夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 12時半。

 ホテルの3階にあるレストランに着いた。ほぼ満席だ。パーク内はにぎやかだったのに、店内に入ると急に静かに感じた。お客さんは大人ばかりで、落ち着いた雰囲気だ。通された席は大きな窓のそばで、パーク内を見渡すことができた。食事を楽しみながら、外の景色を眺めて笑い合っているカップルがいる。

「いいなあ。こういうのって……」
「料理がきたぞ。ボリュームが多いか?」
「食べられるよ。わあ~、ありがとう。美味しそうだね」

 黒崎は肉料理をメインでオーダーした。俺は魚料理がメインだ。黒崎としては足りないから、追加オーダーをした。歩き回るから控えめにしても、軽く2人前を食べている。ここが個室なら、俺の分も食べているところだ。

「このマグロも、前菜の鯛も美味しいよ~」
「今日は無理をしなくていい。よく食うようになったじゃないか」
「学食でも意識して食べているんだよ。半分ぐらいは、悠人に食べてもらっているけど」
「いい子だ」
「うん……」

 テ―ブル越しに向けられた眼差しが優しい。落ち着いた声のトーンや話し方は普段通りなのに、今日の黒崎は雰囲気が違う。甘くて優しい。ベッドに居る時のようだ。カジュアルな格好をしていても、ダラッとした感じはない。ポロシャツから見えている首筋からは、大人の色気が漂っている。見惚れていると、黒崎からも見つめられた。一気に顔が熱くなった。まるで付き合いたての恋人同士だ。

「そんなに見るなよ」
「いけないのか?今日のシャツが似合っている。その色味を選んで正解だった。お前には大人びているかとも思ったが……」
「着やすいから気に入ったよ。ありがとう」
「そのブランドが似合うようになったか」

 黒崎がため息をついて笑った。テーブル越しに伸びてきた手が前髪をかき上げた。そして、そっと左側の傷跡に触れられた。まだ3センチほど傷が残っているけれど、前髪で隠れるぐらいだ。

 黒崎が悲しそうな顔になった。傷のことだろうか?倒れたことだろうか?それとも両方か?しんみりした顔をすると、心配をかけるだろう。

「服でクローゼットが満杯だよ。俺が買ってきた服が入らないんだよ~」
「……似たようなデザインを集めるからだ。トラの顔Tシャツは何枚あるんだ?」
「全部で10枚だよ。浅草パーカーが3枚。観光地バンダナは10枚。オールシーズン対応だから、年間でみると枚数は多くないよ」

 どれも評判がよくて、大学ではカッコいいと褒められている。黒崎には笑われているが、やめる気はない。誰もやっていない格好だし、気軽に買えるもので個性を出すのは良いことだと思う。

「自分のファッションをやめる気はないよ。あんたは気に入らなくてもね」
「そういうところが……」
「可愛げがないって~?」
「そう意味じゃない。媚びないところだ」
「ふん。言い訳しても遅いよ」

 頑固なのはお互いさまだ。少しぐらい変だと言われたぐらいで、やめる必要はない。かしこまった場所では服装を変えているし、今のところ困っていない。黒崎からは見つめられたままだ。さっきまでの悲しそうなものではなくて、笑っているから安心できた。どうも照れくさいから、視線を落としてパスタを口に運んだ。さっぱりしたソースが気に入って顔をあげた。

「黒崎さん。このパスタソースが……」
「照れているのか?出会ったばかりの頃のようだ」
「な、何を言ってんだよ~っ」
「可愛らしさは同じだ」

 こういう甘い会話はベッドでしかしていない。起きている時は生活感丸出しで、ムードの欠片もない。黒崎の方こそ戻っている気がする。細めた目元からの色気を感じてしまった。

「黒崎さん……」
「どうした?」
「目を逸らしてよ~」
「だめだ。このままだ」
「パスタを食べたいんだよ~」
「食えばいい。俺は見ているだけで何もしてない」
「誘惑してるじゃん……」
「20歳おめでとう。大人同士として向かい合っている」
「変な冗談をやめろよ~」

 顔が熱くなりすぎて肌が渇いてきた。テーブルに置いてあるオシボリを顔に当てた。さらに魔力に抵抗するために顔を覆うと、優しく名前を呼ばれた。

「……夏樹君」
「やめてよ~っ」
「君に嫌われたくない。そんなこと言わないでくれ」
「黒崎さんっ」
「……夏樹。こっちを向いてくれ」

 テーブルの上で手を握られた。現在の黒崎なのに、やっていることは昔の仕草だ。左手の甲に唇で触れながら、俺の方を見た。

「俺は変わっていない」
「うん……」
「今日のような日は許してくれ」

 もう限界だ。クラクラするような甘い眼差しに降参してしまった。降参したところで何かあるわけではない。見入られて動けない状態で、テーブル越しに囁かれた。そして、その内容を聞いた結果、我に返ることができた。しばらく口を聞きたくない。
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