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「……素晴らしいわ、エーミ。この『アロマ付き温泉蒸し器』。顔の毛穴という毛穴に、辺境の生命力が染み渡るようですわ!」
セシル王女は、特注の白いバスローブに身を包み、優雅にカウチでくつろいでいた。
その隣では、エーミが羽ペンを走らせ、何やら複雑なグラフを作成している。
「ご満足いただけて光栄ですわ、セシル様。その『蒸し器』、実は裏山の薬草の残りカスを再利用したものなのですが……王女様が使えば、それは『王室秘伝の美顔器』に昇華される。……アンナ、今のセシル様の満足げな表情をスケッチして。広告の原案にするわ」
「承知いたしました。タイトルは『第一王女も認めた、奇跡の潤い』でよろしいでしょうか?」
「完璧よ。フォントは金箔押しを想定しておいて」
「……おい」
低い声が響き、部屋の入り口にラインハルトが立っていた。
彼はいつになく険しい顔をして、エーミとセシルを交互に見る。
「王女殿下。ここは戦場ではないのです。あまりに無防備すぎます。それとエーミ、お前もだ。王女を広告塔にするなど、不敬罪で首が飛んでも文句は言えんぞ」
「あら、ラインハルト。固いことを言わないで。私は自ら望んでこの『経済活動』に参加しているのよ」
セシルは可笑しそうに目を細めると、ラインハルトの手を引いて隣に座らせようとした。
ラインハルトは慌てて距離を取る。
「……殿下、近すぎます」
「あら、氷の騎士様が照れているのかしら? それとも、エーミが私の隣に座るのが気に入らないのかしら?」
「なっ……! 何を根拠にそのようなことを!」
「だって、あなた、さっきからエーミが数字を書き込む指先ばかり見ているじゃない。剣先を見る時よりも熱心な眼差しで」
セシルの指摘に、ラインハルトは言葉を詰まらせ、あからさまに視線を泳がせた。
エーミはといえば、そんな会話は全く耳に入っていない様子で、算盤(そろばん)を弾き続けている。
「……辺境伯、動かないで。今、あなたの身長と体格から算出する『理想的なエスコート・ロボ……いえ、エスコート騎士の配置図』を作成しているの。あなたが門に立つだけで、宿泊単価をさらに銀貨五枚は上乗せできるわ」
「俺を門番にするな。俺は一応、ここの領主だぞ」
「領主という肩書きを持つ門番。……最高に贅沢な付加価値(バリュー)じゃない。あ、そうだわ。辺境伯、あなたがお客様の手を取って馬車から降ろすオプションサービス、名付けて『氷の騎士の甘い拘束プラン』……これ、いけるわね!」
「却下だ! ……だいたい、甘い拘束とはなんだ!」
ラインハルトは耳まで真っ赤にして怒鳴ったが、エーミは「需要と供給のバランスを考えなさいよ」と冷たくあしらった。
「エーミ、ラインハルトをあまりいじめないであげて? 彼はこれでも、あなたが王都で婚約破棄されたって聞いた時、今にも馬を飛ばして乗り込もうとしていたんだから」
セシルが茶目っ気たっぷりに暴露すると、エーミは初めてペンを止めた。
「……辺境伯が、王都へ? なぜです? あの時、彼はまだ私の債権リストには入っていませんでしたし、助けに来る『合理的理由』が見当たりませんが」
「合理的理由……。お前は、それがないと人は動かないと思っているのか」
ラインハルトが、絞り出すような声で言った。
その瞳には、いつもの冷徹さとは違う、ひどく不器用な情熱が宿っている。
「当然ですわ。感情は変動が激しく、不確実な資産です。一方、契約と利益は裏切りません。あなたが私を助けようとしたのなら、それは何らかの『見返り』を期待してのことでしょう? 例えば……そうね、我が公爵家との太いパイプとか」
「……お前というやつは!」
ラインハルトは立ち上がり、エーミの座る机に両手をついた。
至近距離で、二人の視線がぶつかる。
ラインハルトの整った顔が間近に迫り、エーミは一瞬、計算式を忘れそうになった。
「俺が欲しいのは、お前の家とのパイプでも、温泉の利益でもない! 俺は……お前のその、誰にも媚びずに数字を追う、ふてぶてしいまでの……っ!」
「ふてぶてしいまでの……?」
「……もういい! アンナ、こいつに何か栄養のあるものを食わせろ! 脳が計算しすぎて焼き切れている!」
ラインハルトはそれだけ言い捨てると、逃げるように部屋を飛び出していった。
残されたエーミは、瞬きを繰り返しながら呟いた。
「……アンナ。今の辺境伯の行動、解析できる?」
「お嬢様。……あれは専門用語で言うところの『照れ隠し』、あるいは『恋煩い』という、極めて非合理的なバグの一種かと思われます」
「バグ……。修正が必要かしら?」
「いいえ。そのバグがあるおかげで、彼はお嬢様の無理難題をタダ働き同然で引き受けてくれているのです。そのまま放置しておくのが、経営上は最も有利かと」
「……なるほど。アンナ、あなたは本当に優秀な右腕ね」
エーミは納得したように頷くと、再び帳簿に向き直った。
隣でそのやり取りを見ていたセシル王女は、もはやお腹を抱えて笑い転げている。
「あははは! ラインハルト、可哀想に! 最強の合理主義者を好きになってしまうなんて、最大の赤字物件を掴んだようなものね!」
「セシル様、失礼ですよ。私は優良銘柄ですわ。……さて、笑っている間に次の企画書を仕上げましょう。王女様、次は『王宮の秘密暴露・女子会プラン』の監修をお願いしますわね。もちろん、情報提供料はお支払いしますから」
「ええ、喜んで。お兄様の恥ずかしい幼少期の話なら、一晩中話してあげられるわ」
辺境の夜は更けていく。
エーミの頭の中では、恋の駆け引きすらも、着々と利益を生むための「戦略」へと組み込まれていくのだった。
一方、その頃の王都。
ユリウス王子は、セシル王女が残していった「王族としての心得(という名の説教集)」を読み上げられながら、夕食のデザートをランクダウンされるという、かつてない屈辱に耐えていた。
「……エーミ、姉上……。僕が、僕が一体何をしたっていうんだ……っ!」
彼が自分の「非合理な行動」が招いた末路を理解するには、まだ膨大な授業料が必要なようであった。
セシル王女は、特注の白いバスローブに身を包み、優雅にカウチでくつろいでいた。
その隣では、エーミが羽ペンを走らせ、何やら複雑なグラフを作成している。
「ご満足いただけて光栄ですわ、セシル様。その『蒸し器』、実は裏山の薬草の残りカスを再利用したものなのですが……王女様が使えば、それは『王室秘伝の美顔器』に昇華される。……アンナ、今のセシル様の満足げな表情をスケッチして。広告の原案にするわ」
「承知いたしました。タイトルは『第一王女も認めた、奇跡の潤い』でよろしいでしょうか?」
「完璧よ。フォントは金箔押しを想定しておいて」
「……おい」
低い声が響き、部屋の入り口にラインハルトが立っていた。
彼はいつになく険しい顔をして、エーミとセシルを交互に見る。
「王女殿下。ここは戦場ではないのです。あまりに無防備すぎます。それとエーミ、お前もだ。王女を広告塔にするなど、不敬罪で首が飛んでも文句は言えんぞ」
「あら、ラインハルト。固いことを言わないで。私は自ら望んでこの『経済活動』に参加しているのよ」
セシルは可笑しそうに目を細めると、ラインハルトの手を引いて隣に座らせようとした。
ラインハルトは慌てて距離を取る。
「……殿下、近すぎます」
「あら、氷の騎士様が照れているのかしら? それとも、エーミが私の隣に座るのが気に入らないのかしら?」
「なっ……! 何を根拠にそのようなことを!」
「だって、あなた、さっきからエーミが数字を書き込む指先ばかり見ているじゃない。剣先を見る時よりも熱心な眼差しで」
セシルの指摘に、ラインハルトは言葉を詰まらせ、あからさまに視線を泳がせた。
エーミはといえば、そんな会話は全く耳に入っていない様子で、算盤(そろばん)を弾き続けている。
「……辺境伯、動かないで。今、あなたの身長と体格から算出する『理想的なエスコート・ロボ……いえ、エスコート騎士の配置図』を作成しているの。あなたが門に立つだけで、宿泊単価をさらに銀貨五枚は上乗せできるわ」
「俺を門番にするな。俺は一応、ここの領主だぞ」
「領主という肩書きを持つ門番。……最高に贅沢な付加価値(バリュー)じゃない。あ、そうだわ。辺境伯、あなたがお客様の手を取って馬車から降ろすオプションサービス、名付けて『氷の騎士の甘い拘束プラン』……これ、いけるわね!」
「却下だ! ……だいたい、甘い拘束とはなんだ!」
ラインハルトは耳まで真っ赤にして怒鳴ったが、エーミは「需要と供給のバランスを考えなさいよ」と冷たくあしらった。
「エーミ、ラインハルトをあまりいじめないであげて? 彼はこれでも、あなたが王都で婚約破棄されたって聞いた時、今にも馬を飛ばして乗り込もうとしていたんだから」
セシルが茶目っ気たっぷりに暴露すると、エーミは初めてペンを止めた。
「……辺境伯が、王都へ? なぜです? あの時、彼はまだ私の債権リストには入っていませんでしたし、助けに来る『合理的理由』が見当たりませんが」
「合理的理由……。お前は、それがないと人は動かないと思っているのか」
ラインハルトが、絞り出すような声で言った。
その瞳には、いつもの冷徹さとは違う、ひどく不器用な情熱が宿っている。
「当然ですわ。感情は変動が激しく、不確実な資産です。一方、契約と利益は裏切りません。あなたが私を助けようとしたのなら、それは何らかの『見返り』を期待してのことでしょう? 例えば……そうね、我が公爵家との太いパイプとか」
「……お前というやつは!」
ラインハルトは立ち上がり、エーミの座る机に両手をついた。
至近距離で、二人の視線がぶつかる。
ラインハルトの整った顔が間近に迫り、エーミは一瞬、計算式を忘れそうになった。
「俺が欲しいのは、お前の家とのパイプでも、温泉の利益でもない! 俺は……お前のその、誰にも媚びずに数字を追う、ふてぶてしいまでの……っ!」
「ふてぶてしいまでの……?」
「……もういい! アンナ、こいつに何か栄養のあるものを食わせろ! 脳が計算しすぎて焼き切れている!」
ラインハルトはそれだけ言い捨てると、逃げるように部屋を飛び出していった。
残されたエーミは、瞬きを繰り返しながら呟いた。
「……アンナ。今の辺境伯の行動、解析できる?」
「お嬢様。……あれは専門用語で言うところの『照れ隠し』、あるいは『恋煩い』という、極めて非合理的なバグの一種かと思われます」
「バグ……。修正が必要かしら?」
「いいえ。そのバグがあるおかげで、彼はお嬢様の無理難題をタダ働き同然で引き受けてくれているのです。そのまま放置しておくのが、経営上は最も有利かと」
「……なるほど。アンナ、あなたは本当に優秀な右腕ね」
エーミは納得したように頷くと、再び帳簿に向き直った。
隣でそのやり取りを見ていたセシル王女は、もはやお腹を抱えて笑い転げている。
「あははは! ラインハルト、可哀想に! 最強の合理主義者を好きになってしまうなんて、最大の赤字物件を掴んだようなものね!」
「セシル様、失礼ですよ。私は優良銘柄ですわ。……さて、笑っている間に次の企画書を仕上げましょう。王女様、次は『王宮の秘密暴露・女子会プラン』の監修をお願いしますわね。もちろん、情報提供料はお支払いしますから」
「ええ、喜んで。お兄様の恥ずかしい幼少期の話なら、一晩中話してあげられるわ」
辺境の夜は更けていく。
エーミの頭の中では、恋の駆け引きすらも、着々と利益を生むための「戦略」へと組み込まれていくのだった。
一方、その頃の王都。
ユリウス王子は、セシル王女が残していった「王族としての心得(という名の説教集)」を読み上げられながら、夕食のデザートをランクダウンされるという、かつてない屈辱に耐えていた。
「……エーミ、姉上……。僕が、僕が一体何をしたっていうんだ……っ!」
彼が自分の「非合理な行動」が招いた末路を理解するには、まだ膨大な授業料が必要なようであった。
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