夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 午前9時半。

 通学の電車に乗っている。もうすぐで大きな駅に到着する。なるべく端の壁際に立っているが、今日は人が多くてスペースが無く、出入口の近くに立った。この時間はラッシュから外れているから、普段は混雑していない。

「ああ……」
「すみません……」

 人波が押されてきて、お互いに謝り合った。そばにいた男性や女性も同じ反応をした。どうやら後ろの方で、誰かに押されている人がいるようだ。珍しいことだ。すると、駅に到着した。ここでは大勢が下りる。立っているより、降りる人の波に従って、一度降りた方がいい。すぐに乗り直せばいいからだ。

「どうしたんだろう?まあいいか……」

 一旦下りて、また乗る人の列の後ろに並ぶと、構内の大きなポスターが目に留まった。ロックバンドのもので、佐久弥が写っていた。まだ時間があるから見ていこうと思った。

「わああ。大きなポスターだなあ。ロックフェスがあるんだ……」

 それは夏に開催するイベントの告知だった。ベテルギウスのメンバーもいる。主催はIKUエンタテイメントと出ている。悠人は知っているかもしれない。今日は経済の授業で一緒になるから、聞いてみようと思った。

「面白そうだな~。誘ってみよう」

 そろそろ電車に乗ろうと思い、ホームの方を振り返った。多くの人が列になって車両に乗り込んでいる。自分もあの波に乗ろうとした時、自然と足が止まり、踏み留まった。先に進みたいのに、足が動かない。

「あれ?どうしたのかな?」

 どこも痛くないし体調も悪くないのに。体全体が痺れている感覚が起きて、目の前の光景が、スクリーンの中のように見えた。いつもと同じ日常があるのに、行きたくないと思った。あの電車に乗りたいのに。

「こんなの初めてだ……」

 素行の悪かった中学時代でも通学していた。勉強が好きだし負けてやらないという意気込みで通っていた。それは高校時代も同じだ。黒崎と出会った後は通学自体が楽しくなった。今は違う理由だ。友達がいるから楽しい。
 
「行きたくない……。なんで?」

 これは困った。何の理由もないのに拒否しているようだ。たしかに学部選択のことで迷っているけれど、それは焦っている程度だ。まさか音楽活動のことか?佐久弥との話で前向きになり、黒崎ともよく話した。もう迷いはないのに。歌をやりたいという意思があるのは変わらない。

「どこかで座ろうか……。この辺にカフェがあったよね……」

 悠人が乗っている電車も、この駅を通過する。たまにここで降りて、マリーズカフェに寄っていると話していた。もしかしたら会うだろうか?

「悠人に会えたらいいなあ。そうタイミングがいいわけが……あれ?」

 すると、近くの階段の方から、お馴染みのフレーズが聞こえてきた。ひいいいいっと。見に行くと、悠人が階段でよろけていたから助けに行った。
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