Popotin d'ange first side

光理やみ

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01.懐古と出会い

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 この町に越してから一ヶ月経っただろうか。
 長年続けてきた店を畳み、新たな地でまた店を開くというのは、四十路を過ぎてからは勇気のいる事だったけれど、それ以上にもうあの街に居たくなかったという気持ちの方が大きい。
 忘れたくても忘れる事の出来ない、あの出来心が起こってから。



**********



 少し前まで俺は、今居るこの地より少し都会の街に小さな喫茶店を構えていた。細々ながらも何とか生活出来る程度には客は入り、十数年は続けてきた。
 単調ながらも穏やかな日々の中で、密かな楽しみもあった。
 一年くらい前から店に通ってきた、俳優志望だという学生。彼が瞳を輝かせて夢を語る姿が眩しくて、次第に惹かれていって恋愛対象として見るようになっていた。
 だからと言って、想いを伝える気持ちは更々なかった。二十は歳が離れているうえに、同性。夢を追う若者の足枷にしかならないと分かっていたからだ。
 だから俺は自分の気持ちをしまい込み、彼の夢を影ながら応援し続けていた。
 ある日から彼は、先輩だという男を連れて店を訪れるようになった。
 駆け出しながら俳優として頑張っている先輩を尊敬している、と話す彼の顔はいつにも増して優しくて、胸の奥でさざ波が起こった。その時はなんと表現すれば良いのか分からなかったが、ともかく嫌な予感がしたのだ。
 そして、その予感は的中してしまう。


若美わかみさん、俺達付き合う事になったんです」


 彼は先輩の男の肩を抱き、照れながらそう言ったのだ。
 思わず手にしていたコーヒーを溢しそうになったが、すんでのところで堪えた記憶がある。
 俺は出来るだけ平静を装い、笑顔を作って彼らを祝福した。
 大きな信頼を受けている事は嬉しく思ったけれど、何て残酷なんだろうか。逆に女性の恋人だったらすんなり受け入れられたのに。
 大切にしまっておいた宝物が、波にさらわれて海の向こうに流れていく。
 一刻も早くひとりになりたい、そう思う中、幸せそうな彼らの話し声は右から左へと抜けていった。


「おめでとう。でもどうして俺に話してくれたんだ?」
「若美さんにはいつもお世話になっているから、一番に紹介したかったんです」


 その日の夜だった、店をやめて遠くに行ってしまおうと決意したのは。
 荷物をまとめ、引っ越し先を考え始めた。
出来るだけ田舎の方が良い……ネオンの光もないような、静かなところに逃げてしまいたい。
 不動産サイトを覗いていると、ここから少し離れた町に、空き店舗兼住居があるという。そこで新しい道を歩こう、そうと決めてからの俺の行動は早かった。即座にその物件を押さえ、店を閉める準備をした。
 次の日に店を訪れた彼に引っ越す事を話すと、寂しそうな顔と惜しむ声があがった。あんなに愛しかったのに、彼の顔を見ているだけで泣きそうになっていた。
 それから一週間後、俺は長年続けてきた喫茶店を閉店させたのだった。



**********



 新しい店も何とか軌道に乗り始めたものの、暇が出来るとあの時の事を思い出してはつい呆けてしまう。
 今日は定休日、近くの砂浜をひとりで歩く。シーズンオフのこの季節に、こんなところに寄り付く人間なんて俺の他にはいない。
 ざざざ、と音を立てる波がこの気持ちも流してくれたら良いのに。
 感傷に浸っていると、近くのバス停にバスが止まった。珍しい事もあるもんだ。そう思いながら何気なくそちらの方に目をやると、でかいリュックサックを背負った大学生と思われる男の子が降りてきた。辺りをきょろきょろと見渡していて、正直言うと落ち着きがない。
 そこで、ばちりと目があってしまった。俺の存在を認識したその子は、大きく手を振りながらこちらに向かって走ってくる。恥ずかしいから無視をしたかったが、その前に目の前に立たれてしまった。


「あの、地元の方ですか?」
「俺は最近越してきたばかり」
「そうなんですか……僕、旅行で来たんですけど、良いところですね」
「旅行か……若いな」
「まだ学生ですしね。潮風が気持ち良い……」


 ひとりでペラペラと話し、自己完結している。
 大きく息を吸って伸びをするその姿を見て、かつて想いを寄せていた彼の顔を思い出す。全然似てなんかいないのに、同じ年頃というだけで勝手に面影を重ねてしまう。
 思わず目を細めていると、いつの間にか視線を向けられていた。


「お兄さんは散歩ですか?」
「まあ、そんなもん。というか、お兄さんって歳でもないんだけどな。おじさんだよ、おじさん」
「そう見えないですよ~! シュッとしてて、羨ましいくらいカッコイイですって」
「おいおい……」


 これは褒められているのだろうか。ニコニコしながら手を動かすその姿からは、お世辞を言っているのか本音を言っているのかさっぱり分からない。素直に喜べるほど、俺は若くはなかった。


「お前、どこか見るところでもあるのか?」
「えっと、なんにも考えてなかったですね……泊まるところも決めずに来ちゃったというか」
「そんなんで大丈夫なのか? 騙されやすいとか言われたりしてるんじゃねえの?」
「よく分かったですね!? 友達によく騙されるんですよ~」


 本当に大丈夫なのか、こいつ。外国だったら上手いこと言いくるめられて、追い剥ぎされるタイプと見た。
 一回気にしてしまったら放っておけなくなってしまい、溜め息を吐きながら少し高い位置にある頭に手を置く。


「俺、近くで喫茶店やってるんだけど、飯でも食っていくか?」
「えっ、良いんですか!?」
「金は取るけどな」
「さすがにお金は払いますって。わあ、ありがとうございます~! ……えっと、お名前は?」
「若美」
「若美さん! あ、僕、西目にしめ紘一こういちっていいます。こうちゃんって呼んでください」
「そんじゃ行くぞ、紘一」
「もう、こうちゃんって呼んでくださいって言ってるじゃないですか~」


 紘一は俺の後ろをちょこちょことついて歩く。
 この奇妙な出会いが、俺の気持ちを変えていくとは、この時は思っていなかった。
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