上弦の月の天使~結ばれた約束の夜

夏目奈緖

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 するとその時だ。黒崎から肩を引かれた。振り向いた先には、改装休業中だったドーナツ店がオープンしていた。きな粉ドーナツがお気に入りで、早くオープンしないかと心待ちにしていた。

「予約してある。全粒粉入りと、きな粉を選んでおいた」
「うっうっ。ありがとう。そんなに優しいのはどうしてだよ?金曜日の送別会で何かあるの?」
「……何もない。発声練習でもしていろ」
「ここではしないよ」

 甘さのない感じで肩を小突いてやり、唇を尖らせて威嚇してやった。そばのカフェの窓辺には、俺の顔が映っている。そしてオープンテラスにいたカップルから視線を向けられて、慌てて引っ込めた。

 この通りは、大人に人気のデートスポットでもある。休日にはお洒落なカップルがいて、見ている俺の方が気後れしている。ぼさっとした格好で散歩をするのが定番だからだ。だからといって、人目を気にしてお洒落をする気にはなれない。

「……夏樹。その格好と百面相が人気だぞ」
「これが俺だもん。浅草パーカーの代わりになるものが欲しいよ。夏は暑くて脱ぐからさ。トラ顔Tシャツだけだと、ミックスカジュアルにならないし……」
「クラシック定番スタイルでいろ。……手を振ってくれたぞ。返しておけ」
「……おじさんだ。こんにちはー」

 いつの間にか駅の近くまで来ていた。手を振ってくれたのはコロッケ店のオーナーだ。雑誌に取り上げられたこともあり、お客さんで賑わっている。さっそくコロッケを予約する。ノアとバーテルスさんが食べたがっていたからだ。

 黒崎がコロッケを頼んでいる間におじさんと話していると、告知の髪型の話題が出された。コーンロウのことだ。どうしてあのスタイルになったのか?と。プロの発想はさすがだねと感心されて、打ち明けることにした。

「……母の妹がコーンロウにしていたんですよ。ライブに出るからって。それをマネージャーに話したら、提案するって言い出されたんだ」
「若々しいなあ。叔母さんもバンドをやっているんだね。……写真はないの?見せたくないのか。ははは」
「……帰りに寄らせてもらいます。友人が訪ねて来るので。……はい。この個数で」

 黒崎の横顔を眺めていると、普段通りと変わらないことに安心した。俺はTDDのことで落ち着かないのに。どっしりと構えているのが、さすがだ。店から出た後で話題に出すと、何てことはないと笑っている。

「環境の変化には耐性がある方だ。黒崎製菓へ移って、指揮系統が一新した」
「あの頃は分からなくてさ。今の家に引っ越しもしたし。俺の大学のサポートもやってくれたね」
「当然のことだ。無理に連れて来たのには違いない。今は俺の方が引きずられている」
「わあ……、何するんだよ?」

 そう言いながら腕を振られて、足元がヨロけた。下り坂を早足で歩きたくて、ぐいぐい引っ張っていたからだ。さらに言い返していると、進行方向にある、黄色の高いバリケードが視界に入った。

 そこには二葉の姿があった。心配そうにして、バリケードを眺めている。何かあったようだ。救急車やパトカーは来ていないし、辺りは静かなままだ。

 先に気づいた黒崎が、お前は後から来いと言い残して向こうへ行った。すると、俺達に気づいて手を振って来たから、急いで二葉の元へ行った。
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