海のそばの音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 ガーーー。

 エレベーターを降りて、A8会議室に向かった。出入口のそばにあるテーブルに、探していたペンが置いてあるのを見つけた。白澤さんは奥の部屋へ向かっている。

「白澤さん。先に戻っていていいでしょうか?」
「外で待っていてくれ。そこを右へ曲がったところにソファーがある。資料室で取りたいものがある」
「分かりました」

 そう返事をして会議室を出た。言われた通りに右へ曲がると、待合いのようなスペースがあった。小さなドアのそばには、資料室と表示されている。

「白澤さんって、変な人なのかな?」

 オフィスを出る時、如月が一緒に来ようとしたのを白澤さんが止めたことと、お互いに眉をひそめたことも気になった。何かあったのだろうか。バイトを始めたのは昨日だ。大した接点は無いと思うのに。

「あ……」

 昨日の、早瀬の慌てた様子を思い出した。いくら何でも大げさだ。しかも枝川さん達まで緊迫した様子だった。スクリーンが下りていたぐらいで、連れ込まれたという発想にも違和感がある。やっぱり何かあるのだろうか。

「何かあったのかな?そんなわけないか……」

 ソファーの方へと歩いて行く途中で、向かいの部屋から人が出て来る気配があったので、足を止めた。

「今回の件は、当方へ……」
「それですと……」
「晴海氏の言い分は……」
「対応が難しいかと……」

 それは2人の男性だった。遠くの方だから、誰かは分からない。エレベーター前は数人が行き交っているが、この辺りは人が少ない。だから余計に話し声が聞こえている。このまま立ち聞きするわけにはいかず、引き返そうと思った。

「久田さんのご意見は……」
「私の方としては……」
「え?」

 聞こえてきた名前に、思わず振り返った。よく見てみると、そこにいたのは父だった。すぐに分からないぐらいに、ロクに会っていないことが分かる。エグゼクティブといった雰囲気を醸し出した人だ。抑揚のない話し方をしながらも、笑顔は浮かべているのは相変わらずだ。父のことを心の底から嫌っていたのに、最近はそうでもない。恋人が出来たことで優しい人に変わり、俺のことに関心を持ち始めた。決して冷たい人ではないと早瀬は言っていたが、今更だと思った。

 あのコンテストの後、母の前で、父のことを突き飛ばして怒鳴りつけた。あの瞬間に、自分にかけられていた大きな呪いが解かれた。親に見捨てられるかもしれないという恐怖心のことだ。その恐怖心が無くなった後は、こっちから親を見捨てる番だと思った。しかしそれは束の間のことで、許すことが必要だと知った。

 噴水に落ちかけている父のことを助けていたのは母だった。悲しい思いをさせられた相手を庇っていた。あの時、俺のことを叱りつけてきた。その瞬間、自分たちは親子に戻った。反抗した息子を叱りつけるのは、どこの家でも同じだろう。しかし、うちはそうではない。あの時、嬉しかった。

 話している父の姿を見ていると、疲れた顔をしていると思った。ここに来たのは仕事に決まっているから、難しいケースを扱っているだろう。家の中でも、あんな顔をしていたのを覚えている。

 完璧な人はいない。外ではいい父親面をして欺いていても、心の底から悪い人ではないと知っている。これは、早瀬が教えてくれたことだ。人間臭くていいじゃないかと笑っていた。本心では父のことで腹を立てているのに、俺の前では笑い飛ばしていた。
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