上弦の月の天使~結ばれた約束の夜

夏目奈緖

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 大和の右手が赤くなっていたのは、遠竹さんの身体を守ったからだ。壁に右手を叩きつけることで、相手が来るのを阻んだ。おかげで、誰も相手の身体に触れていない。

 咄嗟にやった事だと大和は言っていたが、たぶん冷静だったろう。本当に思いつかないなら、相手に抱きつくか、遠竹さんの前に割り込む方法しか取れない。ステージの後で右手を消毒して、絆創膏を貼り付けるだけの処置で済んだ。聖河さんがいて助かったと実感した。

 その時、疑問が浮かんでいた。どうしてすぐに争いが収まったのか?と。帰るときに大和に聞いてみたら、あっさり納得いく結末があった。聡太郎が理由だった。ちょうどトイレから出てきた時に騒ぎを目撃して、聡太郎が大きな悲鳴を上げた。それに驚いた人たちが走ってきて、5人がかりで止めたから収まったそうだ。

「……ふうー。聡太郎君の機転もすごいなあ。ゆうとーー、お義父さんの家に持って行こうね。んん?……わああーー」
「……悲鳴か?失礼な声をあげるな」

 低い声が近くで聞こえた直後、腰を撫でる手の感触が起きた。すけべじじいが帰って来たのか。振り向くと、黒崎がネクタイを解きながら笑っていた。

「おかえりなさーい。腰を撫でるために、気配を消したのかよ?」
「今日のジーンズが似合っている」
「キャーーー!」

 アホらしい。今度は俺の方が呆れ笑いを返した。すると、悠人から声を張り上げて名前を呼ばれた。誤解をさせたのか?

「おーい。大丈夫ー?」
「大丈夫だよ。痴漢みたいな人が帰って来たんだ」
「そうだったのか。……黒崎さん。お邪魔していまーす」
「いらっしゃい。すまなかった」
「いえ、俺の早とちりです」

 悠人が照れくさそうに笑った。頭をかいている。俺の方は、黒崎の腰を叩いてやった。あんたが悪いと言いながら。

「そろそろお父さんの家に行くよ。カズさんがTシャツを見せてくれるんだ」
「そっか。もうそんな時期だね。あとで煮物を届けるよ」
「……悠人君。俺たちも散歩したい」
「もうーー」

 迷子予防のためだ。悠人が黒崎の冗談に笑っている。いつも敬語を使っていたのに、くだけたものに変化した。いいことだ。

 ガーーー。

 するとその時だ。向こうの門から車が入ってきた。ユリウスのイラスト付きだ。一貴さんが運転席の窓から顔を出して、乗っていけと声をかけてきた。お義父さんの家は目と鼻の先なのに。

「カズさーん。後で部屋に行くから待っててよー」
「パズルも見せたい。乗ってくれ」
「もう……。じゃあ乗るよ。また後でねーー」
「ごめんね。面倒をかけるよ。このネギも渡してね」
「オッケー。バタン!」

 悠人が助手席に乗り込んだ姿を見送り、俺たちは我が家に向かった。

 サーーー。

 風が吹き込んできた。西日が消えて、コスモスたちが青っぽい色合いに変わった。この庭は彩り豊かだ。先月の夏よりも。まるで黒崎のようだと思う。

 悠人と話したところだ。生活感のないマンションで暮らした約10年間の後、ウサギのモニュメントを玄関に置く人になった。しかし、荷物が少ないのは変わりない。それを口にした。

「あんたって、服も本棚も増えないね。最初のマンションは閑散としていたよ」
「お前は荷物が多い」
「あんたが俺の服を買うじゃん。クローゼットに入りきらないのに。調理グッズは俺の希望だけどさ」
「身に着けるものぐらいは束縛させてくれ」
「黒崎さん……。可愛いことを言うなよ~。煮物のサービスをするよ」

 不意を突かれて胸がキュンとした。今度は優しい力で黒崎の背中を叩きながら、玄関に入った。さあ、晩御飯の支度を始めるとしよう。
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