞いたことのない諺だ。
「不明な土地で闇雲に飛ぶと思わぬ事態を招き兼ねない、という意味です」
「それも、そうですわね。おほほほ」
地理を熟知している土地でならジェットフットで飛ぶ方が効率も良いが、知らないところだと、道に迷ったりして余計に時間と足を浪費したりする。その真理を、ザラメという部下に諭されたのである。人間の社会にある諺にも「急がば回れ」というのがあり、それくらいは知っている。
「今回は、これはこれで、教訓になりましたね」
「いいますわねえ、ザラメ軍曹」
「あっつつ、これは出過ぎました」
「いいえ、構いませんわ♪」
「わおん、ありがたきお言葉です」
たとえ相手が犬であれ熊であれ、正しい真理を発する部下の口を封じたりはせず、素直に学び取ろうとする姿勢のピクルスである。
Ω Ω Ω
私立探偵シャーベット‐メープルにとって、シーフードは冷麺に使う食材だ。別の調理法は決してあり得ない。シーフード冷麺に目がないということ。
「ポアソン、あんたも一緒にどう?」
「いえ、私はシーフードなどは、ちょっとあれなので……」
シャーベットの友人で、精神衛生専門医のポアソン‐ジョワは、栄養学博士でもある。にもかかわらず彼女には偏食癖があり、魚貝類をほとんど口にしない。そのことをシャーベットも知らない訳ではない。
「あんたも、お魚を食べてドコサキ、えっとドコサなんとか、摂取すべきよ」
「ドコサヘキサエン酸、略してDHAですね」
「そうそう、それよそれ。DHAは血の巡りも良くなるし、記憶力だってね。そうすれば、あんたの推理ももっと推理らしい推理になる、とあたしは推理しているのよお、いっつもね。ウフフρ♪」
化学にも料理にもかなり詳しいシャーベットは、ドコサヘキサエン酸くらい噛まずにいえるのだが、ポアソンがシーフードに関しては意固地になりがちなので、あえて彼女の口にいわせたいのだ。
それで、普段から温厚で滅多に感情を表に出さないポアソンの方は、表向き平静を装っているものの、この今ばかりは心の大海原に「フィッシュ&チップスですら食べるものか!」という叫びがトビウオのように飛び跳ねるような気持ちを抑えることで精一杯なのだ。
「おや、誰かきたみたいよ」
「え、そうなのですか?」
「ほらほら、DHAが足りていないから耳まで遠くなるのよ。うふふふ」
「…………」
ところが、待てど暮らせど、ここベーグル・ストリート122βのドアは、コンともドンとも鳴りはしなかった。
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