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第2話 潜入、黒髪の侍女モニカ
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そんな経緯(いきさつ)で、私はライネーリ伯爵邸の侍女になった。没落貴族の娘としてのお勤めだ。だから仕事は一から教わった。
自分の部屋さえ掃除したことのない私が、一生懸命に廊下をモップで拭くことになるとは思わなかった。
テーブル、窓枠、部屋の隅々まで綺麗にすること。それとゴミ出し。庭の奥にある焼却炉にゴミを運ぶ。臭いのはかなわないわね。こんなことは下男にやらせるべきよ。……ん、侍女も下男と同じようなものか?
「ご苦労さま」
背後から声をかけたのは、エプロン姿の若い男だった。
バケツには野菜くずや肉を削ぎ落とした骨が見える。彼はバケツの中身を焼却炉に放り投げた。
「……あ、はい」
私は後ずさりした。知らない男とは口をきかないのがモットーだけど、この職場ではそうもいかない。
「確か、名前は……」
「モニカです。モニカ・ポラーノ」
「そうか、よろしくな。俺はウーゴ・メリーギ」
そう言うと、ウーゴは顔を近づけてきた。そして私の黒髪(カツラ)に鼻先を寄せた。クンクンと臭いを嗅いでいる。
やば、こいつ変質者?
私が固まっていると、右手首を握られた。ウーゴは周りに誰もいないことを確認すると、私を焼却炉の裏側へ連れ込んだ。
た、助けて────!
叫ぼうにも声が出ない。恐怖で涙目になった。
「ほら、あんたもこれが好きだろ?」
ええええっ!
彼がゴソゴソとエプロンの下を探った。そして取り出したのは……紙巻きタバコだった。
「吸う?」
うまい!
私はタバコを吸った。
ゆっくり煙を吐き出すと、隣に並んでウーゴも一服していた。
実は私も隠れてタバコを吸う習慣があったのだ。人気のない場所を見つけては嗜んでいた。火打石と金属プレートで麻の繊維に火をつける。そりゃ手慣れたものよ。
ウーゴはそんな手間をかけなくても、厨房の火から種火を作って携帯用の火種箱に入れるだけだから楽でいいわね。
「ここに同好の士がいるのは嬉しいよ」
ウーゴはニコッと笑った。
ふーん、ウーゴって悪い人じゃないみたい。
おっと、これは屋敷のスキャンダルを知るチャンスかも。
私は世間話をしながら、レンダーノ伯爵の探りを入れた。
「いい人だぞ。みんなに好かれている」
あっそう。
ま、会ったばかりの人間に本音は晒さないわね。そのうち仲良くなったら色々と出てくるでしょう。それまで根気よく頑張るか。
ニャー、ニャー!
どこからか私の足元に子猫がやってきた。黒猫だ。足首にすりすりしてくる。
「見かけねえ猫だな」
ウーゴが言った。
私は子猫を抱き上げた。私の胸の上で、喉をゴロゴロと鳴らしている。
思わず、にっこり笑った。
「へっ、あんた笑うんだ?」
「?」
「いやさ、無愛想にしてるから、そういう女かと思ってたぜ」
確かに私は無表情でいることが多い。同僚とも距離を取っている。だって貴族の子弟だってバレたらやばいでしょ。
子猫の母親を探したけれど、見つからなかった。
「この子、どうしようかしら」
「とりあえず、ここで飼ってみりゃいい」
「見つかったら怒られるわよ」
「何とか言いくるめたらいいさ。侍女が猫を飼っちゃ駄目なんて規則、聞いたことないぜ」
◇
夜。一日の仕事が終わって、屋敷の使用人たちはそれぞれの自室に戻った。
私はこっそり部屋を抜け出して裏庭に出た。焼却炉の前に行くと、草むらからお腹を空かせた子猫が飛び出してきた。
「ごめんね、遅くなって」
鍋の残飯を、ものすごい勢いで食べた。慌てなくてもいいよ。誰も取り上げないから。私は屈んで子猫の様子を見ていた。
子猫が食べ終えると、私は鍋を持ち上げた。背を向けると、子猫が足にしがみついてきた。
ニャー、ニャー
ソックスに爪が掛かった。引き離しても、またしがみついてくる。
こら、帰さないつもりか。困ったな。私は苦笑いをした。
そっと子猫を抱えて戻ろうとしたら、廊下から声がした。
「モニカさん、外出していたの?」
首だけ振り向くと、二つ向こうの扉が開いていた。先輩侍女のマリエッタがこっちを見ている。
「ちょっと外の空気を吸いに……」
「ふーん」
そう言って、彼女は自分の部屋に戻っていった。
翌朝の朝礼で、侍女長のナーディアさんが言った。
「昨晩、使用人部屋から猫の鳴き声が聞こえたと苦情が入りました。誰か心当たりはありませんか?」
私はギクッとした。
マリエッタに視線を向けたが、知らん顔された。仕方なく手を挙げる。
「すみません。庭に子猫がいたので連れてきました」
「数日だけ猶予を与えます。誰か引き取り手を探すこと。もちろん、仕事は手を抜かないように」
昼間の休憩時間に、厨房のウーゴのところへ行った。
「ほらよ」
手渡された鍋に盛られた残飯は、子猫の餌だ。
「ありがとう」
「いいってことよ。で、どうするんだよ子猫?」
「ここで飼うのは無理みたい。実家に預けようか考えてる」
「それじゃ安心だな。ところで、子猫に名前は付けたか?」
「ルー」
思わず、姉の愛称を言ってしまった。
「そりゃいい名前だ。うん、俺もお気に入りだ」
夜、仕事が終わって部屋でくつろいでいたら、ナーディアさんがやってきた。
「子猫を見せてくれる?」
部屋に入ったナーディアさんは、ベッドの上にいたルーを抱き上げた。
「女の子よね、かわいいわ。私、猫が大好きなの。実家にオッドアイの白猫がいるのよ。黒猫もいいわね」
「ルーも、ナーディアさんが好きみたい」
ルーは顎の下を撫でられてご満悦だった。
「子猫を飼うことを許可します。ネズミ駆除のためよ。この子にもいずれ働いてもらうわ」
うわっ、感激。
ナーディアさんのこと、好きになりそう。
自分の部屋さえ掃除したことのない私が、一生懸命に廊下をモップで拭くことになるとは思わなかった。
テーブル、窓枠、部屋の隅々まで綺麗にすること。それとゴミ出し。庭の奥にある焼却炉にゴミを運ぶ。臭いのはかなわないわね。こんなことは下男にやらせるべきよ。……ん、侍女も下男と同じようなものか?
「ご苦労さま」
背後から声をかけたのは、エプロン姿の若い男だった。
バケツには野菜くずや肉を削ぎ落とした骨が見える。彼はバケツの中身を焼却炉に放り投げた。
「……あ、はい」
私は後ずさりした。知らない男とは口をきかないのがモットーだけど、この職場ではそうもいかない。
「確か、名前は……」
「モニカです。モニカ・ポラーノ」
「そうか、よろしくな。俺はウーゴ・メリーギ」
そう言うと、ウーゴは顔を近づけてきた。そして私の黒髪(カツラ)に鼻先を寄せた。クンクンと臭いを嗅いでいる。
やば、こいつ変質者?
私が固まっていると、右手首を握られた。ウーゴは周りに誰もいないことを確認すると、私を焼却炉の裏側へ連れ込んだ。
た、助けて────!
叫ぼうにも声が出ない。恐怖で涙目になった。
「ほら、あんたもこれが好きだろ?」
ええええっ!
彼がゴソゴソとエプロンの下を探った。そして取り出したのは……紙巻きタバコだった。
「吸う?」
うまい!
私はタバコを吸った。
ゆっくり煙を吐き出すと、隣に並んでウーゴも一服していた。
実は私も隠れてタバコを吸う習慣があったのだ。人気のない場所を見つけては嗜んでいた。火打石と金属プレートで麻の繊維に火をつける。そりゃ手慣れたものよ。
ウーゴはそんな手間をかけなくても、厨房の火から種火を作って携帯用の火種箱に入れるだけだから楽でいいわね。
「ここに同好の士がいるのは嬉しいよ」
ウーゴはニコッと笑った。
ふーん、ウーゴって悪い人じゃないみたい。
おっと、これは屋敷のスキャンダルを知るチャンスかも。
私は世間話をしながら、レンダーノ伯爵の探りを入れた。
「いい人だぞ。みんなに好かれている」
あっそう。
ま、会ったばかりの人間に本音は晒さないわね。そのうち仲良くなったら色々と出てくるでしょう。それまで根気よく頑張るか。
ニャー、ニャー!
どこからか私の足元に子猫がやってきた。黒猫だ。足首にすりすりしてくる。
「見かけねえ猫だな」
ウーゴが言った。
私は子猫を抱き上げた。私の胸の上で、喉をゴロゴロと鳴らしている。
思わず、にっこり笑った。
「へっ、あんた笑うんだ?」
「?」
「いやさ、無愛想にしてるから、そういう女かと思ってたぜ」
確かに私は無表情でいることが多い。同僚とも距離を取っている。だって貴族の子弟だってバレたらやばいでしょ。
子猫の母親を探したけれど、見つからなかった。
「この子、どうしようかしら」
「とりあえず、ここで飼ってみりゃいい」
「見つかったら怒られるわよ」
「何とか言いくるめたらいいさ。侍女が猫を飼っちゃ駄目なんて規則、聞いたことないぜ」
◇
夜。一日の仕事が終わって、屋敷の使用人たちはそれぞれの自室に戻った。
私はこっそり部屋を抜け出して裏庭に出た。焼却炉の前に行くと、草むらからお腹を空かせた子猫が飛び出してきた。
「ごめんね、遅くなって」
鍋の残飯を、ものすごい勢いで食べた。慌てなくてもいいよ。誰も取り上げないから。私は屈んで子猫の様子を見ていた。
子猫が食べ終えると、私は鍋を持ち上げた。背を向けると、子猫が足にしがみついてきた。
ニャー、ニャー
ソックスに爪が掛かった。引き離しても、またしがみついてくる。
こら、帰さないつもりか。困ったな。私は苦笑いをした。
そっと子猫を抱えて戻ろうとしたら、廊下から声がした。
「モニカさん、外出していたの?」
首だけ振り向くと、二つ向こうの扉が開いていた。先輩侍女のマリエッタがこっちを見ている。
「ちょっと外の空気を吸いに……」
「ふーん」
そう言って、彼女は自分の部屋に戻っていった。
翌朝の朝礼で、侍女長のナーディアさんが言った。
「昨晩、使用人部屋から猫の鳴き声が聞こえたと苦情が入りました。誰か心当たりはありませんか?」
私はギクッとした。
マリエッタに視線を向けたが、知らん顔された。仕方なく手を挙げる。
「すみません。庭に子猫がいたので連れてきました」
「数日だけ猶予を与えます。誰か引き取り手を探すこと。もちろん、仕事は手を抜かないように」
昼間の休憩時間に、厨房のウーゴのところへ行った。
「ほらよ」
手渡された鍋に盛られた残飯は、子猫の餌だ。
「ありがとう」
「いいってことよ。で、どうするんだよ子猫?」
「ここで飼うのは無理みたい。実家に預けようか考えてる」
「それじゃ安心だな。ところで、子猫に名前は付けたか?」
「ルー」
思わず、姉の愛称を言ってしまった。
「そりゃいい名前だ。うん、俺もお気に入りだ」
夜、仕事が終わって部屋でくつろいでいたら、ナーディアさんがやってきた。
「子猫を見せてくれる?」
部屋に入ったナーディアさんは、ベッドの上にいたルーを抱き上げた。
「女の子よね、かわいいわ。私、猫が大好きなの。実家にオッドアイの白猫がいるのよ。黒猫もいいわね」
「ルーも、ナーディアさんが好きみたい」
ルーは顎の下を撫でられてご満悦だった。
「子猫を飼うことを許可します。ネズミ駆除のためよ。この子にもいずれ働いてもらうわ」
うわっ、感激。
ナーディアさんのこと、好きになりそう。
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