【完結】婚約破棄を望んだ悪役令息ですが、破棄して貰えないので隣国に逃走します!

きたさわ暁

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逃走してます!

番外編1

番外編



 学園の食堂は、昼食時の喧騒と、カトラリーが皿に触れる軽やかな音、食欲をそそる香りに満ちていた。窓から差し込む柔らかな日差しは、冬に入った今は珍しい。

「……私は精一杯、彼に寄り添おうとしたけれど、彼には他に好きな人がいたらしい。私と婚約している間に浮気するような人だったんだ……」

 テーブルに両手を置き、眉を寄せて沈痛な面持ちで語れば、騎士爵の令嬢ナターシャが、すかさず私の手の上に自分の手を重ね、優しく包み込むようにして慰めてくれた。

「ノアくん、可哀想……。そんな人が婚約者だったなんて! 本当に最低ね、エルドリス侯爵令息って!」

 学園の食堂の真ん中で、少し大袈裟な悲劇の人物を演じている。ため息混じりに力ない微笑みを浮かべてみせれば、周囲の生徒たちが同情の視線を投げかけてくれる。……はずだった。

 こんな面倒で下品な芝居を打たなければならないのも、あの忌々しい不具合オメガのせいだ。

 新しい婚約者など未だ決まらず、公爵家の財政は破綻寸前。父は血眼になってシルフィードの行方を探させているが、影すら掴めないらしい。あのオメガはたった二年で二級薬師の資格を取得するほどの天才で、学園在籍中に一級へ昇格するだろうとまで言われていた。

 その才能を自領のために独占しようと欲した父は、ダンスパーティーで「婚約破棄」を高らかに叫ばれた瞬間に激怒した。

 即座に侯爵家へ厳重抗議の書状を送ったが、返ってきたのは悔い改めの言葉など微塵もない、氷のような拒絶の文面だけだった。

 そして、あの恥ずべき場面を目撃した生徒たちは、今もどちらが真に恥じるべき存在なのか、冷ややかな視線で観察し続けている。

「ノア、エルドリスくんのことをそんな風に言わない方が良いわ。ナターシャ、あなたもよ」

 ナターシャはぱっと手を離し、自分に苦言を呈した友人を睨みつけた。

「あら、クラリスはあんな不具合オメガの肩を持つの? ノアくんに失礼じゃないかしら?」

「私は……」

 幼なじみにすら諭されるとは、思いもよらなかった。公爵家にも面子がある。

 格下の侯爵家ごときに顔に泥を塗られて、黙ってなどいられるものか。

 父上の声が耳に蘇る。毎日のように「早くあのオメガを見つけ出せ!」と血走った目で怒鳴り散らす姿が。

「……浮気していたのはノアの方でしょう? すでに婚約していたのに、私には何も伝えていなかったわ」

 クラリスの静かな一言に、頭に血が上る。

「ダンスパーティーで他に好きな人がいると言ったのは、シルフィードの方だ!」

 バンッとテーブルを叩いてしまった。銀のスプーンが跳ね、皿が鳴り、周囲の視線が一斉にこちらへ突き刺さる。

 許せない。あの不具合オメガが、この高貴な私に向かって「……僕、他に好きな人がいるんで、この婚約はなし! 解消でも破棄でもなんでも良いんで! 僕、あなたのことなんて好きじゃないし、どちらかと言えば嫌いです! 大嫌いです!」と、満員のホールで叫んだことなど、死んでも忘れられない。

「そうよ。それに忘れたの? あなたを階段から……」

「ナターシャ、それ以上言葉を続けるなら、私は真実を話さなければならないわ」

「……っ!?」

「エルドリスくんが私にした事は、公爵家に嫁ぐつもりなら知っておかなければならない事ばかりだった。ノアはそのままの私で良いって言ってくれたけど、それは妻じゃなくて愛人としてそのままで良いと言うことだったのね?」

「そんなことは、……!」

 否定できない。可愛い幼なじみには、高位貴族としての礼節など不要だった。ただ甘えて、頼って、微笑んでくれればそれで満足だった。

 クラリスは深いため息をつくと、ゆっくりと席を立った。

「……しばらく、ノアから離れるわ」

「クラリス!」

 去っていく細い後ろ姿を見送りながら、どうしてこうなってしまったのかと、自問するしかなかった。

「まあ、クラリスったらノアくんに対してあんなことを言うなんて。でも、心配しないで、私はずっとノアくんの味方よ」

「ナターシャ、ありがとう」

 媚びるような笑顔は見慣れている。クラリスの親友だからと、今まで眼中になかったが、この女の家の資産はどれほどだろうと一瞬考える。……いや、騎士爵か。貴族とも呼べない家柄だった。だが、遊び相手くらいなら悪くない。

 そんな浅ましい算段を巡らせていたとき、複数の重い足音が食堂に響き始めた。

 学園は治外法権。騎士といえど、許可なく踏み込むことは許されない。

 顔を上げると、出入口に黒いマントを翻した騎士たちが、鋭い視線で食堂内を見渡していた。教師の一人が何事か耳打ちすると、騎士たちの視線が一斉にこちらへ突き刺さる。

 ぎょっとして立ち上がった瞬間、「動くな!」と低く怒気を含んだ声が飛んだ。

 私は公爵家の跡取り、貴族の頂点に立つ者だ。一介の騎士ごときに、こんな扱いを受ける筋合いはない。

「シメオン公爵家の私に対して、無礼な! ここは神聖なる学び舎で……うおっ!」

 最後まで言い終えられなかった。騎士たちが一斉に取り囲み、腕をねじり上げ、冷たい鉄の拘束具をはめられたからだ。

「今ここに、王の名の下に宣告する。シメオン公爵およびその一族を、即刻拘束せよ。生否不問。これより汝らの爵位は剥奪され、領地は没収される。即刻、武器を捨て、膝をつけ、王の鎖に身を委ねよ。抵抗する者は、その場で王の正義の刃に伏すのみ。最後の慈悲として、選択の猶予を与えよう。即刻の死か、捕縛か」

 冷酷で、まるで氷の刃のような宣告に、膝が震え、声すら出なかった。

 何故、と唇だけが小さく震える。

 それを目ざとく見つけた一人の騎士が、憎悪に燃える目を向けた。

「……エルドリス侯爵家の名を騙って売り捌いた、いくつもの粗悪な薬。お前らが金のために流した偽物が、どれだけの人間を苦しめたか知っているか? 粗悪な抑制剤をばら撒き、それを飲んだオメガを地獄に叩き落としたか!」

 騎士の声が震えていた。

「俺の妹は今も、その薬のせいで発作に苦しんでる。熱が下がらず、フェロモンに支配され、理性も尊厳も奪われたまま、ベッドの上で苦しみ藻掻いている。お前みたいな屑が、優雅に暮らすために。民の為に良質な薬を提供してくれている侯爵家の紋章を汚してまで、儲けたい一心で撒いた毒だ。覚えておけ。妹が一秒苦しむたび、お前の喉元に刃を突き立てたいと思う剣が増える。そのうち、その首一つじゃ済まなくなると思えよ、クソ貴族」

 隊長らしき騎士が、憎しみに染まった部下を下がらせ、私を歩くよう促した。

 頭が真っ白だった。だが、父が「エルドリス領から薬師を一人勧誘できた」と得意げに語っていたことを思い出す。あれはきっと、そいつの作った薬だ。

「ち、違う! 私は何もしてない! 父が……いや、エルドリス領の薬師が作ったんだ!」

「エルドリス侯爵家から直々に行方不明になった薬師の捜索と保護を依頼された。公爵家の地下牢から、ボロボロになったその薬師が出てきたのは何故なのか、あなたに伺ってもよろしいか? それに、シフ印と偽ったろくに効きもしないポーションをあなたが高値で売り捌いたことも、証拠はすべて掴んでいる。申し開きは王の前でするが良い」

「ち、違う……ちがう……っ」

「ノアくん!」

「た、助けてくれ、ナターシャ!」

 騎士爵の娘なら、誰か顔見知りの騎士がいるはずだ。きっと誤解を解いてくれる。

 必死に手を伸ばすが、その前に教師がナターシャの細い腕を掴んだ。

「あなたには虚偽の証言をして男子生徒を陥れたと申告がありました。詳しい話を聞きたいので、学園長室へ」

「え? わ、私そんなことしてません! クラリスを階段から落としたのはエルドリス侯爵令息です!」

「虚偽と言うだけで、内容は話していないのによくわかりましたね。来なさい」

 ナターシャは教師に連れ去られ、シメオン公爵令息は騎士団に引きずられるようにして食堂を後にした。

 後に語り継がれたのは、王の御前で罪が明らかにされ、公爵家は取り潰しとなり、一族は罪人として牢へ繋がれ、脱出不可能な鉱山での強制労働を言い渡されたこと。

 騎士爵の娘は学園を退学となり、生涯を監獄のような修道院で過ごすことになったこと。

 そして、公爵令息の幼なじみクラリスは、卒業後に遠くの親類へ嫁ぎ、穏やかで幸福な日々を手に入れたこと、だった。






「ご協力ありがとうございまーす!」

 騒然とした食堂の片隅で、クラス委員である伯爵令息は呆然と立ち尽くしていた。

 明るく声を掛けられ、振り返れば、そこには季節外れの転入生がにこやかに立っている。

 明るい茶色の髪に、同じく茶色の瞳。どこにも特徴のない、小さくて雀のような、可愛らしい少年だった。

「協力?」

「ええ、あなた様のおかげで仕事がすごく早く終わりました!」

「仕事、とは?」

「あるじ様の大切な番様の、汚名をそそぐことです。いやあ、こんなに早く片付くとは……エルドリス家は怒らせると本当に怖い家ですねー」

 その名を聞いて、すべてが繋がった。

「……エルドリスくんが番様?」

「……えーっと、その、秘密ってことで!」

「待って、僕は彼の友達なんだ。今どこにいるのか心配してたんだ! 教えてくれ!」

「……あるじ様の許しがないとダメなんです。でも、そのうち手紙を出します。伯爵家で良いですか?」

「お、お願いします!」

「はい、では!」

 転入生は軽やかに手を振ると、まるで最初からいなかったかのように姿を消した。

 寮も引き払われ、彼が本当にこの学園にいたのかすら、誰も思い出せなくなっていた。





 数ヶ月後。

 クラス委員を務める伯爵家に、一通の手紙が届いた。

 封を開け、丁寧な文字を読み終えた伯爵令息は、友人の本当の幸せを知り、静かに、優しく微笑んだのだった。



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