婚約破棄?はい、喜んで!――つきましては、こちらの請求書をご確認ください。

小梅りこ

文字の大きさ
7 / 28

7

しおりを挟む
「……おい。我が領地の精鋭騎士たちを並べて、何をしているんだ」

呆れ果てたようなラインハルトの声が、屋敷の裏庭に響いた。

そこには、漆黒の鎧に身を包んだ屈強な男たちが、整然と横一列に並んでいた。
その前を、エーミが検分するようにゆっくりと歩いている。

「何って、見ての通り『資産価値の査定』ですわ。辺境伯、あなたの部下たちは実に素晴らしいわね。この上腕二頭筋、そして無駄のない動き。まさに建築現場に革命を起こす重機(アセット)ですわよ」

「……彼らは魔物と戦うための兵士だ。土木作業員ではない」

「あら、平和な時代に遊ばせておく方が、彼らの才能に対する冒涜だと思わない? 筋力の維持にもなるし、何より私からの『特別手当』が出るわ。アンナ、例のものを」

アンナが、ずっしりと重そうな革袋を掲げた。
中から銀貨の擦れ合う、心地よい音が響く。

「作業一時間につき銀貨二枚。さらに、温泉が完成した暁には一番風呂の永年無料パスポートを支給しますわ。どうかしら、騎士様方?」

騎士たちが一斉にざわついた。
「銀貨二枚……だと?」「しかも温泉の一番風呂……!?」「辺境伯、我々は……我々は剣をスコップに持ち替える準備ができております!」

「……貴様ら、矜持はないのか」

ラインハルトが額を押さえるが、騎士たちの目はすでに「労働の喜び」に輝いていた。

「よし、契約成立ね! では、第一班は源泉から屋敷までのパイプ敷設。第二班は露天風呂の石組み。第三班は……そうね、私の美学に叶う『癒しの庭園』の整地を命じますわ」

エーミは指示棒で、完璧に描き込まれた設計図を指し示した。

「いい、これは単なる穴掘りではないわ。王国の富裕層をこの辺境に呼び込み、金を落とさせるための『金の成る木』を植える作業なの。一ミリの妥協も許しませんわよ!」

「「「イエス・マイ・ボス!!」」」

騎士たちの野太い返信がこだまする。
ラインハルトは、自分の部下がたった数分でエーミに完全掌握された光景を、信じられないものを見るような目で見つめていた。

「……お前、本当に恐ろしい女だな。人心掌握術まで心得ているのか」

「失礼ね。私はただ、彼らの『労働に対する適正な対価』を提示しただけよ。やりがいという名の搾取は、私の経営理念には反しますもの」

エーミはふぅ、と額の汗を拭った。
作業着姿だが、その堂々とした立ち振る舞いは、どんな舞踏会の中心にいる時よりも輝いて見える。

「それより辺境伯。あなたにも手伝ってもらいたいことがあるの」

「……俺にか? まさか穴を掘れとは言うまいな」

「まさか。あなたの役割はもっと重要よ。この温泉宿の名前、そして『辺境伯お墨付きの癒やし』という宣伝文句。その独占使用権の契約書にサインしてちょうだい」

エーミが差し出したのは、羊皮紙三枚に及ぶ緻密な契約書だった。

「辺境伯の名前をブランドとして利用させてもらうわ。その代わり、あなたには売上の五%をロイヤリティとして支払う。どう? 座っているだけで、あなたの領地の予算不足が解消される魔法の書類よ」

ラインハルトは契約書を手に取り、内容を速読した。
驚くほど公平で、かつ両者に利益が出るように組まれている。

「……俺の名前がそんなに価値があると思っているのか」

「ええ。あなたの『氷の騎士』という二枚目なイメージは、女性客を呼び込む最高のマーケティング材料だわ。あ、できれば開業日には、その鎧を脱いで浴衣……いえ、リラックスした姿でパンフレットのモデルになってもらいたいわね」

「……それだけは、死んでも断る」

ラインハルトは顔を背けたが、その耳がわずかに赤くなっているのを、エーミは見逃さなかった。

「ふふ、交渉の余地はありそうね。アンナ、辺境伯に最高級の紅茶を。これからの長いビジネスパートナーシップを祝して、まずは一杯いかが?」

「……お前のペースに巻き込まれるのは、癪だが。……毒が入っていないなら、いただこう」

二人が即席のテーブルで茶を囲む中、背後では騎士たちが凄まじい勢いで地面を掘り進めていた。

「お嬢様、このペースなら、露天風呂の基礎工事は今週中に終わります」

「素晴らしいわ。次は宿泊棟の木材ね。アシュレイ領の特産である『氷晶杉』を使いたいわ。辺境伯、卸値の相談をしましょうか?」

「……お前というやつは、茶を飲んでいる間も計算をやめないのか」

「当然でしょう? 時間は絶え間なく流れているの。流れる時間は全て、金貨に変換されるべきなのよ」

エーミの不敵な笑み。
ラインハルトは溜息をつきながらも、どこか楽しげに、彼女の差し出した新しい契約書に手を伸ばした。

その頃、王都。
ユリウス王子は、エーミが残した「正確すぎる家計簿」がなくなったことで、宮廷の会計士から「殿下、昨日の晩餐会で使用されたキャビアの出処を説明してください」と、三時間にわたる説教を受けていた。

「エーミ……。なぜ、君はそんなに……細かかったんだ……」

かつて「可愛げがない」と切り捨てた彼女の「細かさ」こそが、自分の贅沢を支えていた唯一の防壁だったことに、彼はまだ、半分も気づいていない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

婚約お断り令嬢ですわ ~奇行で縁談を潰していたら本命騎士に再会しました~

鍛高譚
恋愛
婚約話? 結構ですわ。 私には――子供の頃に命を救ってくれた“黒髪の騎士”がいるのですから。 公爵令嬢アンネローゼ・フォン・グレイシアは、才色兼備の完璧令嬢……だった。 だが、ある日から突如“奇行”に走り始める。正座で舞踏会に参加? スープにストロー? 謎のポエム朗読? そう、それはすべて――望まぬ婚約をぶち壊すため! 王族、貴族、策略家、演技派……次々と舞い込む政略結婚の話。 アンネローゼはあの手この手で縁談をぶった斬り、恋も名誉も自由も手に入れる! すべての婚約破棄は、たった一人の人に出会うため―― 「破談のアンネローゼ様」が貫く、“本当の婚約”とは? 痛快!恋愛ざまぁ×ラブコメディ×ハッピーエンド! 破談上等のお嬢様が、本物の愛を掴むまでの逆転劇が今、始まりますわ!

『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』

ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」 そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。 さらに王太子は宣言する。 「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。 履行履歴も整えず、契約も軽視し、 新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。 ――ですが。 契約は宣言では動きません。 信用は履歴の上にしか立ちません。 王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、 やがて止まったのは王太子の未来でした。 自ら押した承認印が、 自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。 公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。 救済なし。 やり直しなし。 契約通りに処理しただけですのに―― なぜか王太子が廃嫡されました。

婚約破棄されたので、隠していた聖女の力で聖樹を咲かせてみました

Megumi
恋愛
偽聖女と蔑まれ、婚約破棄されたイザベラ。 「お前は地味で、暗くて、何の取り柄もない」 元婚約者である王子はそう言い放った。 十年間、寡黙な令嬢を演じ続けた彼女。 その沈黙には、理由があった。 その夜、王都を照らす奇跡の光。 枯れた聖樹が満開に咲き誇り、人々は囁いた。 「真の聖女が目覚めた」と——

『皇族を名乗った伯爵家は、帝国に処理されました』 ―天然メイドは、今日も失敗する―

ふわふわ
恋愛
婚約破棄を経て、静かに屋敷を去った令嬢。 その後に残された伯爵家は、焦燥と虚勢を抱えたまま立て直しを図ろうとする。 だが、思惑はことごとく空回りする。 社交界での小さな失態。 資金繰りの綻び。 信用の揺らぎ。 そして、屋敷の中で起こる“ちょっとした”騒動の数々。 決して大事件ではない。 けれど積み重なれば、笑えない。 一方、帝国では新たな時代が静かに始まろうとしている。 血筋とは何か。 名乗るとは何か。 国家が守るものとは何か。 これは、派手な復讐劇ではない。 怒号も陰謀もない。 ただ―― 立場を取り違えた家が、ゆっくりと現実に追いつかれていく物語。 そして今日も、屋敷では誰かが小さな失敗をする。 世界は静かに、しかし確実に動いている。

「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」

イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。 ある日、夢をみた。 この国の未来を。 それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。 彼は言う。 愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?

処理中です...