白い雫の天使~親愛なる人への旋律

夏目奈緖

文字の大きさ
2 / 265

1-1 黒崎家の日常

しおりを挟む
  11月13日、水曜日。午前6時。

 カレンダーの七十二候の欄には、地始凍・ちはじめてこおると書かれている。冬の冷気のなかで、大地が凍り始める頃だという。まるで俺の心のようだ。

「夜は冷え込みがいっそう厳しくなるので、部屋の窓の結露にも注意が必要です、か。……朝から冷え込んでいるよねえ」

 黒崎は何も言わない。リビングのソファーに座り、タブレットで電子新聞を読んでいる。聞こえているはずなのに。それはそうだろう。さっきまで言い合いをしていたからだ。

 ダイニングの椅子に座り、アンのことを抱き上げた。もこもこした毛並みの持ち主が癒やしだ。テーブルの湯呑にお茶を注いだ。すっかり冷めて渋くなっている。これも自分の気持ちを表している。

「このお茶。朝ごはんのやつなんだよね~。冷めてて渋くなっててさ。まるで俺の心みたいだよ~~。ふん……」

 黒崎には聞こえている。さっさと仲直りをすればいいのに、ごめんなさいが言い出せない。2年前も今も変わらない。些細なことで喧嘩をしては後悔している。黒崎はどうかは知らない。何も言わないし、こっちを見ないからだ。

 俺の名前は黒崎夏樹。大学2年生だ。ロックバンド'"Visible ray"で、ボーカリストをつとめている。デビュー後、2週間が経つ。

 左の薬指には指輪がある。永遠の誓いを立てたパートナーが存在するからだ。その人は、黒崎圭一という。同じ苗字なのは、黒崎の父と養子縁組をしたからだ。

 黒崎のことをチラッと見た。とても整った顔立ちをしている。彫りの深い二重に強い目力。いつも姿勢を綺麗に保ち、スーツ姿のときには隙が感じられない。堂々としている。

 中身はこうだ。強引で頑固で、石頭。イジワル、ドS。えらそうな物の言い方。どうして好きになったんだろう?一緒に居るはどうして?それには理由がある。

「威圧感は和らいだからだよね……」

 俺の言うことを聞け、命令だ、二度言わせるな。そんなセリフを口にしていたのは過去のことだ。相手の気持ちを大事にする人になった。

 俺に対しては特に優しくなった。自分のことは後回しにして、俺のことばかりを優先させている。ワガママ放題でいいぞ。そう言われている。

「二度言わせるな、か。……あの頃は好きだっていう気持ちが大きくて、我慢してたんだよねえ」 

 冷めたお茶を飲んだ。喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、最初から冷たさばかりを感じている。温かいものが飲みたくなった。

「珈琲を淹れようかなあ?飲みたい人はいないのかな?手をあげて下さい。ふん……」

 会話の糸口にしたのに、ノッてこないのか。まあいいや。黒崎が気に入っている豆を買ったばかりだ。これを淹れたら気がつくだろう。

 飲みたいと言い出すか、こっちを向くなどの反応があるはずだ。アンを膝の上から下ろすと、大きな目で見上げてきた。元気いっぱいなのに、今はショゲているようだ。 

「アン、どうしたんだよ?……女の子から見ると、あり得ないのか。パパに教えてあげてよ……」

 伝わったのかな?アンがソファーへ走って行った。黒崎のことが大好きだからだ。動物に好かれるのは前からだ。本質が優しいからだろう。

「たまには……、キツいことを言うけど。それは俺も同じだし~?」

 聞こえるように口にしたのに反応がない。黒崎がアンのことを抱き上げてテレビを観始めた。流れているのは天気予報だ。

「『……いつもより冷え込む1日になるでしょう。防寒対策をしてお出かけください……』」

 黒崎がチャンネルを変えた。珈琲が入ったら声をかけよう。そう思ってコーヒーメーカーの段取りをはじめた。

 コポコポ……。

 いい匂いが広がった。いつもならこれをネタに話しているのに。テレビではニュースが流れている。緊迫した声色のアナウンスが聞こえてきた。他人事とは思えない。聞きたくないニュースだ。

 シンと静まり返った空間にいる。コーヒーメーカーからの音、マグカップの音だけが聞こえている。どうやって仲直りしようかな?いい言葉が思いつかない。

「なんで俺が謝るんだよ……」

 謝りたくないのに、謝ってしまいたいという矛盾。先に進まないという現実。後悔と一緒に、マグカップへ熱々の珈琲を注ぎ入れた。

「あつつつ!」

 はあ……。気がそぞろだ。珈琲が少し指にかかってしまった。水道水で流し始めると、冷たくて身体がブルッと震えた。

「これでいいか……」
「もっと冷やせ」
「え?んん?」
「すまない。俺のせいだ」
「黒崎さん……」

 背後から抱きしめられた。そして、黒崎から手を添えられて、水で冷やし続けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

発情期のタイムリミット

なの
BL
期末試験を目前に控えた高校2年のΩ・陸。 抑制剤の効きが弱い体質のせいで、発情期が試験と重なりそうになり大パニック! 「絶対に赤点は取れない!」 「発情期なんて気合で乗り越える!」 そう強がる陸を、幼なじみでクラスメイトのα・大輝が心配する。 だが、勉強に必死な陸の周りには、ほんのり漂う甘いフェロモン……。 「俺に頼れって言ってんのに」 「頼ったら……勉強どころじゃなくなるから!」 試験か、発情期か。 ギリギリのタイムリミットの中で、二人の関係は一気に動き出していく――! ドタバタと胸きゅんが交錯する、青春オメガバース・ラブコメディ。 *一般的なオメガバースは、発情期中はアルファとオメガを隔離したり、抑制剤や隔離部屋が管理されていたりしていますが、この物語は、日常ラブコメにオメガバース要素を混ぜた世界観になってます。

死ぬほど嫌いな上司と付き合いました【完結】

三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。 皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。 涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥ 上司×部下BL

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

追放されたおまけの聖女♂は冷徹王太子の腕の中から離してもらえない〜今さら戻れと言われても、もうこの人の魔力しか受け付けません!〜

たら昆布
BL
聖女のおまけで召喚されたと思われて追放された不憫受けが拾われて愛される話

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

処理中です...