回転木馬の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 午前8時半。

 マンションのエントランスへ降りていくと、車寄せにワゴン車が停まっていた。IKUからの迎えだ。助手席側の窓から、長谷部さんが手を振ってくれた。この後は夏樹を迎えに行き、大学へ向かう。

 Visible ray としての活動は始まっている。雑誌の取材、撮影、半年後に予定されているライブの打ち合わせだ。デビュー後の方が、スケジュールが空くほどだ。あっという間に進んできた。

 お披露目ステージは、10月30日に、IKUの会場を使って行う。当日は500人規模の観客を招待する。佐久弥には沢山のファンがいる。申し込みが殺到して抽選になったそうだ。俺たちだけなら考えられないことだ。

 佐久弥の顔をつぶしたくないこと。来てくれた人をガッカリさせないこと。支えてくれるスタッフへの恩返しをすること。その為には、いいステージをすることだ。俺たちは出来る限りのことをする。 

 ガーーーー。

 車が見慣れた坂道を進み始めた。この住宅街を眺めていると、森のような場所が見えてきた。小さな門の前を通りすぎ、大きな門の前に停車された。柱のインターホンへ用件を告げると、サーっと門が開いた。今日から閉じられたままになっている。デビューに絡んでのことではなく、別件で警戒していることがある。

(この時代に誘拐なんて。遠藤さんは本当のことだって言った……)

 黒崎家に関わっている人が欲しがっているのは、社会的な地位と金銭のことだ。夏樹を人質にして交渉しようとする人間がいるそうだ。この時代に信じられない話だ。

 いつでも狙えるぞと脅しをかけて、欲しいものを与えられる。その後は海外で暮らすだろうと、黒崎家のお父さんが話していた。株の配当、金銭の運用で暮らせることになる。紳士的な仮面をかぶって。

(何も起きていないなら事件じゃないもんね。思いきり外に出る仕事だし。夏樹は知らないことだって聞いた……)

 どうして本人を蚊帳の外にするのか。それは夏樹の性格を考えてのことだ。おっとりした性格だと思っていたのは、半分正解であり、もう半分は間違いだった。まるで二人が住んでいるかのような形だ。二重人格ではない。言いがかりを付けられたときに、攻撃的な夏樹が出てくる。

 すぐに思い出せるケースは、授業でのディスカッションのことだ。相手が降参だという顔をしても、怯むことも休むこともない。ただし、相手が牙をむいて来た時にかぎっている。普通にしている子には出てこない。

(あの子の場合は極端なんだ。本人が一番苦しんでいるんだ……)

 黒崎さんがサポートしている。あの優しい人が寄り添っている。ステージに上がることで、心の中にある葛藤と、エネルギーの塊を発散させることにした。黒崎さんとしては上がらせたくない。3月のことが繰り返されるのを恐れている。

(……大切なことを教えてくれてありがとう。大事な人がそばにいない事、傷つけること。それが怖いし、寂しいことを教えてもらった。出会ってからずっと。次は、俺が悠人のことを守るからね)

 あの手紙を読んだ時、少しでも役立ったと知って泣いてしまった。攻撃的な夏樹は、本当は居ない気がしている。トラウマだけが残っている。それをクリアした時、おっとりした子だけが、ドアの向こうから出てくるだろうか。

「よっしゃー!俺がクリアさせてみるぞーー!ひいいいいいっ」

 ゴン!

 勢いあまって立ち上った結果、天井に頭をぶつけてしまった。ジンジンしている痛みの中、長谷部さんがオロオロしている。居たたまれない気分だ。こういう俺だから、夏樹はリラックス出来るのだろう。そそっかしいのが役立った。あの子には影響されている。”どうにかなる。やっちまえ”という、思い切りの良さだ。 

「あああ……。すみませんでした」
「いいのよー。大丈夫?気合十分ねー」
「はい。いたたた……」
「あとで冷やしましょう」
「平気です……へへへ……」

 どうしよう?けっこう痛いしカッコ悪い。ウケを狙っていないのに笑われた。

「ああ、到着よ。二人が待っているわ。黒崎社長もいらっしゃるわ」
「あああ……。ぶつけたこと、内緒にしてください」
「いいわよー」

 ガーーー。

 大きな木のそばに停車した。フロントガラスの向こうには、夏樹と黒崎家のお父さんが手を振っていた。アンが尻尾を振って笑っているかのような顔をした。そして、遠藤さんが後ろからやって来た。記念すべき朝だからだ。

「お父さーん!おはようございます!」
「おはよう。とうとうだね」
「はい!なつきー、後部座席にどうぞ」
「うんっ。お邪魔しまーす」
「うひぇ?」

 夏樹がドアを開けようとしている。そこには何もないはずだ。四角い線のような模様があるから、勘違いをしたのだろう。ズッコケそうになった。さっきまでの物思いが消え去った瞬間だ。夢でも見ていたのだろうか?

「あれー?ドアがないねー?」
「ここだよー」
「あったあった……。初めて乗るんだよ。お菓子の箱みたいな車体のやつ」
「うひぇ?どれも四角いだろ?ふむふむ。綺麗な長方形だもんねー……」
「……どうして笑っているの?間違えただけじゃん」

 夏樹の発言に笑いが起こった。本人は理由が分かっていない。天然ボケの夏樹だけになるといい。勝手なことを思いながら手招きして、夏樹の手を引いて乗り込ませた。お父さん達に手を振った後、車が門の外に出た。さあ、出発だ。
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