上弦の月の天使~結ばれた約束の夜

夏目奈緖

文字の大きさ
468 / 514

27-8

しおりを挟む
 この時間の事務所は人の出入りが多い。大きな声で話している社員が廊下を横切り、奥の事務室に入る音が聞こえた。この室内が無音状態でなくて助かった。母の嗚咽のみを聞きたくない。本人のためでもある。ここが事務所であることに気づける。

 しかし、母は舞台に立っているかのようなふりをしている。悲劇のヒロインというものか?”私は悪くない”。そう言いたそうだ。俯いたままで嗚咽を漏らしては、俺の方を見ている。

 目の前にいる女性が流している涙は、どういう意味合いだろうか?男にすがって甘えているのか?俺は息子だ。恋愛対象ではない。母も理解しているはずだが、背中に冷たい汗が流れた。見上げてきた仕草に嫌悪感を持った。

「二葉を傷つけるつもりはなかったのよ。イラついていたの。当たったことは認めるわ。その後で謝ったのよ?あの子の方からも、ぶつけられる時もあるのよ……。お互い様よ」
「今日の話し合いの筋が違う。あんたとは交流しない。連絡を寄こすのは自由だ。こちらは応答しない」
「分かったわ……」
「本当に理解したのか?都合のいい記憶のすり替えをするな」
「あなた……!」

 嫌な予感が当たった。すべて分かってやってきたことだと。二葉に何をやっても許される。朝陽は自分の言いなりの息子だ。倉口は道具だった。

 黒崎家から十分な財産を分けられて、母は父と協議離婚した。ただし、男という存在が必要な人だ。自分の気分を良くさせてもらえる相手として。息子は必要なかった。当時は倉口で満たされていたからだ。

「その続きを言ってくれ。これで最後だ」
「その言い方が父親似だわ……」
「親子だ。他には?」
「今回のことはあなたのせいよ!」
「なんだと?」
「二葉と朝陽の仲が険悪になったことよ。二葉ばかり可愛がるのは、自分に似ているからでしょう?おかげで私は板挟みになったわ!いい加減にして!」

 言葉もない。事の流れを理解したうえで、とっさに論点をすり替えてきたとは。今日の話は、二葉達への物の言い方が問題だと伝えてある。それを俺のせいだと言う母は、ずれた論点をぶつける手法を使う人だと分かった。その手法は、困った人だと、向こうから相手にしたくないと思わせれば成功だ。それには条件がある。一人では立てない。

(だから、常に支え役が必要だったということだ……)

 今までの事務所運営では支障がなかったはずだ。信頼の厚いマネージャーが尻拭いをしているから持ち堪えられた。彼女が対応しただろう。しかし、それは通用しなくなった。専務とマネージャーの手のひら返しが始まったからだ。

「はっきり言うぞ。そういう手法は気に入らない。駄々をこねるふりをするな」
「いいじゃない。それでも!」
「もう取り繕わないのか。これで話は終わりだ」
「私は……!」

(……どういうことだ?)

 母が怒りで全身を震わせた。両手のこぶしを握りしめて、身体の横に降ろしている。斜め後ろには、背のないパイプ椅子が置かれていた。わずかに母のヒールが触れているが、ちょうどそこで留まっている。違和感のある姿だ。

 ためしに自分の方から一歩踏み出すと、タイミングよく母が一歩下がった。パイプ椅子に、ふくらはぎが触れそうな位置まで。息子から押されて倒れたという展開にするためだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

サラリーマン二人、酔いどれ同伴

BL
久しぶりの飲み会! 楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。 「……え、やった?」 「やりましたね」 「あれ、俺は受け?攻め?」 「受けでしたね」 絶望する佐万里! しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ! こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

【完結】お義父さんが、だいすきです

  *  ゆるゆ
BL
闇の髪に闇の瞳で、悪魔の子と生まれてすぐ捨てられた僕を拾ってくれたのは、月の精霊でした。 種族が違っても、僕は、おとうさんが、だいすきです。 ぜったいハッピーエンド保証な本編、おまけのお話、完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! トェルとリィフェルの動画つくりました!  インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 プロフのWebサイトから、どちらにも飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

没落令息はクラスメイトの執着に救われる

夕月ねむ
BL
突然父親の爵位がはく奪され、帰る屋敷も家名も失ったローレンス。貴族が集まる学院の寮からも放り出されるところだった彼を、クラスメイトのアルフレッドが引き留める。 「侯爵家の私であれば、従者をひとり授業に同席させることができる」と言って。 アルフレッドの従者となったローレンス。けれどその二年後、彼らの関係は再び大きく変わることとなった。 ※FANBOXからの転載です。 ※他サイトにも投稿しています。

イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です

はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。 自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。 ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。 外伝完結、続編連載中です。

処理中です...