聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 ガーーーー。

 後部座席にあるモニターを見ていると、朝の情報番組が流れ出した。デビューステージの舞台裏が紹介されているから長谷部さんに聞くと、4月発売予定の楽曲CDの封入特典に使う分だそうだ。早くも宣伝が始まっているのか。流れが速くて頭が追い付かない。

 タイトルは”天国から遠く離れて”だ。もしかすると、英語表記に決定するかもしれない。佐久弥はそうしたい意見だ。この楽曲にはside1があり、佐久弥の作詞によって、ディアドロップ名義で発表済だ。今回はside2、続編という位置で発表する。作詞は夏樹と佐久弥の共同だ。

 しかし、トラブルが起きそうな気がしていると、長谷部さんが言った。元ディアドロップのボーカルのEMIRIが佐久弥に対抗意識を燃やし、ディアドロップの時から突っかかってきていた。今回のプロジェクトも妨害してきた。この楽曲を発表すれば難癖をつけてくるに決まっている。それがIKU側の意見だ。発売はする。そういうわけで、本来夏樹が作詞をするのだが、佐久弥との共同作詞にしておくそうだ。盾になるために。

(IKUは大きなレコード会社なのに。EMIRIさんだけで邪魔ができるのかな?佐久弥の方が人気があるし、人望が厚い。ジャンルが違うのに。EMIRIさんは切なくて綺麗なメロディーラインと歌詞だもん。佐久弥は月にウサギは住んでいませんだもん。かぶらないのに……)

「悠人君。考え事?収録が怖い?」
「ううん。平気だよ。EMIRIさんの件。どうしてかなって。わわわ、ここでもNGだね」
「そうよ。関係していると思われる」

 約束事がある。ここにいない人の名前を出すべからずだ。いいことでも。夏樹と佐久弥の名前はOKだ。親しくさせてもらっている植本さんの名前もNGだ。一緒にいる人が悪意に受け取って、妙な噂を流されるのを防ぐためだ。

「悠人君。ポジティブの呪文を唱えなさい」
「はい。ミュージシャンとしてやることをやった。結果は次への参考だ」
「よーし。……佐伯家に到着。出てくれているわ。ちょっと待ってね」

 長谷部さんが窓を開けて誰かに声をかけた。しかし、誰もいない。俺も窓を開けようとすると、いきなり目の前に出てきた光景に悲鳴をあげた。スモークガラスに顔が張り付いていたからだ。

 この顔の主は佐久弥だ。わざとやっている。おかげで窓に跡がついている。そばには弟の理久もいる。自分の家の門の前でやることか?いや、31歳がやるのか?そうツッコミたいが、面倒くさいからやめておこう。

 ガーーー。

 勝手知ったる何とやらで、佐久弥たちが乗り込んできた。理久も一緒に行くという。うちの大学で研究発表会があるからだ。すると、長谷部さんが俺達に振り向いた。スニーカーを脱ごうとしている。毎日の習慣をやるのか。

「慌てて出てきたから。佐伯さん、構いませんか?」
「どうぞーー。気にせずに。俺もやりたい。貰ってもいいですか?」
「もちろんです。はいどうぞ」
「ありがとうございまーーす」

 2人が靴を脱いだ。ウェットティッシュで丁寧に足裏をふいて、指の間も綺麗にした。ツメは切りそろえられているし、かさかさしていない。これは縁起担ぎのひとつだ。

 ミュージシャンは人気商売だからこそ、悪い運気を避けておきたくてやっていることだ。長谷部さんが担当すると人気が出るし、ずっと一線で活躍しているというジンクスがある。俺たちにはやらさない。支える役の人間がやるというこだわりを持っている。

 しかしながら、夏樹は気にせずにやっている。すっきりして気持ちがいいという理由だから、長谷部さんがOKした。佐久弥は直感で決めている。

 俺はどうか?バンドの縁の下の力持ちとして、足を拭かないことに決めた。多少は泥がついていないと地面になじまない。

 わいわい話している間も、理久はマイペースを保っている。蔵之介さんが作ったお掃除ロボを見せてくれた。俺にもプレゼントされたが、いまいち上手く使えない。

「使い方のコツを発見したんだ。狭い所は苦手だからね。広い場所がいいよ」
「ふむふむ。あの小さなボディーでは時間がかかるよ」
「ぎゃははは。クラの作るものは詰めが甘い」
「お兄ちゃんが邪魔するからだよ。悠人君は、“ひいい兄さん”って、ファンから呼ばれているんだって?ひいいいっ、だから?」
「ふむふむ。物怖じしないキミをリスペクトするよ」

 理久はストレートにぶつけてくる子だ。何もかにもではない。空気を読みまくっている。俺の前では打ち解けているから、容赦なく何でも口にする。それが嬉しい。

(夏樹も引っ込み思案だけど。理久も負けていないなあ。佐久弥とは大違いだ……)

 並んで座っている男へと視線を向けた。子供の頃は大人しかったらしい。とても想像ができない。それは俺も同じだ。ネガティブの塊が崩れて、いい方向に進んでいる。
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