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第1話 姉の不幸は蜜の味
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「婚約破棄されたのよ!」
姉のルイーザが屋敷に帰るなり泣き崩れたので、もうびっくりした。
今日は婚約者のジェラルドとのデートだったじゃない。まさかデートの最中に別れ話を切り出されたのかしら。
「ジェラルドは、しばらく婚約は保留にしようって言うのよ。『僕はまだ結婚する決意ができていない』って……これ、遠回しな婚約破棄よね!」
ルイーザは侍女が差し出したハンカチで涙を拭った。
「私は二十歳までに結婚したかったのに、これじゃ無理だわ!」
ルイーザの背後に、父のヴァレンテ・マゼッティ男爵が立った。
「詳しく話してくれ。事次第では、ただでは済ませない」
「あなた……」
母のジルダが心配そうに声をかけた。
父は憤慨していた。そりゃそうよね。姉は気が強くて美人、いつも華やかなオーラを放っている人だ。父というより、マゼッティ男爵家の自慢の種なのだから。
正直、姉ほどの美人ならばライネーリ伯爵家の次男ジェラルドではなく、もっと格式高い貴族の子息と結婚できそうなものなのに、こんなところで手を打ったのね。伯爵家といっても、男爵の我が家が追いつけないほどの家柄じゃない。
ともあれ、居間では父母と姉が侃々諤々の議論を始めた。私はそっとその喧騒から抜け出し、二階の自室へ戻った。
部屋のドアを閉めると、思わずニヤリとした。そして腹の底から笑った。
「きゃははははっ!」
声が階下に漏れそうだったので、慌てて口元を押さえる。
やばいやばい。ただでさえ私はこの屋敷で浮いている存在なのに、こんなところを見られたらおしまいだ。
私はフィオレ・マゼッティ、十八歳。姉ルイーザの二つ下の妹。
私はベッドにダイブし、枕に顔を押し当てて思い切り笑った。これなら誰にも聞こえない。ぐふふふふ。
仰向けになってもニヤニヤが収まらない。姉の不幸は蜜の味。楽しくて仕方ないのよ。
そう、私たちは姉妹だけど、最悪に仲が悪い。
その原因は、五歳の時の出来事だった。
母は姉をティーパーティーに連れて行ったけれど、私はいつも留守番だった。一度、私も連れて行ってと頼んだら、姉が反対したのだ。
「あんたみたいなブスが来ると、恥ずかしいのよ」
姉は私が幼い頃から、よく「ブス」と蔑んできた。そりゃ姉は美人だし、私みたいなのを連れて行って「妹だ」と紹介されるのは嫌なんだろうな、とその時は思っていた。
母と姉が出かけた後、私は父にティーパーティーへ行きたいと駄々をこねた。
「そうか、行きたいか。よし、皆を驚かせてやろう」
父は私に甘かった。
◇
「まあ、なんて可愛らしいの!」
私はキョトンとした。
「まるでお人形さんじゃない。なんて綺麗な子かしら」
会場に入るなり、私は注目を一身に浴びた。ティーパーティーの夫人たちが私を囲む。
私はキョロキョロと父と姉を探した。父は屋敷の主人と談笑している。
あれ?
姉にはブスって言われたけど、ここの人たちはみんな褒めてくれる。
可愛い、って。
もしかして、私って可愛いの?
そんなことをぼんやり考えていたら、姉のルイーザが凄まじい形相でやってきた。
「ちょっと来なさい!」
私の手首を掴み、子供たちの間を割って廊下へと連れ出した。
「誰もあんたなんか呼んでないのに、何で来たのよ」
「ごめんなさい……」
「いい? フィオレはブスだから、みんな気を使って褒めてただけなのよ。わかる?」
「……」
「だから、綺麗に見えるように化粧してあげるわ」
姉は控え室で化粧道具を探し出し、私の顔に細工を施した。
「これで大丈夫。まだ用事があるから、先にみんなのところに戻ってなさい」
「ぷっ、なんだありゃ?」
「うわ、ひどい!」
「おいおい、仮装大会じゃないんだぞ」
私が部屋に戻ると、再び視線が釘付けになった。
みんな笑っていた。
けれど、さっきのような賞賛の眼差しではない。真逆の、驚きと憐れみに満ちた表情。
「フィオレったら、自分で化粧をすると言い張って……まだちょっと早かったわね」
背後から現れた姉が言った。
「おバカなのよ、フィオレは」
私は何かがおかしいと思い、壁の鏡を覗き込んだ。
げっ。
眉毛が一本の線でつながっている。頬は真っ赤で、鼻の下には眉墨で髭が描かれていた。
私は振り返って姉を睨みつけた。
姉はそっぽを向いている。
「お嬢様、こちらへ」
声をかけてくれたのは、その屋敷の侍女だった。女主人の目配せを受け、すぐさま動いてくれたのだ。私は再び控え室へと連れて行かれた。
侍女は私の化粧を丁寧に拭い、感嘆の声を漏らした。
「まるで本物のお人形さんみたい。お姉様が嫉妬なさるのも分かりますわ」
五歳の私は、初めて姉ルイーザの明確な悪意に気づいた。姉は私のことが嫌いなのだ。だから、あんな意地悪をしたのだ。
姉は悪い人。もう許さない!
その日の夜、隣のベッドでいびきをかいている姉の髪を、ハサミで切り刻んでやった。無造作に、バッサリと。
チョキ、チョキ!
朝、姉が目覚めて枕元の毛髪に気づき、両手で自らの頭に触れた瞬間――。
「うぎゃぁぁぁぁああああ!!」
◇
その出来事以来、私と姉は決定的に仲が悪くなった。
だから、姉が婚約破棄されたと聞いた時は胸がスカッとした。いい気味だわ。
私は嬉しくなって、机の奥から葉巻を取り出した。
父の書斎からくすねた一級品だ。普段は紙巻きタバコを隠れて吸っているけれど、今日は特別なお祝いだから奮発しちゃう。
携帯用の火種箱を開け、中を覗く。火種は生きていた。毎日、侍女のアンナが料理人から火種を都合してくれるのだ。彼女もタバコ仲間だから共犯である。
葉巻に火をつけた。
煙を吸い、ゆっくりと吐き出す。
うーん、やはりキューヴァ産の葉巻はうまい。
部屋が臭くならないよう窓を開け、縁に腰掛けて一服する。裏庭では庭師が働いているのが見えた。
「前から葉巻を吸っていたのか? どうりで数が合わないと……」
振り返ると、父が真後ろに立っていた。
ちょっと、娘の部屋に入る時はノックぐらいしてよ。本当にデリカシーがないんだから。
「ルイーザが婚約破棄されたというのに、なんだその態度は!」
父は私の指から葉巻をひったくった。忌々しそうに、窓辺の花瓶に生けられた花をむしり取って外へ放り投げる。その様子を庭師が呆然と見上げていた。
葉巻は花瓶の中に突っ込まれた。あらら、庭師の仕事を増やしちゃったわね。
「落ち着いてください、お父様」
私は興奮した馬をなだめるように、穏やかに言った。
父は私の顔をじっと見つめた。
「こうなったら、フィオレ。お前に手助けしてもらう」
◇
「皆さん、今日から勤務してもらう新人です」
侍女長が、黒髪おかっぱの少女を促した。
私は一歩前に出た。
「モニカ・ポラーノ、十八歳です。よろしくお願いします」
使用人室で挨拶を済ませる。長いテーブルに座った十数人の男女から、一斉に視線を浴びた。
うわー、緊張する。普段、男爵令嬢の私に接する使用人たちは笑顔を見せてくれるけれど、ここでは皆が無表情だ。「なんだこいつは」と品定めをされている。
私は変装していた。ブロンドの髪は黒髪のカツラに、顔には黒縁メガネとそばかすの化粧。いわば別人である。
「フィオレ、使用人に化けてライネーリ伯爵邸に潜入しろ。ルイーザを捨てたことを後悔させてやるんだ」
父は、ライネーリ伯爵家の悪事の証拠を掴めと命じた。貴族なんてみんな脛に傷持つ身だ、弱みを握ってこい。それまでは帰ってくるな、と。
もちろん私は反抗した。なんで私が姉の復讐なんて手伝わなきゃいけないの。
「嫌なら結婚させる」
貴族令嬢にとって政略結婚は絶対だ。恋愛結婚なんて物語の中だけ。私たちに相手を選ぶ権利はない。
しかも、父が押し付けようとしているのは、妻に先立たれた老人だという。
いやいやいや、ありえない!
なんでこの若さでおじいちゃんと結婚しなきゃいけないのよ。
そんなの死んでも嫌!
「だったら、OKだな」
父が言った。
「はい。潜入捜査します」
私はしぶしぶ引き受ける羽目になった。
姉のルイーザが屋敷に帰るなり泣き崩れたので、もうびっくりした。
今日は婚約者のジェラルドとのデートだったじゃない。まさかデートの最中に別れ話を切り出されたのかしら。
「ジェラルドは、しばらく婚約は保留にしようって言うのよ。『僕はまだ結婚する決意ができていない』って……これ、遠回しな婚約破棄よね!」
ルイーザは侍女が差し出したハンカチで涙を拭った。
「私は二十歳までに結婚したかったのに、これじゃ無理だわ!」
ルイーザの背後に、父のヴァレンテ・マゼッティ男爵が立った。
「詳しく話してくれ。事次第では、ただでは済ませない」
「あなた……」
母のジルダが心配そうに声をかけた。
父は憤慨していた。そりゃそうよね。姉は気が強くて美人、いつも華やかなオーラを放っている人だ。父というより、マゼッティ男爵家の自慢の種なのだから。
正直、姉ほどの美人ならばライネーリ伯爵家の次男ジェラルドではなく、もっと格式高い貴族の子息と結婚できそうなものなのに、こんなところで手を打ったのね。伯爵家といっても、男爵の我が家が追いつけないほどの家柄じゃない。
ともあれ、居間では父母と姉が侃々諤々の議論を始めた。私はそっとその喧騒から抜け出し、二階の自室へ戻った。
部屋のドアを閉めると、思わずニヤリとした。そして腹の底から笑った。
「きゃははははっ!」
声が階下に漏れそうだったので、慌てて口元を押さえる。
やばいやばい。ただでさえ私はこの屋敷で浮いている存在なのに、こんなところを見られたらおしまいだ。
私はフィオレ・マゼッティ、十八歳。姉ルイーザの二つ下の妹。
私はベッドにダイブし、枕に顔を押し当てて思い切り笑った。これなら誰にも聞こえない。ぐふふふふ。
仰向けになってもニヤニヤが収まらない。姉の不幸は蜜の味。楽しくて仕方ないのよ。
そう、私たちは姉妹だけど、最悪に仲が悪い。
その原因は、五歳の時の出来事だった。
母は姉をティーパーティーに連れて行ったけれど、私はいつも留守番だった。一度、私も連れて行ってと頼んだら、姉が反対したのだ。
「あんたみたいなブスが来ると、恥ずかしいのよ」
姉は私が幼い頃から、よく「ブス」と蔑んできた。そりゃ姉は美人だし、私みたいなのを連れて行って「妹だ」と紹介されるのは嫌なんだろうな、とその時は思っていた。
母と姉が出かけた後、私は父にティーパーティーへ行きたいと駄々をこねた。
「そうか、行きたいか。よし、皆を驚かせてやろう」
父は私に甘かった。
◇
「まあ、なんて可愛らしいの!」
私はキョトンとした。
「まるでお人形さんじゃない。なんて綺麗な子かしら」
会場に入るなり、私は注目を一身に浴びた。ティーパーティーの夫人たちが私を囲む。
私はキョロキョロと父と姉を探した。父は屋敷の主人と談笑している。
あれ?
姉にはブスって言われたけど、ここの人たちはみんな褒めてくれる。
可愛い、って。
もしかして、私って可愛いの?
そんなことをぼんやり考えていたら、姉のルイーザが凄まじい形相でやってきた。
「ちょっと来なさい!」
私の手首を掴み、子供たちの間を割って廊下へと連れ出した。
「誰もあんたなんか呼んでないのに、何で来たのよ」
「ごめんなさい……」
「いい? フィオレはブスだから、みんな気を使って褒めてただけなのよ。わかる?」
「……」
「だから、綺麗に見えるように化粧してあげるわ」
姉は控え室で化粧道具を探し出し、私の顔に細工を施した。
「これで大丈夫。まだ用事があるから、先にみんなのところに戻ってなさい」
「ぷっ、なんだありゃ?」
「うわ、ひどい!」
「おいおい、仮装大会じゃないんだぞ」
私が部屋に戻ると、再び視線が釘付けになった。
みんな笑っていた。
けれど、さっきのような賞賛の眼差しではない。真逆の、驚きと憐れみに満ちた表情。
「フィオレったら、自分で化粧をすると言い張って……まだちょっと早かったわね」
背後から現れた姉が言った。
「おバカなのよ、フィオレは」
私は何かがおかしいと思い、壁の鏡を覗き込んだ。
げっ。
眉毛が一本の線でつながっている。頬は真っ赤で、鼻の下には眉墨で髭が描かれていた。
私は振り返って姉を睨みつけた。
姉はそっぽを向いている。
「お嬢様、こちらへ」
声をかけてくれたのは、その屋敷の侍女だった。女主人の目配せを受け、すぐさま動いてくれたのだ。私は再び控え室へと連れて行かれた。
侍女は私の化粧を丁寧に拭い、感嘆の声を漏らした。
「まるで本物のお人形さんみたい。お姉様が嫉妬なさるのも分かりますわ」
五歳の私は、初めて姉ルイーザの明確な悪意に気づいた。姉は私のことが嫌いなのだ。だから、あんな意地悪をしたのだ。
姉は悪い人。もう許さない!
その日の夜、隣のベッドでいびきをかいている姉の髪を、ハサミで切り刻んでやった。無造作に、バッサリと。
チョキ、チョキ!
朝、姉が目覚めて枕元の毛髪に気づき、両手で自らの頭に触れた瞬間――。
「うぎゃぁぁぁぁああああ!!」
◇
その出来事以来、私と姉は決定的に仲が悪くなった。
だから、姉が婚約破棄されたと聞いた時は胸がスカッとした。いい気味だわ。
私は嬉しくなって、机の奥から葉巻を取り出した。
父の書斎からくすねた一級品だ。普段は紙巻きタバコを隠れて吸っているけれど、今日は特別なお祝いだから奮発しちゃう。
携帯用の火種箱を開け、中を覗く。火種は生きていた。毎日、侍女のアンナが料理人から火種を都合してくれるのだ。彼女もタバコ仲間だから共犯である。
葉巻に火をつけた。
煙を吸い、ゆっくりと吐き出す。
うーん、やはりキューヴァ産の葉巻はうまい。
部屋が臭くならないよう窓を開け、縁に腰掛けて一服する。裏庭では庭師が働いているのが見えた。
「前から葉巻を吸っていたのか? どうりで数が合わないと……」
振り返ると、父が真後ろに立っていた。
ちょっと、娘の部屋に入る時はノックぐらいしてよ。本当にデリカシーがないんだから。
「ルイーザが婚約破棄されたというのに、なんだその態度は!」
父は私の指から葉巻をひったくった。忌々しそうに、窓辺の花瓶に生けられた花をむしり取って外へ放り投げる。その様子を庭師が呆然と見上げていた。
葉巻は花瓶の中に突っ込まれた。あらら、庭師の仕事を増やしちゃったわね。
「落ち着いてください、お父様」
私は興奮した馬をなだめるように、穏やかに言った。
父は私の顔をじっと見つめた。
「こうなったら、フィオレ。お前に手助けしてもらう」
◇
「皆さん、今日から勤務してもらう新人です」
侍女長が、黒髪おかっぱの少女を促した。
私は一歩前に出た。
「モニカ・ポラーノ、十八歳です。よろしくお願いします」
使用人室で挨拶を済ませる。長いテーブルに座った十数人の男女から、一斉に視線を浴びた。
うわー、緊張する。普段、男爵令嬢の私に接する使用人たちは笑顔を見せてくれるけれど、ここでは皆が無表情だ。「なんだこいつは」と品定めをされている。
私は変装していた。ブロンドの髪は黒髪のカツラに、顔には黒縁メガネとそばかすの化粧。いわば別人である。
「フィオレ、使用人に化けてライネーリ伯爵邸に潜入しろ。ルイーザを捨てたことを後悔させてやるんだ」
父は、ライネーリ伯爵家の悪事の証拠を掴めと命じた。貴族なんてみんな脛に傷持つ身だ、弱みを握ってこい。それまでは帰ってくるな、と。
もちろん私は反抗した。なんで私が姉の復讐なんて手伝わなきゃいけないの。
「嫌なら結婚させる」
貴族令嬢にとって政略結婚は絶対だ。恋愛結婚なんて物語の中だけ。私たちに相手を選ぶ権利はない。
しかも、父が押し付けようとしているのは、妻に先立たれた老人だという。
いやいやいや、ありえない!
なんでこの若さでおじいちゃんと結婚しなきゃいけないのよ。
そんなの死んでも嫌!
「だったら、OKだな」
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「はい。潜入捜査します」
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