白い雫の天使~親愛なる人への旋律

夏目奈緖

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 父の書斎へ向かうと、一貴が来ていた。これから夏樹のことを話す。晴海兄さんには、今週中に訪ねてもらえる。父はヴィジブルレイを続けることには納得している。一貴からは提案があるそうだ。

「夏樹を開発部門で非常勤勤務をやらせたい。大学卒業までの間だ」
「来年からはどうだ?8月からメニュー作りが始まるだろう。絵本の件は良かった」
「夏樹に話す。……連載には前向きだ。喜んでいた」
「よかったな。歌手の先輩と関われるなら、完全に業界から離れるわけじゃない」

 ここで提案したいことがあると、一貴がタブレットを差し出してきた。来期からの事業計画が出ている。怜とのタッグを組んだ、着物ブランドの件だ。そして、こっちの都合だと受け取ってもらって構わないと、前置きされた。 

 今は島川社長の顔ではない。少年に見えた。しかし、境目がなくなりつつあり、中間に思えることが増えてきた。融合しているのか。困った兄貴として受け入れられて、安心できる場所を見つけた。だからこそ力になりたいと言われた。

「いきなりステージを下りるよりも、ステップを踏むのはどうだ。モデルをやらせないか?以前から話していた通り、欲しい人材だ。仕事が途切れなくて丁度いいだろう。モデルの仕事をさせたことがあったなら、想像しやすいだろう」
「そうか。その道もあるのか」
「悠人君と一緒に。ブランドは違うけど……」

 一緒に仕事が出来るなら喜ぶだろう。雑誌の撮影なら、身体に無理がかかりづらいそうだ。徐々にシフトして、元の生活に戻す。俺だけでは思いつかないことだ。

「ああ……」

 すると、親父がドアの方を見た。振り返ると夏樹が立っていた。笑顔を浮かべているから安心したが、すぐに違和感を持った。本心ではないことを話そうとしているようだ。

「どうした。おいで」
「俺、ステージから下りるよ。モデルとしても上がりたくない。お兄ちゃん……。せっかくの話だけど……」
「夏樹。泣いているのか」
「泣いてないよ……」
「こっちへおいで」

 肩を抱いて室内へ促した。涙の跡があり、目が腫れてもいる。母の話していた通りの姿だ。そう簡単に納得いくわけがない。俺のための選択だ。分かっていることだ。それに甘える。 

 夏樹が唇を噛んで立ちすくんだままだ。肩を揺すっても反応がない。ソファーへ座らせた後、目の前にしゃがみ込んだ。何も話してくれない。嗚咽を堪えている様子もない。床の方を見ているだけだ。

 俺が笑顔を奪い取ったのか。何をやっても駄目だと自覚した。何度、同じことを繰り返してきたか。その度に許された。

 今回は未来が掛かっている。何も譲るつもりはないし、恨まれてもいい。いずれは笑顔を向けてもらえるだろう。次の瞬間かもしれない。ただし諦めの意味としてだ。それでもいいのか?胸が痛み続けた。

「夏樹。ベッドへ戻ろう。すまない」
「ううん。仕方のないことだよ。誰でも選択することだよ。怪我をしたら、試合に出られないのと同じことだから。俺だけの考えで動いた結果、ショックを受ける人がいるもん。諦めたいから、ステージには上がらない。モデルもやらない。元の俺に戻る。表舞台に出ないタイプに……」
「夏樹……」

 未来も奪い取ったと思い知った。引っ込み思案やカメラ嫌いも乗り越えたのは、歌手としての道のためだ。それが無くなった後は、絵本や商品開発の道がある。ただし穴を埋めることにはならない。

「圭一。やらせてあげなさい。医師から止められていない。ステージは身体に気をつけてやると、守っているじゃないか。倒れることがなくなった」

 父が傍らに腰かけた。今の活動を最後まで務め上げた後で選択すればいい。IKUや悠人達と話し合い、待ってもらえと。昔、母のことをやめさせた人間の言うことか?父が変わったなら、俺もそうなれるのか。

「夏樹ちゃん。下りる決心がついたなら応援する。こういう時に決めない方がいい。あとで後悔する」
「親父、決心を鈍らせないでくれ。迷いが続くだけだ。モデルが嫌ならやらせない」
「黒崎さん……。本音では歌いたいよ。どんな形でもいいって思っていたけど……。悠人達とやりたいんだ。それを諦めるために、ヴィジブルレイをやり遂げたい。あんたがOKって言わないとダメなんだ。言いなりってことじゃなくてさ……。相談し合って決めるからだよ。たしかに決心が鈍るけど。今のままでは止めたくない!」

 今度は真っ直ぐに俺の方を見た。泣き腫らした目元をしながらも、元通りの姿に戻った。これを奪い取ることはできない。誇りまで失くす結果になる。

 俺のことを見つめる姿を前にしては、否とは言えない。それでも譲れない思いが強い。往生際の悪さを披露しそうだ。一歩の先に後悔する結果、そうさせずに後悔する未来。天秤に掛けても答えがでない。だからこうした。この子の意思に任せると。俺が守るのには違いない。

「最後までやれ。守ってやる」
「黒崎さん。ありがとう……」
「やっと笑ったか。もっと笑え」
「もっと後で……」
 
 帰宅後、夏樹の初めての笑い声を耳にした。それは心からの笑顔だ。やっと取り戻すことができた。この先も失われることがないように、他の道を作っておこう。

 客間へ戻った時、晴海兄さんからのメッセージが入った。どの道を選ぼうが、何時間でも話を聞く。そのつもりで訪ねて行くぞと。俺のことを気遣われた。お見通しなのか。

 早く寝ろと夏樹をベッドへ促して、寝付くまで見守った。今できるのはこれだけだった。
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