タルパと夜に泣く。

seitennosei

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タルパと夜に泣く。

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すっと表情を無くした顔。
でも酷く苦しそうに見えた。
つられて私も苦しくなる。
「嫌です。もう曖昧な事しないですから…」
「もう疲れたんだよ。頼むから、な?ちゃんとアンタがお節介したくなんないように人間らしくは生きるよ。回覧板とかそういう最低限のご近所付き合いもするから…。もう放っておいてくれ。」
「嫌だ…」
「やだって何だよ。もうアイツと楽しくしてれば良いだろ。」
自業自得なのに。
想いの伝わらなさと、あまりにも不貞腐れた言い方にカチンときてしまった。
思わず零す。
「自分だって…」
「あ?」
そのまま「元カノと寝てる癖に。」と続けそうになって咄嗟に口を噤む。
そんな私を怪訝な顔で清太郎が問い詰めてくる。
「自分だって?…なんだよ。」
もうダメだ。
言ったら終わる。
でも誤魔化せない。
それに私だって吐き出してしまいたい。
「自分だって。元カノと…会ってる癖に。」
「は…?なんでそれ…」
これで私のターンがきたというわけではない。
けれど言わずにはいられなかった。
「元カノ来てますよね?ここに。何回も。」
「は…、だったらなんだよ?源にでも聞いたか?だからって、それだったら何なんだよ?アンタに関係あるか?」
脚がガクガクと震え吐き気がする。
ああ、もうダメなんだ。
本当は元カノの事を持ち出したらお互い様みたいな空気になって許されるかな?なんて打算も少しあったのだけれど。
決定的に壊してしまった。
私の心も決壊する。
もうどうせダメなら言ってしまおう。
「関係ないですよ?関係ないですけど。私だって。私の気持ちは伝わってるって思ってました。だから大志の事は違うって言い続けたし、清太郎さんが特別だし。私は関係ありたかった…。」
「は?」
「元カノが来る事に対して文句言えるような…。傷付く資格があるような関係になりたかったのに…ぃ。」
両目からボタボタと何かが落ちる。
頬に当たる風が寒くて自分が泣いていると気が付いた。
いーっと横に開いた口に涙が入ってしょっぱい。
一人ではとても立って居られなくて。
縋るように両手を伸ばすと清太郎も両手でそれを握り返し私を見てきた。
穏やかな、だけど寂し気な顔で言う。
「あー…もう…。な?こんなんなってもお互いに言わないだろ?」
「…?」
「俺もアンタも自分が傷付くよりも相手を傷付ける方を選んだんだ。だから今二人ともボロボロで。もしかしたら二人とも傷付かない…今一番言うべき言葉があるって分かってんのに。絶対に自分の口からは言わないだろ?」
ああ、私は本当に全部間違えたのだ。
目の前が暗くなる。
絶望しかない。
時間を戻して欲しい。
今すぐ『好き』って言いたいけれどもう遅いのだろう。
ああ、こんな事になるくらいなら男を受け入れられるかなんか後回しにして、勿体ぶらずに好きだと早く言えば良かったんだ。
今慌ててそれを口走ったところでもうどうにもならない。
「俺知ってるよ?アンタが色んな男と会ってたの。」
「…え?」
今度は頭が真っ白になった。
一体何をどこまで?
怖い。
一気に血の気が引いていく。
「働いてた時の職場で、…その裏のホテルに入っていくの何度も見てんだよ。いつも違う男でさ。子供の時以来だったし派手な感じにしてたし最初は別人かと思ったけど。何回も見かけて、やっぱどう見てもアンタで。何でそんななっちゃったんだよって腹たって。」 
「それは…」
私じゃないって言いたい。
けれど説明して分かって貰えたとしても、結局どんな理由があろうとこの身は汚れていて。
語れば語るほど信用を失う状況に拍車をかけるだけだろうと思うともう声も出ない。
「だけどここに来てからのアンタは昔と何にも変わんなくて。ホテルで見たのは嘘かなって思う事も沢山あって…。同仕様も無く惹かれていくし。今はもう頻繁にそういう感じの事してるようにはとても…少なくとも俺の目からは見えなくて。だから俺信じたかったけどさ…、でも今日のは無理じゃん?」
そこまで言うと少し視線を落として清太郎は私の首元を見て弱く笑う。
「首にさ。着いてるよ、痕。」
昨夜、大志にカマを掛けたれた時とは違う空気。
きっと本当についているのだろう。
身に覚えもある。
清太郎の視線が首に刺さるようでジリジリした。
これはもう何を言ったって焼け石に水だ。
黙って泣いている私に清太郎は続ける。
「…俺、昨日あんまり眠れなくて。そんで朝んなっちゃって何となく外出たらアンタがアイツと出てきてさ。首にそんなん見付けて『違う』って言われたってもう何にも分かんないよ俺。」
「ごめんなさい…。」
これは大志との事でも昔の男遊びの事でもなく、傷付けてしまった事への謝罪なのだけど。
きっと伝わっていないし、もう伝わらなくても仕方がないと諦めている。
「分かってんだよ。アンタが本当にアイツの事をそういう風には好きじゃないのも。もう今はきっと男遊びしてないだろうとか…。俺に対して、俺と、…同じ気持ちなんじゃないかとか。全部分かってるしアンタを今でも完全に信用してないわけじゃない。だけど。」
清太郎は視線を上げた。
そして私の目を真っ直ぐに見てはっきりと言い切る。
「お互い、自分より相手が傷付く方を選択しちゃう人間なんだよ?そんな状態で…俺は。俺はもうこれ以上アンタを好きになりたくないから。」
ああ、今更『好き』って言うんだ。
なんて残酷な。
だったらもっと前に違う言い方で好きって言って欲しかった。なんて。
そんな事望む資格もない癖に。
否定も肯定もせずにただただ泣いている私に向かい清太郎は今までで一番優しい声で頭を下げた。
「だからお願いします。俺と距離を置いて下さい。」
すっと離された両手。
ごめんなさい。
もう一回チャンスを下さい。
分かったって言ってないのに勝手に決めないで。
嫌だって言いたいけど。
それら全部が喉に引っ掛かって吐き出せずにただ立ち尽くす。
玄関に向かい去っていく清太郎の背中。
呆然と見ていると頭の中に母の声が響く。
『手毬は強い女だから。』
笑わせるな。
強い女がこんな無様な姿を晒すものか。
好きな男の思いを受け止める事も、自分の思いを伝える事もままならない。
その癖卑しくも愛情だけ欲して寄り添って。
相手に去られそうになってから泣いて縋り付く。
あざとくも男に甘えていた母の方が余程強い女だ。
扉の前に立った清太郎は振り向かないままこう言った。
「じゃあね。手毬さん。」
ああ、名前。
私はこれが清太郎の最後の『手毬さん』呼びなんだと悟り、その声をしっかりと胸に刻んだ。
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