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間引きの章 ー 一本立て ー
クローズド・クローゼット
しおりを挟む「信じられますか。自分だけこっそり手に入れて、私に隠れて眺めてたんですよ。自分のせいで、妹が大変な目に遭ってる時に」
当時の怒りが蘇ってきたらしく、ミャケは忌々しげに、ブーツのかかとを地面に何度も叩きつけた。
「……そのブローチ、結局どうなった?」
「ムカついたから、窓からチコの泉目掛けて放り投げてやりましたよ。多分今も、泉の底に沈んでるんじゃないですかね。もっと腹が立つのは、そのあと何も私に言ってこないんです。私がやったってわかってるくせに」
「チコの泉というと、伝説でも語られていたあの泉のことだね。妹巫女のハナネが、姉を待っていたという」
「ですです。私んち、泉のほとりにあるので」
ボッカは思った。いつの時代になっても、姉妹喧嘩は絶えないものだと。
ただ、その諍いの発端は、往々にして、小さな誤解や行き違いであったりする。時には、行き過ぎた愛情が刃へと形を変えてしまうこともある。砂糖菓子を飾る、透き通ったきれいな飴細工が、それを口にした子供の柔らかい舌を傷つけてしまうことがあるように。
もしも宇宙の全てを見透かす、「神」と呼ばれるべき存在がいたとしたら、人間同士のこのような諍いをどう思うのであろうか。愚かと思うか、愛しいと思うか。
いずれにせよ、人は神にはなれない。どれだけ思考を巡らせても、想像の及ばないことはあるし、その目で捉えられる範囲は限られる。
自分が見ている光景を、傍にいる相手も同じように見ているとは、安易に思い込まないほうがいいと、最近、ボッカは思うことがある。現に今、ボッカはミャケの横顔を見ているが、マメシバはその手の食べかけのおにぎりを見ている。人それぞれ、見ている光景は違うのだ。そしてその人(ついでに犬も)にとって、見えていないものは宇宙に存在しないのと同じなのである。
神ならざる身としては、こう考えた方がいいのかもしれない。すなわち、一つの宇宙の中に人々がいるのではなくて、人々それぞれの中に、人の数だけ宇宙があると考えるのだ。そして、人が人に何かを働きかけるとき、それはいわば、宇宙と宇宙がぶつかっているのである。並大抵の出来事ではない。言葉を尽くし、労を尽くし、互いの持つ些細なプライドなどかなぐり捨てて臨まねばならない。もしそうしていれば、避けられた諍いが沢山あるだろう。
きっと、この姉妹も……。
「あいや、こんな所にいたのかい」
背後からの色っぽい声に一行が振り返ると、そこにはトノの姿があった。前に会った時より、更に肌が瑞々しく輝いている。
「トノさん。コリ神父は?」
「あそこで死にかけてるよ」
トノが長キセルで指した先では、トノとは逆に一段と皺の深くなったコリ神父が、窟の外周をよじ登れずに四つん這いのまま蹲っていた。トノが若返った分、ただでさえ若くない体に老いが被さって、相当辛いのだろう。
「そんなことより、イモ娘。いいのかい?」
「何がですか?」
「たった今、祭りの実行委員達の会合が終わったそうだよ。そこで、あの性悪猫の16年連続ハナネ役が決まったって……」
えっ、何それ聞いてない! と叫びながら、ミャケは立ち上がった。持っていたおにぎりをマメシバへ放り投げると、窟の外周を駆け下りていった。
ミャケが向かった先は、先ほどミフネが昼食を配っていた場所の近くに建てられた仮設テントである。折しも、会合を終えた面々が、そこから外へ出てきているところであった。サンザの姿もそこにあった。
サンザは、血相を変えたミャケと目が合うと、はっとした表情で顔をそらせた。サンザだけではなく、他の委員達も気まずそうに唇を噛んだり、下を向いたり、唐突に意味もなく笑い声を出したりしている。しかし、全員がミャケの怒髪天を衝かんばかりの気勢に慄いているのは間違いなかった。
最後にエプロン姿のミフネが現れると、ミャケはすぐさま食って掛かった。
「姉様! どういうことなの!」
ミフネは表情を変えず、ミャケの目をじっと覗き込んでいた。サファイアガラスのような透き通った瞳の中で、ミャケがぶるぶると震える。
「私がハナネよ」
ミフネはきっぱりと言い放つと、人々が昼食を食べている鬼の窟の方を振り返り、その場にいるもの全てに言い聞かせるように声を張り上げた。
「私がハナネです」
ボッカは、薄ら笑いを浮かべながらそう宣言するミフネに、背筋が寒くなった。マメシバがワフッと鳴いた。
「……ワシらも、さすがに今年はミャケちゃんに……と説得したんじゃよ。でも、ミフネちゃんが『今年こそは』と言ってきかんやかい……」
サンザが何度も唇を舐めながら、絞り出すように言い訳を口にすると、他の委員たちは逃げるようにその場を離れていった。
「……もう嫌! こんな村! 嫌! 嫌!」
ミャケの両目からみるみる内に涙があふれ出た。ミャケは手の甲でそれを拭うと、心配して窟から降りてきたボッカのもとへと駆け寄り、その手を強く引いた。
「……ボッカさん、手伝って!」
何を、と問う暇はなかった。ボッカが手を引かれながら振り返ると、ミフネは変わらぬ張り付いたような笑顔のまま、一瞬ボッカの顔を見た。
* * *
ミャケは自宅にボッカとマメシバを連れ込むと、旅行用のボストンバッグに身の回りの品を押し込んだ。そして、衣装ケースの引き出しを一つ引っ張り出すと、それには靴やドライヤー、ヘアアイロン、マグカップ等をねじ込んでいく。
入れたものを上から押さえつける両手に、ぽたぽたと涙が垂れ落ちていた。「手伝って」と言われて連れてこられたものの、ボッカは何もすることができず、ただ、胸に押し付けられた衣装ケースの引き出しを抱えて、立ち尽くしているだけであった。
ベッドの上の、枕の隣には、霜の衣が置いてあった。おそらく昨晩、寝る直前までそれを手に取って眺めていたのであろう。ミャケはそれを拾い上げると、自分の首にぐるぐると無造作に巻き付けた。
次に、ミャケは自分の机を見た。一枚の紙が乗っている。右上に「セイート・ビレッジ・ニュース」と題字の入っている、新聞のゲラ原稿である。その左下には、眼鏡をかけた犬のイラストが添えられた記事があった。
記事のタイトルには、「半農半勇てげてげライフ」とあった。
ミャケはそのゲラを両手でつかむと、感極まったように顔に押し当て、それで涙を拭いた。そして次の瞬間、それをビリビリに破いてしまった。
「ああああああ!!」
そしてボストンバッグを手に廊下へ飛び出すと、隣の部屋のドアを乱暴に開けた。開けっ放しになっていた窓から風が吹き込み、清楚な白いカーテンが揺れる。ミフネの部屋に違いなかった。
ミャケはミフネの部屋のクローゼットを開けると、中のものを手当たり次第に取り出しては、床に叩きつけていった。コート、ブラウス、ワンピース……ハンドバッグや帽子に至っては、形がなくなるまで足で踏みつぶした。
ミフネの部屋で暴れ回るミャケを前に、ボッカはやはり立ち尽くしていた。4Bsギルドからの退職を決意した時の自分も、こうして気が狂ったように家の中で悶絶したのを思い出しながら。
ミャケがクローゼットの下段を開けた。そこにはパステルカラーの下着類が収まっていた。ボッカは慌てて目をそらした。
目をそらした先には、ミフネのデスクがあった。ミャケのそれよりは広い天板に、羊皮紙らしきものが広げられ、その上にはブロンズの上皿天秤が乗っていた。
紙には不思議な模様が描かれていた。中央に小山のようなものが描かれ、その下から煙と共に巨大な手のようなものが伸びている。手のひらには吊り上がった目をしたヒトが立ち、更にその先では二人のヒトが、吊り上がった目のヒトに追い立てられるようにその場から逃げ去っているように見える。
不気味な絵であった。
背後が急に静かになったので、ボッカは振り返った。クローゼットに入っていた衣類は全て取り出され、床に散らばっている。にも関わらず、ミャケはクローゼットの中を見て目を見開いている。
ミャケの肩越しに、ボッカも中を覗き込んだ。そして、同じように息を飲み、凍り付いた。
クローゼットの奥が本棚に改造されており、そこには厳めしい装丁の本がぎっしりと詰まっていた。そして、何十冊とある、ほぼ全てのタイトルに、「呪」の文字が含まれていたのである。
―――――「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」「呪」―――――
ずらりと並んだその文字が、ぎょろぎょろと目を動かせて、ミャケを見ているようだった。
― 続 ―
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