木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

木曜日の美術教師。

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それからテスト期間中以外、毎週木曜日は廃トレーニングルームで山崎先生と身体にスイッチを入れる練習を続けた。
夏休みに入ってからも、美術部顧問の手伝いで週に2日だけ学校に来る先生に合わせて私も木曜日には登校するつもりだ。
一学期の途中からプールの授業は始まっていたけれど、木曜日は使われない日だったので調子に乗ってプール棟への出入りは続けた。
ただエアコンが壊れている為、窓を全開にしても2人揃って汗だくになる上、声を我慢するのに必死で途中で頭がクラクラしてしまう。

先生の匂いも。
優しいのに強引な声も。
大きくて強い手も。
じわじわと私を追い詰める言葉も。
その全てに心臓が高鳴り、私は毎回下半身を濡らしていて。
3回目以降は換えの下着を用意していたのでそこは問題なかったけれど、熱を持った身体は同仕様もなくて鎮めるのに毎回苦労した。
特訓の甲斐もあり、日に日にスイッチの入が簡単になっていく。
だけどそれを伝えたらこの時間が終わってしまう気がして、私はいまだに擽ったい振りをしている。
もうとっくに反応の違いでバレてしまっている気もするけれど…。
私はどんどんと先生にハマっていっている。
木曜日しか会えない。
毎日待ち遠しくて焦れてしまう。
専門へ行く事が決まっていて良かった。
こんな状態で大学受験なんかあったら、私は確実に落ちていただろう。
先生はいつも大人の手つきで私を快感へ導く癖に、当の本人は涼しい顔で一切男を出してこない。
安心と寂しさの狭間でモヤモヤとしてしまう。
そんな事を繰り返している内に、私は自分の中の先生への気持ちがどんな種類なのか分からなくなってしまった。


開け放たれた窓。
風に揺れるカーテン。
鼻腔に纏わり付く油絵の具の匂い。
これこそが俺の知っている夏の匂いだ。
「先生、ありがとう。」
立花亜樹は満面の笑みで俺に対してお礼を言った。
古く大きなF60号のキャンバスを両手で抱えている。
そのサイズは130×97cm。
「学校で用意出来るのは30号までって言われてさ、自腹で買うかとも思ったんだけど…。コンクールに出すわけでも受験で使うわけでもないのにそれもどうかなって…。来年から専門で金掛かるし、ホント助かった。」
「お役にたてて良かったです。僕のお古で申し訳ないですが…。」
まさか立花亜樹が美術部に入ってくるとは…。
今から数日前、立花亜樹は産休中の顧問に代わって今年度部を管理している小林先生に入部届けを提出したらしい。
小林先生は世界史が専門で、美術については歴史上の芸術を学んだり、宗教画について調べるのが趣味なだけの素人らしく、本来は非常勤で顧問になる予定のなかった俺に相談してきた。
3年の夏休み直前。
時期も時期だし、何より授業態度を見ても美術にそれ程興味があるとも思えなかったが…。
それでも、授業で提出している作品のセンスの良さを鑑みれば、美術が嫌いではないのだろうとは思っていたが。
真意が測れないまま立花亜樹本人に確認すると、彼はデザイン系の専門学校への進学が既に決まっている為、受験組に比べれば時間に余裕があり高校最後の夏休みを使って以前から興味のあった油絵に挑戦してみようと思ったと話してくれた。
初めての油絵。
それに3年の今頃急にやって来た彼に、顧問代理の小林先生は美術部の備品を使わせる事に難色を示した。
俺も正直なところ立花亜樹がどれだけ真剣なのか疑う気持ちは今でもある。
そうでなくても油絵は扱いが面倒くさいし、完成まで時間も掛かる為、初心者は途中で飽きてしまいがちだ。
まして初っ端から60号に手を出すなんて…。
それに個人的に彼には思うところもあるしな。
だけど夏休みにいつもより大掛かりな作品に取り掛かるこの感じ。
ザ高校美術部って感じでオジサンに片足を突っ込んでいる俺にはワクワクとしてくるのだ。
美大に行ってからは大きな作品なんて当たり前で、年間通していくらでも作った。
60号キャンバスに目を輝かせるなんて高校生の内だけだ。
そんな彼が可愛く見えて俺は応援してやりたくなったんだ。
「これ、先生が描いたの?貰っちゃってホントに良いの?」
立花亜樹がキャンバスを見て言った。
白いワンピースを着て、大きな木の横に佇む女性の絵。
途中まで描いて放置していた物で、存在自体忘れていた。
「これ、誰?彼女?いつ描いたの?」
矢継ぎ早に繰り出される質問。
会話のペースに置いてかれそうになり、俺は慌てて答える。
「美大生時代に当時の恋人を描きました。どうしても筆が乗らなくなって途中で止めた上に、それが原因で別れましたけど…。課題やコンクールに出した物でもないですし、必要ない物なので貰って下さい。」
「へー…。美人じゃん。勿体ない。」
「まー…、それはちょっと盛ってますけど。美人に描いてって言うもんだから…。」
「はは、マジか。先生もそういう事言うんだ。」
不覚にも話易い。
立花亜樹はスクールカースト上位者だ。
所謂『陽キャ』。
このコミュニケーション能力は流石としか言い様がない。
距離の詰め方が神がかっているし、よく思っていなかった俺がもう彼を少し可愛いと思ってしまっているくらい、人の懐に飛び込むのが上手い。
それに加え容姿も優れている。
長身に堀が深く整った顔。
その威圧感を緩和する、幅広二重の丸く大きな猫の様なつり目。
シュッとした顎と引き締まった身体が男臭くなりすぎなくて、その絶妙なバランスが女性受けを誘っている。
妬ましい程に羨ましい。
俺に無いものを全て持っている者が目の前で楽しそうにしていて。
歯を食いしばりたくなる程悔しい筈なのに、可愛がりたいという相反する感情が生まれるのだから、立花亜樹とは本当に恐ろしい男だ。
「立花君、これどうしますか?キャンバス張り替えますか?それとも塗っちゃいます?…張り替えなら画材屋さんで新しい布を自腹で買ってこなきゃならないですけど、塗り潰すなら学校の備品で今からすぐ出来ますよ。塗った後は3日くらい置かないとですけど…。」
「あー、俺、先生がお古くれるって言ってくれてからちょっと調べたんだけど…。先生が嫌じゃなかったらこの絵の上に描いちゃっても良い?」
意外な答えだった。
きちんと調べている事にも、俺の絵の上でも良いとの発言にも。
じっくり練習するのではなく、記念に一枚だけ描くタイプの人間は、まっさらなキャンバスを希望する事が多い。
今しか出来ないという理由で思い立った彼も、またそういうタイプだと勝手に思っていた。
「僕は構いませんけど…立花君は嫌じゃないですか?表面に出てこないとはいえ他人の作品が下に隠れているなんて。」
「いや、むしろヤリー!みたいな。俺初心者の癖にデカいの描く事にしちゃったから、多分夏休みいっぱい使ってもそんなに描き込みが出来ないと思うんだよ。バイトもあるしここは通えて週2か3くらいだし…。だから先生の絵の上に重ねた方がちょっとは厚みと深みが増すかなぁって…。先生の絵を潰すのは勿体ないけどね…。」
本当に感心する。
初めての油絵が60号で、夏休みの間だけで仕上げるなんて。
無謀とまではいかなくても、納得のいく作品を作り上げるのはかなり難しいだろう。
けれど彼は分かっていたんだ。
自分の力量と現実的な問題を…。
分からない事は調べ、把握して。
そうやって無謀に近かった目標を確実なものにしようとしている。
「では、地塗り剤を用意してきますね。」
他の部員を見ている小林先生と目が合った。
横目でこちらを気にしながら、少し嫌な顔をしている。
きっと小林先生は今でも立花亜樹を冷やかしか何かだと思っているのだろう。
それに対して私物を提供したり学校の道具を使わせる俺に嫌悪感を持っている様だ。
嫌だな。
正直揉めたくない。
非常勤で今年度だけ乗り切れば良い立場だ。
だけど、教師にとっては沢山いる生徒の内の一人で、何年もある内のたったの一年だとしても、立花亜樹にとっては今年が人生で最後の高校生活だ。
その貴重な時間を美術に使いたいと思ってくれたのだから、美術教師としてできるところまでサポートしたい。
小林先生には後でちゃんと説明すれば良い。
この時、俺は珍しく細谷咲との約束の事を忘れていた。
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