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翌朝、エーミは夜明けと共に起床した。
貴族令嬢の朝は遅いのが通説だが、彼女にとって「寝坊」とは、活動時間を無駄に消費する機会損失でしかない。
「お嬢様、村長をお連れしました。……かなり、警戒されているようですが」
アンナの言葉通り、部屋に入ってきたのは、日焼けした屈強な体に不釣り合いなほど、猜疑心に満ちた表情を浮かべた中年男だった。
「……村長のガンツだ。公爵令嬢様がこんな掃き溜めに何の用だ? ここは呪われた土地だ。さっさと王都に帰るのが、あんたの身のためだぜ」
ガンツは椅子に座ることもせず、吐き捨てるように言った。
普通の令嬢なら不敬だと怒鳴るか、怯えて泣き出す場面だろう。
しかし、エーミは優雅に紅茶を啜り、事務的な笑みを向けた。
「いい挨拶ね、ガンツ村長。無駄な敬語を省いて、結論から切り出すその姿勢、ビジネスパートナーとしては合格点だわ」
「なっ……ビジネスだと?」
「ええ。単刀直入に言うわ。私はこの領地の『生産性』を三ヶ月以内に二倍に引き上げるつもりよ。そのために、あなたたち村人の労働力を買い取りたいの」
ガンツは呆れたように鼻で笑った。
「二倍だと? 笑わせるな。この土地の土は死んでるんだ。水も枯れ、作物は育たねえ。呪いだ、呪いなんだよ!」
「『呪い』という言葉を安易に使うのは、無能の証明よ」
エーミは机の上に、昨晩ボリスから奪い取った地図を広げた。
そこには赤いペンで、いくつかの箇所に印がつけられている。
「見て。北の川からの引き込み口、ここで水流が止まっているわ。これは呪いではなく、十年前の大雨で崩れた岩が放置されているだけ。これを取り除けば、三日で水路は復活するわ」
「そんなこと分かってる! だが、あそこを動かすには人手がいる。今の村には、そんな余裕も金もねえんだ!」
「だから、その『人手』に投資すると言っているのよ。ガンツ、村でくすぶっている若者を十人集めなさい。作業に参加した者には、一日あたり市場価格の一.二倍の賃金を即金で払うわ」
「一.二倍……だと? 金なんてどこにあるんだ」
エーミはアンナに目配せをした。
アンナが重厚な木箱を机に置くと、中からは眩いばかりの銀貨の山が姿を現した。
「これは、私が昨晩磨き上げた銀器を、今朝一番で隣の領地の商人に売り払った代金の一部よ。まずはこれを『先行投資』として、あなたたちに支払うわ。不満かしら?」
ガンツは銀貨の山を凝視し、唾を飲み込んだ。
辺境の村にとって、現金は王都の宝石よりも価値がある。
「……本気なのか。もし岩を動かせなかったら?」
「私の計算に間違いはないわ。もし失敗したら、この銀貨は全額、村に差し上げてもいいわよ。契約書にそう書き込んでも構わないわ」
「お、お嬢様! それはリスクが大きすぎます!」
アンナの制止を、エーミは手で遮った。
「いいえ、アンナ。適切なリスクを取らない投資は、ただの貯金よ。ガンツ、あなたに必要なのは、呪いを嘆く時間ではなく、シャベルを握る勇気じゃないかしら?」
ガンツはしばらく黙り込んでいた。
目の前の令嬢。
見かけは華奢だが、その瞳には王都の腐った貴族にはない、猛獣のような輝きがあった。
「……わかった。あんたの話に乗ってやる。だが、村の奴らが動くのは、金が手に入った時だけだぜ」
「それで結構。感情ではなく利益で動く人間の方が、私は信用できるわ」
交渉成立、とエーミは立ち上がった。
「それから、もう一つ。村の広場に告知を出しなさい。今日から一週間、私の屋敷の修繕を手伝う女性や子供にも、一食分の食事と、銅貨三枚を支払うと」
「……屋敷の修繕? あんた、本当にここに住むつもりなのか」
「当然よ。この屋敷は私の『本社オフィス』兼『自宅』だもの。価値を高めて、いずれは辺境一番のリゾート地にして差し上げるわ」
ガンツは「いかれたお嬢様だ」と呟きながら、それでも足取りは心なしか軽く、部屋を出て行った。
彼がいなくなると、エーミはふぅ、と小さく息をついた。
「さて、アンナ。第一弾のキャッシュフローは確保したわ。次は、労働環境の整備ね」
「お嬢様、先ほどの銀貨、本当に全部使い切るつもりですか?」
「金は循環させてこそ意味があるのよ。村にお金を落とし、彼らの生活レベルを底上げすれば、結果として私の領地経営の安定につながる。長期的なROI(投資利益率)を見れば、安い買い物だわ」
「……その、あーるおーあい? とかいう言葉、呪文みたいで怖いです」
「ふふ、覚えておきなさい。数字は裏切らないわ」
窓の外を見ると、村の男たちが騒がしく集まり始めているのが見えた。
エーミはそれを見つめながら、次の戦略を練る。
「まずは水路。次に肥料の自社生産。それから……そうね、あの隣接する辺境伯領のラインハルト様。彼には『物流の要』になってもらわなければならないわ」
彼女の計画に、「不可能」という文字は存在しない。
ただ、効率的な手順と、十分な資本、そして少しの冷徹さがあればいい。
「さあ、楽しくなってきたわ! ユリウス殿下、今頃は豪華なランチの最中かしら? せいぜい今のうちに楽しんでおきなさい。あなたの知らないところで、私の王国が築かれ始めているのだから」
エーミの不敵な笑みは、差し込む朝日を受けて、一層の輝きを増していた。
追放された悪役令嬢による、辺境の「構造改革」は、こうして爆速で動き出したのである。
貴族令嬢の朝は遅いのが通説だが、彼女にとって「寝坊」とは、活動時間を無駄に消費する機会損失でしかない。
「お嬢様、村長をお連れしました。……かなり、警戒されているようですが」
アンナの言葉通り、部屋に入ってきたのは、日焼けした屈強な体に不釣り合いなほど、猜疑心に満ちた表情を浮かべた中年男だった。
「……村長のガンツだ。公爵令嬢様がこんな掃き溜めに何の用だ? ここは呪われた土地だ。さっさと王都に帰るのが、あんたの身のためだぜ」
ガンツは椅子に座ることもせず、吐き捨てるように言った。
普通の令嬢なら不敬だと怒鳴るか、怯えて泣き出す場面だろう。
しかし、エーミは優雅に紅茶を啜り、事務的な笑みを向けた。
「いい挨拶ね、ガンツ村長。無駄な敬語を省いて、結論から切り出すその姿勢、ビジネスパートナーとしては合格点だわ」
「なっ……ビジネスだと?」
「ええ。単刀直入に言うわ。私はこの領地の『生産性』を三ヶ月以内に二倍に引き上げるつもりよ。そのために、あなたたち村人の労働力を買い取りたいの」
ガンツは呆れたように鼻で笑った。
「二倍だと? 笑わせるな。この土地の土は死んでるんだ。水も枯れ、作物は育たねえ。呪いだ、呪いなんだよ!」
「『呪い』という言葉を安易に使うのは、無能の証明よ」
エーミは机の上に、昨晩ボリスから奪い取った地図を広げた。
そこには赤いペンで、いくつかの箇所に印がつけられている。
「見て。北の川からの引き込み口、ここで水流が止まっているわ。これは呪いではなく、十年前の大雨で崩れた岩が放置されているだけ。これを取り除けば、三日で水路は復活するわ」
「そんなこと分かってる! だが、あそこを動かすには人手がいる。今の村には、そんな余裕も金もねえんだ!」
「だから、その『人手』に投資すると言っているのよ。ガンツ、村でくすぶっている若者を十人集めなさい。作業に参加した者には、一日あたり市場価格の一.二倍の賃金を即金で払うわ」
「一.二倍……だと? 金なんてどこにあるんだ」
エーミはアンナに目配せをした。
アンナが重厚な木箱を机に置くと、中からは眩いばかりの銀貨の山が姿を現した。
「これは、私が昨晩磨き上げた銀器を、今朝一番で隣の領地の商人に売り払った代金の一部よ。まずはこれを『先行投資』として、あなたたちに支払うわ。不満かしら?」
ガンツは銀貨の山を凝視し、唾を飲み込んだ。
辺境の村にとって、現金は王都の宝石よりも価値がある。
「……本気なのか。もし岩を動かせなかったら?」
「私の計算に間違いはないわ。もし失敗したら、この銀貨は全額、村に差し上げてもいいわよ。契約書にそう書き込んでも構わないわ」
「お、お嬢様! それはリスクが大きすぎます!」
アンナの制止を、エーミは手で遮った。
「いいえ、アンナ。適切なリスクを取らない投資は、ただの貯金よ。ガンツ、あなたに必要なのは、呪いを嘆く時間ではなく、シャベルを握る勇気じゃないかしら?」
ガンツはしばらく黙り込んでいた。
目の前の令嬢。
見かけは華奢だが、その瞳には王都の腐った貴族にはない、猛獣のような輝きがあった。
「……わかった。あんたの話に乗ってやる。だが、村の奴らが動くのは、金が手に入った時だけだぜ」
「それで結構。感情ではなく利益で動く人間の方が、私は信用できるわ」
交渉成立、とエーミは立ち上がった。
「それから、もう一つ。村の広場に告知を出しなさい。今日から一週間、私の屋敷の修繕を手伝う女性や子供にも、一食分の食事と、銅貨三枚を支払うと」
「……屋敷の修繕? あんた、本当にここに住むつもりなのか」
「当然よ。この屋敷は私の『本社オフィス』兼『自宅』だもの。価値を高めて、いずれは辺境一番のリゾート地にして差し上げるわ」
ガンツは「いかれたお嬢様だ」と呟きながら、それでも足取りは心なしか軽く、部屋を出て行った。
彼がいなくなると、エーミはふぅ、と小さく息をついた。
「さて、アンナ。第一弾のキャッシュフローは確保したわ。次は、労働環境の整備ね」
「お嬢様、先ほどの銀貨、本当に全部使い切るつもりですか?」
「金は循環させてこそ意味があるのよ。村にお金を落とし、彼らの生活レベルを底上げすれば、結果として私の領地経営の安定につながる。長期的なROI(投資利益率)を見れば、安い買い物だわ」
「……その、あーるおーあい? とかいう言葉、呪文みたいで怖いです」
「ふふ、覚えておきなさい。数字は裏切らないわ」
窓の外を見ると、村の男たちが騒がしく集まり始めているのが見えた。
エーミはそれを見つめながら、次の戦略を練る。
「まずは水路。次に肥料の自社生産。それから……そうね、あの隣接する辺境伯領のラインハルト様。彼には『物流の要』になってもらわなければならないわ」
彼女の計画に、「不可能」という文字は存在しない。
ただ、効率的な手順と、十分な資本、そして少しの冷徹さがあればいい。
「さあ、楽しくなってきたわ! ユリウス殿下、今頃は豪華なランチの最中かしら? せいぜい今のうちに楽しんでおきなさい。あなたの知らないところで、私の王国が築かれ始めているのだから」
エーミの不敵な笑みは、差し込む朝日を受けて、一層の輝きを増していた。
追放された悪役令嬢による、辺境の「構造改革」は、こうして爆速で動き出したのである。
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