聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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2-6(早瀬視点)

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 22時。

 レストランを出た後、ホテルの敷地内を散歩しようと話した。思いがけないプレゼントに嬉しさが込み上げて、赤くなった顔を誤魔化すだめに。キスをしそうになった。店内でそれをやれば、口を聞いてもらえなくなる。気持ちを抑え込んでいた。

 あの後、悠人は3皿分の料理を食べた。さすがに満腹になり、動けなくなった。ホテルのロビーで休憩させた後、やっと外へ出て来られた。そして、このままタクシーに乗り込むのは勿体ないと思い、夜の散歩に出た。

 空には満月が輝いている。しかし、ここからは霞んで見えている。仕方がないのか。箱根に行けばよく見えるよねと、悠人が笑った。出会った頃に連れて行った場所だ。なんとか気を引きたくて、あの手この手を考えていた頃だ。

「今年の5月で、出会って2年経つのかー」
「そう考えると早かったね。あの時、しつこくした甲斐があったよ」
「ホントだねー。ああもしつこくされて、嫌じゃなかったのが不思議だよ」
「あああ……って、言わないのか?めずらしい」
「言わないよ。ああでもしないと、前に進めなかったし。裕理さんからドアをノックされても、顔だけしか出していなかったし」
「そうだったね。俺の場合も同じだ。君からトントンとやられて、ぶち破られた」
「クルクルステッキ・最大量ー!だね」

 悠人の横顔を眺めた。まるで中学生のようだと、錯覚したことがある顔立ちをしていた。それは、ふとした時の表情だった。寂しそうで放っておけなくなった。そこで腕の中に入れると、”きいいいいっ” と怒り出して、逃げて行った。それを追いかけて行くと、たまに立ち止まってくれた。恋人同士になっても、お互いに距離があったのは事実だ。自分が姿を隠していたからだ。ドアの向こうにだ。

(……コンコン、裕理さん。居るのは分かっているんですよ)
(……悪いことをした人みたいだね)

 あのやり取りが懐かしい。あれから自分たちは変化した。悠人はずっと大人になり、競争の中に飛び込んでいった。昔のままなら、たちまちヘコんでいただろう。たとえ演奏技術があったとしても。それだけの心の強さを手に入れた。支えようとした自分も、いつの間にか成長した。

 毎朝、カラーコンタクトを装着していた。使えば明るい茶色の瞳になった。今では素のままだが、誰も何も言わない。眼鏡をかけているからなのか、オフィスの誰もが気づく素振りがない。それを悠人に話したことがある。

(……裕理さんのカラーが定着しているからだよ。見かけても、早瀬代理だなあって。そう思うんだよ!)

 ああいうことが言えるようになったのか。閉じこもっていた悠人が、誰かのドアを開けている。本人は気づきもしてない。ただ相手のことを思いやっての行動だ。

「裕理さん。目を見せてよー」
「いいよ?どうしたんだ?」
「月の下で見せてよ。綺麗なんだもん。楽曲の構想が浮かぶんだ。いいところなんだ」
「へえーー」
「黙っていてね?曲が浮かんでいるんだ」

 悠人は真剣な様子だ。さっそくフレーズを口ずさみ始めた。さっそく構想が浮かんだのか?ここで悪戯心が芽生えてしまった。

 怒り出すだろうか?厄介なことになるだろうか?心の中で迷った結果、悪戯したくなった。全く関係のないフレーズを口にしてやった。

「ダダダダーー」
「もうーっ、消えたよーー」
「ダダダーー、ララッラララー」
「消えただろーー。きいいいいっ」

 バシバシと、俺のことを叩きつつも笑っている。さっきは照れ隠しの口実だったのかも知れないと思った。近づきたいなら大歓迎なのに。

 どんなメロディーだ?そう問いかけると、あるフレーズを口にした。“近くにいても、遠くても想っている。あなたが心のドアを開けた”。そういう歌詞だ。

「”心のドア”だね。知っているのが意外だ」
「夏樹のお気に入りなんだよ。高校の先生の結婚式でも歌ったんだって。別れの歌じゃないし」
「そうだね。どこにいても好き。隣に居ても想っている。そういう歌詞だったか」
「うん。今度の音楽番組の収録で、勅使河原さんがゲストに呼ばれているんだ。心のドアを作詞したボーカリスト。共演できるって、夏樹が腰を抜かしてたよ。それが悔しかったんだー。俺の楽曲が一番だって、言ってほしかったんだ。へへへ」

 大先輩にかなうわけがないと笑っている。こんなことを口にするようになれたのか。
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