青い月の天使~あの日の約束の旋律

夏目奈緖

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 一貴さんは一人暮らしが長かった。プラセルの仕事が忙しくて、家に帰ってから食べるのはざるそばばかりだった。乾麺を茹でて水で冷やして、めんつゆと冷凍ネギとチューブのわさびをかけて、ぶっかけざるそばで食べていたそうだ。キッチンでさっと作れるし、食べる時間もそう掛からない。そういうわけで選んだ食べ物だったそうだ。そして、いつしか自分にとって大好きな食べ物になり、そればかり食べている。

 食事メニューにも一貴さんの希望が入っている。週1回は必ずざるそばの日がある。栄養失調で倒れるまではその回数は多かった。部屋にはキッチンがついているから、自分で作って食べているときもある。お義父さんはそれを聞いて、遠慮せずにお手伝いさん達に頼むと良いと言っていた。だから、それを聞いた時も、ああ、遠慮をしているのだと思った。

「カズ兄さん。山崎さん達にざるそばを作ってもらうのを遠慮しているんだろ?」
「ああ。僕が家に居るときは食事時間がまちまちになる。なんだか悪い」
「そんなことはないって、山崎さん達が言っていただろ。部屋のキッチンで作るのは偉いけど、変なところで遠慮しなくて良いよ」

 一貴さんが家で仕事をするときは、食事時間を決めていない。お腹が空くタイミングがその時によって違うし、気分が乗っているときには食事を取らない。そこで、部屋で食べているのだという。しかし、そこには遠慮が入っていると思った。

 一貴さんは言いたいことを言うようで、そうでもない。態度だって大きそうであって、そうでもない。俺との初対面の時は意地悪な人だと思ったが、付き合いが続く度に、そんなことはないと思うようになった。ピュアで傷つきやすくて、人に気を遣っている。そんなことを思うと、一貴さんのことが愛おしくなった。

「カズ兄さん。ほら、ブイヤベースを食べろよ。いくらでもこぼしてもいいよ。俺が拭いてあげるからね。うっうっ」
「どうしたんだ?泣きそうになって……」
「カズ兄さんの繊細なところを感じて泣けてきたんだ。でも、ズボンにはこぼさない方がいいから、やっぱりテーブルにくっついて食べると良いよ。はいはい」
「分かった。言うことを聞く」

 俺はもう一度立ち上がって、一貴さんの椅子を押した。そこで、一貴さんの身体がテーブルにぴったりとくっついた。すると、一貴さんは嫌がらずにそのままで居てくれた。そして、俺が見守っている中、ブイヤベースを口にし始めた。

「どう?美味しい?」
「ああ。とても美味しい。この店は魚介系が評判なんだ。目利きの商店から材料を仕入れていて、それを熟練したシェフ達が調理している。前に一度ここに来たときにちょうどブイヤベースがなくて、食べたいと思っていた」
「そうだったんだね。次はピザが運ばれてくるよ。お腹が張るメニューだね。前に来たときも六槍さんが選んでくれたの?ここのお店……」
「ああ、たしかそうだった。……六槍君。ここの店は前に来たときに、君が選んでくれたんだったか?」
「いえ。朝陽君が選んでくれたんです。さすがは若い子で、ピザとパスタを選ぶんだなって思いました」
「そうだったか」

 一貴さんが六槍さんに声を掛けて、話しながらハマグリを食べ始めた。すると、貝殻がテーブルの上に落ちた。一貴さんはそれをお皿に戻そうとした。そこで、俺が止めた。ナプキンの上の置けばいいからだ。

「まだ食べているからさ。ここに置こうよ」
「ああ。そうだな。今度こそ、落とさずに食べたい。さあ、ゆっくり食べるぞ」
「うん。そうだね。あ……」
「ああーーー、しまった」

 カランカラン。一貴さんがハマグリの貝殻をまたテーブルの上に落とした。なんて不器用なのかと思って吹き出して笑いたい気持を堪えた。ミシンを使ったらとても器用なのに、他のことでは本当に不器用だ。特に食事の時に顕著に表れる。こんな状態なのに普段の会食の席では大丈夫だということは、やっぱりヨークが居たからだろう。そこで、呼んでみようかと思った。

「ヨーク、いるかな?なんちゃって……」

 水端さんと枝川さんに聞こえないように小さな声で呼んでみた。しかし、一貴さんに変化は無い。気を付けてハマグリを食べている状態だ。水端さんは飯野さんと話しながら笑顔でいる。一貴さんの状態を馬鹿にするなんてなくて、時々、こっちを見て微笑んでくれた。
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