【完結】欠損アルファは、実験体のオメガを愛しすぎている

Marine

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# act18 天国より地の底で

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 終わりの予感におびえて縮こまった体に、セシル先生の声が浸透していくのは、少しの時間が必要だった。
 
 許されるならって、誰に? あ、僕にか。
 恋人として触れたいって、つまり恋人になりたいってこと?

――恋人。

 セシル先生の口からそんな言葉が出てくる日が来るなんて。
 大好きな人からの「愛してる」「恋人になりたい」それはとても甘くて、身も心もとろけてしまいそうだ。
 待ち望んでいたもののような気がするのに、同時にとても怖かった。

 天国って、みんな恋してるから浮いていられるんだ。
 終わったら真っ逆さまに落ちる恐怖に、雲の上に踏み出せない。
 
 セシル先生は黙って立っていた。
 さっきまで僕を抱きしめていた、力強い手は、今は遠くに感じられた。
 
 恋人にならないと、この手はもう触れてくれない。
 彼は何故変わってしまったんだろう。

『私は死んだ』

 その言葉が、頭に焼き付いている。
 観察者でなくなることは、彼にとって死ぬことと同じなんだ。
 じゃあ僕も、臆病な自分を殺すことができれば……。
 
「先生、僕と一緒に死んでくれますか?」

 心に浮かんだ糸口は、それだった。
 セシル先生は、少しだけ目を見開いた。
 次の瞬間には、ごく自然に、でも深いところから言葉を引き上げたような声で、こう言った。

「いいよ。……どうやって死ぬ?」

 この言葉は冗談じゃない。比喩でもない。
 彼はこの先を聞いても、こうやって受け止めてくれるのだろうか。

「耐性薬を出してください。全部」

 セシル先生がポケットに入れていた薬を取り出した。
 それを受け取ると、僕はぎゅっと握りしめた。
 錠剤を包装しているアルミの硬い角が指に刺さる。
 
「先生は僕のこと、オメガじゃなくても好きって言ってくれたけど、僕はオメガなんです。
そこからは逃げられない」

 病院のゴミ箱に、薬がバラバラと落ちていく。
 セシル先生は捨てられていく薬を黙って見ていた。

 これが……言ってみれば、僕にとっての『死』だ。

 このちっぽけな薬が、僕の尊厳を守ってくれていた。
 でもこれが無かったら、僕はどうなるだろう。

「すごく嫌だけど、今から辛くて、生々しいものを見せます。
それでも僕のことを愛せると思ったら、その時はもう一度、さっきの言葉を、ください」

「……わかった」

 掠れた、低い声だった。
 僕の覚悟が伝わった声だ。

 なぜこんなことができるのか、自分でも不思議だった。
 でも、先生と生きていくということはこういう事なんだ。
 庇護フェロモンなしの現実を、彼が知ってもなお、それでもというなら。
 僕は誰に、どんなに汚されても、セシル先生と生きる覚悟を決める。
 
 今度は僕が、彼をまっすぐに見る番だった。

「あなた以外のアルファに抱かれたら、僕という人間は機能しなくなる。
――だから、死ぬ気で守ってくださいね」

 セシル先生は、どこか眩しそうに頷いた。



 二人で病院を後にして、駅に向かった。
 特急では個室だったから、ほとんど影響はなかった。
 もうすぐ完全に耐性薬の効果が切れる。
 
 特急を降りて、薄暗くなった在来線のホームで、それは起こった。
 夕方のラッシュを過ぎてもなお人の流れは途切れない。
 フェロモンが混ざり合う空気に気分が悪くなりながら、急ぎ足で通り過ぎようとしたとき――強い香りだけが、逆流してきた。
 視線を向けた先に、照明を背負った影が三つ、道を塞ぐように並んでいた。
 
 フェロモン強度はティアCくらい。
 普通より強い。“狩り”をする気だからだ。
 

 こういうアルファたちはどうして同じなんだろう。
 みんな申し合わせたように似ている。
 そして、僕はずっとそれに屈してきた。

「兄ちゃん、オメガだろう」

 欲望を隠さずに話しかけてきたのは、フェロモンで僕を好きなようにできると踏んでいるからだ。

「ちょっと俺たちとこない?」

 それはもはや命令に近かった。
 僕の腕に伸ばされた手が――次の瞬間、払いのけられた。

「彼は私の連れだ」
 セシル先生は、まるで臆することなく、凛とその場に立っていた。

「……マジで? こいつ、何も出てねえじゃん」
「あんた、ほんとにアルファ? 匂いもしねえ」

 フェロモン強度だけでランク付けされて、鼻で笑われる。
 そんな世界に、僕らは生きている。

 アルファ同士でも、フェロモンは関係する。
 性的な興奮作用はないが、威嚇として。
 奴らのそれが最大限に強められた。
 僕ではない、先生を狙っている。
 フェロモンでガードできない彼はもろにそれを浴びて……だが、平然と立っていた。

「私はティアEではない。T-null。分類不能の欠損だ。
だから微量のフェロモンすら放出できないし、受容体さえ、存在しない」

 男たちは一様にぽかんとした顔をしていた。

「受容体が無いということは、フェロモンも効かない。
お前たちのそれは、私にとって臭い香水以下ということだ」

 その言葉に一番驚いたのは、奴らより僕だったかもしれない。
 ……僕のフェロモン、先生に効いてなかった?
 あんなに首筋を嗅いで、あんなに興奮して……そそられるよって言ってくれたこと……。

――じゃあ、あれは全部……フェロモンのせいじゃなかったんだ。

 何も言い返せずにいた男が、いきなりセシル先生に掴みかかろうとした瞬間……何が起こったのか、本当に見えなかった。
 ただ、男は肘を抑えて呻いている。

「……乱暴を働くんだったら、人体の急所くらいは覚えておくんだな。私はもっと体の大きいアルファが暴れても、抑えられるぞ」

 なぜか、優しい笑みを浮かべた先生の前で、男たちは囁きあって人混みの中に消えていった。

「……ユウ!」

 ヤバい、と感じた瞬間、地面がぐにゃりと歪んだ。
 しっかりと抱きとめられた腕の中で、僕はなんとか笑って見せた。

「せんせ、思ったより、つよ……」
「……家まで我慢できるか?」
「むり……トイレに」
「分かった」

 セシル先生に支えられて、なんとかトイレの個室に入った。知らない人が見たら、連れ込まれているように見えただろう。

 他のアルファのフェロモンでこんなになってしまう体。それを知ってほしかった。

 セシル先生を求めたら、唇を合わせて優しいキスをくれた。
 よかった、僕に反応してくれてる。

「せんせ……」
「ここで君を抱くよ」

 どうしようもなく熱を帯びた体が、じゅんと震える。
 一緒に、堕ちてくれるんだ。

――セシル、先生……。
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