夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

文字の大きさ
264 / 348

22-7

しおりを挟む
 ここに来ている人から教えてもらった場所へ向かうと、観測会をやっている広場に出た。視界を遮ることがない小高い場所に2人で立った。富士山のシルエットが見える。

 雲間から差している月明かりで、夜空が深い青に見えた。そこには夏の大三角が浮かんでいた。天の川をはさんだ対岸で見つめ合う、織姫と彦星がいる。

 すると、黒崎から両腕が回されて抱きしめられた。少し見上げると目が合い、自然と顔が近づいていった。このまま寄り添うように立っていると、耳元でブーーンという音が聞こえてきた。蚊だ。虫よけスプレーをするのを忘れていた。この生活感丸出しの光景は、いつも我が家のものだ。ホッとするような寂しいような。

「痒いよ~。虫刺され薬があってよかった。俺より、黒崎さんの方が、体温が高いのにね。刺されていないよね?」
「俺はガキの頃から刺されない。拓海兄さんが標的になっていた」
「子供の方が刺されるイメージだよ。肌が弱いし柔らかいし。その頃から虫にも怖がられていたんだね。虫にも危機管理能力があるのか~」
「なんだと?」
「生存本能だよ。何するんだよ~。本当のことを言っただけじゃん」

 頬をつねられて引っ張られた。さらに下唇をつままれたから、ベンチから立ち上がって逃げてやった。この満天の星空の下で、35歳と20歳のカップルが歩いて追いかけっこを始めた。黒崎が走らない程度に追いかけて来ている。

「夏樹。こっちに来い」
「やだよ~。身軽なのは俺の方だよ!」
「足は速くても反射神経が鈍いだろう」
「ふん。その通りだよーっ」
「そっちは暗い。苛めないから戻って来い」
「ふん!」
「可愛いからだ」
「えー?なになに?」
「……捕まえた」
「わあーー」

 伸びてきた手に引っ張られて、黒崎の胸に抱き留められた。すると、耳元で低い声が響いた。アンタレスが観えているぞと。夏の南の空に赤く輝いている、俺たちの好きな星だ。

「アンタレスが観えている」
「うんっ。南の方だね……」

 夏が訪れる手前の夜は蒸し暑い。ここは山頂近くだから気温が低い。背中越しに伝わる体温を感じながら、同じ向きで見上げた。言葉を交わすことなく見上げている間、お互いの鼓動と息づかいだけが聞こえていた。話さなくても伝わる気持ちがある。

(黒崎さん。ありがとう……)

 そろそろ帰ろうと促された。黒崎の腕にすがりつくようにして、ロープウェイ乗り場を目指した。明るい建物と自動販売機が見えてきた。ザワザワという話し声が聞こえてくる。俺たちと同じように、帰り支度をしている人達がいた。

 現実的な世界に戻った途端に照れくさくなった。黒崎の足元を軽く蹴って、そそくさとロープウェイ乗り場へ行った。

「夏樹。走るな」
「うん」

 つい小走りになっていたから止まった。ゆっくりと黒崎が近づいてくる。リラックスしている姿だ。付き合い始めの頃は外に行くときはスーツ姿がほとんどだったのに、今ではラフな格好をしている。お互いに変化している。それだけの月日を一緒に過ごしてきた証だ。

「黒崎さん。今日はありがとう!」
「どういたしまして。俺もリフレッシュがしたかった」
「プロモーションビデオ撮影を頑張るよ」
「そう気負うな」
「うん」

 すっかり俺は元気になり、黒崎の手を握って引いた。さあ、帰ろうと。俺達は同じ家に帰る。この幸せを感じながら、帰路についた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

王様のナミダ

白雨あめ
BL
全寮制男子高校、箱夢学園。 そこで風紀副委員長を努める桜庭篠は、ある夜久しぶりの夢をみた。 端正に整った顔を歪め、大粒の涙を流す綺麗な男。俺様生徒会長が泣いていたのだ。 驚くまもなく、学園に転入してくる王道転校生。彼のはた迷惑な行動から、俺様会長と風紀副委員長の距離は近づいていく。 ※会長受けです。 駄文でも大丈夫と言ってくれる方、楽しんでいただけたら嬉しいです。

【完結】ホットココアと笑顔と……異世界転移?

甘塩ます☆
BL
裏社会で生きている本条翠の安らげる場所は路地裏の喫茶店、そこのホットココアと店主の笑顔だった。 だが店主には裏の顔が有り、実は異世界の元魔王だった。 魔王を追いかけて来た勇者に巻き込まれる形で異世界へと飛ばされてしまった翠は魔王と一緒に暮らすことになる。 みたいな話し。 孤独な魔王×孤独な人間 サブCPに人間の王×吸血鬼の従者 11/18.完結しました。 今後、番外編等考えてみようと思います。 こんな話が読みたい等有りましたら参考までに教えて頂けると嬉しいです(*´ω`*)

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

異世界で聖男と呼ばれる僕、助けた小さな君は宰相になっていた

k-ing /きんぐ★商業5作品
BL
 病院に勤めている橘湊は夜勤明けに家へ帰ると、傷ついた少年が玄関で倒れていた。  言葉も話せず、身寄りもわからない少年を一時的に保護することにした。  小さく甘えん坊な少年との穏やかな日々は、湊にとってかけがえのない時間となる。  しかし、ある日突然、少年は「ありがとう」とだけ告げて異世界へ帰ってしまう。  湊の生活は以前のような日に戻った。  一カ月後に少年は再び湊の前に現れた。  ただ、明らかに成長スピードが早い。  どうやら違う世界から来ているようで、時間軸が異なっているらしい。  弟のように可愛がっていたのに、急に成長する少年に戸惑う湊。  お互いに少しずつ気持ちに気づいた途端、少年は遊びに来なくなってしまう。  あの時、気持ちだけでも伝えれば良かった。  後悔した湊は彼が口ずさむ不思議な呪文を口にする。  気づけば少年の住む異世界に来ていた。  二つの世界を越えた、純情な淡い両片思いの恋物語。  序盤は幼い宰相との現実世界での物語、その後異世界への物語と話は続いていきます。

取り残された隠者様は近衛騎士とは結婚しない

二ッ木ヨウカ
BL
一途な近衛騎士×異世界取り残され転移者 12年前、バハール王国に召喚された形代柚季は「女王の身代わり要員」として半引きこもり生活をしていたが、ある日婚活を始めることに。 「あなたを守りたい」と名乗りを上げてきたのは近衛騎士のベルカント。 だが、近衛騎士は女王を守るための職。恋愛は許されていないし、辞める際にもペナルティがある。 好きだからこそベルカントを選べず、地位目当てのホテル経営者、ランシェとの結婚を柚季は決める。 しかしランシェの本当の狙いは地位ではなく―― 大事だから傷つけたくない。 けれど、好きだから選べない。 「身代わりとなって、誰かの役に立つことが幸せ」そう自分でも信じていたのに。 「生きる」という、柔らかくて甘い絶望を呑み込んで、 一人の引きこもりが「それでもあなたと添い遂げたい」と言えるようになるまで。

処理中です...