とある村での半農半勇てげてげライフ

サチオキ

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水やりの章 ー キノコ誰の子サザエの子 ー

都会の星空、田舎の星空

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 所変わって、ここはトノとコリ神父の家、その台所である。

 大鍋にカツオ節と煮干しを入れ、だし汁を作っているのはボッカである。ボッカは、ミャケが手に持って待ち受ける、布巾をかぶせた網の上に、鍋を傾けて汁を溢していった。吹き上がった大量の湯気に、台所はまるでさっきまで一行がいた谷の中のように、白く包まれた。異なるのは、魚介の香ばしい香りがすることと、

「あっち!」
「あ、ごめん」

 谷底と違って、ここはぬくぬくと暖かいということだった。ミャケの手の中で、網の下に置いた鉢に、透き通った黄金色のだし汁が溜まる。

「だしはとれたようじゃな。こちらもいい塩梅じゃ」

 踏み台の上に乗ったコリ神父が、薄くスライスしたマッコチ・ハラカイタケを、油を敷いた鍋で炒めている。神父が手招きをすると、ミャケは鉢に入っただし汁を、その鍋の中へ移した。

「ふぉぉぉ」

 ミャケが感動のあまりに毛を逆立てたのも無理はない。それまでほぼ無臭であったマッコチ・ハラカイタケが、油で炒められ、そこに魚介のだしが加わると、複雑で味わいのある香りを放ったのである。森の香りと海の風味とが合わさり、台所のみならず、家じゅうが幸福な匂いに包まれた。

 カッカッカッ、という足音が聞こえてきた。神父はにんまりと笑うと、白磁に青で色付けされた、大きな平皿の中へ、キノコの浮いたスープを移しとった。

 台所と廊下を分けている引き戸が、勢いよく開かれた。皺だらけの瞼を大きく見開き、細くくびれた腰に片手を当てた、トノの姿が現れる。

 その目の前で、コリ神父は櫛型に切ったカボスを搾り、スープに垂らした。芳醇な匂いにカボスの鮮烈な旋律が加わり、一部の隙も無い、鼻で利くオーケストラが完成した。

 トノは苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、そのオーケストラを利くと、ゆっくり近寄り皿を受け取った。そして、色とりどりの魔石をちりばめた指輪を嵌めた指でスプーンを動かすと、一口啜った。

 ―――ごくり。と鳴ったのはミャケの喉である。

 一行が見つめる中、トノは無言のままスプーンを動かした。二口、三口と進むにつれて、こわばっていた頬が緩み、小鼻がひくついた。堪能しているのは間違いなかった。

「ごちそうさん」

 皿が空になり、スプーンを追っていた視線をトノの顔に戻した時、ボッカはあっ、と声を漏らした。

 樫の木の樹皮のようだった皮膚が滑らかになり、小じわは残っているものの、艶も張りも取り戻している。ベアトップの黒のミニドレスから覗くデコルテは、さっきまでの痛々しい骨と皮だけの様相から、女性らしい柔らかさと色っぽさを帯びていた。

「ふーッ」

 トノは大きく伸びをしたついでに、これまで白い髪の毛を固く丸めていた髪留めを外して、首を大きく振った。ウェーブのかかったボリュームのある黒髪が解けて、むき出しの肩に広がった。

「ちょうど潮目が変わったようじゃの」

 空になった皿を下げに来たコリ神父は、逆にこれまでの少年の見た目から、60代くらいの壮年期の男性に変わっていた。といっても、年の割に精悍な印象だ。

「馳走になったね。イモ娘。それからお前もか、ワン公」

 一人掛けのビロード張りのソファに腰かけたトノは、魔女らしく長キセルで煙草を吸いながら、ミャケを一瞥した。組んだミニドレスから伸びる脚の下に、マメシバがおずおずと進み出ると、トノはハイヒールのかかとで、その頭をぐりぐりと撫でつけた。

「霜の衣だろ。いいよ、作ってやる。ただし、あれは冬の夜に作るって習わしがあるかいね。今晩作っておくから、明日また出直して―――」
「ふぇっくしょい!」

 トノの言葉を遮って、ボッカが大きなくしゃみをした。



「勇者さん、まだトノちゃんのクシャミの呪いが残っておったようじゃな」
「ほっとしたらまた出始めました……ふぇっくしょい! これ、いつまで続きますか?」
「心配しなくても、そっちも明日には解決しているだろうさ」

 ふぇくしょい、ふぇくしょい、とクシャミを連打するボッカを中心に、一同は微笑んだ。
 ただ、ふとトノが怪訝な表情を浮かべ、ミャケの顔を覗き込んだ。

「そういえば、イモ娘、あんたは何ともないのかい?」
「何がですか?」
「クシャミだよ。確かあの時、あんたも一緒に灰をかぶったろ」

 確かに、と神父が相槌を打った。その顔もいつになく険しくなっている。魔女と神父、呪いの専門家としての二人の間で、何か思い当たることがあるのだろうか。

 トノは、長キセルの中の灰を床に捨てながら立ち上がると、神父に目配せをした。神父は今までとは別人のように伸びた背で、ミャケを見下ろしながら、その両肩に手を置いて静かに言った。

「ミャケちゃん。明日また来るのは大変だから、今日はここに泊まっていきなさい。スープもまだ残っているから」

 *  *  *

 その夜は、ボッカとマメシバも一緒に泊まることになった。
 ボッカは星空を見上げていた。BBシティで見ていたそれとは、星の数が比べ物にならないほど多い。ボッカは、冬の星座で自分が唯一知る星座、オリオン座を探した。しかし、都会の空ではすぐに見つかるその勇者の姿は、ここセイート村では他の星に紛れてしまって、逆になかなか見つからなかった。
 それまでボッカは、オリオンを冬の夜空の覇者であるように思っていた。しかし、セイート村の賑やかな星空を知った今となっては、BBシティでのオリオンは、無人の荒野を行く孤独な旅人のように思われる。

 ボッカがオリオンに思いを馳せていると、ミャケがやってきた。

「ボッカさん、何をしているんですか。風邪をひきますよ」
「星があまりにきれいでね。つい見とれてしまった」
「星といい、この間の夕焼けといい、好きですね、そういうの。そんなに珍しいですか」

 うん、と頷くボッカの隣に、ミャケは腰を下ろした。

「私はこの景色、あんまり好きじゃないです。この村も」
「そうなんだ。どうして?」

 ボッカも地面に座り、ミャケの顔を見た。

「この村にいる限り、私、一人前になれない気がして」
「一人前」
「はい。仮にこの村で何かを成し遂げたとしても、それって結局、村の中だけで終わっちゃうことじゃないですか。いくらこの村の中で偉ぶっても、井の中の蛙っていうか」

 名前は出さないが、誰のことを指して言っているのか、鈍いボッカにも察しはついた。

「うちの新聞だってそうです。この村の人は皆、私の書いた記事を読んでくれます。でもそれは、私の記事だから読んでくれてるんじゃなくて、それしか読む新聞がないから読んでるだけ。逆にいくらいい記事が書けても、うちの新聞が村の外、例えばBBシティの誰かに読まれることなんて、絶対ないですよね。そんな環境で何をしても、いつまでたっても一人前にはなれない気がするんです」

「一人前、か……」

 ボッカは無数の他の星に囲まれているオリオンを見上げながら言った。

「僕もよく、お前は一人前じゃない、って言われてたな」
「ボッカさんが? 皇帝コンドルの卵も採ったのに? どうして?」
「定食を食べるのが遅かったから」

 は? とミャケが目を細くした。

「もしかしてからかってます?」
「いや全然。あのね、BBシティの勇者達の昼飯は、たいていどこかの定食なんだよね。安いし、メニューが予め決まっているから、提供されるまでも早い。特に複数人で行動する時は、全員が同じ定食を注文することで、食事の時間を合わせることができるわけ。ただ、一人でも食べ終わるのが遅れると、その分全員の作戦行動が遅くなる。だから、食べるのが遅い僕は、よく言われていた。定食も手早く食べられない奴は、一人前じゃない、って。僕の方も意識して、周りに合わせるうちに、一応人並みには早く平らげられるようにはなった。そしてそれを勇者としての「成長レベルアップ」だとさえ思っていた。でも、ある時気づいたんだ。そうやって必死にかきこんだ定食は、全くと言っていいほど味わえていない。それはすごく勿体ないことだし、命を捧げてくれた食材にも申し訳が立たないことだとも思う」

 ミャケは、珍しく饒舌に語るボッカの横顔をじっと見つめていたが、途中ではっとした表情になると、ポケットからボールペンとメモ帳を静かに取り出した。

「それに、一人前ってなんだとも思う。一人前の定食。一人前の仕事。定食の献立は店の都合で決まるし、仕事は大抵、ギルドが割り振って決める。それって嫌だし、第一フェアじゃない。自分達の都合で勝手に決めた「一人前」を、あたかもそれが唯一無二の絶対基準かのように押し付けて、その枠にはまらない相手には「ダメな奴」とレッテルを貼る。本当は、何が一人前かは、本人が決めることだと思うんだ。その日、その時、その状況に置かれた、その人本人が」

「じゃあ、ボッカさんにとっての一人前って、どんなことを言うんですか?」

 大きく広がったミャケの瞳孔が、ボッカをじっと捉えた。その瞳の中に、オリオンが浮かんでいるのを、ボッカは見た。

「この村に来て、それが分かりかけてきた気がするんだ」

 ボッカはそう言うと、口をつぐんだ。
 ミャケは手近にあった草の葉を千切ると、それをしおり代わりにして、メモ帳をそっと閉じた。


 ― 続 ―
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