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顕恵
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冬姫が忠三郎のまことの妻となってから数日。連日寒さが続く中、突然、阿ろくが冬姫に休暇を願い出てきた。
阿ろくはひ弱な男子を出産していた。その子は年明けには三歳になるが、生まれた時から病気ばかりで、医師からは「この子は大人になれない」と言われていた。
それでも、体調を崩しては持ち直すを繰り返していたが、今回ばかりは医師も首を横に振った。
「もはや、み仏におすがりするしか……」
高熱で痙攣を起こしている我が子を寺に連れて行きたいと、涙をためて休暇を訴えたのだ。
「そのような状態ならば、動かさない方が良いのでは……」
冬姫は危惧したが、診ている医師に無理だと言われては、本当に仏に頼るしかない。最期くらいは仏の加護によって安らかにと願う母の気持ちを思うと、冬姫も反対できず、許可した。
阿ろくは我が子を本誓寺へと連れて行った。
ところが、すぐにおかしな話になったのである。
二日経って、その子はどうなったかと、医師も要るだろうと、冬姫が次兵衛を寺に遣わすと、そこには妙な僧侶がいたというのだ。
兄弟僧の浄宗と浄了というのだが、
「その浄宗というのは偽坊主、阿ろくの──」
と、次兵衛は冬姫に伝えた。
行方不明となっている阿ろくの恋人の、快幹軒の元侍だというのである。
「しかも、寺には下は二つ三つの幼子から上は七十過ぎの翁まで、十名程の老若男女が群れ居たのでございます」
「それで、阿ろくは?」
「おりました。子も共に」
冬姫はほっとして、
「よかった、無事だったのですね」
阿ろくの子は生きている。その父が偽僧侶となっているのは腑に落ちないが、父子は対面できたのであろう。それは良かったと思う。
「ですが、おかしゅうございます。偽浄宗、探る必要がありまするな。奴は一向衆なれば、主に迷惑をかけられぬ、さりとて信仰はやめられぬと、出奔したのです。本願寺にでも行ったのだろうと言われておりました」
急に舞い戻ってきて、しかも僧侶に成りすましているのはおかしい。
次兵衛はさらに探ることにした。すると、奇妙な様子が見えてきた。
寺にいる十数名の老若男女は日野の領民ではなさそうだ。そして、その中に十四、五歳の少年がいるのだが、それに対して人々が恭しく接しているのだという。少年には十歳前後の弟もいる。
その老若男女が主従で、少年が主君ということもあるだろう。だが、ここにきて、信長の側室の小倉殿──お鍋の方から問い合わせがあった。彼女は何故かこの本誓寺のことを知っていた。
冬姫はふと岐阜城で会った、小倉殿の侍女を思い出した。小倉殿の周囲には川副家の者が仕えていたが、川副家は蒲生家の家臣である。蒲生家と小倉家が親戚であることから、川副家も両家に仕えているのだろう。
その川副家を通して、今回の本誓寺のことが小倉殿に伝わったのであろうか。
小倉殿によれば、本誓寺で快幹軒定秀を見た者がいるという。
快幹軒は入道しているので信心深い。菩提寺としている信楽院へ度々赴いているが、何故か本誓寺にも出向いたのだという。
快幹軒が領内の寺に行くこと自体はおかしなことではあるまい。しかし、小倉殿は本誓寺は一向宗であり、日野は注意が必要な場所だという。
北伊勢と蒲生領内はいくつもの道で繋がっている。千草越え、大河原越えは蒲生領内に抜け、八風越え、土山越えには隣接している。北伊勢の人、物資はありとあらゆる道から、蒲生領内に入って来られる。
つまり、長島の一揆勢の残党が蒲生領内に入って来る可能性もあるということだ。
長島城で織田軍が討ち漏らした一揆勢は大坂へ向かったらしい。
屋長島・中江では一揆勢を焼き殺した織田軍だったが、長島城では織田軍も多数の死者を出し、信長の身内が次々に討ち死にした。そのような戦で、敵を全滅させるなぞ無理であった。
長島から敗走した一揆勢の多くは大坂方面へ、つまり、石山本願寺への合流を目指している。その中には、陸路山越えして、近江に来る者がいないはずがない。
蒲生家の領内には一向宗の寺が幾つもあるが、長島から引き上げてきた者がいれば、支援するであろう。
つまり、本誓寺の十数名の主従は長島から落ちてきた人々であろうというのである。
「しかも、大人どもが生き仏の如く接している童がいる。年の頃は十四、五歳。一揆勢がそのように接する者は顕忍ではありませんか?」
小倉殿はそのように指摘しているのである。つまり、ただの主従ではないということだ。
「話が見えませぬ……」
冬姫には話がよく飲み込めない。
阿ろくが危篤の子を寺に連れて行ったら、子の父が戻ってきた。だが、浄宗を騙って偽僧侶となっている。さらに、顕忍(佐堯)を連れている。長島から来た、ということか。顕忍を寺に匿うために、浄宗になりすます必要があるのか。
「顕忍とはあの──?」
次兵衛相手に、冬姫は考察する。
「さよう、願証寺の一揆の首領にございます」
次兵衛も首を傾げつつ答えた。
「顕忍は討ち死にしたはずでは?」
「確かに、そうです」
「それは変な話です」
冬姫は眉をひそめさせた。
戦の最中、沢山の一揆勢や織田軍の目の前で確かに死んだ者が、何故今この日野にいるというのか。
「その本誓寺にいる人は何者なのです?」
「さて。年格好は十四、五歳。顕忍は十四であったそうですから、年格好は合っているのです。ただ、弟というのが十歳位で、それはおかしゅうございまして。顕忍の弟は二歳だったと聞きまする故」
「二歳」
冬姫はふと、阿ろくの子と同じ年齢であると思った。
その翌日、驚いたことに、小倉殿自身が日野に現れ、冬姫を訪ねてきた。
小倉殿は岐阜城に住んでいるが、近江の中にも信長から城館を与えられている。
「お気をつけ下さい」
小倉殿は本誓寺のことを注意するよう冬姫に進言した。
この小倉殿と蒲生家との経緯を知っている。彼女が蒲生家を良く思っていないことは冬姫にもわかっていた。
蒲生家の小倉家への仕打ち。小倉本家の三河守実光の留守中に所領を奪うことに始まり、実光亡き後には本家を乗っ取り、六角家から分家への追討令発布を取り付け、分家と戦して勝利した。
小倉殿の蒲生家への感情に冬姫は留意している。今回のことも、小倉殿には注意が必要だと思った。
ところが。
「顕忍は上様のお身内を幾人も殺したばかりか、織田家の重臣の方々、兵たちを際限なく殺した極悪の首領。しかも、奴に従いし門徒ども二万人は死んだというのに、本人は生きていたとは!断じて許せぬ!今すぐその顕忍と寺にいる全ての者を連れてこい!」
と、次兵衛が騒ぎ立てたので、冬姫はまずいと思った。
しばらくして、本誓寺にいた者全員が連れて来られて、城の庭の土の上に次々に転がされた。顕忍とされる少年、それに彼と良く似た面差しの、それより年少の童もいる。さらに浄宗と浄了の兄弟僧も。少年の連れ十数名の他に、日野の領民も幾人もいた。
しかし、阿ろく母子はいなかった。
そして、浄宗は阿ろくの恋人などではなかった。どうやら冬姫たちの前にいるのは、本物の浄宗のようである。偽浄宗はいない。
寺にいた者は全員連れて来られたということだから、阿ろく達は不在だということである。
「阿ろくはどこへ行ったのでしょうか?」
冬姫はひそと次兵衛に囁いたが、次兵衛はかすかに首を横に振っただけだった。
冬姫に次兵衛、小倉殿、それに呼ばれて来た賢秀、快幹軒や忠三郎も揃って、この本誓寺から連行されてきた者達を見下ろす。
「顕忍を庇うとはけしからぬ!顕忍は言うに及ばず、坊主ども、うぬらも死罪だ。土民どもも、この蒲生家の領民でありながら、織田家に叛き、蒲生家を裏切るとは断じて許さぬ。うぬらのせいで、この蒲生家にも累が及ぶであろう」
次兵衛の怒声に、さすがに民たちにも、蒲生家に申し訳ないという気持ちがあるらしく、皆一様に青ざめ、項垂れた。
──本誓寺が顕忍を匿うことを、蒲生家は承知していたのだろうか。いや、それどころか、蒲生家の命で、本誓寺が匿うことになった可能性はないか。だから、快幹軒が本誓寺にいたのではないか──
小倉殿の蒲生への疑いが、冬姫にひしひしと伝わってくる。
「……殿様には、まことに申し訳ないことです……」
庭の領民たちがしおれて、ようやく詫びた。領主よりも信仰を優先させてきた彼らだが、それでも蒲生家を慕う気持ちはある。
ふと、顕忍と思しき少年が顔を上げた。一瞥するや、冬姫は口を開く。
「また六角の呼びかけに従ったのですか?大鳥居砦の敗戦を根に持って蒲生家を恨み、蒲生家を陥れ、織田家中に内訌を起こさせようと、六角の奸計に乗ったのですか?」
領民は地面に五体を投げ出す。
「以前、六角の呼びかけに応じて一揆を起こしたようですが、また蒲生家を嵌めるつもりなのですか?」
ますます青ざめていく民たち。冬姫は土に踞る領民たち、次いで少年に視線を投げた。
「顕忍は確かに長島城で死んだ、そうですよね?それならば、この人が顕忍だというのはおかしい。顕忍を名乗り、蒲生家を陥れるよう、六角から依頼されたのですね?この人はまことに顕忍ですか?年格好の似た人を顕忍に仕立て、蒲生家の領内に入れ、わざと露見するようにした──」
冬姫の声は静かだが厳かで、よく通る。彼女が言葉を紡ぐ度に、庭は冷気に満たされていくようである。
「あなたたちに直接命じたのは本願寺門主でしょう。六角から、本願寺門主は依頼されたのでしょうから」
「そ、そうでございます!」
民の一人が叫んだ。すると、続けて浄宗が喚く。
「申し訳ございませぬ!白状致します!全て姫様の仰せの通りにございます。御門跡様の仰せに従い、致しました。この者は顕忍上人様などではございませぬ!偽物です!御門跡様の仰せには逆らえぬ我らでございますので、深く考えもせずに、御門跡様からの御意のままに致したのでございます。まさか、それが六角家の悪知恵によるものだったとは、思いもよりませなんだ。我らは蒲生の殿様の民。蒲生家をお恨み致すことなぞ決してございませぬ!何卒、我らをお許し下さいませ!」
「浅はかでした。殿様を危うくすることとは知らず、騙されました」
もう一人の僧侶・浄了も六角に利用されて悔しがる。
次兵衛はへたと腰が抜けたようにその場に座り込み、一同を見回した。
「こやつは偽物と申すか?」
すると、冬姫が春の桜が綻ぶように、微笑んだ。
「宜しゅうございました。天下の静謐を乱すわからずやでなくて。偽物で宜しゅうございました」
しかし、快幹軒は怒った。
「当家を嵌めようとは許し難い。追って沙汰致すゆえ、それまで寺でじっとしておれ!」
彼らは本誓寺に戻された。
帰ってきて、寺の本堂に据えられた十四歳の少年は、分厚い茵の上から居丈高に兄弟僧に物言った。
「私が本物であっても偽物であっても、あの場では、そなたも門徒たちも、偽物だと答えただろう?偽物だと答える以外の答えはなかった。あの姫は、全て見透しておられた」
「えっ?」
浄宗が驚いて少年を見た。
「はじめから、偽物だと答えることになっていたのだ。本物ならば、私を生かすためにそなたたちは偽物だと偽るしかなく。偽物ならば、領主の危機なのに、今さら六角家なんかのために本物だと偽る理由もない。そなたたちは領主のために、正直に偽物だと言うだろう」
その時、俄に境内が騒がしくなり、浄了が本堂の外に出て行くと、次兵衛の来訪であった。
様子を見に来たのだが、寺内に阿ろく達の姿はない。
次兵衛は少年の周囲にいたニ、三歳の幼児もいなくなっていることに気づいて、
「先程、幼子の姿がなかったから、寺に置いて城に参ったのかと思っていたが、今も見当たらぬな。あれはどうした?」
浄了は、
「長旅がたたったのでしょう、死にました」
と言う。
「では、姫様の侍女はどうした?阿ろくと息子はどこにいるのだ?」
「それが、偽坊主が母子共に連れ去りました。我が兄浄宗を騙るので、問い詰めようとした矢先、我々が御城に参ることになってしまって……逃げられました。阿ろく様は彼奴に拐われたのです」
騒動の隙に逃亡したのだという。阿ろくと息子を連れ出して。
次兵衛は眉間に深い皺を刻ませ、首を傾げさせた。
「あ奴は偽顕忍を連れて来たのではなかったのか?」
「まさか、違いまする」
「同じ時期にこの寺に来たのだ、違うわけがあるか、偽りを言うものではないぞ!」
次兵衛が凄むと、浄了は逆に不快げに眉をひそませた。
「おそれながら、彼奴は大殿様にお仕えした者とか?どうして六角に騙された我等と仲間だと言われまする、まさか大殿様の方こそ六角と内通……」
「黙れ、それ以上は許さぬ」
次兵衛は黙らせると、境内をくまなく歩き回った。
寺の墓地に新しい小さな塚ができていた。偽顕忍主従の中にいた幼児を埋葬したものであるらしい。
しばらくして、次兵衛は城に戻った。ちょうど蒲生家は、偽顕忍主従に領内から去るよう通告を出したところだった。明日のうちに出ていかなければ、捕らえて処罰すると。
快幹軒の決定なのであろう、手ぬるいと思われていると感じてか、まだ滞在していた小倉殿や冬姫、次兵衛に説明した。
「お屋形様は本願寺とは常に話し合いをなされ、和睦もなさいました。本願寺とは滅多なことでは戦いませなんだ。なれば、一揆を起こしていない者らはお討ちにならない」
快幹軒は信長の考えを推量したが、それはおそらく正しいだろう。信長が本願寺と本格的に戦ったことは、これまではなかった。今後は別だろうが。
「なれば、寝ている門徒衆の人心掌握に努めるのが、お屋形様に仕える者の役目。本誓寺はじめ日野の五ヶ寺を我が意に従わせ、やがて日野の門徒衆から垣見、小川の門徒衆を説得してもらい、いずれは彼らをお屋形様の兵と致す。本誓寺へは慈愛を持って接すべしと存ずる。奴らは思考せぬ故、本願寺に同情的なことを言って欺き、慈愛を施してやれば、靡きますでな」
そういう政もある。恩を売る、それが蒲生のやり方だという。
小倉殿は納得できたのかできなかったのか。
本誓寺にいた人々は速やかに支度して、出て行った。
それを見届けた小倉殿に対して、冬姫は言った。
「父は私の夫に、忠三郎様を選びました。そして、父の志を継ぐのは忠三郎様だとも。なれば、忠三郎様の、蒲生家のなすことは正しいはずです。蒲生家の決めたことに間違いはないのです。私は蒲生家が必ず正しいことを知っているので、顕忍が偽物で、蒲生家を一向衆が嵌めたのだということをも知っているのです。父が後継に決めた方に、誤りなどありません。忠三郎様が右と判断なさったら、必ず右になります。だから、蒲生家が右と言えば、必ず右なのです。父の決めた夫は絶対です。間違いはないのです」
「そう……忠三郎殿を疑うこと、蒲生家を疑うことは、お父上様に対して疑問を抱くことになってしまうのね」
蒲生の罪は信長の失策。信長のために夫を信じきって嫁家を疑わない冬姫。小倉殿は、複雑な表情を残して帰って行った。
快幹軒は小倉殿を見送って、次兵衛の顔を遠目に見やり、ほっとしたように吐息をついて、冬姫の側につつと寄った。
「姫君は心底蒲生に尽くして下されますの。此度の一連の騒動、丸くおさまったは、全て姫君のご尽力のおかげ。改めて御礼申し上げます」
謎の少年を偽顕忍と暴いたこと、小倉殿や次兵衛にそれ以上何も言わせなかったことに礼を述べた。
冬姫はじっと快幹軒を見つめながら、
「女には善悪は関係ありません。女の判断基準は好きか嫌いか。女の私には、父の決めたお婿様が全てですもの。たとえ忠三郎様が世間の目に悪と映ることを遊ばしても、私には忠三郎様だけが正義、忠三郎様に批判的な者全てが、私には悪です」
と、必死に言った。
そんな冬姫をにたにた笑って黙って眺めている快幹軒を、向こうで次兵衛が睥睨していた。
阿ろくの行方は杳として知れなかった。
今回のことは、小倉殿が疑った通り、蒲生家が企んだことなのか、次兵衛が蒲生家を陥れようと謀ったことなのか、はたまた本願寺に嵌められたのか、さっぱりわからない。あの少年は何だったのか。
「阿ろくは本願寺へ連れ去られたのでしょうか」
次兵衛は首をひねっていた。阿ろくの件は、次兵衛が仕組んだことではないのだろうか、冬姫にはそれも判断できない。
そして、阿ろくは次兵衛によって死んだことにされた。
年が明けて、天正三年(1575)。本願寺は歓喜に包まれたという。
顕忍の弟が本願寺に迎えられたのだ。長島では川に落ちたのを救い上げられて、信徒に抱かれて逃げたのだという。当時二歳の赤子であったから、今は三歳になる。
本願寺はこの幼児を願証寺の正統と認めた。顕如のお墨付きを得たこの幼児は顕恵という。願証寺再興に努めることになる。
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四月、信長は大坂の本願寺と戦い、さらには甲斐の武田との戦いに転戦。
信玄亡き後の武田家を率いる武田勝頼は、三河へと侵攻、長篠城を包囲した。徳川家康から援軍を要請され、信長は三万で長篠へ向かったのだ。
蒲生家も出陣したが、設楽原で繰り広げられた光景に、忠三郎は驚愕した。
この戦では、いつもの半分の兵の動員で良いとされた。それで、蒲生軍も今回は五百で、率いているのも忠三郎のみだった。
徳川方の援軍が到着する前に、武田軍は長篠城を落とせていなければならなかった。援軍が到着してからでは、武田軍が長篠城を落とすことが不可能になる。織田軍が到着した時点で、城は持ちこたえていたから、武田は失敗したわけである。だから、武田の重臣層のほとんどは、撤退しようと思った。だが、勝頼は諦めなかった。
信長は長篠城に近い設楽ヶ原に到着すると、本陣を極楽寺山に布いた。武田軍がいる方角に相対するように、連子川という川が流れているが、その後方である。
折からの五月雨で、織田軍の前面の平地一帯はぬかるんでいた。
武田方は長篠城のある、高く急峻な丘陵地周辺におり、織田方がいるのはその隣の丘陵地だ。両丘の間の谷底状になっている部分は平地として広がっている。その平地部分がぬかるんでいるのである。
連子川があるのはその平地の、織田方の丘のすぐ近くである。信長は着陣早々、目の前の連子川の岸に沿って空濠を掘らせた。掘って出た土を使って、さらに土手を築く。
そして、その土塁の後方に木の柵を築かせる。
連子川に平行して、延々と長く続く空濠、土手、柵がたった一日で作られた。柵には所々に木戸が設けられ、そこから自在に出撃もできる。
簡易の砦と言っても良い。
この柵に城や砦と同等の防御力があるならば、織田軍の方が多い今回の戦闘では、武田は絶対に落とせないだろう。城攻めは、攻める側に守る側の倍の兵数が必要だからだ。
ここを攻めても武田に勝ち目はない。かといって、長篠城の包囲を続ければ、織田軍が出撃してきて、そちらに攻撃をしかけてくる。
それで、武田の重臣層は、今回は諦めて撤退し、後日改めて長篠城を攻めようとしたのだが、勝頼は頑として聞かなかった。
五月二十一日早暁。連日続いていた雨はからりと上がった。
武田軍は織田軍の前面に広がる設楽ヶ原へ一気に駆け降り、勢いのままに織田の本陣に突撃した。
武田の赤備えとは、天下にその名を知られ、恐れられる最強の軍団である。その軍団の山県昌景が先陣である。
武田は横に広がる鶴翼の布陣。中央に武田の一門衆が、左右は豪傑たちが、織田の本陣に迫ってきた。
しかし、低地の設楽ヶ原は泥濘んでいる。いかに足の強い木曽駒でも、柵目掛けて一気に突進とはいかない。緩慢な動きになっている間に、織田軍から鉄砲が発砲された。それもかなりの数。
しかも、織田軍は騎馬武者ばかり狙って撃つ。山県昌景があっという間に討たれてしまった。
大将を失った山県隊は乱れに乱れた。しかも、山県が死んだと聞いて、勝頼が死んだと言われたくらいに武田軍は動転したのだ。
開戦直後の青天の霹靂に、武田軍は小山田信茂、武田逍遙軒、内藤昌秀(昌豊)、原昌胤など、次々に攻めるが、猛将として高名な原も内藤も集中砲火を浴びて、討ち死にしていく。
猛将たちの隊は大混乱に陥った。天下に名を轟かせる歴戦の猛将ばかり。これまでに何十回と野戦をしてきたかわからない。数えきれない経験の中で、今回の織田軍のような陣構えには初めて出会った。
野戦に柵を築くなど、どこにそんな人間がいるか。
武田は今回初めて信長と正面からぶつかったが、初めての相手の、あまりな勝手の違いに、なす術もない。
戸惑ううちに、どんどん武将達が討たれて行く。
こうなると、勝手に退却し始めてしまうもの。一人が退却すると、次々に戦線離脱していった。
これでは戦にならない。ついに勝頼も退却を決めた。
柵の内にいた織田軍が、続々と繰り出してきて、武田軍を追い討ちし始める。
この追い討ちでさらに、望月義勝、馬場信春、甘利信康、真田信綱、昌輝など、天下に名高き猛将が多数討ち死にしてしまった。今後の武田家が立ち行かなくなるほど、あまりにも沢山の重臣を失ってしまったのである。
どうして、ただの一回の戦で、武田家が消滅するほどの結果になってしまったのか。
織田軍とて目を丸くした。ただの徳川への援軍のはずが、気づけば驚くべき成果となっていたのだ。巨大な武田を、何故か呆気なく完膚なきまでに叩きのめしていたのだから、織田軍としても信じられない。
しかし、信長は初めからこうなることを計算していたのだ。忠三郎は驚愕と共に感激で、頭が真っ白だった。
その後、信長は越前の一向一揆を掃討した。それを済ませると、北ノ庄を越前における織田家の本拠地とし、そこに柴田勝家を配した。勝家は近江から越前へ移ることになった。
これまで、南近江の東の地域は長光寺城主の勝家の下に置かれており、その辺一帯の領主たちは勝家の寄騎であったが、以降は独立した領主となったのである。
蒲生家も信長の直臣となった。
そして、信長は権大納言に任じられ、右近衛大将をも兼ねることになった。
公家でも右大将家というのはあるが、武家では武門の棟梁にのみ許されるものである。征夷大将軍であった足利義昭でさえ、中将であった。
信長が武家の頂点に立ったことを意味する。信長は朝廷も認める天下人となったのだ。
そんな信長がただひたすら誇らしい忠三郎。だが、日野に帰ってきた彼には、快幹軒に対して危惧があった。
今更、祖父や父が信長に楯突くとは思っていない。それでも、祖父は関、神戸両家のことは面白くないだろう。
また、信長の比叡山や一向一揆へのやり方に、信長を狂者と見て、憎悪する者も少なくない。仏門に入っている快幹軒もそうなのではないか。
忠三郎は今ここでしっかりと、自分の思いを伝えなければならないと思って、祖父を訪ねた。
すると、快幹軒は何故か穏やかに笑って、
「猿真似や」
と言った。
「六角の屋形のな」
今の六角家は信長に敗れに敗れ、風前の灯火。その六角家の屋形と快幹軒が呼ぶのは、江雲寺殿・六角定頼のことである。今の当主はその孫だが、快幹軒にとっては、今でも屋形は永遠に定頼である。
定頼は、快幹軒がそれまで会った中で、最も優れた人物であった。彼以上の人間にはもはや出会えまい、そう思っていた。
昔、蒲生家が内紛していた頃は、蒲生家は幕府寄りの家だった。その当主を殺し、快幹軒が当主となれたのは、六角定頼の援護があったからだ。
そして、快幹軒は幕府ではなく六角家に、定頼に仕えた。幕府より、将軍より、定頼を尊敬していた。
近江の守護は当時、北と南に分かれており、南は六角家、北はその分家の京極家が務めていた。しかし、京極家は専横著しい家臣達によって、力を失っていた。
それを好機と見た定頼は北近江に侵攻、京極に取って代わった浅井を従わせ、版図拡大に成功したのである。
さらに、その身をおびやかされる将軍を匿い、支援し、幕府内で大きな力を持った。
六角家の観音寺城は難攻不落の名城であり。その城下に楽市令を布いた。
日本初の楽市は、商業を大きく発展させ、城下は賑わい、国は大変豊かになったのである。
商業こそ国の礎、商業なくして国の発展なし。そのような発想の為政者は少なかった。
何もかもがそれまでと違っていた。定頼の発案、政策、力は快幹軒の憧れであり、その手足となって働けることが、若き日の快幹軒の喜びだった。
快幹軒が中野城を築いた時、城下を商業都市にするべく楽市令を布いたのも、いち早く鉄砲の重要性に気づき、生産を思いついたのも、定頼の側にいて影響を受けたからなのである。
だから、未だに定頼が忘れられないし、その頃の六角家の繁栄とその後の凋落を比べると、悲しいばかりだった。それでも、全盛期の六角の名残にしがみつき、定頼の息子や孫を支えたのだ、信長に敗れるまで。
「そなたの舅殿のなさることは六角の屋形の猿真似やと思うておった。だが、違うたわい」
快幹軒も最近の信長の様子を見て衝撃を受け、いや喜んでいたのだ。
内心、将軍を馬鹿にしながらも、その凌駕する力で幕府を動かすところ。驚くような商業政策。圧倒的な軍事力と経済力。そして、広大過ぎる領土。
全てが定頼に似ていて、定頼よりも大きい男。もう二度と出会えまいと思っていた定頼のような、それよりも大きな傑物に出会えたのであるから。
「屋形も将軍を凌駕しておられたが。そなたの舅殿は、ついには将軍を追い出し、自身が武士の頂点に立ってしまわれた」
快幹軒はにやりと笑った。
「満足しておる。最初は猿真似でも、今は屋形を遥かに越えておいでだからの。この世を変えてしまうほどの男になられた。天下布武、素晴らしいではないか。だから、その婿になれたのは天からの恵み。奇跡のような恵みぞ。どこまでもついて行け、孫よ」
忠三郎は祖父の心の憧憬と、信長を見つけた喜びとを知って、素直に嬉しく思った。
阿ろくはひ弱な男子を出産していた。その子は年明けには三歳になるが、生まれた時から病気ばかりで、医師からは「この子は大人になれない」と言われていた。
それでも、体調を崩しては持ち直すを繰り返していたが、今回ばかりは医師も首を横に振った。
「もはや、み仏におすがりするしか……」
高熱で痙攣を起こしている我が子を寺に連れて行きたいと、涙をためて休暇を訴えたのだ。
「そのような状態ならば、動かさない方が良いのでは……」
冬姫は危惧したが、診ている医師に無理だと言われては、本当に仏に頼るしかない。最期くらいは仏の加護によって安らかにと願う母の気持ちを思うと、冬姫も反対できず、許可した。
阿ろくは我が子を本誓寺へと連れて行った。
ところが、すぐにおかしな話になったのである。
二日経って、その子はどうなったかと、医師も要るだろうと、冬姫が次兵衛を寺に遣わすと、そこには妙な僧侶がいたというのだ。
兄弟僧の浄宗と浄了というのだが、
「その浄宗というのは偽坊主、阿ろくの──」
と、次兵衛は冬姫に伝えた。
行方不明となっている阿ろくの恋人の、快幹軒の元侍だというのである。
「しかも、寺には下は二つ三つの幼子から上は七十過ぎの翁まで、十名程の老若男女が群れ居たのでございます」
「それで、阿ろくは?」
「おりました。子も共に」
冬姫はほっとして、
「よかった、無事だったのですね」
阿ろくの子は生きている。その父が偽僧侶となっているのは腑に落ちないが、父子は対面できたのであろう。それは良かったと思う。
「ですが、おかしゅうございます。偽浄宗、探る必要がありまするな。奴は一向衆なれば、主に迷惑をかけられぬ、さりとて信仰はやめられぬと、出奔したのです。本願寺にでも行ったのだろうと言われておりました」
急に舞い戻ってきて、しかも僧侶に成りすましているのはおかしい。
次兵衛はさらに探ることにした。すると、奇妙な様子が見えてきた。
寺にいる十数名の老若男女は日野の領民ではなさそうだ。そして、その中に十四、五歳の少年がいるのだが、それに対して人々が恭しく接しているのだという。少年には十歳前後の弟もいる。
その老若男女が主従で、少年が主君ということもあるだろう。だが、ここにきて、信長の側室の小倉殿──お鍋の方から問い合わせがあった。彼女は何故かこの本誓寺のことを知っていた。
冬姫はふと岐阜城で会った、小倉殿の侍女を思い出した。小倉殿の周囲には川副家の者が仕えていたが、川副家は蒲生家の家臣である。蒲生家と小倉家が親戚であることから、川副家も両家に仕えているのだろう。
その川副家を通して、今回の本誓寺のことが小倉殿に伝わったのであろうか。
小倉殿によれば、本誓寺で快幹軒定秀を見た者がいるという。
快幹軒は入道しているので信心深い。菩提寺としている信楽院へ度々赴いているが、何故か本誓寺にも出向いたのだという。
快幹軒が領内の寺に行くこと自体はおかしなことではあるまい。しかし、小倉殿は本誓寺は一向宗であり、日野は注意が必要な場所だという。
北伊勢と蒲生領内はいくつもの道で繋がっている。千草越え、大河原越えは蒲生領内に抜け、八風越え、土山越えには隣接している。北伊勢の人、物資はありとあらゆる道から、蒲生領内に入って来られる。
つまり、長島の一揆勢の残党が蒲生領内に入って来る可能性もあるということだ。
長島城で織田軍が討ち漏らした一揆勢は大坂へ向かったらしい。
屋長島・中江では一揆勢を焼き殺した織田軍だったが、長島城では織田軍も多数の死者を出し、信長の身内が次々に討ち死にした。そのような戦で、敵を全滅させるなぞ無理であった。
長島から敗走した一揆勢の多くは大坂方面へ、つまり、石山本願寺への合流を目指している。その中には、陸路山越えして、近江に来る者がいないはずがない。
蒲生家の領内には一向宗の寺が幾つもあるが、長島から引き上げてきた者がいれば、支援するであろう。
つまり、本誓寺の十数名の主従は長島から落ちてきた人々であろうというのである。
「しかも、大人どもが生き仏の如く接している童がいる。年の頃は十四、五歳。一揆勢がそのように接する者は顕忍ではありませんか?」
小倉殿はそのように指摘しているのである。つまり、ただの主従ではないということだ。
「話が見えませぬ……」
冬姫には話がよく飲み込めない。
阿ろくが危篤の子を寺に連れて行ったら、子の父が戻ってきた。だが、浄宗を騙って偽僧侶となっている。さらに、顕忍(佐堯)を連れている。長島から来た、ということか。顕忍を寺に匿うために、浄宗になりすます必要があるのか。
「顕忍とはあの──?」
次兵衛相手に、冬姫は考察する。
「さよう、願証寺の一揆の首領にございます」
次兵衛も首を傾げつつ答えた。
「顕忍は討ち死にしたはずでは?」
「確かに、そうです」
「それは変な話です」
冬姫は眉をひそめさせた。
戦の最中、沢山の一揆勢や織田軍の目の前で確かに死んだ者が、何故今この日野にいるというのか。
「その本誓寺にいる人は何者なのです?」
「さて。年格好は十四、五歳。顕忍は十四であったそうですから、年格好は合っているのです。ただ、弟というのが十歳位で、それはおかしゅうございまして。顕忍の弟は二歳だったと聞きまする故」
「二歳」
冬姫はふと、阿ろくの子と同じ年齢であると思った。
その翌日、驚いたことに、小倉殿自身が日野に現れ、冬姫を訪ねてきた。
小倉殿は岐阜城に住んでいるが、近江の中にも信長から城館を与えられている。
「お気をつけ下さい」
小倉殿は本誓寺のことを注意するよう冬姫に進言した。
この小倉殿と蒲生家との経緯を知っている。彼女が蒲生家を良く思っていないことは冬姫にもわかっていた。
蒲生家の小倉家への仕打ち。小倉本家の三河守実光の留守中に所領を奪うことに始まり、実光亡き後には本家を乗っ取り、六角家から分家への追討令発布を取り付け、分家と戦して勝利した。
小倉殿の蒲生家への感情に冬姫は留意している。今回のことも、小倉殿には注意が必要だと思った。
ところが。
「顕忍は上様のお身内を幾人も殺したばかりか、織田家の重臣の方々、兵たちを際限なく殺した極悪の首領。しかも、奴に従いし門徒ども二万人は死んだというのに、本人は生きていたとは!断じて許せぬ!今すぐその顕忍と寺にいる全ての者を連れてこい!」
と、次兵衛が騒ぎ立てたので、冬姫はまずいと思った。
しばらくして、本誓寺にいた者全員が連れて来られて、城の庭の土の上に次々に転がされた。顕忍とされる少年、それに彼と良く似た面差しの、それより年少の童もいる。さらに浄宗と浄了の兄弟僧も。少年の連れ十数名の他に、日野の領民も幾人もいた。
しかし、阿ろく母子はいなかった。
そして、浄宗は阿ろくの恋人などではなかった。どうやら冬姫たちの前にいるのは、本物の浄宗のようである。偽浄宗はいない。
寺にいた者は全員連れて来られたということだから、阿ろく達は不在だということである。
「阿ろくはどこへ行ったのでしょうか?」
冬姫はひそと次兵衛に囁いたが、次兵衛はかすかに首を横に振っただけだった。
冬姫に次兵衛、小倉殿、それに呼ばれて来た賢秀、快幹軒や忠三郎も揃って、この本誓寺から連行されてきた者達を見下ろす。
「顕忍を庇うとはけしからぬ!顕忍は言うに及ばず、坊主ども、うぬらも死罪だ。土民どもも、この蒲生家の領民でありながら、織田家に叛き、蒲生家を裏切るとは断じて許さぬ。うぬらのせいで、この蒲生家にも累が及ぶであろう」
次兵衛の怒声に、さすがに民たちにも、蒲生家に申し訳ないという気持ちがあるらしく、皆一様に青ざめ、項垂れた。
──本誓寺が顕忍を匿うことを、蒲生家は承知していたのだろうか。いや、それどころか、蒲生家の命で、本誓寺が匿うことになった可能性はないか。だから、快幹軒が本誓寺にいたのではないか──
小倉殿の蒲生への疑いが、冬姫にひしひしと伝わってくる。
「……殿様には、まことに申し訳ないことです……」
庭の領民たちがしおれて、ようやく詫びた。領主よりも信仰を優先させてきた彼らだが、それでも蒲生家を慕う気持ちはある。
ふと、顕忍と思しき少年が顔を上げた。一瞥するや、冬姫は口を開く。
「また六角の呼びかけに従ったのですか?大鳥居砦の敗戦を根に持って蒲生家を恨み、蒲生家を陥れ、織田家中に内訌を起こさせようと、六角の奸計に乗ったのですか?」
領民は地面に五体を投げ出す。
「以前、六角の呼びかけに応じて一揆を起こしたようですが、また蒲生家を嵌めるつもりなのですか?」
ますます青ざめていく民たち。冬姫は土に踞る領民たち、次いで少年に視線を投げた。
「顕忍は確かに長島城で死んだ、そうですよね?それならば、この人が顕忍だというのはおかしい。顕忍を名乗り、蒲生家を陥れるよう、六角から依頼されたのですね?この人はまことに顕忍ですか?年格好の似た人を顕忍に仕立て、蒲生家の領内に入れ、わざと露見するようにした──」
冬姫の声は静かだが厳かで、よく通る。彼女が言葉を紡ぐ度に、庭は冷気に満たされていくようである。
「あなたたちに直接命じたのは本願寺門主でしょう。六角から、本願寺門主は依頼されたのでしょうから」
「そ、そうでございます!」
民の一人が叫んだ。すると、続けて浄宗が喚く。
「申し訳ございませぬ!白状致します!全て姫様の仰せの通りにございます。御門跡様の仰せに従い、致しました。この者は顕忍上人様などではございませぬ!偽物です!御門跡様の仰せには逆らえぬ我らでございますので、深く考えもせずに、御門跡様からの御意のままに致したのでございます。まさか、それが六角家の悪知恵によるものだったとは、思いもよりませなんだ。我らは蒲生の殿様の民。蒲生家をお恨み致すことなぞ決してございませぬ!何卒、我らをお許し下さいませ!」
「浅はかでした。殿様を危うくすることとは知らず、騙されました」
もう一人の僧侶・浄了も六角に利用されて悔しがる。
次兵衛はへたと腰が抜けたようにその場に座り込み、一同を見回した。
「こやつは偽物と申すか?」
すると、冬姫が春の桜が綻ぶように、微笑んだ。
「宜しゅうございました。天下の静謐を乱すわからずやでなくて。偽物で宜しゅうございました」
しかし、快幹軒は怒った。
「当家を嵌めようとは許し難い。追って沙汰致すゆえ、それまで寺でじっとしておれ!」
彼らは本誓寺に戻された。
帰ってきて、寺の本堂に据えられた十四歳の少年は、分厚い茵の上から居丈高に兄弟僧に物言った。
「私が本物であっても偽物であっても、あの場では、そなたも門徒たちも、偽物だと答えただろう?偽物だと答える以外の答えはなかった。あの姫は、全て見透しておられた」
「えっ?」
浄宗が驚いて少年を見た。
「はじめから、偽物だと答えることになっていたのだ。本物ならば、私を生かすためにそなたたちは偽物だと偽るしかなく。偽物ならば、領主の危機なのに、今さら六角家なんかのために本物だと偽る理由もない。そなたたちは領主のために、正直に偽物だと言うだろう」
その時、俄に境内が騒がしくなり、浄了が本堂の外に出て行くと、次兵衛の来訪であった。
様子を見に来たのだが、寺内に阿ろく達の姿はない。
次兵衛は少年の周囲にいたニ、三歳の幼児もいなくなっていることに気づいて、
「先程、幼子の姿がなかったから、寺に置いて城に参ったのかと思っていたが、今も見当たらぬな。あれはどうした?」
浄了は、
「長旅がたたったのでしょう、死にました」
と言う。
「では、姫様の侍女はどうした?阿ろくと息子はどこにいるのだ?」
「それが、偽坊主が母子共に連れ去りました。我が兄浄宗を騙るので、問い詰めようとした矢先、我々が御城に参ることになってしまって……逃げられました。阿ろく様は彼奴に拐われたのです」
騒動の隙に逃亡したのだという。阿ろくと息子を連れ出して。
次兵衛は眉間に深い皺を刻ませ、首を傾げさせた。
「あ奴は偽顕忍を連れて来たのではなかったのか?」
「まさか、違いまする」
「同じ時期にこの寺に来たのだ、違うわけがあるか、偽りを言うものではないぞ!」
次兵衛が凄むと、浄了は逆に不快げに眉をひそませた。
「おそれながら、彼奴は大殿様にお仕えした者とか?どうして六角に騙された我等と仲間だと言われまする、まさか大殿様の方こそ六角と内通……」
「黙れ、それ以上は許さぬ」
次兵衛は黙らせると、境内をくまなく歩き回った。
寺の墓地に新しい小さな塚ができていた。偽顕忍主従の中にいた幼児を埋葬したものであるらしい。
しばらくして、次兵衛は城に戻った。ちょうど蒲生家は、偽顕忍主従に領内から去るよう通告を出したところだった。明日のうちに出ていかなければ、捕らえて処罰すると。
快幹軒の決定なのであろう、手ぬるいと思われていると感じてか、まだ滞在していた小倉殿や冬姫、次兵衛に説明した。
「お屋形様は本願寺とは常に話し合いをなされ、和睦もなさいました。本願寺とは滅多なことでは戦いませなんだ。なれば、一揆を起こしていない者らはお討ちにならない」
快幹軒は信長の考えを推量したが、それはおそらく正しいだろう。信長が本願寺と本格的に戦ったことは、これまではなかった。今後は別だろうが。
「なれば、寝ている門徒衆の人心掌握に努めるのが、お屋形様に仕える者の役目。本誓寺はじめ日野の五ヶ寺を我が意に従わせ、やがて日野の門徒衆から垣見、小川の門徒衆を説得してもらい、いずれは彼らをお屋形様の兵と致す。本誓寺へは慈愛を持って接すべしと存ずる。奴らは思考せぬ故、本願寺に同情的なことを言って欺き、慈愛を施してやれば、靡きますでな」
そういう政もある。恩を売る、それが蒲生のやり方だという。
小倉殿は納得できたのかできなかったのか。
本誓寺にいた人々は速やかに支度して、出て行った。
それを見届けた小倉殿に対して、冬姫は言った。
「父は私の夫に、忠三郎様を選びました。そして、父の志を継ぐのは忠三郎様だとも。なれば、忠三郎様の、蒲生家のなすことは正しいはずです。蒲生家の決めたことに間違いはないのです。私は蒲生家が必ず正しいことを知っているので、顕忍が偽物で、蒲生家を一向衆が嵌めたのだということをも知っているのです。父が後継に決めた方に、誤りなどありません。忠三郎様が右と判断なさったら、必ず右になります。だから、蒲生家が右と言えば、必ず右なのです。父の決めた夫は絶対です。間違いはないのです」
「そう……忠三郎殿を疑うこと、蒲生家を疑うことは、お父上様に対して疑問を抱くことになってしまうのね」
蒲生の罪は信長の失策。信長のために夫を信じきって嫁家を疑わない冬姫。小倉殿は、複雑な表情を残して帰って行った。
快幹軒は小倉殿を見送って、次兵衛の顔を遠目に見やり、ほっとしたように吐息をついて、冬姫の側につつと寄った。
「姫君は心底蒲生に尽くして下されますの。此度の一連の騒動、丸くおさまったは、全て姫君のご尽力のおかげ。改めて御礼申し上げます」
謎の少年を偽顕忍と暴いたこと、小倉殿や次兵衛にそれ以上何も言わせなかったことに礼を述べた。
冬姫はじっと快幹軒を見つめながら、
「女には善悪は関係ありません。女の判断基準は好きか嫌いか。女の私には、父の決めたお婿様が全てですもの。たとえ忠三郎様が世間の目に悪と映ることを遊ばしても、私には忠三郎様だけが正義、忠三郎様に批判的な者全てが、私には悪です」
と、必死に言った。
そんな冬姫をにたにた笑って黙って眺めている快幹軒を、向こうで次兵衛が睥睨していた。
阿ろくの行方は杳として知れなかった。
今回のことは、小倉殿が疑った通り、蒲生家が企んだことなのか、次兵衛が蒲生家を陥れようと謀ったことなのか、はたまた本願寺に嵌められたのか、さっぱりわからない。あの少年は何だったのか。
「阿ろくは本願寺へ連れ去られたのでしょうか」
次兵衛は首をひねっていた。阿ろくの件は、次兵衛が仕組んだことではないのだろうか、冬姫にはそれも判断できない。
そして、阿ろくは次兵衛によって死んだことにされた。
年が明けて、天正三年(1575)。本願寺は歓喜に包まれたという。
顕忍の弟が本願寺に迎えられたのだ。長島では川に落ちたのを救い上げられて、信徒に抱かれて逃げたのだという。当時二歳の赤子であったから、今は三歳になる。
本願寺はこの幼児を願証寺の正統と認めた。顕如のお墨付きを得たこの幼児は顕恵という。願証寺再興に努めることになる。
*****************************
四月、信長は大坂の本願寺と戦い、さらには甲斐の武田との戦いに転戦。
信玄亡き後の武田家を率いる武田勝頼は、三河へと侵攻、長篠城を包囲した。徳川家康から援軍を要請され、信長は三万で長篠へ向かったのだ。
蒲生家も出陣したが、設楽原で繰り広げられた光景に、忠三郎は驚愕した。
この戦では、いつもの半分の兵の動員で良いとされた。それで、蒲生軍も今回は五百で、率いているのも忠三郎のみだった。
徳川方の援軍が到着する前に、武田軍は長篠城を落とせていなければならなかった。援軍が到着してからでは、武田軍が長篠城を落とすことが不可能になる。織田軍が到着した時点で、城は持ちこたえていたから、武田は失敗したわけである。だから、武田の重臣層のほとんどは、撤退しようと思った。だが、勝頼は諦めなかった。
信長は長篠城に近い設楽ヶ原に到着すると、本陣を極楽寺山に布いた。武田軍がいる方角に相対するように、連子川という川が流れているが、その後方である。
折からの五月雨で、織田軍の前面の平地一帯はぬかるんでいた。
武田方は長篠城のある、高く急峻な丘陵地周辺におり、織田方がいるのはその隣の丘陵地だ。両丘の間の谷底状になっている部分は平地として広がっている。その平地部分がぬかるんでいるのである。
連子川があるのはその平地の、織田方の丘のすぐ近くである。信長は着陣早々、目の前の連子川の岸に沿って空濠を掘らせた。掘って出た土を使って、さらに土手を築く。
そして、その土塁の後方に木の柵を築かせる。
連子川に平行して、延々と長く続く空濠、土手、柵がたった一日で作られた。柵には所々に木戸が設けられ、そこから自在に出撃もできる。
簡易の砦と言っても良い。
この柵に城や砦と同等の防御力があるならば、織田軍の方が多い今回の戦闘では、武田は絶対に落とせないだろう。城攻めは、攻める側に守る側の倍の兵数が必要だからだ。
ここを攻めても武田に勝ち目はない。かといって、長篠城の包囲を続ければ、織田軍が出撃してきて、そちらに攻撃をしかけてくる。
それで、武田の重臣層は、今回は諦めて撤退し、後日改めて長篠城を攻めようとしたのだが、勝頼は頑として聞かなかった。
五月二十一日早暁。連日続いていた雨はからりと上がった。
武田軍は織田軍の前面に広がる設楽ヶ原へ一気に駆け降り、勢いのままに織田の本陣に突撃した。
武田の赤備えとは、天下にその名を知られ、恐れられる最強の軍団である。その軍団の山県昌景が先陣である。
武田は横に広がる鶴翼の布陣。中央に武田の一門衆が、左右は豪傑たちが、織田の本陣に迫ってきた。
しかし、低地の設楽ヶ原は泥濘んでいる。いかに足の強い木曽駒でも、柵目掛けて一気に突進とはいかない。緩慢な動きになっている間に、織田軍から鉄砲が発砲された。それもかなりの数。
しかも、織田軍は騎馬武者ばかり狙って撃つ。山県昌景があっという間に討たれてしまった。
大将を失った山県隊は乱れに乱れた。しかも、山県が死んだと聞いて、勝頼が死んだと言われたくらいに武田軍は動転したのだ。
開戦直後の青天の霹靂に、武田軍は小山田信茂、武田逍遙軒、内藤昌秀(昌豊)、原昌胤など、次々に攻めるが、猛将として高名な原も内藤も集中砲火を浴びて、討ち死にしていく。
猛将たちの隊は大混乱に陥った。天下に名を轟かせる歴戦の猛将ばかり。これまでに何十回と野戦をしてきたかわからない。数えきれない経験の中で、今回の織田軍のような陣構えには初めて出会った。
野戦に柵を築くなど、どこにそんな人間がいるか。
武田は今回初めて信長と正面からぶつかったが、初めての相手の、あまりな勝手の違いに、なす術もない。
戸惑ううちに、どんどん武将達が討たれて行く。
こうなると、勝手に退却し始めてしまうもの。一人が退却すると、次々に戦線離脱していった。
これでは戦にならない。ついに勝頼も退却を決めた。
柵の内にいた織田軍が、続々と繰り出してきて、武田軍を追い討ちし始める。
この追い討ちでさらに、望月義勝、馬場信春、甘利信康、真田信綱、昌輝など、天下に名高き猛将が多数討ち死にしてしまった。今後の武田家が立ち行かなくなるほど、あまりにも沢山の重臣を失ってしまったのである。
どうして、ただの一回の戦で、武田家が消滅するほどの結果になってしまったのか。
織田軍とて目を丸くした。ただの徳川への援軍のはずが、気づけば驚くべき成果となっていたのだ。巨大な武田を、何故か呆気なく完膚なきまでに叩きのめしていたのだから、織田軍としても信じられない。
しかし、信長は初めからこうなることを計算していたのだ。忠三郎は驚愕と共に感激で、頭が真っ白だった。
その後、信長は越前の一向一揆を掃討した。それを済ませると、北ノ庄を越前における織田家の本拠地とし、そこに柴田勝家を配した。勝家は近江から越前へ移ることになった。
これまで、南近江の東の地域は長光寺城主の勝家の下に置かれており、その辺一帯の領主たちは勝家の寄騎であったが、以降は独立した領主となったのである。
蒲生家も信長の直臣となった。
そして、信長は権大納言に任じられ、右近衛大将をも兼ねることになった。
公家でも右大将家というのはあるが、武家では武門の棟梁にのみ許されるものである。征夷大将軍であった足利義昭でさえ、中将であった。
信長が武家の頂点に立ったことを意味する。信長は朝廷も認める天下人となったのだ。
そんな信長がただひたすら誇らしい忠三郎。だが、日野に帰ってきた彼には、快幹軒に対して危惧があった。
今更、祖父や父が信長に楯突くとは思っていない。それでも、祖父は関、神戸両家のことは面白くないだろう。
また、信長の比叡山や一向一揆へのやり方に、信長を狂者と見て、憎悪する者も少なくない。仏門に入っている快幹軒もそうなのではないか。
忠三郎は今ここでしっかりと、自分の思いを伝えなければならないと思って、祖父を訪ねた。
すると、快幹軒は何故か穏やかに笑って、
「猿真似や」
と言った。
「六角の屋形のな」
今の六角家は信長に敗れに敗れ、風前の灯火。その六角家の屋形と快幹軒が呼ぶのは、江雲寺殿・六角定頼のことである。今の当主はその孫だが、快幹軒にとっては、今でも屋形は永遠に定頼である。
定頼は、快幹軒がそれまで会った中で、最も優れた人物であった。彼以上の人間にはもはや出会えまい、そう思っていた。
昔、蒲生家が内紛していた頃は、蒲生家は幕府寄りの家だった。その当主を殺し、快幹軒が当主となれたのは、六角定頼の援護があったからだ。
そして、快幹軒は幕府ではなく六角家に、定頼に仕えた。幕府より、将軍より、定頼を尊敬していた。
近江の守護は当時、北と南に分かれており、南は六角家、北はその分家の京極家が務めていた。しかし、京極家は専横著しい家臣達によって、力を失っていた。
それを好機と見た定頼は北近江に侵攻、京極に取って代わった浅井を従わせ、版図拡大に成功したのである。
さらに、その身をおびやかされる将軍を匿い、支援し、幕府内で大きな力を持った。
六角家の観音寺城は難攻不落の名城であり。その城下に楽市令を布いた。
日本初の楽市は、商業を大きく発展させ、城下は賑わい、国は大変豊かになったのである。
商業こそ国の礎、商業なくして国の発展なし。そのような発想の為政者は少なかった。
何もかもがそれまでと違っていた。定頼の発案、政策、力は快幹軒の憧れであり、その手足となって働けることが、若き日の快幹軒の喜びだった。
快幹軒が中野城を築いた時、城下を商業都市にするべく楽市令を布いたのも、いち早く鉄砲の重要性に気づき、生産を思いついたのも、定頼の側にいて影響を受けたからなのである。
だから、未だに定頼が忘れられないし、その頃の六角家の繁栄とその後の凋落を比べると、悲しいばかりだった。それでも、全盛期の六角の名残にしがみつき、定頼の息子や孫を支えたのだ、信長に敗れるまで。
「そなたの舅殿のなさることは六角の屋形の猿真似やと思うておった。だが、違うたわい」
快幹軒も最近の信長の様子を見て衝撃を受け、いや喜んでいたのだ。
内心、将軍を馬鹿にしながらも、その凌駕する力で幕府を動かすところ。驚くような商業政策。圧倒的な軍事力と経済力。そして、広大過ぎる領土。
全てが定頼に似ていて、定頼よりも大きい男。もう二度と出会えまいと思っていた定頼のような、それよりも大きな傑物に出会えたのであるから。
「屋形も将軍を凌駕しておられたが。そなたの舅殿は、ついには将軍を追い出し、自身が武士の頂点に立ってしまわれた」
快幹軒はにやりと笑った。
「満足しておる。最初は猿真似でも、今は屋形を遥かに越えておいでだからの。この世を変えてしまうほどの男になられた。天下布武、素晴らしいではないか。だから、その婿になれたのは天からの恵み。奇跡のような恵みぞ。どこまでもついて行け、孫よ」
忠三郎は祖父の心の憧憬と、信長を見つけた喜びとを知って、素直に嬉しく思った。
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