夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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16-1 バレンタインのイベント

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 2月14日、木曜日。午前5時半。

 まだ外は真っ暗い。スープ鍋からの湯気を見てほっこりした気分になりながら、歌声をあげた。毎朝の習慣になっている。うちわをマイクの代わりにすることもだ。

「今日はバレンタインデー、俺はチョコが苦手ーー、食べられないー。黒崎さん宛のものはー、沙耶さんへ渡すーー、メッセージカードが入っていたらーー?」

 黒崎がキッチンへ入ってきた。柑橘系のボディーソープの匂いがしている。背後から軽く抱きしめたままで頬にキスをしてくれた。今日は長めで念入りだと思う。

「黒崎さん。おはよう」
「……おはよう」
「念入りだね~?どうして?」
「朝から機嫌を取っているからだ。仕事関係者からのチョコレートは拒まないぞ?」
「それは分かっているよ。お世話になっているんだし。お返しを買いに行くよ」
「食事に誘われるのは、社交辞令のうちだ」
「言い逃れが上手くなったよね?」
「そうか?本当のことだ」
「ん……」

 深いキスを受け取った。キッチンカウンターへ体を押し付けられて、エプロンの中へ手が忍び込んできた。ここまで機嫌を取る必要があるということだ。このままでは支度が遅くなってしまう。黒崎の体を押して、ソファーへ連れて行った。

「はいはい。もうすぐ出来るからねー」
「手伝う。可燃ごみの日だろう。行ってくる」
「もう出してきたよ」
「そうか」
「うん。そうだよ~」

 昨日から、ご近所さんがチョコレートを届けに来てくれている。ゴミを出しに行ってもらうと、いつ帰ってくるのか分からない。

 今日は黒崎製菓主催のバレンタインイベントに遊びに行く。賑やかな方が人が集まってくるからと、社員の家族に声がかけられた。しかし、黒崎からは止められていた。人が多いところへ行くと、風邪を引くと言って。そこで、ますます体が弱くなると言い返して、悠人と一緒に行くことにした。

「パンにバターを塗ってくれる?」
「ああ、やる」
「その後で珈琲を注いでね」
「ああ、分かった」
「うへへ……」
「なんだ?」
「慣れた手つきで塗っているね。さすがだよ」
「そうか?」
「うん、そうだよ!」

 ほんの一言褒めただけなのに、黒崎が上機嫌になった。他に手伝うことはないかと言うから、あれやこれやと頼んでやった。最後まで嬉しそうにやってくれた。

 今朝の朝ごはんのメニューは洋食系にした。トーストと温野菜サラダ、プレーンオムレツ、具だくさんのスープだ。普段と変わらないし、向かいに座っている人の姿も同じだ。塩コショウがききすぎていると文句を言われて、それに対して言い返しながら食べている光景も変わりない。ホッとする。

「悠人君が一緒にいるだろう?」
「うん、その予定。どうしたの?」
「二葉が遊びに行くかも知れない。紹介してやってくれ」
「もちろんだよ。大学の友達の絵里奈ちゃんも紹介するよ。女の子の友達も欲しいだろうから」
「……助かる。しかし、二葉は男相手の方が気が楽そうだ。女の子が相手だと遠慮がちだ」
「そうなんだね。朝陽君の合格が決まったら遊びに行こうよ」
「そうしようも……」
「楽しそうだね?」
「事情があるが、悪くない」
 
 朝陽が受ける大学の試験が迫っている。合格圏内だと聞いている。二葉は都内の大学へ入り直す選択をした。今からだと来年の受験になる。それまでの間を受験勉強だけに充てるのか、黒崎製菓で働くのかは話し合い中だという。
 
「黒崎さん。妹と弟ができたね。俺は養子だけど」
「もういらない」
「何てことを言うんだよー」
「世話のかかる子が増えた」
「ふふん。世話好きなくせに」
「……」
「否定してみろよー?」

 テーブルの下で足を蹴ってやった。蹴り返されるタイミングで、黒崎がテレビへ視線を向けた。朝の情報番組が始まった後、コンテストの映像が流れた。IKUの宣伝用に撮影していた分だろう。
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