婚約破棄?はい、喜んで!――つきましては、こちらの請求書をご確認ください。

小梅りこ

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「……なんだ、この辺境の宿は。空気と景色だけは一丁前だが、食事が不味ければ私の評価は『星ゼロ』。明日の社交界新聞で酷評してやるとも!」

ロビーに響き渡ったのは、肥満体型を高級なシルクで包んだ男、バロン・ガストロンの傲慢な声だった。

彼は王国でその名を知らぬ者はいない「伝説の美食家」。
彼の一言でレストランの株価が乱高下すると言われる、歩く不確定要素(リスク)そのものだ。

「あら、ガストロン男爵。お口の肥えたお客様は大歓迎ですわ。ただし、あなたの舌が『ブランドの値段』を食べているのか、『素材の真価』を食べているのか、試させていただきますわよ」

エーミは不敵な笑みを浮かべ、厨房へと向かった。
そこには、ジャガイモの皮剥きで指をふやかしたフローラが立ち尽くしていた。

「フローラ様、出番よ。あなたの唯一の特技である『可愛らしい盛り付け』と『甘いものへの執着』を、今日だけはビジネスに昇華してちょうだい」

「ええっ!? わ、わたくしに何をしろとおっしゃるの!? 料理なんて、プロに任せればよろしいでしょう!」

「いいえ。プロの料理は原価が高いの。私たちが作るのは、そこらへんに生えている山菜と、昨日の残りの卵、そして温泉の熱を利用した『原価率一五%以下の奇跡』よ!」

エーミの瞳が、計算高い光を放つ。
彼女はまず、温泉の源泉から出る高温の蒸気を使って、野菜や卵を蒸し始めた。

「いい、フローラ様。高級なバターやフォアグラに頼るのは、無能な経営者のすることよ。素材が持つポテンシャルを、無料の熱エネルギー(温泉)で引き出す。これこそが究極のコストカットであり、最高の贅沢なのよ」

「……なんか、おっしゃっていることはケチくさいですけれど、香りはとってもよろしいですわね」

フローラは、エーミが蒸し上げた色鮮やかな野菜を、持ち前の美的センスで皿の上に「花園」のように配置していった。
仕上げに、エーミが秘密の配合で作った「辺境ハーブの岩塩」をパラリと振りかける。

「お待たせいたしました、男爵。これが我が宿のスペシャリテ、『辺境の息吹・蒸気仕立て』ですわ」

ガストロン男爵は、鼻で笑いながらフォークを伸ばした。
「ふん、ただの蒸し野菜ではないか。こんなものが私の舌を――」

パクり、と一口食べた瞬間。
男爵の全身に激震が走った。

「……な、なんだ、この甘みは! 野菜の繊維が細胞レベルで喜び、口の中でとろけていく! それにこの塩、ただの塩ではない……大地のミネラルが爆発しているようだ!」

「ふふ、当然ですわ。その野菜は今朝、私が村の子供たちに『お小遣い一五%アップ』を条件に、最高に熟したものだけを摘ませてきたものですから。鮮度はどの王都の市場よりも上ですわよ」

「さらに、このデザート……! この『温泉卵の滑らかプリン』は何だ! こんな濃厚なコク、王宮のシェフでも出せなかったぞ!」

フローラがドヤ顔で胸を張る。
「当然ですわ! わたくしが三時間、温度計を見つめながら(エーミ様に監視されながら)仕上げた逸品ですもの!」

ガストロン男爵は、皿を舐めるほどの勢いで完食すると、その場に跪いた。

「……負けだ。私の完敗だ。エーミ嬢、君は食材の『価格』ではなく『価値』を支配している。……この料理のレシピ、金貨百枚で売ってくれまいか!」

「あら、男爵。金貨百枚? ……そんな安値で売るわけないでしょう。その代わりに、あなたの新聞のコラム三回分を、我が宿の独占広告枠として提供してちょうだい。その方が、将来的なROI(投資利益率)が高いですもの」

「……くっ、最後まで商魂(しょうこん)逞しい女だ。だが、それもまた……美味だ!」

男爵が満足げに立ち去った後、厨房にはエーミとフローラ、そして一部始終を見守っていたラインハルトが残された。

「……お嬢様。ガストロン男爵の好評価により、来月の予約が三〇〇%増加いたしました」

アンナが電卓を叩きながら報告する。

「素晴らしいわ。……フローラ様、あなたもよくやったわね。今日の労働は、金貨五枚分の価値があったわ。あなたの借金から差し引いておいてあげる」

「えっ、五枚も!? ……あ、あら、わたくしの美貌と才能からすれば当然の結果ですわ! おほほほ!」

フローラは高笑いしながらも、どこか誇らしげに自分の手を見つめていた。
労働によって得た「対価」の重みを、彼女も少しずつ理解し始めていた。

「……エーミ。お前は本当に、敵すらも味方……いや、金の成る木に変えてしまうな」

ラインハルトが、呆れたように、しかし愛おしそうにエーミの肩を抱いた。

「あら。私はただ、無駄を削ぎ落として、本当の価値を見せているだけよ。……ラインハルト、あなたもこの『低コスト・高感動』のマッサージ、受けてみる?」

「……だから、そのマッサージの勧誘はやめろと言っているだろう。……受けるが」

「ふふ、やっぱり受けるのね。……さあ、アンナ。次のお客様が来る前に、メニューの単価を一五%引き上げる準備をしましょう。需要が供給を上回った瞬間の値上げ、これこそが商売の鉄則よ!」

エーミの高笑いが、辺境の山々にこだました。
物語は、いよいよ最終局面――王国の未来を決める「大清算」へと向かって加速していく。
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