大切に──蒲生氏郷

国香

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蘭香

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 天正十五年(1587)五月。フェリペ2世やグレゴリウス13世に謁見し、シクストゥス5世の即位も見届けた日本の少年使節達は、帰国途中のインドのゴアで、インド管区長ヴァリニャーノと再会した。
 少年達は西欧のどこに行っても可愛いがられ、歓迎された。今、日本は西欧で大流行している。だから、原マルチノが代表して、聖パウロ学院でヴァリニャーノへの感謝の演説を見事なラテン語で行った。
 ちょうどその頃、日本では、この少年使節を送り出した三領主のうち、大村純忠と大友宗麟が相次いで亡くなっていた。
 これより先、秀吉は島津討伐のため、二十五万もの大軍で九州に出兵していた。島津に攻め立てられ、滅亡寸前にまで追い込まれていた大友宗麟は、危機一髪のところを秀吉の軍勢によって救われた。
 かくして、大友氏は滅ばずにすんだものの、直後に宗麟は死んでしまったのである。
 この戦には忠三郎も出陣していた。
 島津からキリシタンの大友を救出するのだと、キリシタン武将達が奮戦したが、忠三郎も猛将ぶりを発揮している。
 秋月氏の豊前巌石城は難攻不落の堅城として有名であった。そこを忠三郎は相婿の前田利長と共に攻撃した。
 薩摩、大隅、日向を手にしていた島津義久は、九州全土を手に入れようと、さらに豊後を攻め、肥後や筑後の諸将を帰属させていた。豊前の秋月氏もそうしたうちの一人である。
 巌石城は秋月氏の支城であった。
 忠三郎は大手、利長は搦手からの攻撃。
 忠三郎はこの日、一騎がけの抜け駆けを禁じた。ところが、城は堅固で、城兵の抵抗は凄まじく、激戦になった。こうなると無我夢中で、家臣達は次々に軍規を破り、飛び出して奮戦していく。勝手に敵の首を穫ってくる者が続出した。
 この島津討伐、出陣した武将にはキリシタンも多く、異教徒の島津一党から九州のキリシタン領主たちを救う、聖戦のような心構えの人々も少なくない。蒲生家中にもキリシタンは多いから、彼等の中にもそういう意識の者もいるであろう。
 さらに、魂は不滅であると信じている。異教徒──悪魔を討って死ぬならば、神のもとへ行ける。誰も怯まず、死を恐れない。
 戦えば極楽──死を全く恐れなかった一向一揆勢と同じような、無類の強さがある。
 もともと強かった蒲生軍がより凶暴化するのには、信仰は効果があったようだ。
 ついに城門を破ると、さらに家臣達の闘争心は抑制不能となっていく。軍規を無視し、先陣きって戦い抜く。
 負けじと前田軍の攻撃も凄まじくなり、すぐに二の丸は落ち、次いで本丸に火を放って、これも落とした。
 そう容易くは落ちないであろうと思われた城を、一日で落としてしまった忠三郎と利長を、秀吉は激賞した。
 秀吉は褒めた。だが、忠三郎は激怒していた。軍規を破って先陣まで追い抜いた家臣達六人を、追放してしまったのである。
「主の下した命に従わず、法度を破りしこと、決して許さぬぞ!」
 主には必ず従え、軍規は絶対守れ──忠三郎は厳格、容赦はしない。
 追放されなかった者も、冷や汗をかいて、従った。こうして、蒲生軍はさらに強くなり、規律は守られ、よく統制のとれた家中になっていく。
 さて、忠三郎と利長の奮戦に、島津方はびっくりしたらしい。秋月氏はあっさり降伏してきた。
 秀吉の平定は容易なものだった。戦らしい戦などせずとも、諸将はどんどん降伏、拝謁してくる。豊前、筑前、筑後、肥前とすんなり進んで、肥後へ来た。
 島津方は秀吉の弟・秀長率いる別働隊にも敗れ、後退。秀吉の本隊はさらに進んで、島津氏の本拠近く、川内川ほとりにある太平寺に迫った。
 このままでは本拠・鹿児島を失うと観念し、島津義久もついに降伏した。これが五月八日。
 だが、秀吉は島津を滅ぼさず、薩摩一国を安堵し、さらに九州の分配を決めた。
 そうしている間に、大村純忠と大友宗麟は亡くなったのである。
 そして、秀吉は筑前の箱崎へやって来た。ここに、秀吉に九州出兵を願い出たガスパル・コエリョがやって来て、秀吉と楽しく歓談に及んだ。忠三郎もその噂を聞き、のんびりとした日々を送っていた。戦らしい戦は巌石城での激闘くらいであったから、あとは日本のキリスト教の本場を見て回る旅となった。
 箱崎、博多は日宋貿易の地として古くから栄え、豪商が多い。秀吉は町割りをし、豪商たちと交流し、またフスタ(南蛮船)に乗って日々を過ごした。
 従軍中の千利休(宗易)が松林の中で野点をしたこともある。秀吉の機嫌は頗る良かった。忠三郎も箱崎滞在を楽しんでいたが、ここでロルテスに再会した。
 昨年十一月に松ヶ島にいたロルテスは、その年のうちに彼の本来の使命のため、蒲生家を去っていた。六角氏の旧臣で、今は松ヶ島にいる三井家を城下に訪ね、さらに伊勢神宮に向かった。
 伊勢神宮は僧侶の敷地内立ち入りを禁ずる等、日本人にも厳しい。剃髪者は鬘をつけなければならない。左様な厳格な地に南蛮人の身でどうやって入ったのか。目的を果たした後は九州に来ていたようで、忠三郎の箱崎滞在を知り、訪ねてきてくれたのである。
 忠三郎は大いに歓迎した。
「ロルテス殿が下された鉄砲のおかげで、激賞されたぞ!」
 改めて進呈された武器に礼を述べ、共に散歩した。暑かったが、博多湾を眺めながら歩くと爽快だった。
「蒲生様の活躍、それがしも聞きました。お役に立てて嬉しいです」
 ロルテスは心底嬉しそうな目でにこにこする。その表情を見ると、さぞかしオルガンティーノと気が合うだろうと思われた。
「きっともうすぐ六右衛門も帰ってくると思いますよ」
 ロルテスは遠く沖合を見やった。
「それは楽しみだ!」
 忠三郎は早く六右衛門に会いたい。先頃、忠三郎は新たな使節をローマに派遣していた。彼等には、マカオで六右衛門と落ち合うよう言ってある。ローマでの反応を六右衛門から聞き、そこでよく話し合って方針を決め、その上でローマへ行けと命じていた。
 六右衛門の無事の帰国を祈るため、忠三郎は手製のロザリオを懐から取り出した。
 忠三郎が、信長の婿として、ローマに遣わした使者の無事を、ローマとの交渉の成功を祈っている。
 ロルテスはその漆塗りの十字架を見て冬姫を思い出し、ひやかすように言った。
「上様の姫様から一目惚れされたのは、まさにデウスのご意思ですね。阿弥陀は捨てちゃ駄目ですよ」
 一目惚れしてくれた人が信長の娘だったことこそ、神のご意向──忠三郎は信長の婿という地位を、王となるべき権威を、神に授けられたのだ。
「一目惚れ?」
「はい。姫様が言ってましたよ」
 忠三郎はやや首を傾げた。
「妻は私を愛している」
 当然だ。疑う余地もない。だが、彼女が自分に一目惚れしただろうか。
「だから、阿弥陀をあげたのだと言ってましたよ」
「なに、その話を──」
「しかと聞きました!」
 にまと笑うロルテス。忠三郎は咳払いした。
「蒲生さま、人質なのに、姫さまに気持ちを伝えたんですってね。勇気あります」
「勇気というか、どうかしていた……でも、あの時は、妻は怒っていた。それなのに、内心では私に惚れていたというのか?情の強い姫君様だな。私は上様に手討ちにされるかと、びくびくしたのに」
「あはははは!蒲生様、その阿弥陀、それがしも見たいです。見せて下さいよ」
「え、見たいのか?見てどうする」
 そう言いつつも、忠三郎は懐を探った。
 冬姫はなかなかつんけんして見えた。祝言を挙げてからは従順だったが、きっと、妻はこうしなくてはならないと、周囲から教育されてのことだったのだろう。
 そう思っていたが。
「本当は私を──。あ、ほら」
 忠三郎は冬姫の阿弥陀を取り出して見せた。こちらも厨子に漆が施してある。
「へええ、それですか」
 珍しそうに、ロルテスは見つめた。
「で、蒲生様も一目惚れだったんですか?」
「そうだな……初めて見かけた時、一面に藤袴が咲いていて、その中で輝いていた。だが、つらい表情をしていて──それでも、眼に強い意志があって、見ていて何故か胸が苦しくなった。何故、あんな顔をするのかと気になって──そうだ、あの時、既に心を奪われていたのだ。蘭のような気高さに」
 阿弥陀に目をやりながら、忠三郎は言う。ロルテスからはひやかすような表情は消えていて、代わりに幸せそうな笑みが浮かんでいた。
「ロルテス殿は、藤袴という花はご存知だろうか?」
「あ、いえ」
「秋になると野辺や河原に咲く。桜色の小花が寄り集まって咲くものだが、香りが佳い。昔から蘭とも呼んできた。蘭は唐土では、その香りのために、最も高貴な花とされている」
 日本では、古くから、「蘭」といえば藤袴のことを示していた。
 おそらく、いにしえの唐土でも、藤袴を蘭と称していた筈で、その桜に似た芳香に、唐人は気高いものを感じたのであろう。
 かの孔子も蘭に喩えられる。
 蘭は百花の頂きに据えられている。まさに王者の花である。
「私は桜が好きなので、他の季節には春を恋しく思うのだが、秋に桜のような藤袴に出会えるのは、また楽しみの一つだな。だから、秋も嫌いではない」
「それがしも、日本に来てきっと見ているのでしょうが、どれがその藤袴なのか判別できません」
「おお、今度教えよう。秋になったら、共に見に行こうではないか」
「はい、是非!」
 ロルテスは楽しみだと目を輝かせた。
 忠三郎は阿弥陀とロザリオとを掴んで、一緒に懐にしまっていたが、脳裏には、岐阜の藤袴の懐かしい景色が浮かんでいた。
(藤袴、蘭。最も高貴な花か。まさに冬姫さまだな)
 手に掴んでいる阿弥陀を押し付けてきた時の姫さまは、蘭だった。
(あの時、本当は私に惚れてたのか)
 いいことを聞いたと思った。帰ったら、からかってやろう。にたにたしている忠三郎に、ロルテスは穏やかな眼差しを送っていた。





**************************
 高山右近は秀吉に呼ばれ、妙なことを聞かれた。
「あそこの姪の浜によ、公方ってのがいるだろ?」
 足利義昭のことである。
 信長に追われ、備後鞆の浦にいた。秀吉は今回、彼を従軍させており、島津方との交渉などに当たらせていたのだった。
 今、義昭はすぐそこの姪の浜に置かれていた。
「コエリョの奴が──」
 右近は瞬間、目を剥いた。
 準管区長が冒涜されたというよりも、これまで伴天連に愛情を見せてきた秀吉が、コエリョに礼を欠く言動をしたことに驚いたのだ。
「わしが箱崎に着く前に、わざわざ訪ねて行ったというのは本当か?」
 コエリョは秀吉に会うためこの地に来ていて、秀吉より数日早く到着していた。その間、コエリョは足利義昭も当地にいることを知り、会いに行っていたのである。
「……は、お訪ねになったようにございまするが──」
「あれが、将軍として京へ戻ったなら、日本全土を耶蘇に改宗させると約束したそうではないか」
「さような妄想、かえって哀れに感じるほど」
 滑稽極まりなく、右近は嘲笑した。今更、将軍に返り咲けるはずがない。
 だが、秀吉は真顔である。
「公方の名の威力は馬鹿にできまい。未だ、その名に震え上がって、成せぬことさえ手助けしようとする者もおる。亡き信長公がどれほど苦しめられたか。いや、信長公を亡きものにさせたは、奴に違いない。未だ将軍として上洛する気でいる。そして、奴が声をかければ、なお従う者も出るということよ」
「……はあ、さようで、しょうか……」
「この度は、耶蘇宗門の結束がいかに強いかを見せてもらった。関白のわしが右と言うても、コエリョに左と言われたら、わしは切支丹どもを誰一人として右に連れて行けぬであろう」
「……」
 右近は答えられない。己の王に従えと教えられている。しかし、司祭(伴天連)から、既に王には天意なし、謀反せよと言われれば、司祭に従うであろう。
 右近ばかりでない。キリシタン武将達は皆、第一にコエリョに従い、第二に秀吉に従うはずだ。
「コエリョが公方の名の威力に気付いて謀を巡らせれば、そちら切支丹はわしに背くわけよな」
「滅相もない!何故、急にさようなことを」
「信長公討たれし時、伴天連どもの動向が怪しかったと申す者がある」
「それは、僧侶らの讒言です!」
「さよう。讒言に違いない。坊主どもの伴天連への憎悪は、わしもよう知っておる」
 秀吉はひっひっと笑った。
「先日、フスタに乗ったであろう?あの時のコエリョの話は楽しかったぞ。翌日、わざわざ訪ねてきてくれたが、あの時貰うた南蛮の酒は美味かった。コエリョに礼を言っておけ」
「……は」
 秀吉は一つまばたきすると、通常の人懐っこい顔に戻った。
「いやフスタには感心したわ。さすが、長崎にあれだけのものが築けるだけはある。明出兵のために、優れた軍船を用意してくれるとのことだったが、その自信のほどがよくわかったわえ。ははははは、まことにポルトガルは凄いのう」
 ポルトガル定航船を見るのを楽しみにしていると付け加えると、急に気が変わったように手で払いのけるような仕草をして、右近を下がらせた。
 速やかに退出した右近は、いいようのない不安に襲われていた。
 大坂での対面以降、秀吉は一貫してコエリョに好意的であり、武将達も次々にキリシタンになっていたから、イエズス会の未来は栄光に満ちていること、疑いなかった。だが、胸騒ぎがした。

 右近の不安は的中して、数日後、秀吉は何事をか書かせた。その翌日、カピタン・モール(船隊司令官)のドミンゴス・モンティロが秀吉を訪問した。
 秀吉はいつものように歓迎して見せた。まるで何事もないように見えた。モンティロが連れてきたポルトガル人達には、本当に興味があったようである。
「コエリョ師父からは、何度も礼を言われたわい。わしがはるばる九州まで出向かねば、切支丹どもは今頃、全て滅んでおったとな」
 秀吉が親しげな顔で自慢すると、モンティロもいかにもその通りだと頷いた。
「全くです。大村殿などは、領主でなくなってしまったほどの危機的状況でした。シモはいつもキリシタンの殿達には過酷でした。それでも、ブンゴは比較的安定していたのです。それが俄かに大友殿に危機が訪れて。最も安定し、大きな力があった大友殿まで、滅んでしまうかもしれない状況になった時は、パードレ達は絶望しましたよ。ルソンに助けを求めても叶わず、このまま九州のキリシタン宗門は滅び去るのかと。殿下が来て下さらなければ、滅亡は現実のものとなるところでした」
 モンティロは昨年夏にポルトガルの定航船に乗って来ていた。しかし、凄まじい戦乱のために、交易できずに滞在していたのである。コエリョばかりでない、自分にとっても秀吉は恩人だと彼は言った。
 しかし、感謝されたというのに秀吉は得意にならず、人懐っこい笑みのまま訊いてきた。
「ルソンに助け?それは、ルソンに援軍を求めたということか?」
「はい。もはや日本の内には、九州の敵から九州のキリシタン宗門を守る聖なる軍は、なかったからです。ルソンに頼るしかなかったほど、危機に瀕していました。ですから、殿下が来て下さって……」
「ルソンには──」
と秀吉は前のめりになり、さらに早口になった。
「コエリョ師父が依頼したのか?」
「はい」
「ほう、さすがは。コエリョ師父にはルソン軍を動かす力もあるのじゃな、いやまことに素晴らしい。ルソンはイスパニア軍であろ?ポルトガル人なのに、ルソン軍を動かせるとは凄いな。わしが明へ出兵する時には、ルソンの援軍を師父にお願いできるかの?」
「ルソンを動かすのは難しいでしょうが、大恩ある殿下のため、師父も努力はするでしょう」
「なに、コエリョ師父がルソン軍を出兵させてくれるのか!」
 有り難いと秀吉は笑顔で言った。
「明出兵はコエリョ師父が言ってきたことじゃ。ルソンからも出兵するのは当然というものじゃが、さりとて、そこまでルソン軍に影響力を持っているとはのう。コエリョ師父はただ者ではないの」
 秀吉はさらに、定航船を見たいと言った。
「明に出兵するからには、ポルトガルの船でのうてはの。そちの船の装備を見ておきたい。平戸から博多に廻してくれぬかの?」
「博多は水深が浅く、危険にございますれば、申し訳ないことですが──」
「ううむ、そうか。ふむ、なるほど」
 秀吉は頷き、そして、終始上機嫌のまま、モンティロとの対面を済ませた。

 その宵のこと。
 モンティロが持参した贈り物を、秀吉は気前よく甥の小吉に分けてやろうとした。
 小吉は秀吉の姉の子で、秀次の弟である。秀吉の養子だった信長の子・於次と同じ、秀勝という名であった。
 この小吉秀勝、この時留守であった。
「どこへ行きおった?探せ」
 探させると、間もなくその居場所が判明した。小吉はコエリョのフスタ船にいるという。コエリョから説教を聞いているのだ。
「なにを!?」
 秀吉はあからさまに怒った。
「わしは帝をお支え申し上げる関白であるぞ!その身内が帝を冒涜するような邪教を聞いて何とする。すぐに呼び戻せ」
 呼びにやるまでもなく、小吉は間もなく帰ってきたので、秀吉は怒りを抑えつつ、モンティロからの贈物を渡し、諭して言った。
「あれの話を一通り耳にすることは、今後のためにも必要ではあるな。じゃが、あれは悪魔の教えじゃ。一度聞いたら沢山じゃ、もうコエリョのもとへは行くでないぞ」
「……は」
「そちも、あれが如何に呪われたものだかよくわかったであろう。一見、素晴らしく聞こえる。じゃが、帝のお側近くで奉公する者が信じてはならぬ。よいな?それに、デウスもさることながら、伴天連は悪魔じゃ」
「……伴天連が、悪魔とは……」
 日本の神を悪魔と言う伴天連の方こそ悪魔だと思わねば、神を祖とする帝にお仕えすることはかなわぬということか。
「ポルトガル商人どもはな、日本人を売り払っておる。沢山の日本人が、異国に売られて行くのだぞ」
「それは、日本のキリシタン領主がキリシタンでない者を、商人に引き渡しているからで、伴天連とは関係ないかと」
「左様、それはわしも知っておるが続きがある、まあ聞け。さすがに博愛を口にする伴天連ども、異教徒にも優しく寄り添い、愛情を持って諭してきた身で、矛盾するように人身売買を容認するのは、たとえ異教徒の身であったとしてもまずいと思ったのであろう。伴天連どもは日本人の売買をやめるよう言ったそうだ。だが、彼奴らはな、日本人は白人だから売ってはならぬと言うのだ。すなわち、黒人は売って良いということぞ。黒人は人にあらずと差別する。何が博愛か、ポロシモを大切にだ。デウスの御大切とやらが、いかにいい加減なものか」
「それは多分、黒人は信仰を持たぬデウスの敵であるから……」
「そりゃ矛盾しておる。信長公の黒坊主殿はデウスを愛しておった。耶蘇か否かで判断しているのではない。日本人は白人だから売るななぞと、伴天連どもの思考はいい加減じゃ。わしは伴天連を信用ならぬと思うておる。以後、関わるな」
 秀吉は小吉には丁寧に諭したが、その後召し出した高山右近には、実に厳しい態度であった。
「高山、そちを改易に処する。理由はわかっておろう?」
「わかりませぬ」
「ほっ!あっはははは!わからぬか、そうか、そりゃいいわ。そちは要らぬ」
 秀吉の口調は比較的静かだった。
「そちは最近、俄かに切支丹になった者らとは違う。まだ誰も切支丹でなかった時分から、伴天連の忠実な僕であった。そちは、他の誰よりも伴天連の本質を知っていたはずじゃ。伴天連の狙い、企み、知り尽くした上で、わしの大名、側近どもを次々に仲間に引き入れた。そして、そちに切支丹にさせられた哀れな者等を、伴天連の企みに加担させたのじゃ。彼等は何も知らず、ただそちの説くデウスを信じ込み、哀れにも、自分の知らぬところで売国奴にさせられていたのじゃ」
「売国奴とは……!」
 いくら関白とは言え、聞き捨てならぬ言葉ではある。
「とぼける気か?わしがコエリョの企みを知らぬとでも?奴が日本を討つため、ルソンの兵を九州に集結させようとしたは、明らかじゃ。そちもその企み知っておったはずじゃ。そちは日本人でありながら、日本をイスパニアに討たせようとした。そち一人ではできぬことゆえ、蒲生忠三郎や黒田官兵衛の力を借りようと、彼等を洗脳して、切支丹にしたのであろう」
「違いまする!断じて違いまする。そもそも、イスパニアは日本を討つ気なぞありませぬ。ルソンの兵の件は、大友殿達を敵から守るために……」
 そこで、はっと右近は口を噤んだ。
「ほおれ、やはりそちはルソンの兵のことを知っておったではないか。そちはその恐ろしきイスパニアの計画を、その手先のコエリョの口から聞きながら、わしに黙っておったのじゃ。日本人なら、わしに報告するのが当然であろう。そちは日本人などではない、伴天連の手先よ。さらに、わしの側近達まで伴天連の僕にするとは、許せぬ。彼等はわしの僕なのであって、異人の僕ではないわ!」
 最後だけ語気を強めて、秀吉は右近の弁解など、いっさい聞く気はない。
「だがよ、そちに死を与えれば、伴天連どもはそちを聖なる殉教者だと吹聴して回るであろう。殉教なぞと、いかにも尊いことのように言われてはかなわぬ。そちには死は与えまい。普通の武士なら、屈辱に堪えられず、自ら腹を斬るであろうが、切支丹は自害できぬというから、よかったわ。殉教なるものに、わしが利用されるのは嫌じゃからの」
 秀吉はこの夜、突然右近の所領を召し上げ、追放してしまった。
 そして、それだけにとどまらなかった。

 その夜更け、すっかり寝静まったフスタ船は、秀吉の使者に叩き起こされ、コエリョは尋問されたのだ。
 コエリョはキリシタンである小西行長の陣に連れ出され、尋問された。
 何故キリシタン大名らに寺社を破壊させ、その地の領民を強制的にキリシタンに改宗させたのかと問われると、彼等の信仰がそうさせた、彼等の自発的な行いであり、たとえ相手が異教の敵であっても、伴天連は攻撃しない、故にキリシタン領主に寺社破壊や攻撃をさせたことはないと偽りを言った。
 何故、馬や牛を食べるのかという問いには、すでに畿内では食べていないと答えた。確かに、肉は食べるべきでないと、イエズス会内で取り決めてあった。
 尋問の後、コエリョはフスタ船に戻った。夜が明けて、そこに秀吉の使者が来て、一通の布告をモンティロに渡した。

──

 神国日本に、このような邪教を伝えた伴天連の行為は悪である。

 神社、寺院を破壊することを禁じる。

 伴天連は二十日以内に日本を去り、自国へ帰るように。ただし、この期間中に伴天連に危害を加える者があれば、罰する。

 ポルトガル人のナウ船が、商いに来ることは構わない。

 日本の神仏を妨害せぬならば、商人に限らず、キリスト教国のいかなる者も、日本に来て構わない。

──

 これこそ世に言う、秀吉のバテレン追放令である。
 また、これとは少々内容の異なる覚書が前日にしたためられている。それの行方は──。
 その覚書を渡された者は。
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