タルパと夜に泣く。

seitennosei

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タルパと夜に泣く。

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封筒は新しくなるにつれ段々と分厚くなっていた。
一通目はレポート用紙に3枚程だったけれど、最後の方になると20枚以上はありそうで、封筒は膨らみ、重量が増えた事によって貼られている切手の値段も高くなっていた。
それらを順番に読んでいく。

三通目。
『僕は父方の祖父、清から貰い清太郎になりました。
弟の源太郎は母方の祖父源造から一字、末弟の正太郎は父正司から一字貰いました。
3人とも名付けたのは父です。
長男だけに「太郎」を付けるのは可哀想だという考えから3人とも平等に「太郎」がついています。
その考えは素敵だと思うのですが、それでも僕は自分の名前があまり好きではありません。
父は自分の父である祖父を尊敬しています。
ですので、僕に「父さんの名前を貰ったのだから父さんのように立派な人間に成りなさい」と言います。
そう言われると僕は苦しくなってしまうのです。
口に出した事はありませんが、僕は本当は母方の祖父の方が好きなのです。
どちらの祖父も弁護士で立派な人物ですが、母方の祖父の方がお金よりも人を助ける事に重きを置いていて優しい弁護士だからです。
僕は弟の源が羨ましいです。
母方の祖父は僕達3人に平等に優しいですが、名前を分けたからか、もしかしたら源が一番可愛いのかもしれないと思ってしまう時があります。
源は何の疑問も持たずに幼少の時から「大人になったら自分も弁護士になる」と言っています。
僕は弁護士になりたくないわけではないけれど源のように前向きにそうは思えません。
源は長男の僕よりもしっかりしています。
見た目も格好良く女の子から告白されたりしています。
僕は勉強は得意ですが他はあまり出来ません。
僕は時々「源と全部交換したいな」と思ってしまいます。
だけど交換したら僕になってしまう源が可哀想だとも思ってしまいます。
だから人間としては僕のままでも、名前だけでも僕が源太郎になりたかったのです。
名前を気に入っていない事で父や父方の祖父に申し訳ない気持ちがあります。
源の名前を呼ぶ度に恨めしい気持ちが湧きます。
せっかく僕のために付けてくれた名前なのに。
自分の名前を誰かの名前と変えてしまいたいのはおかしなことですよね?』

内容は祖父の作品に対する感想や日常の気付きが多いけれど、三通目辺りからその時その時の悩みを打ち明けている事も多くなっていった。
将来の事、家族の事。
時には恋愛の事も書かれていて。
清太郎は誰にも言えない孤独や苦しみを祖父に吐露していたのだと分かった。
祖父は清太郎にとってもう一人の祖父のような存在であり、尊敬する作家でもあり、そして年の離れた友人だったのだ。
祖父がどのような返信をしているのかは分からないけれど、途切れず続いたやり取りを見るに、きっと清太郎にとって有意義な言葉が綴られていた事だろう。

成長していく文字。
整っていく文章。
自己分析と思慮がますます深くなっていく。
スラスラと読める。
先が気になってどんどん目が左から右へと流れていった。
読んでいて楽しかった。
だけど清太郎の手紙は読んでいて苦しくもあった。
起きた事、それについて感じた事、それらが淡々と記されていて。
取り乱す様子も悲観にくれている様子も見えないけれど。
大人になっていく不安、兄弟に持つ劣等感、父親との確執、理解されない漠然とした孤独。
それらが重圧となって長い時間を掛けギシギシと身体を軋ませるような。
少しずつ少しずつ薄くなっていく酸素に、本人が苦しいと気付く頃には手遅れなのではと思わせる危うさが清太郎の語る物語の中にはあった。
そして全ての手紙の最後に必ず私の様子を
伺う一文が添えられているのも気になって。

『手毬さんはお元気ですか?』

その一文だけが追伸されている事が殆どだけれど、稀に長く私への感情が語られる事もあった。
それは六通目、清太郎が高校に上がった頃の物で。
『追伸、手毬さんはお元気でしょうか?
僕は今でも時々彼女の笑顔を思い出しています。
浮かぶのは僕の為にくれた気遣いの笑顔ばかりです。
いつか、本当に幸せで心から湧き上がるような笑顔を見てみたいです。』

そして十五通目。
消印を見ると今から6年程前、清太郎が社会人になった頃の手紙に記されていた物。
『道に空き缶が転がっていました。
沢山の人が行き交う中、それに気が付いたのは僕だけでした。
空き缶は放っておいてもきっと清掃の人がいつか片付けるでしょう。
それにその道は沢山の人で溢れていますから、僕でなくてもその内誰かが拾ってくれるのかもしれません。
だけど…。
僕はそういうのを放っておけない性分なんです。
いつか清掃の人が…。
それはいつですか?
その内誰かが…。
それは誰ですか?
いつから空き缶が転がっていたのか。
どうしてここに転がっているのか。
それは分からないけれど、これだけの人が行き交っているのに今現在誰も気に留めていないではないですか。
気付いたのは僕だけだ。
だから僕が拾わなくては。
そう思うのに…。
僕には腕がありません。
僕には転がる空き缶を見付ける目と心があるのに、それをどうこうできるだけの力がありません。
そういう気持ちで僕は子供時代に手毬さんの孤独をただ見ていました。
それを今は酷く後悔しています。』

淡々と続く清太郎の独白。
それらの合間に垣間見える私への気遣い。
手紙から得られる情報でしかないけれど、清太郎には中学、高校、大学とそれなりに恋人がいた。
とくに優美ちゃんとは高校時代から別れたりくっ付いたりを繰り返していて、最後の手紙の頃にもお付き合いは続いていた。
なので清太郎が古くから私を気に掛けていると言っても少なくとも手紙の時点では恋愛感情ではなさそうだ。
寧ろ恋愛感情でもないのに清太郎がこれ程までに私を想ってくれている理由が全く思い当たらない。
全てに目を通しても結局子供時代に何があったのかも思い出せず終いだ。
けれど、元気で良い子に見せていた私の孤独にいち早く気付き誰よりも考えてくれていた事だけは手紙からも伝わってくる。
ここに来てからの清太郎がまるで見透かしたかのように私の本質を言い当ててくるから不思議に感じていたけれど。
子供時代に何かを見て、そして祖父と交流を続けながら私の成長過程での情報も得て、祖父の作品から祖父の想いも感じ取る事で私の為人を見極めていたのだと分かった。

そして最後に何よりも引っ掛かる点が一つ…。
それまで『追伸、手毬さんはお元気ですか?』と綴られていた手紙の締め。
それが二十一通目、最後の手紙のみ『追伸、本当に手毬さんはお変わりありませんか?』と変わっていた。
消印で確認すると3年前。
ああ、そうか。
何となくだけれど分かってしまった。
きっと清太郎はこの頃に私が影山百合子になり切ってホテルに出入りする姿を目撃するようになったのだろうと。
この一つ前の手紙で職場の異動が決まったと言っていた事とも繋がる。
それに当時まだ遊び方を模索していた私は本当に不特定多数の男と会っていた時期だった。
探るような追伸の内容。
この翌月に祖父は逝去したので返信はしていないだろう。
こうして二人の文通は終わりを迎えたのか。

私は今やっと、色々な事が腑に落ち始めた。
初めて再会した時の清太郎の拒絶。
アナに向かって吐き出していた私への暴言。
子供時代のイメージを持ったまま、その記憶は美化されていく。
だから手紙での清太郎はどこか私を神格化しているような口振りだった。
きっと幻滅したのだろう。
私が複数の男と会っているのを見て。
当時の私はそうするしかなかったのだから、もう自分だけが悪いなんて卑下するつもりはないけれど。
誰も気付いてくれなかった私の寂しさに長い間目を向けてくれていた清太郎。
人知れず私の味方でい続けてくれていた、そんな人の気持ちに上手く寄り添えなかった自分を残念に思ってしまう。
不意に胸が痛んだ。
清太郎に会いたいな。
ずっと孤独な想いを飲み込んで。
だからこそ私の孤独に気付いてくれていた。
でも清太郎の孤独には誰が気が付くの?
叶う事ならば抱きしめたい。
今になってやっと、自分が傷付くよりも相手を傷付ける事を選んでいた自分を本当の意味で後悔し始めた。
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