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「……完璧だわ。この黄金比に基づいた屋根の傾斜、そして視覚的ストレスを排除した庭園の配置。コストパフォーマンス一二〇%の仕上がりね」
完成した温泉宿『グラナード・スパ&リゾート』の前に立ち、エーミは満足げに腕を組んだ。
かつてのボロ屋敷は、今や洗練された和洋折衷の木造建築へと生まれ変わっている。
騎士たちの筋肉という「安価な動力源」をフル活用した結果、工期は予定より二週間も短縮された。
「お嬢様、騎士の方々が『もう穴を掘らなくていいのか』と寂しそうにこちらを見ています」
「あら、彼らには次の仕事があるわ。今度は『客室への配膳シミュレーション』よ。あの屈強な腕で、一滴もスープをこぼさず運ぶ訓練をさせるの」
「……彼らの矜持がそろそろ限界を迎えそうです」
アンナが遠い目をしていると、街道の向こうから一台の馬車が近づいてきた。
それは明らかに辺境には不釣り合いな、豪華な装飾が施された王都の馬車だった。
「あら。案外早かったわね。宣伝広告費をかける前に『勝手に釣られた魚』が一匹」
馬車から降りてきたのは、妙に脂ぎった顔をした小太りの男だった。
王宮の徴税官の一人、バルト男爵である。
彼はユリウス王子の取り巻きの一人で、エーミにとっては「最も計算が合わない無能な官吏」の一人だった。
「……ほう。これはこれは、エーミ様。辺境で大人しく隠居されているかと思えば、何やら怪しげな建物を建てておられるようで」
バルトは鼻を鳴らし、完成したばかりの宿を値踏みするように眺めた。
「怪しい? 失礼ね。これは合法的な商業施設よ。バルト男爵、わざわざ王都から視察に来るなんて、随分とお暇なのね」
「ふん。王宮には『グラナード公爵令嬢が辺境で軍事要塞を築いている』という噂が届いておりましてな。ユリウス殿下も深く案じておられますぞ」
「要塞? これのどこが要塞に見えるの? この露天風呂から大砲でも撃てと言うのかしら」
エーミは鼻で笑ったが、バルトの目は鋭くなった。
「言い逃れは無用。この建物の資産価値、および不透明な資金源について調査させてもらう。……もしや、辺境伯と共謀して脱税でも企んでいるのでは?」
「あら心外だわ。脱税なんて、帳簿の美しさを汚す行為を私がするとお思い? 資金は全て、殿下への請求書という名の確定債権から捻出したものですわ」
そこへ、屋敷の裏からラインハルトが姿を現した。
彼はわざとらしく剣の柄に手をかけ、バルトを睨みつける。
「……俺の名が出たようだが。徴税官殿、辺境伯領の正当な事業に対して、あらぬ疑いをかけるつもりか?」
「ひっ、あ、アシュレイ辺境伯……! い、いや、これはあくまで王命による確認でして……」
バルトは一瞬で腰を抜かしかけたが、必死に体面を保とうとした。
エーミはそれを見て、不敵な笑みを浮かべる。
「いいわ、バルト男爵。そんなに調査したいのなら、正式な『デバッグ作業』として入館を許可してあげるわ」
「で、でばっぐ……?」
「宿泊モニターよ。実際にここのサービスを受け、不備がないか厳しくチェックしてちょうだい。ただし、公式な調査の一環なのだから、宿泊費は『特別公務員レート』を適用させてもらうわね」
「……ほう。それは無料ということか?」
「いいえ。通常の三倍の価格よ。あなたの『高尚な調査』に対する私のコンサルタント料が含まれているもの」
「なっ……ふざけるな!」
「嫌なら帰ってちょうだい。ただし、殿下には報告するわね。『男爵は温泉の温度が怖くて逃げ出しました』って」
バルトは顔を真っ赤にしたが、ここで引き下がれば無能の烙印を押される。
彼は渋々、エーミの提示した法外な宿泊契約書にサインをした。
「……いいでしょう。この建物の粗探し、徹底的にやらせてもらいますぞ!」
「ええ、期待しているわ。アンナ、男爵を『最高に過酷な客室』へ案内して。あ、騎士団の配膳訓練のターゲットにするのも忘れないでね」
「承知いたしました、お嬢様」
バルトが屋敷に連行されていくのを見送りながら、ラインハルトが呆れたように呟いた。
「……いいのか。あんな男を泊めて。王都に余計な報告をされるぞ」
「いいのよ。彼には『王都への最高の宣伝塔』になってもらうんだから。人間、本当に良いサービスを受けてしまったら、嘘をつくのは難しいものよ」
「サービス? お前、あいつを散々こき使うつもりだろう」
「あら、それをサービスと言うのよ。彼は今日、人生で初めて『自分の金で最高の労働』を体験するんだから。これほど贅沢な経験、他にないと思わない?」
エーミは計算高く目を細めた。
刺客ですら、彼女の手にかかれば「無料の労働力」か「有料の広告媒体」に変換される。
その夜、バルト男爵の悲鳴(と、あまりの湯の心地よさによる感嘆の声)が辺境の空に響き渡ることを、エーミは確信していた。
一方、その頃の王都。
ユリウス王子は、フローラが勝手に注文した「一点物の宝石」の請求書を見て、ついに自分の銀行口座の残高が二桁になったことを知る。
「……バカな。なぜ、金が、ないんだ……!」
彼の悲鳴には、温泉のような温もりは微塵もなかった。
完成した温泉宿『グラナード・スパ&リゾート』の前に立ち、エーミは満足げに腕を組んだ。
かつてのボロ屋敷は、今や洗練された和洋折衷の木造建築へと生まれ変わっている。
騎士たちの筋肉という「安価な動力源」をフル活用した結果、工期は予定より二週間も短縮された。
「お嬢様、騎士の方々が『もう穴を掘らなくていいのか』と寂しそうにこちらを見ています」
「あら、彼らには次の仕事があるわ。今度は『客室への配膳シミュレーション』よ。あの屈強な腕で、一滴もスープをこぼさず運ぶ訓練をさせるの」
「……彼らの矜持がそろそろ限界を迎えそうです」
アンナが遠い目をしていると、街道の向こうから一台の馬車が近づいてきた。
それは明らかに辺境には不釣り合いな、豪華な装飾が施された王都の馬車だった。
「あら。案外早かったわね。宣伝広告費をかける前に『勝手に釣られた魚』が一匹」
馬車から降りてきたのは、妙に脂ぎった顔をした小太りの男だった。
王宮の徴税官の一人、バルト男爵である。
彼はユリウス王子の取り巻きの一人で、エーミにとっては「最も計算が合わない無能な官吏」の一人だった。
「……ほう。これはこれは、エーミ様。辺境で大人しく隠居されているかと思えば、何やら怪しげな建物を建てておられるようで」
バルトは鼻を鳴らし、完成したばかりの宿を値踏みするように眺めた。
「怪しい? 失礼ね。これは合法的な商業施設よ。バルト男爵、わざわざ王都から視察に来るなんて、随分とお暇なのね」
「ふん。王宮には『グラナード公爵令嬢が辺境で軍事要塞を築いている』という噂が届いておりましてな。ユリウス殿下も深く案じておられますぞ」
「要塞? これのどこが要塞に見えるの? この露天風呂から大砲でも撃てと言うのかしら」
エーミは鼻で笑ったが、バルトの目は鋭くなった。
「言い逃れは無用。この建物の資産価値、および不透明な資金源について調査させてもらう。……もしや、辺境伯と共謀して脱税でも企んでいるのでは?」
「あら心外だわ。脱税なんて、帳簿の美しさを汚す行為を私がするとお思い? 資金は全て、殿下への請求書という名の確定債権から捻出したものですわ」
そこへ、屋敷の裏からラインハルトが姿を現した。
彼はわざとらしく剣の柄に手をかけ、バルトを睨みつける。
「……俺の名が出たようだが。徴税官殿、辺境伯領の正当な事業に対して、あらぬ疑いをかけるつもりか?」
「ひっ、あ、アシュレイ辺境伯……! い、いや、これはあくまで王命による確認でして……」
バルトは一瞬で腰を抜かしかけたが、必死に体面を保とうとした。
エーミはそれを見て、不敵な笑みを浮かべる。
「いいわ、バルト男爵。そんなに調査したいのなら、正式な『デバッグ作業』として入館を許可してあげるわ」
「で、でばっぐ……?」
「宿泊モニターよ。実際にここのサービスを受け、不備がないか厳しくチェックしてちょうだい。ただし、公式な調査の一環なのだから、宿泊費は『特別公務員レート』を適用させてもらうわね」
「……ほう。それは無料ということか?」
「いいえ。通常の三倍の価格よ。あなたの『高尚な調査』に対する私のコンサルタント料が含まれているもの」
「なっ……ふざけるな!」
「嫌なら帰ってちょうだい。ただし、殿下には報告するわね。『男爵は温泉の温度が怖くて逃げ出しました』って」
バルトは顔を真っ赤にしたが、ここで引き下がれば無能の烙印を押される。
彼は渋々、エーミの提示した法外な宿泊契約書にサインをした。
「……いいでしょう。この建物の粗探し、徹底的にやらせてもらいますぞ!」
「ええ、期待しているわ。アンナ、男爵を『最高に過酷な客室』へ案内して。あ、騎士団の配膳訓練のターゲットにするのも忘れないでね」
「承知いたしました、お嬢様」
バルトが屋敷に連行されていくのを見送りながら、ラインハルトが呆れたように呟いた。
「……いいのか。あんな男を泊めて。王都に余計な報告をされるぞ」
「いいのよ。彼には『王都への最高の宣伝塔』になってもらうんだから。人間、本当に良いサービスを受けてしまったら、嘘をつくのは難しいものよ」
「サービス? お前、あいつを散々こき使うつもりだろう」
「あら、それをサービスと言うのよ。彼は今日、人生で初めて『自分の金で最高の労働』を体験するんだから。これほど贅沢な経験、他にないと思わない?」
エーミは計算高く目を細めた。
刺客ですら、彼女の手にかかれば「無料の労働力」か「有料の広告媒体」に変換される。
その夜、バルト男爵の悲鳴(と、あまりの湯の心地よさによる感嘆の声)が辺境の空に響き渡ることを、エーミは確信していた。
一方、その頃の王都。
ユリウス王子は、フローラが勝手に注文した「一点物の宝石」の請求書を見て、ついに自分の銀行口座の残高が二桁になったことを知る。
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彼の悲鳴には、温泉のような温もりは微塵もなかった。
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