タルパと夜に泣く。

seitennosei

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タルパと夜に泣く。

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外に出るとまだ涼しかった。
早朝の澄んだ空気。
東の空には完全に顔を出した太陽が見えてはいるけれど、肌を焼く強さはない。
こんな早くに起きているのは何時ぶりだろう。
そして十年近く振りのオール明けのテンション。
疲れているのか冴えているのか分からない脳みそ。
噛み合わない歯車が一つだけギュンギュン最速で回っている感じ。
忙しなくだけどぼんやりと意味の無い事を考えながら伸びをすると、その横で大志も欠伸をしながら身体を伸ばしていた。
ヨレヨレのワイシャツに伸び始めた髭。
クタクタのジャケットを片手にこちらを振り返るとクマの出来た顔で微笑む。
「見送りなんて良いから。この後少しはちゃんと寝ろよ?」
「うん。ありがとう。大志も寝てないのに…運転気を付けてね。」
「おう。」
店舗横に停めた車目指して去って行く背中を見送る。
あれから二人で沢山くだらない話をして笑い合った。
それはまるで学生時代の私達に戻ったようで、それなのに状況は決定的に違っていて。
学生時代にこうして過ごしていた時も大志は私を好きだったのかとふと浮かび、今更申し訳なさで胸が痛んだ。
仕事の為に帰宅する事になって漸く大志は少しだけ本題に触れる。
「じゃあ、ゆっくり考えてみて。俺との事。」
夜中に話した時同様、私は言葉なく頷いて返した。
答えは決まっているのに…。
それは大志もきっと分かっているのだろう。
だからこそ、もうこの先二人で蟠り無く笑い合う日は来ないのだろうと覚悟する。
何時間も話し込んで馬鹿笑いして。
そんな時間は今日で最後だったのだ。
真っ直ぐな小道に小さくなっていく背中が大通りに突き当たり右に曲がって消えて行く。
まさか大志の背中をこんなに切ない気分で見送る事になるなんて…。
全く予想だにしてなかった。
私は周囲の顔色を伺う事に必死で自分の感情を蔑ろにしていると自分で思っていたけれど。
実の所は自分の感情しか見ていなかったのだとここ最近で何度も突き付けられた。
清太郎の気持ちも大志の気持ちも何一つ理解していなかった。
もっとしっかりと自身と向き合わなければ…。

部屋に戻ろうと振り返った時。
視線を感じ周囲を見渡した。
視界の中、源造さん宅の前。
十数メートル先に立ち尽くしている清太郎と目が合う。
何時から見ていたのだろう。
もしかして大志と私が家から出てくるところも?
途端に鼓動が速くなる。
もしそうならば誤解を解かなければ。
「あ、あの、清太郎さん、おはようございます。」
「ああ…。おはよう…。」
「今、…えっと、どこから見てましたか?」
「あー、あの人…大志さん?と二人で出てきたのから…。」
いつかの自分の発言を思い出す。
『自宅に上げたのは源造さんと清太郎さんだけ』
ああ、なんて最悪のタイミングなのだろう。
事情があるって説明したい。
誤解を解かないと。
だけど…。
誤解?
果たして誤解なのだろうか。
元カノと清太郎の関係を知って以来自暴自棄になり。
町田手毬のまま男と寝られるのか試そうと、昨夜の私は自分に気のある男に甘えて挙句失敗したのだ。
大志とは何も無いって今の私に言える?
何からどう言えばいいのか決められないで黙っていると清太郎が歪な笑顔で口を開く。
「良いよ、別に。いつも色々説明してくれるけど、手毬さんと大志さんの問題は俺に関係ないんだから…」
「違うんです!」
本当は何も違わない。
きっと私は途中で発作を起こさなければ大志と最後まで寝ていただろう。
結果最後まで至らなかっただけで今日の私と大志には疚しさしかなかった。
だけど、今ここで否定しておかなければ、完全に清太郎との未来が潰えてしまうような気がして都合の良い言葉が口をついて飛び出す。
「私が…私が昨日店舗の方で具合悪くなってしまって。大志が家まで送ってくれて看病していてくれただけなんです。本当です。」
「そう…。まあ、本当に別に良いんだけど。俺関係ないし。」
「関係ないなんて言わないで下さい…。」
早々に切り上げ部屋に戻ってしまいそうな清太郎を追い掛け十数メートルの距離を小走りで詰める。
「今日、ちょうどホントに考えてたところだったんです。もう大志とはちゃんと距離を保とうって。清太郎さんには誤解されたくないんです。信じて下さい。」
最悪だな。
大志には時間を掛けて考えるって約束してまだ正式な返事もしていないのに。
清太郎に対して必死にその関係を否定している。
挙句の果てに疚しい部分は隠して『信じて下さい。』だなんて。
あんなに偉そうにこれ以上自分を嫌いになりたくないなんて大志に断言したばかりなのに。
今世界で一番自分が嫌いだ。
それでも言わずにはいられない。
今ここで清太郎を失うわけにはいかない。
だから、これから言う言葉だけは嘘なく真剣に口にする。

「清太郎さんは私の特別なんです。」

一瞬の静寂。
さっきまで歪んだ笑顔を見せていた清太郎はスっと真顔になった後、次の時には満面の笑顔で私を見てくれた。
もしかして私の気持ちちゃんと伝わった?
なんて期待したのも束の間。
「そういうの良いから。」
清太郎の口から聞こえてきたのは酷く冷たい声だった。
きゅーっと喉が詰まる感覚。
気が遠のきそうだ。
「アンタにとっては皆それぞれ『特別』なんだろ?」
「…へ?」
「アンタにとって『特別』は特別じゃない。」
言っている意味が分からない。
だけど、私の気持ちが正しく伝わっていない事だけは確かで。
上手く処理しきれない頭で必死に考える。
特別は特別でしょう?
それに清太郎がよくアナに町田手毬の話をする時に『特別』と使っていたから。
その言葉を使えばもしかしたら気持ちが通じるのかなって…。
だけど何より一番ショックだったのは、手毬さん呼びからアンタに戻った事で。
震える声で訴える。
「特別は清太郎さんだけにしか思ってないですよ…?ほんとに…。」
「だからもう良いって…。」
笑顔なのに苛立ちの言葉。
そのギャップに益々理解が追い付かない。
「特別なんて便利な言葉ではぐらかすなよ。俺の気持ちは分かってんだろ?俺の好意に応えるんじゃなくて『特別』って曖昧な言葉で現状維持を選んだんだろ?」
「ちがっ…」
「俺が…俺が、アイツが来てる時の俺が…。アンタとアイツが一緒に居るかもって思う度にどんな気持ちだったか、アンタ知らないだろ?…や、違うな。知っててさ。知ってて見ないようにしてたんだろ?俺をどれだけ傷付けてるか良い子ちゃんなアンタは考えたくなかったんだろ?アイツの事も俺と同じで好意に応えないではぐらかしてんだろ?」
「違う。違います。聞いてっ…」
「違わないだろ?」
その通りだった。
だけどここで黙ったら本当に終わってしまうって分かるから。
何か。
何か言わないと。
清太郎の目を見る。
声や表情は熱く怒りを孕んでいるのに、とても悲しそうな冷えた瞳。
そこは深く冷えて光が届かない。
清太郎をこんな目にしたのは私なんだ。
口を開いても言葉が出てこない。
ヒューヒューと喉を鳴らして息だけしていた。
「アンタと距離を置きたい。」
耳に届いた呟き。
やっと聞き取れるくらいの些細なボリュームなのに、それはきっと清太郎の心の叫びなんだと分かった。
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