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水やりの章 ー キノコ誰の子サザエの子 ー

フクイクたる第6次産業

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「うわー、真っ白。何にも見えない」

 木の幹に括り付けたロープを腰に巻き、山肌を滑り降りるようにして、谷底へと到達した一行。谷底にはより深い霧が立ち込め、1メートル先も見渡せない。はぐれないよう、マメシバを除く3名は、互いの肩に両手を乗せ、コリ神父を先頭に一列になって歩いていた。

「子供のころにやった、ムカデ競争みたいですね」
「ムカデの話はやめて!」

 ボッカが呑気に言うと、ミャケが毛を逆立てて身震いした。以前、ヤマタオオムカデという巨大ムカデに襲われた時のことを思い出したのである。世間話ついでに、ボッカはその時の経緯を神父に語った。

「それは災難じゃったのう。ムカデといい、霜の衣といい、今年のミャケちゃんはとことんスナメに縁があるようじゃの」

 神父曰く、虫でありながら子育てをする習性をもつムカデは、慈愛と涵養を司るスナメと結び付けて祀られることが多いという。だとすれば、スナメが鬼に造らせたという窟に大ムカデが現れたのにも、何か因縁めいたものを感じるボッカであった。

 ふと、先頭を行く神父の足が止まった。

「……来たようじゃの」
「えっ?」

 神父は口に人差し指を当てながら、動作で他の2人にその場にしゃがむように促した。

「ゆっくり振り返るんじゃ。決して騒ぎ立てんようにな」

 言われるままに振り返ったボッカとミャケだったが、その前には深い霧しか見えなかった。ただマメシバだけが、耳をぴくぴくと動かし、黒い鼻をヒクつかせた。

「マメチビちゃんは気づいたようじゃの。ほれ、ワシらが歩いてきたあとをよく見てみい。何かついてきとるじゃろ」

 ボッカは眼鏡についた霧の水滴をぬぐい、目を細めた。ミャケはテンガロンハットを外し、人よりはかなり聴覚が優れている猫耳をそばだてた。

 ―――ぽふ、ぽむ、ぽふ。

 何かが小さく破裂したような音だ。例えるなら、小麦粉を袋からボウルに振り出した時にするような音が、かすかに、続けざまに聞こえる。

 ―――ぽむ、ぽふ、ぷふー

 やがて、白い霧の向こうから、何かの影が左右に大きく揺れながら、近づいてきた。影の高さは人の膝丈ほど。獣ではなく、鳥や虫でもなさそうである。

 3つほど見えるその影の主は、ボッカ達から少し離れたところで立ち止まった。それ以上は近づいてこない。一行の様子をうかがっているようだ。

「何あれ?」
「シロミ族じゃ。キノコが知性を帯びた一族で、この谷一帯を住処にしておる。伝説では、花と実りを司る妹のハナネがこの地を去った後に、残されたスナメが、花も実も必要としないキノコに人格を与えて生み出したと言われとる」

 コリ神父は、カバンから紙袋を取り出すと、中に詰まっていた茶色の粒状のものを、地面に出して広げた。

「それは何ですか?」
「おが屑じゃ。シロミ族はキノコの一族だけあって、こういうものが好物なんじゃよ」

 おが屑を囲むようにして、一行はシロミ族が近づいてくるのを待った。深い霧の中からようやく露になったその姿は、黒く小さな丸い頭に、白いベールのような、網状の美しい体をしていた。足はなく、地面の上をすべるように移動している。神父によると、森の落ち葉の下に張り巡らされた、シロというキノコの菌糸のネットワークの上を移動しているらしい。

 おが屑の周りに集まって、何やら吟味をしているようすのシロミ族達に、神父は言った。

「すまんが、マッコチ・ハラカイタケを探しておるのじゃ。そのおが屑をやるから、一本分けてもらえんかの」

 シロミ族達は黒い頭を寄せ合って、何やらひそひそと話し合った。彼らが身を寄せ合うたびに、ぽふ、ぽむ、と先ほどと同じ音がして、あたりに白い胞子が飛び散った。
 黒土の上に、白い胞子が広がる。しばらく見ていると、その胞子自体が動いて、やがて文字を形作った。

 ―――『やだ』
 ―――『もっと、いいの、ほしい』
 ―――『じゅよう、と、きょうきゅう。これ、けいざいげんり』

 キノコに経済を語られて、神父は衝撃を受けたように尻もちをついた。

「20年前は、おが屑でもあんなに喜んでおったのにのう。これは困った。もっといいもの、と言っても、キノコが喜びそうなものは他にないのう。勇者さん、何か持っとるかね?」

 言われてボッカはポケットをまさぐり、中のものを全て地面に置いていった。チーズのかけらに、向火葵の種、小枝、犬用ボーロ、干し芋、サザエの蓋……

「マメシバのおやつやオモチャばっかりですね」

 ミャケは望み薄とばかりにため息をついた。

 しかしシロミ族達は、物珍しそうにそれらを一つ一つ、頭で小突き回した。特にサザエの蓋に興味を抱いたらしく、何度も転がしている。そして、また胞子を振りまいた。

 ―――『これ、いいかおり』
 ―――『でもたべられない』
 ―――『かこうがひつよう。だいろくじさんぎょう』

「サザエを食べさせろ、ってことでしょうか。でも、サザエの身なんて持ってきてませんよ。全部僕たちで食べちゃいましたから」

 困り果て、沈む一行。一人だけ元気なマメシバが、地面におかれた小枝を咥えて走り回っている。

 ひとしきり遊ぶと、マメシバは小枝を離し、今度はくるくるとその場を回り出した。円を描くように回っているが、徐々にその半径が小さくなっていく。

「あ!」

 ミャケが短い声を出した。目の前で、マメシバが粗相(大きい方)を始めたのである。普段見せない凛々しい表情で、前をしっかりと見つめながら、きばるマメシバ。

「こんな時にか。ええっと、袋、袋は……」

 その時だった。シロミ族達がマメシバの出したものに近づくと、激しく身を震わせた。

 ―――『これ、これ』
 ―――『すばらしい』
 ―――『ふくいくたるかおり』

 シロミ族達は、いたく感動した様子で、その場でマメシバを真似るようにくるくると回って踊っている。



「なるほどのお。動物のフンにキノコが生えとるのを見たことがあるが、これが彼らの好みに合ったわけじゃな」
「今日のはサザエ風味ですしね……」
「えんがちょ」

 シロミ族達は、ひと固まりになってその身を震わせ始めた。そして、その固まりがほどけると、マメシバの置き土産は一本のキノコに変わっていた。赤い頭に刻まれた複雑なひだの模様が、怒髪天を衝くほど激しく怒った人の頭に、血管が浮き出ている様を思わせた。

「マッコチ・ハラカイタケじゃ!」

 コリ神父は素早くそれをむしり取った。


 ― 続 ―
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