タルパと夜に泣く。

seitennosei

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タルパと夜に泣く。

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今私の手には白い封筒がある。
宛名には私の名前があるけれど差出人欄は未記入で、消印は都心の方の郵便局で押されていた。
開封してみると中には一枚の手紙と一つの鍵だけが入っていて。
断面の丸い大きくレトロな鉄製のそれは、自分の家の物と同じくらい手に馴染んだ。
今度は同封されていた手紙を開く。
『手毬さんへ。』
そのたった一言だけ。
私はいつの間にか握り締めていた鍵をもう一度確認する。
やはりそれは紛れもない源造さん宅の鍵だった。

数日前。
私が祖父の書斎で清太郎の手紙を盗み読みしていた頃、優美ちゃんは約束した通り高学歴スナイパーズのメンバーにDMを送ってくれた。
清太郎が周囲の人間と連絡を絶っている事を始め、安否も分からず皆心配している現状を知らせ、可能であるならば清太郎と繋いで欲しい旨も添えた。
有難い事に返事はその日の内に届き、清太郎は都内のホテルで無事に暮らしている事を教えてくれた。
ただ当然だけれど、勝手に繋ぐわけにはいかないとも綴られており、更に清太郎は現在高学歴スナイパーズとの仕事もお休みしている為、この先どうやって暮らしていくつもりなのかはメンバー達も詳しくは知らないそうだ。
また振り出しか…。
そうガックリと項垂れたのも束の間。
数日経った今日、私の家に一通の手紙が届いた。
白い見覚えのある封筒。
そして見慣れた筆跡。
差出人は未記入だったけれど、すぐに思い当たった。
これは清太郎からの手紙だと。

ドクドクと心臓が鼓動を強める。
『手毬さんへ。』としか書かれていない紙を呆然と眺めた。
説明がなさすぎて意図は分からない。
けれど清太郎からのアクションが兎に角嬉しい。
もう私の事なんて忘れてしまっているかもしれないという不安が一つだけ消せた。
それだけで心持ちが大分違う。
ただ、また別の不安も生まれる。
今手の中にある鍵についてだ。
これを送って来た意味は一体…。
好きな様に出入りして構わないという事だろうか?
それとも以前の様に管理を任せてくれるという意思表示だろうか?
それなら良い。
最悪なのは「もう帰らないので勝手にどうぞ」という意味だった時だ。
途端に全身が内側から不安に蝕まれていく。
感情がまるでジェットコースターだ。
急激に怖くなり、私は突発的に源造さん宅へ向かった。

閉め切られた雨戸。
見えている窓も全て暗く、鍵を使って玄関を開けるも中に光は一切ない。
居るわけないか…。
封筒から鍵が出てきた瞬間は、もしかしたらもう清太郎は帰って来てきていて、私が鍵を使って中に入ればサプライズ的に清太郎が居るかもなんて浮かれた考えも微かに過ぎった。
が、当然そんなわけもなく。
がっくりと項垂れながら、当たり前に無人な源造さん宅に上がり込む。
一ヶ月振りの。
町田手毬としては二ヶ月振りの源造さん宅だ。
真っ暗で軋む廊下を進んで行く。
閉め切っているせいだろうか。
空気が全く動いていない。
家が死んでしまった様に思えて強い寂しさに襲われた。
だけど、再びこの家の鍵を手に入れたのだ。
清太郎が鍵を託してくれた理由は分からないけれど、これからまた空気を入れ替えて蘇らせていけば良い。
そう少しでも前向きに考えていないと跪いて泣き出してしまいそうだ。
何だかいつも清太郎と過ごしていた居間に一人で入るのが寂しく感じ、私は二階に向かう事にした。
手探りで見付けた照明スイッチ。
パッと明るくなった階段を一段一段軋ませながら登っていく。
そういえばここには清太郎が越して来て以降一度も足を踏み入れていなかったなと思う。
2つの和室と2つの板張の部屋がある二階。
階段を登り切り伸びる廊下の先を見た。
突き当たりの和室は扉が開いたままになっており、中に何も無い事がすぐに分かる。
まずは一番手前の部屋から確認する事に決めた。
少しだけ緊張する。
深呼吸をし、薄らと埃を纏ったドアノブ捻ると扉を開いた。
視界に映るのは窓際に大きな机。
以前、ここは源造さんの書斎だった場所だけれど。
源造さんが使っていたその机に今はデスクトップのパソコンと大きめのモニター2つが置かれている。
足元にはケースに入った機材らしき物もあり、優美ちゃんの情報通り清太郎がここで編集の仕事をしていた形跡が見て取れた。
素人の私には分からないけれど、こんなにちゃんとした設備を整えていたなんて、きっと真剣に取り組んでいたのだろう。
そのお仕事を休んでまで今は都内のホテルで何をしているのだろう?
疑問が解消されないまま、ぐるぐると思考が巡る。
いや、仕方のない事を考えるのは止めるべきだ。
そして明日もっと明るい内に来て全ての部屋を換気しよう。
気を取り直し隣の部屋へ移動する。
先程同様、ノブを捻り扉を開いた。
今回最初に視界に飛び込んできたのはシングルのベッドだった。
続いて本棚と書斎の物よりもコンパクトな木製の机が一つ。
ここは清太郎の部屋なのだろう。
微かに清太郎の匂いが鼻を掠める。
胸が締まった。
香ってしまうと、途端に清太郎に会いたい。
無意識に足を踏み入れていた。
僅かに濃くなる清太郎の匂い。
私と過ごすのはいつも居間だったから。
二階で仕事をしたり生活していたなんて全く知らなかった。
中央に立ち周囲を見渡す。
巡らせる視界の中、机の上に一枚の紙切れを見付けた。
手に取り確認する。
『清太郎君へ』
見慣れた文字。
達筆で流れるように書かれたそれは少し読み難くて。
だけど温和な人柄が伝わってくる優しい筆跡。
子供の頃から幾度となく見てきた文字。
ああ、紛れもない祖父の字だ。
それは祖父が清太郎に宛てた手紙のようだ。

傍らに置いてあった封筒も手に取る。
消印は三年前で、祖父が亡くなる二週間程前だ。
裏返して差出人を確認すると、やはり祖父だ。
清太郎が祖父に宛てた最後の手紙よりもこちらの方が日付が後だ。
ということは二人の文通の中で、これが実質最後の手紙という事になる。
封筒を置き再び手紙を見た。
見慣れてはいるけれど、何処と無く力のない震えた文字。
手紙を書いた日が消印の日付けとそう遠くないのなら、これをしたためた時、祖父は既に体調を崩していた事になる。
そして手紙を投函した数日後には肺炎を起こし入院となり、そのまま帰らぬ人となった。
そんな状態の祖父が体調をおしてでも清太郎に伝えたかった事とは?
私は紙上に目を走らせた。

『清太郎君へ。
手毬に変わりはありませんよ。
それは私の目から見てですけどね。
変わらず笑顔で暮らしています。
ただね。
日々を生きていて変わりゆかない人はいませんから。
私の目に映る手毬がずっと変わらないのは本来不自然な事なんですよね。
気付くのが遅かったと後悔しています。
清太郎君。
君は周囲の人に多くの事を任され背負って生きてきましたよね。
強い願いを込め授けられた名前から始まり、長子として、弱き者の痛みに気付いてしまう者として。
清太郎君の様な優秀で且つ思い遣りのある人間は施す側に回る事が多くなってしまうのが世の仕組みです。
私は手紙で何度もそんなに背負わないで下さいと話してきました。
その気持ちは本当に今も変わっていないのだけれどね。
私は清太郎君が実の孫のように可愛いんですよ。
心底幸せになって欲しいと思っています。
一つでも枷を捨てて自由に生きて欲しいのです。
だから私だけは清太郎君に何も背負わすまいと心に決めていたのですけどね。
虫が良いのは承知しています。
それでもどうしても清太郎君しか居ないのです。
私の我儘を許して下さい。
清太郎君。
手毬を宜しくお願いします。
町田龍善』

手紙はその一枚だけだった。
それはまるで遺言のようで。
祖父は自分が永くないと悟っていたのだろうか。
祖父は気付いていた。
良い子に振る舞う私の不自然さに。
そして憂いていたのだ。
このまま私を一人残していく事を…。
何年もの間手紙でしか交流をしていなかった清太郎に託す程に切羽詰まっていたのだ。
ほわっとお腹の辺りから湧き上がる感情。
嬉しくてだけど少し寂しい。
生前の祖父の想いを、死後数年を経て知るやるせなさも胸を締め付けてくる。
祖父に後悔させてしまうくらいならもう少し素直に甘えていれば良かった。
もう遅いけれどそう思わずにはいられない。
こうして人は後悔するのだ。
もうこんな想いはしたくないな。
また清太郎の事を考える。
まだ間に合うのなら、また会えたのなら。
清太郎にはこれ以上後悔のないよう素直になりたい。

手紙の一言目。
『手毬に変わりはありませんよ。』
清太郎が最後に送った手紙での問い『手毬さんは本当にお変わりありませんか。』への返信なのだろうけれど。
私が不特定多数の男とホテルを出入りしている姿を見て、幻滅し嫌悪していたこの頃の清太郎。
祖父から私を託されてどう感じたのだろうか。
祖父の気持ちを知れた安心感と同居する心残り。
清太郎の生活を垣間見れた喜びと未だ鍵を託された意図が分からず戸惑う気持ち。
それら全てを内包したまま。
どうして清太郎は出て行く時にこの手紙だけここに残していったのだろうという。
その疑問に全身が覆われた。
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