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第Ⅰ章 明暗分かれる姉妹 ~The Doppelgangers~

#19 調教術師ジェフ

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 ダスクが物陰からゆっくり出て行こうとすると――

〈まあ待ちなよ、お二人さん〉

 思ったより近い距離から、声が掛けられた。

「……ッ!?」

 反応したダスクが抜剣と同時に振り返った。

「い、居ない……?」

 しかし背後には誰の姿も見当たらず、私達は揃って首を傾げる。

〈違う。ここだよ、ここ。樽の上さ〉

 再び聞こえた声の、その言葉に従って酒樽の上を見遣ると、

「ね、猫……!?」

 首輪を着けた可愛らしい黒猫が一匹、酒樽の上にちょこんと座って、黄金色のつぶらな瞳でこちらを見ていた。

〈やあ、こんばんは〉

 異世界では猫が喋るのが普通なのだろうか、と呆気に取られていると、

「違うぞ。喋っているのはこの黒猫ではなく、こいつを飼っている『調教術師テイマー』だ」
「テイマー、とは何でしょうか……?」
「動物や魔物を使役する魔術師の事だ。この猫の眼と耳を通じてこちらの様子を把握し、口を借りて声を聞かせているんだ。もっとも、そんな高度な真似ができる調教術師テイマーは滅多に居ないと聞いているが……」

 パソコンの代わりに動物を利用したリモート通信、とでも言おうか。

〈正解だよ。僕の名はジェフ。そしてこの子はセレナーデ。宜しくね〉

 声の主は若い男性のようだ。

〈安心していい、僕は敵じゃない。安全なルートを教えるよ〉
「……そう言われて付いて行くとでも思うのか?」

 ジェフと名乗ったこの調教術師テイマーが栄耀教会の回し者という可能性がある以上、信用はできない。
 ましてダスクは、先程聖騎士に騙されて痛手を被ったばかり。

〈思うよ。だって君達には他に選択肢が無いんだからね。君達は恐らく、運河を通って下町へ逃げ込み、帝都から脱出しようと考えているんだろうけど、聖騎士団だって馬鹿じゃない。あの船着き場の連中を見れば分かる通り、既に運河にも目を着けられている。水上で囲まれてはヴァンパイアの力も満足に発揮できず、射程外から聖水で攻撃されてお終いさ〉

 ダスクがヴァンパイアだという事も、彼の逃走計画も、声の主ジェフは把握している。

「お前に付いて行けば、脱出できると言うのか?」
〈地下水路を通った先に君達向けの避難所がある。そこまで案内するよ〉

 ダスクにとって太陽から逃れられる地下は安全な場所だが、狭い地下では奇襲を受けた時の危険が増すというデメリットもある。

〈来るか来ないかは自由だ。あくまでも運河を行くと言うなら、僕もこれ以上干渉しない〉

 強引な勧誘をしないのは、私達が断るはずが無いという自信故なのかは分からない。
 しかし、のんびり考えている時間も無くなった。

「ダスクさん、聖騎士達がこちらに来ます……!」

 物陰でコソコソしていた私達を怪しんだのだろう、船着き場の聖騎士が歩いて来たのだ。
 こうなると、いよいよ舟を奪うのは難しくなった。

「……仕方無い。いいだろう、ジェフとやら。お前の口車に乗ってやる」
〈そうこなくちゃ〉

 黒猫セレナーデが酒樽から降りて走り出す。
 私達も駆け出し、急に動き出した私達を見て、すかさず聖騎士達も追いかけてきた。

 複雑な裏路地を、黒猫セレナーデは迷い無くスイスイと進んで行く。

「しつこい奴らだ」

 途中にあった木箱の山をダスクが引っ繰り返し、追って来る聖騎士達の進路を妨害する。

〈おっと、こっちは聖騎士が沢山居るな。進路を変えて東に行こう〉

 ジェフがそう言うと、彼が使役するセレナーデが一度は行きかけた道を戻り、反対側へ進んだ。

「どうして分かるのですか?」

 私にもダスクにも、先の様子など建物に阻まれて全く分からない。

〈空を見なよ。鳥が飛んでいるのが見えるかい?〉
「ああ、黒いふくろうが一羽。あれもお前が使役しているのか?」

 私には全く見えないが、ヴァンパイアは夜目が利くのか、夜空に溶け込む鳥の姿がはっきりと見えるようだ。

〈まあね。ああやってノクターンが地上の聖騎士の位置を把握し、それを僕の力を介してセレナーデに伝える事で、安全なルートを組み立てているのさ〉

 ジェフが説明したそれは、カーナビゲーションシステムと同じ原理だ。

 追っていた聖騎士は見えなくなり、それからも聖騎士や帝国騎士に発見される事も無く、ここまでスムーズに移動できている。

〈だからこっちに行くんだけど――〉

 そう言ってセレナーデが足を止めた先には、幅が五メートルはある運河。

〈――見ての通り、この川の幅だとセレナーデじゃ飛び越えられない。という訳でダスク、運んでよ〉
「自分が通れない道を行こうとするな」

 そう言いつつも私とセレナーデを抱え、ダスクは運河を楽々飛び越えて対岸へ着地する。
 この辺りは繁華街から離れており、静まり返って人気がほとんど無い。

 セレナーデが足を止めたのは、その奥にある路地の突き当たり。

〈このマンホールだ。鍵は外してある。蓋を開けて〉

 指示されたダスクが、ずっしりと重いマンホールを工具も使わず軽々と開ける。
 暗い穴は底が見えず、吹き抜ける風が呻き声のように聞こえて何だか不気味だ。

「ここは……?」
〈帝都の地下には、蜘蛛の巣のように水路が巡らされている区画がある。今の君達にとって一番安全なルートだ〉
「確かにそうかも知れないが、奴らとてその程度は読んでいるはずだ。中に居る事がバレて出口を塞がれたら袋の鼠になる」
〈ごもっとも。だけど地下水路は運河以上に複雑で、帝国騎士団も聖騎士団もその全容を正確には把握していない。でも僕はネズミやコウモリ、カエルやトカゲなんかも使役できるから、水路の構造は勿論、秘密の近道や隠し通路とかも調べ上げて細部まで把握済みなのさ〉

 人間では到底入り込めない場所も、他の生き物を使役すれば進入して調査できてしまう。

〈どうする? やっぱりやめておくかい?〉
「ここまで来たら行くまでだ。カグヤもそれでいいな?」
「ダスクさんがそう決めたのなら」

 意を決し、二人と一匹で梯子はしごを伝って地下水路へ下りる。

「真っ暗、ですね……」

 小さな呟きが、壁と天井に反響して大きく聞こえる。
 月も星も街灯も無い、冥獄墓所と同じ暗闇の空間。
 ただしこちらは地下水路だけあって悪臭がきつく、足元をネズミや虫が這い回っていた。

〈大丈夫、今照らすよ〉

 自動車のヘッドライトのように、セレナーデの眼が光って闇の通路を照らしてくれるお陰で、ぼんやりと辺りの様子が分かる。

「……大丈夫か?」
「はい、何とか……」

 暗く、狭く、臭く、おまけにジメジメとして、更にネズミや気持ち悪い虫が居る地下水路など、私一人だったならばとても耐えられなかっただろう。

「うわああああッ、な、何だこいつら……!?」
「ええい、邪魔だ。どけッ……!」

 向こうの方で、何人かが忌々し気に叫ぶ声が反響した。

「今のは……?」
〈コウモリ達に聖騎士を足止めさせた。今の内に〉

 迷路のように複雑な暗黒の地下水路も、多くの生き物を使役できるジェフにとっては独擅場どくせんじょう
 ガイドも無しに捜し回らなくてはならない聖騎士達は、さぞ苦労する事だろう。

 そうして歩き続ける事数分。

〈さて、到着だ〉

 セレナーデが立ち止まったのは、水路の突き当たり。

「到着? 何も無いように見えるが」
〈そこの壁のタイルに、一ヶ所だけ形が違う部分があるだろう? そこを押してよ〉

 ダスクがその場所を押すと、突き当たりの壁が重い音を立ててスライド、隠れていた道がぽっかりと口を開けた。

「こんな隠し通路があるとはな……」
〈他にもあるよ。皇室や栄耀教会も知らない、皇宮に直接侵入できる大昔の通路とかね。元々は要人が脱出する為に造られたけど、老朽化による崩落で放棄されたものが今も残っているんだ〉
「……あの当時に知りたかったな」

 溜め息を吐きながら進むダスクに続いて、私も入口を通過、再びスイッチを押して入口を元通り封鎖しておく。

 大人一人がようやく通れる程の狭い階段を降りた先に、灯りのある小部屋があった。
 ランタンを手にして待っていた人物に、セレナーデが駆け寄る。

「よしよし。ご苦労様、セレナーデ」

 黒猫をひょいと抱き上げて頬擦りする彼の声は、私達をここまで導いてきた人物のものだった。
 肩には空から私達をサポートしてくれた、黒梟のノクターンが留まっている。

「お前がジェフか」
「改めて宜しく。ジェフ・デルク・フェンデリンだ」

 年齢は私と同じか少し下と言った所か。
 クールで鋭い雰囲気のダスクとは対照的に、こちらは人懐っこい笑みで親しみを感じさせる。
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