【完結】29歳で「売れ残り」とお見合い勧告されましたが、裏では最強のアルファ部長が「運命だ」と逃がしてくれません

Marine

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 午前中、桐生部長は部門長会議に出席していた。
 俺は空っぽのデスクを見ながら、少しほっとしていた。
 何しろ金曜日から月曜の朝まで、ずっと一緒だったんだ。

――それは、とろとろに甘やかされた時間で……嫌じゃなかったけど。
 でもやっぱり、一人になって落ち着きたい。
 彼と一緒にいると、最高級のダウンに沈み込んだみたいに、思考がストップしてしまうから。

 正午になって、営業メンバーがランチに席を立つ中。俺はそのままデスクに残った。
 朝からホテルのブレックファストを食べて満腹だったし(卵が二個もついていた!)
 気持ちを整理したかったからだ。

 彼は発情暴走のときよりも前に、俺のフェロモンを知っているような口ぶりだった。
 もしかして、混乱していないのか?
 もっと前から、俺のことを……?

――怖い、期待してしまいそうで。

 彼の優しい指や、情熱的な愛撫や……独占欲丸出しの言葉とか……。
 思い出すだけで、指先がチリチリするほど、体中の血が熱くなる。

 でも、もし正気に戻って『違う』と言われたら?
 今の自分を鑑みると、『そんな』期待をしてしまうのが恥ずかしくなってくる。

 俺はため息をつきながら、PCで今朝まで滞在していたホテル名を検索した。
 あのホテル、やはりかなり高級だ。
 手が震えてしまうが、まずは一番安い部屋をクリックしてみた。

「……いち、じゅう、ひゃく、せん……」

 つい何度も桁を数えてしまう。
 一番安い部屋ですら、一泊10万円。一万円でも高いのに……その十倍の値段だ。
 嫌な予感がして、マウスを持つ手が汗ばむ。

 俺たちが泊まったのは、こんな狭い部屋じゃない。リビングがあって、角部屋で……東京タワーが目の前に見えていた。
 恐る恐る『スイート』のタブをクリックする。
 画面に現れたのは、見覚えのあるシックなインテリアと、圧倒的な夜景の写真。
 そして、その下に書かれた数字。

「……よんじゅう……ごまん……?」

 一泊、450,000円~。
 目の前が真っ暗になった。
 三泊したから……え、ひゃくさんじゅうまん……?
 俺のボーナスなんて目じゃない金額が、たった三日で消えたことになる。
 こんな高級な場所で、俺はあられもない姿で鳴いて、中に出してとねだったのか。
 恥ずかしさと申し訳なさで、胃がひっくり返りそうだ。俺なんかが、関わっていい人じゃない。

「……気に入ったか?」

 不意に、背後から低い声が降ってきた。
 心臓が……口から飛び出るかと思った。
 いつの間に戻ってきていたのか、桐生部長が俺のデスクのすぐ後ろに立っていた。

 耳に顔を近づけて「お前が気に入ったなら、いつでも予約するぞ」と囁かれた。
 その後ろには、ランチから戻った瀬名や日野たちの姿もあるのに。

「え、あ……ぶ、部長……」

 桐生部長の横から、瀬名がひょいと顔を覗き込んできた。

「あっ、ここ、プロポーズ・スイートじゃないですか」
「え……?」
 聞き捨てならない単語に、俺は動きを止めた。瀬名は興奮気味に画面を指さした。

「このホテル、都内最高クラスで、しかもコーナースイートがロマンチックだから、ここでプロポーズする人が多いんだって。SNSでも有名ですよ」
「そ、そうなんだ……」
「へぇ、一泊四十万かぁ。すごいなぁ」

 瀬名は金額を見て、ため息交じりに言った。

「ここまで高いと、もう『本命』じゃないと連れて行かないですよね。プロポーズするような相手じゃないと、こんな金額出せませんもん。ま、牧田さんはいくら見ても、こんなところでプロポーズしてくれる彼氏なんて無理ですけどね」
「な、なんだよ。見るくらいいいじゃないか」

 金、土、日とここで三泊して、食事はずっとルームサービス。
 あーんで食べさせられながら、ずっとベッドから出してもらえなかったなんて……言えない。

 桐生部長はふっと短く笑っただけだった。

「……ほら、休憩は終わりだ。仕事に戻れ」

 部長の一声で、瀬名たちは「はーい」と自分のデスク散っていった。
 彼らがパソコンに向かい始めたのを見て、部長は自分のデスクに資料を置いた。
 そして、まだ強張っている俺の方へ向き直る。
 
「じゃあ俺は昼飯に行ってくる。牧田も来るか? 食べてないだろう」
「お……俺は、胸……いやお腹がいっぱい……なので」
 慌てて断ると、彼は「そうか」と短く言って、フロアの自動ドアから出ていった。

 周りは賑やかなのに、俺はまだ仕事をする気になれずに、熱い頬を両手で包み込んだ。

――本命じゃないと無理。

 瀬名の無邪気な言葉が、耳の奥でリフレインする。
 あんなホテル、混乱しているのに予約するだろうか。。
 だとしたら、彼は……。
 
 ドクン、と胸の奥が音を立てた。

 そのとき。手元のPCから、ピン、と硬質な通知音が鳴った。

 社内チャットだ。
 画面の右下にポップアップが出ている。

『送信者:桐生 晃(エンタープライズ事業本部)』
 心臓が止まるかと思った。
 慌てて周囲を見回し、誰も背後にいないことを確認してメッセージを開く。
 そこには、短い一文だけが表示されていた。
 
《kiryuu:顔、赤いぞ》

「ひゃっ……!?」

 変な声が出て、慌てて口を押さえる。
 画面の向こうで、彼がニヤリと笑っているのが目に見えるようだ。

――全部、見透かされている。

 俺が値段を見て青くなっていたことも。
 今、「本命」という言葉に赤くなっていることも。
 
 隣のオープンスペースから日野と瀬名の打合せが聞こえてきた。
 顧客について話している、事務的なトーンの声。

 俺は熱を持った指先で、画面の文字をそっとなぞった。
 オフィスでの秘密のやりとり。
 それがこんなに、甘くて刺激的だなんて知らなかった。
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