夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 23時半。

 旅館の部屋へ戻り、年越し恒例の歌番組を見ている。実家ではこうして過ごしていた。今では黒崎と過ごす様になり、隣り合ってテレビを観るのが、当たり前になっている。

 飲んでいる番茶の匂いが落ち着く。庭に面している障子を開けたままにした。大きなテラス窓の向こうには、小さな灯りがついた庭が見えている。白っぽくなった木や、元気に生えている草花がたくさんある。耳を澄ませば、本館からの僅かな声がする程度だ。するとその時だ。歌番組のラストになり、赤白チーム対抗の結果が出た。

「ああ~、赤チームだったか~」
「去年は白だったのか?」
「そうだよ。黒崎さん、お酒を飲んで寝ていたから、見てなかったよね?今夜はイチャつくって話していたのに」
「そうだったか?」
「……くしゅんっ」

 今は微熱程度が出ている。持ってきた風邪薬を飲んだから平気だ。さっさと寝ろと言われつつも、年越しの瞬間に黒崎の下の名前を呼びたいから起きているわけだ。黒崎も分かっている。

 この部屋の隅には、仲見世で買ってもらった物が置いてある。観光地Tシャツや、個装密封のお菓子もある。お土産が揃った。明日帰るのは寂しいと思っている。

「そろそろ、除夜の鐘が聴こえてくる時間だ」
「とうとうだね~。テレビでしか聞いたことがないんだよ。108つを数えようか。黒崎さんの煩悩の数だよ」
「まとめて一つしかない。45分頃から突き始めて、最後の108回目の鐘は、年が明けてから鳴らすそうだ。新しい年が煩悩に煩わせない様にという意味だ」
「へええ、調べてくれたんだね。……聞こえてきたよ!」

 ボーン……ボーン……。

 黒崎の肩にもたれ掛かって、鐘の音に耳を傾けた。すると。規則正しいリズムの中で、眠気が起きてきた。ここで寝るわけにはいかない。テレビ画面には寺が映っていて、そこに集まった人たちも、除夜の鐘を聴いている。

「あ……、23時59分!」
「新年を迎えるぞ」
「うん……」

 108つ目の鐘がつかれたという、静かなアナウンスが流れた。

「『新年を迎えました。参拝客には……ふるまわれ……新しい一年の……』」

 テレビからの音声が新年を告げた。その直後に、ここの寺からの鐘の音が響き渡った。とうとうこの時間がやって来た。やや緊張しながら、黒崎へ向き直った。

「改まってどうした?」
「うーん、大事な瞬間だよ……」
「そうか……」

 黒崎が苦笑している。これから何を言い出すのか分かっているようだ。すうっと深呼吸をして、名前を呼んだ。

「圭一さん、明けましておめでとうございます」
「ああ……」
「何か返事をしろよ~」
「ありがとう……」

 何も前触れもなく抱きしめられた。

 トクトク……。

 お互いの心臓の鼓動と、テレビからの音声が聴こえた。どのくらいの時間が経ったのだろうか。黒崎がため息をついた。

「これで満足した。これからも黒崎さんと呼べ」
「ええ?なんで~?」
「さっき寂しそうな目をしていた。飽きた頃に呼んでくれ。一生このままでも構わない」
「だめだよ。ケジメって言うか……。約束したんだから」
「実際に呼んでもらった時に思ったことがある。信じられる相手かそうでないかで、下の名前で呼ばせるのを選別するのは可笑しな話だ。プライベートでは必要がないことだ。……これは俺が作っている、心のドアだ」
「黒崎さーん……」
「その呼びの方がいい。落ち着く」
「俺も同じだよー」
「俺は臆病な人間だ。傷つけられる、裏切られるぐらいなら、初めから遠ざけようとしていた。もしかすると、拒んでいた相手の中には、友人になった奴もいるかもしれない。狭い視野で相手を見ていたということだ。だから俺には人が集まらないと自覚した。そのことに気づかせてくれて、ありがとう」
「自分のことを、そんな風に言わないでよ……」

 喉の奥に違和感が起きた。こみ上げてくる想いと嗚咽が混ざって、うまく言葉が出せない。
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