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正声
十六拍・菖蒲王丸と碣石調幽蘭(壱)
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清花の姫君は、以前と変わらぬ暮らしを続けていた。
恋しき人の死を乗り越えられずにいるのは確かだが、塞ぎ込んでいるわけにもいかないので、弱い表情は見せずにいる。故に、女房達は姫君の心の内は知らない。
三位殿の幻か。夢を見たのかは知らないが、威神が手元に返ってきた晩以来、何か底知れぬ力が体じゅうから湧き起こっている。仏の叡智が鎧となって、肉体に備わったようにさえ感じていた。
苦痛、悲憤の心に変わりはないが、強く生きられる。
ただ、なお讃岐が戻らないのが、物足りなく感じる。それをぬぐい去るように、より琴の道に邁進していた。
ただ一つの問題点はあったが。
姫君入内の噂が以前にも増して高まっていることである。
とはいえ、最近、従姉の嬉子が三の宮と共に後宮に呼び戻されていた。おそらく、三の宮が東宮に立つのであろう。そのまま生母の嬉子が中宮になるに違いない。となれば清花の姫君が入内する意味も必要もなかろう。
姫君は噂を気にはしつつも、そこまで深刻には考えていなかった。
そして、嬉子と三の宮が邸を去り、寂しく感じていた。
嬉子が去って丁度十日後。晴れて日差しの眩しい、夏らしい日のこと。
賀茂別雷(かもわけいかづち)神社の兼保(かねやす)が、姫君を訪ねてきた。
御簾を一枚隔てただけ。兼保のすぐ側に座り、直接話す。そういう形で対面した。
姫君がこのような親しみをもって対面できる男性は、この兼保くらいなものだろう。
兼保と姫君とは、姫君がまだうない髪であった頃からの知己である。
兼保、姫君、それと蔭元朝臣(かげもとあそん)の三名は、南唐琴門の何参の直弟子である。
南唐派は呉楚派と違って、何参の方針で実に家族的な繋がりを持つ一派だった。南唐派の面々は何参を囲んで常に親しく会い、酒を酌み交わし、食事をして親睦を深め合っていたのであった。
何参が奈良にいた頃は、兼保は何参の家に住み込み、師と寝食を共にしていたし、京の双の岡に移ってからは、兼保ばかりか、蔭元朝臣までもが師の家に住まうようになっていたのだ。
姫君だけは六条西洞院の家から通っていたのだが、稽古に行くと、いつも何参は、
「蔭元朝臣の稽古も見てお行きなさい」
と言い、兄弟子の稽古を見学させた。
その後でいつも食事になり、姫君にも食べて行くよう何参は言った。
食事の後は兼保の稽古で、それも見学させられた。その後で、ようやく帰宅の許可が出たのだった。
姫君は幼い頃、いつも兼保達と一緒に食事をし、楽しい話をたくさんしたのだった。兼保と姫君とは、そういう家族のような親しき仲である。
「時に、姫君には弟子はおわさぬのですか」
兼保は挨拶を終えると、そう切り出した。
「弟子?」
「ええ、そうですよ。あれほど隆盛を見た呉楚派も、今となっては姫君ただお一人となってしまいました。その流を絶やさぬために、姫君にはそろそろ弟子をとられることを、お考えになりませぬと」
「私、まだ弟子を持つゆとりがございません。弟子に教える時間が勿体ないですもの。そういう時間があったら、自分の練習に使いませんと」
「ですが、他人に教えると、勉強になりますよ。自分の実力を研くのにも、教えることはとても役に立つ手段です」
「それはそうかもしれませんが。でも、教えることはとても大変なことだと伺っています。弟子に教えることは、大変に神経を使うことで、知らず知らずのうちに気をすり減らしているものだとか。弟子が帰った後、どんなに時間が余っていても、疲れてとても自分の練習などできるものではないと。気疲れからくる体の疲れは、労働による肉体の疲労と違って、なかなか回復するものではなく、翌日の午(ひる)頃まで疲れが抜けず、寝て過ごすようだ、とかよく聞くお話です。そんなに練習もできず、虚しく時間を無駄にしなければならないのは……寝込んでいる時間も練習をしたいので、やはり弟子を持つのは気が向かないというか……」
「はははは。ちと大袈裟ですが、確かに」
兼保は大いに笑った。
「私には円慶法橋(えんぎょうほっきょう)を含め、八人の弟子がありますが、確かに弟子が来た日と翌日は、疲れて何もできません」
たがらといって、弟子も持たずに、自分の練習に時間を費やしたいというのは、いかにも姫君らしい考え方だと兼保は思った。
昔、まだ姫君が幼く、何参も元気だった頃、双の岡の琴庵で、楽しい会食時に兼保は姫君に言ったものである。
「姫君は后がねなんですって?沢山お勉強することがあって、大変ですね。姫君が后宮(きさいのみや)になられた折は、是非この兼保を神祇伯に推挙して下さいね」
「后宮にはなりません」
「どうしてですか?」
蔭元朝臣までもが問うと、幼い姫君はきっぱりと答えた。
「だって、宮中では色々やらなければならないことがあるでしょう。琴を弾く時間が減ってしまいます。毎日朝から晩まで練習を続けなければ、すぐ下手になる。沢山練習をしていても、少し気が抜けた練習なだけで、すぐ下手になる。気の入った練習をしなければ、練習は無駄。気の入った練習を長時間続けるには、毎日ゆとりがあって、琴だけ弾いていればよいという環境でないと。だから、宮中には参りたくありません。琴が上手にならないもの」
いつも琴が上達することだけを望み、天衣無縫、一心不乱に琴の練習を続けてきた姫君。その一途さがとてもいじらしく、愛しく感じる兼保である。
今でも、相変わらずいじらしい人だと思って兼保は、意固地なまでの姫君の態度にかえって好感を覚えた。
兼保はおかしさを紛らせながら、微笑んで、
「でもまあ。いつかは姫君は、呉楚派の後継者を持たねばなりませんよ」
と言った。
それは姫君も覚悟していることである。
確かに南唐派は姫君も含め、目の前の兼保、蔭元朝臣、それと円慶法橋の四人が存命しているが、呉楚派は姫君一人になってしまった。姫君が弟子を持って、後継者を育てなければ、行実朝臣以来の呉楚派の伝統は途絶えてしまう。
いつかは必ず弟子を育てなければならない宿命にあることを、姫君もわかってはいる。
「まあ、それはそれとして」
兼保は急に語気を改めて、話題を別なものにした。
「我が南唐派にも、少々問題がありますね。蔭元の朝臣のことですが、この頃随分弱ってしまったのですよ。体が弱ると心も弱くなるらしい」
と、辛そうにさし俯く。
南唐派の弟子同士の繋がりは深いものだが、殊に兼保と蔭元朝臣の結びつきの強さは、通常の友情とは比較にならないほど密であった。
漢人の言葉を借りれば、まさに「刎頸」の交わり。この友のためならば、兼保は死ねる。
師の生前から、二人は寝食を共にしていた。そして、師の死後も二人はずっと双の岡の琴庵に同居して、今日まで共に琴の道を歩んできたのだ。
その大切な友、いや家族が、病に苦しんでいるのを、兼保もその苦患を共にして病み悩んでいた。
「今年の中秋節に、南唐派の門徒達を双の岡に集めて、琴の会を催さむと計画しておりましてね。蔭元朝臣が、もう寿命に違いないと信じ込んで、今生の思い出に皆に会いたいと言うものですから。姫君とも久しくお会いしていないし、会いたいと願っているのです。中秋節の会、姫君にも是非ご参加頂きたい。そのお願いに、実は今日伺ったる次第です」
御簾越しにも伝わる兼保の苦患。姫君は眉根を寄せて、それでも冷静な声を作って言った。
「それは。懐かしいことです。師の君が亡くなる前は、いつも皆で集まって、とても楽しうございました。私も随分可愛がって頂きました。師の君がおわしました頃は、毎月の例会があって、他の方々の前で奏でるというよき訓練をさせて頂きました。他の方の演奏を聴くことができたのも、とてもよい勉強になりましたもの。充実したよい日々でした。師の君が亡くなられてから、例会は自然消滅して物足りなく感じておりました。久し振りに、望月の美しい晩に方々とお会いできますならば、これほど嬉しく、幸せなことはございませぬ」
姫君は二つ返事で出席を承諾した。
兼保はなお心に苦しみを感じつつも、姫君の返答に大いに喜び。
「それは有難きことです。中秋節の月影も、あら恥ずかしやと姫君のお姿を見て、雲に隠れてしまうかもしれませぬ。嫦娥の如き姫君にお会いできて、人間どもは喜びましょうが」
「ま、何を仰しゃいますやら。ですが、蔭元朝臣はそんなにお悪いのですか」
兄弟子の身が案じられる。兼保とともに、幼い頃の姫君を実の兄さながらに可愛がってくれた人だ。
兼保は努めて笑顔で、
「いやなに。蔭元の朝臣は病故に気弱になって、天寿尽きると思い込んでいるだけですよ。姫君がご心配になるほど、悪くはありません。きっと姫君に会ったら、元気になってしまうでしょう。八月十五日は私も楽しみです」
と言った。その声は、明瞭さに欠けているように、姫君には感じられた。
「姫君の威神の琴、楽しみです。姫君も久々に亡き師の君の南風の琴を、手にとってみられるとよいでしょう。我が師襄と蔭元朝臣の月琴と、一堂に集まれば、見事な夜宴となりましょうな」
威神、師襄、月琴、南風の四張は、何れも何参が唐より持ってきた琴である。
何参の死に際して、威神は姫君に、師襄は兼保に、月琴は蔭元朝臣に譲られた。何れも名器であった。
威神は梅花断が三つも散見される漢琴で、音勢は呉楚派の秘宝・鳳勢と双璧とさえいわれる、天下第一の琴。
師襄はかつての天才楽家・師襄が作製した琴の模造品と伝えられ、これもまた優れた音色を奏でる。模造品とはいえ、名器と言って差し支えない琴である。ただ、師襄といいながら、琴式が仲尼式なので、言い伝えの虚実は明らかではない。
月琴は琴の中心に満月のような円があり、明らかに他の琴と見た目が異なっている。美しい名品だ。その姿の美しさは比類ない。師曠という、やはり古の楽家が作製した琴を再現したもので、この種の琴式を月琴式という。この琴には月琴名があるが、月琴とは、この琴につけられた銘なのではなく、琴式のことなのである。
これ等は何参が弟子に分け与えたのだが、南風一張だけは誰にも譲らず、そのままにして逝った。故に、今でも南風は、双の岡の琴庵の霊廟の中に納められている。
南風の銘は琴起源伝説に因む。すなわち、神農が五絃琴をつくって、帝舜が南風を歌ったというものである。
南風銘の琴は他にも存在するようである。
中秋節には、久々に互いの琴を弾き合うこともできるであろう。楽しみなことである。
ただ、一つ心残りがある。それは、ある二張の琴についてである。
一つは舜琴といい、いま一つは龍舌といった。どちらも何参が唐より持って来た名品で、殊に舜琴は、南風と対をなす琴とされている。
かつて何参は、南唐派を束ねる者として、もう一方の呉楚派の当主・散位政任へ敬意を表し、その舜琴を贈ったことがあった。その礼として、政任の方からは、行実以来の龍舌を何参に贈ってきたのであった。
ところが、何参は、
「この龍舌は呉楚派に代々伝わる品だから、預かるのは参一代に限ることとします。その後は呉楚派に返却致しましょう」
と言って、臨終の折、返してしまった。
その頃、既に政任は出奔した後だったから、政任の後継の近衛将監広仲が受け取ったのである。
そのまま龍舌は呉楚派の門に置かれ、また、何参が贈った舜琴の方も呉楚派が所蔵した。
広仲は舜琴を返すと言ったが、何参は持っていてくれとしつこく言った。すなわち、
「呉楚派伝来の龍舌は、政任朝臣個人所有の琴ではなく、呉楚派の門のものであります。故に参は返却します。だが、舜琴はこの何参個人の愛用の琴であり、南唐琴門の所蔵品ではありません。私人何参が、政任という友人に贈ったものなのであるから、これは政任朝臣のものであります。その子孫が相続するべきものであって、子孫なければ、弟子の貴殿が相続するべきです」
というのだ。それで、そのまま広仲が持っていたのである。
広仲の後継は弟弟子の韶徳三位殿であった。
龍舌も舜琴も三位殿が受け継いでいたのである。
だが、例の事件で、朝廷はこれを没収しようとした。しかし、どうしたことか、この二張は行方不明となってしまったのであった。
未だ見つからぬこの二張は、一時は南唐派のものであったこともあるので、姫君も兼保も、散逸してしまったことが悔やまれてならない。
ところが、兼保が姫君を訪ねてから十日と経たぬうちに、思いもかけぬ形で姫君はその龍舌の琴と対面することになる。
恋しき人の死を乗り越えられずにいるのは確かだが、塞ぎ込んでいるわけにもいかないので、弱い表情は見せずにいる。故に、女房達は姫君の心の内は知らない。
三位殿の幻か。夢を見たのかは知らないが、威神が手元に返ってきた晩以来、何か底知れぬ力が体じゅうから湧き起こっている。仏の叡智が鎧となって、肉体に備わったようにさえ感じていた。
苦痛、悲憤の心に変わりはないが、強く生きられる。
ただ、なお讃岐が戻らないのが、物足りなく感じる。それをぬぐい去るように、より琴の道に邁進していた。
ただ一つの問題点はあったが。
姫君入内の噂が以前にも増して高まっていることである。
とはいえ、最近、従姉の嬉子が三の宮と共に後宮に呼び戻されていた。おそらく、三の宮が東宮に立つのであろう。そのまま生母の嬉子が中宮になるに違いない。となれば清花の姫君が入内する意味も必要もなかろう。
姫君は噂を気にはしつつも、そこまで深刻には考えていなかった。
そして、嬉子と三の宮が邸を去り、寂しく感じていた。
嬉子が去って丁度十日後。晴れて日差しの眩しい、夏らしい日のこと。
賀茂別雷(かもわけいかづち)神社の兼保(かねやす)が、姫君を訪ねてきた。
御簾を一枚隔てただけ。兼保のすぐ側に座り、直接話す。そういう形で対面した。
姫君がこのような親しみをもって対面できる男性は、この兼保くらいなものだろう。
兼保と姫君とは、姫君がまだうない髪であった頃からの知己である。
兼保、姫君、それと蔭元朝臣(かげもとあそん)の三名は、南唐琴門の何参の直弟子である。
南唐派は呉楚派と違って、何参の方針で実に家族的な繋がりを持つ一派だった。南唐派の面々は何参を囲んで常に親しく会い、酒を酌み交わし、食事をして親睦を深め合っていたのであった。
何参が奈良にいた頃は、兼保は何参の家に住み込み、師と寝食を共にしていたし、京の双の岡に移ってからは、兼保ばかりか、蔭元朝臣までもが師の家に住まうようになっていたのだ。
姫君だけは六条西洞院の家から通っていたのだが、稽古に行くと、いつも何参は、
「蔭元朝臣の稽古も見てお行きなさい」
と言い、兄弟子の稽古を見学させた。
その後でいつも食事になり、姫君にも食べて行くよう何参は言った。
食事の後は兼保の稽古で、それも見学させられた。その後で、ようやく帰宅の許可が出たのだった。
姫君は幼い頃、いつも兼保達と一緒に食事をし、楽しい話をたくさんしたのだった。兼保と姫君とは、そういう家族のような親しき仲である。
「時に、姫君には弟子はおわさぬのですか」
兼保は挨拶を終えると、そう切り出した。
「弟子?」
「ええ、そうですよ。あれほど隆盛を見た呉楚派も、今となっては姫君ただお一人となってしまいました。その流を絶やさぬために、姫君にはそろそろ弟子をとられることを、お考えになりませぬと」
「私、まだ弟子を持つゆとりがございません。弟子に教える時間が勿体ないですもの。そういう時間があったら、自分の練習に使いませんと」
「ですが、他人に教えると、勉強になりますよ。自分の実力を研くのにも、教えることはとても役に立つ手段です」
「それはそうかもしれませんが。でも、教えることはとても大変なことだと伺っています。弟子に教えることは、大変に神経を使うことで、知らず知らずのうちに気をすり減らしているものだとか。弟子が帰った後、どんなに時間が余っていても、疲れてとても自分の練習などできるものではないと。気疲れからくる体の疲れは、労働による肉体の疲労と違って、なかなか回復するものではなく、翌日の午(ひる)頃まで疲れが抜けず、寝て過ごすようだ、とかよく聞くお話です。そんなに練習もできず、虚しく時間を無駄にしなければならないのは……寝込んでいる時間も練習をしたいので、やはり弟子を持つのは気が向かないというか……」
「はははは。ちと大袈裟ですが、確かに」
兼保は大いに笑った。
「私には円慶法橋(えんぎょうほっきょう)を含め、八人の弟子がありますが、確かに弟子が来た日と翌日は、疲れて何もできません」
たがらといって、弟子も持たずに、自分の練習に時間を費やしたいというのは、いかにも姫君らしい考え方だと兼保は思った。
昔、まだ姫君が幼く、何参も元気だった頃、双の岡の琴庵で、楽しい会食時に兼保は姫君に言ったものである。
「姫君は后がねなんですって?沢山お勉強することがあって、大変ですね。姫君が后宮(きさいのみや)になられた折は、是非この兼保を神祇伯に推挙して下さいね」
「后宮にはなりません」
「どうしてですか?」
蔭元朝臣までもが問うと、幼い姫君はきっぱりと答えた。
「だって、宮中では色々やらなければならないことがあるでしょう。琴を弾く時間が減ってしまいます。毎日朝から晩まで練習を続けなければ、すぐ下手になる。沢山練習をしていても、少し気が抜けた練習なだけで、すぐ下手になる。気の入った練習をしなければ、練習は無駄。気の入った練習を長時間続けるには、毎日ゆとりがあって、琴だけ弾いていればよいという環境でないと。だから、宮中には参りたくありません。琴が上手にならないもの」
いつも琴が上達することだけを望み、天衣無縫、一心不乱に琴の練習を続けてきた姫君。その一途さがとてもいじらしく、愛しく感じる兼保である。
今でも、相変わらずいじらしい人だと思って兼保は、意固地なまでの姫君の態度にかえって好感を覚えた。
兼保はおかしさを紛らせながら、微笑んで、
「でもまあ。いつかは姫君は、呉楚派の後継者を持たねばなりませんよ」
と言った。
それは姫君も覚悟していることである。
確かに南唐派は姫君も含め、目の前の兼保、蔭元朝臣、それと円慶法橋の四人が存命しているが、呉楚派は姫君一人になってしまった。姫君が弟子を持って、後継者を育てなければ、行実朝臣以来の呉楚派の伝統は途絶えてしまう。
いつかは必ず弟子を育てなければならない宿命にあることを、姫君もわかってはいる。
「まあ、それはそれとして」
兼保は急に語気を改めて、話題を別なものにした。
「我が南唐派にも、少々問題がありますね。蔭元の朝臣のことですが、この頃随分弱ってしまったのですよ。体が弱ると心も弱くなるらしい」
と、辛そうにさし俯く。
南唐派の弟子同士の繋がりは深いものだが、殊に兼保と蔭元朝臣の結びつきの強さは、通常の友情とは比較にならないほど密であった。
漢人の言葉を借りれば、まさに「刎頸」の交わり。この友のためならば、兼保は死ねる。
師の生前から、二人は寝食を共にしていた。そして、師の死後も二人はずっと双の岡の琴庵に同居して、今日まで共に琴の道を歩んできたのだ。
その大切な友、いや家族が、病に苦しんでいるのを、兼保もその苦患を共にして病み悩んでいた。
「今年の中秋節に、南唐派の門徒達を双の岡に集めて、琴の会を催さむと計画しておりましてね。蔭元朝臣が、もう寿命に違いないと信じ込んで、今生の思い出に皆に会いたいと言うものですから。姫君とも久しくお会いしていないし、会いたいと願っているのです。中秋節の会、姫君にも是非ご参加頂きたい。そのお願いに、実は今日伺ったる次第です」
御簾越しにも伝わる兼保の苦患。姫君は眉根を寄せて、それでも冷静な声を作って言った。
「それは。懐かしいことです。師の君が亡くなる前は、いつも皆で集まって、とても楽しうございました。私も随分可愛がって頂きました。師の君がおわしました頃は、毎月の例会があって、他の方々の前で奏でるというよき訓練をさせて頂きました。他の方の演奏を聴くことができたのも、とてもよい勉強になりましたもの。充実したよい日々でした。師の君が亡くなられてから、例会は自然消滅して物足りなく感じておりました。久し振りに、望月の美しい晩に方々とお会いできますならば、これほど嬉しく、幸せなことはございませぬ」
姫君は二つ返事で出席を承諾した。
兼保はなお心に苦しみを感じつつも、姫君の返答に大いに喜び。
「それは有難きことです。中秋節の月影も、あら恥ずかしやと姫君のお姿を見て、雲に隠れてしまうかもしれませぬ。嫦娥の如き姫君にお会いできて、人間どもは喜びましょうが」
「ま、何を仰しゃいますやら。ですが、蔭元朝臣はそんなにお悪いのですか」
兄弟子の身が案じられる。兼保とともに、幼い頃の姫君を実の兄さながらに可愛がってくれた人だ。
兼保は努めて笑顔で、
「いやなに。蔭元の朝臣は病故に気弱になって、天寿尽きると思い込んでいるだけですよ。姫君がご心配になるほど、悪くはありません。きっと姫君に会ったら、元気になってしまうでしょう。八月十五日は私も楽しみです」
と言った。その声は、明瞭さに欠けているように、姫君には感じられた。
「姫君の威神の琴、楽しみです。姫君も久々に亡き師の君の南風の琴を、手にとってみられるとよいでしょう。我が師襄と蔭元朝臣の月琴と、一堂に集まれば、見事な夜宴となりましょうな」
威神、師襄、月琴、南風の四張は、何れも何参が唐より持ってきた琴である。
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威神は梅花断が三つも散見される漢琴で、音勢は呉楚派の秘宝・鳳勢と双璧とさえいわれる、天下第一の琴。
師襄はかつての天才楽家・師襄が作製した琴の模造品と伝えられ、これもまた優れた音色を奏でる。模造品とはいえ、名器と言って差し支えない琴である。ただ、師襄といいながら、琴式が仲尼式なので、言い伝えの虚実は明らかではない。
月琴は琴の中心に満月のような円があり、明らかに他の琴と見た目が異なっている。美しい名品だ。その姿の美しさは比類ない。師曠という、やはり古の楽家が作製した琴を再現したもので、この種の琴式を月琴式という。この琴には月琴名があるが、月琴とは、この琴につけられた銘なのではなく、琴式のことなのである。
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南風銘の琴は他にも存在するようである。
中秋節には、久々に互いの琴を弾き合うこともできるであろう。楽しみなことである。
ただ、一つ心残りがある。それは、ある二張の琴についてである。
一つは舜琴といい、いま一つは龍舌といった。どちらも何参が唐より持って来た名品で、殊に舜琴は、南風と対をなす琴とされている。
かつて何参は、南唐派を束ねる者として、もう一方の呉楚派の当主・散位政任へ敬意を表し、その舜琴を贈ったことがあった。その礼として、政任の方からは、行実以来の龍舌を何参に贈ってきたのであった。
ところが、何参は、
「この龍舌は呉楚派に代々伝わる品だから、預かるのは参一代に限ることとします。その後は呉楚派に返却致しましょう」
と言って、臨終の折、返してしまった。
その頃、既に政任は出奔した後だったから、政任の後継の近衛将監広仲が受け取ったのである。
そのまま龍舌は呉楚派の門に置かれ、また、何参が贈った舜琴の方も呉楚派が所蔵した。
広仲は舜琴を返すと言ったが、何参は持っていてくれとしつこく言った。すなわち、
「呉楚派伝来の龍舌は、政任朝臣個人所有の琴ではなく、呉楚派の門のものであります。故に参は返却します。だが、舜琴はこの何参個人の愛用の琴であり、南唐琴門の所蔵品ではありません。私人何参が、政任という友人に贈ったものなのであるから、これは政任朝臣のものであります。その子孫が相続するべきものであって、子孫なければ、弟子の貴殿が相続するべきです」
というのだ。それで、そのまま広仲が持っていたのである。
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史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
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