令嬢の皮を被ったヘビースモーカー、侍女に化けて敵情視察。〜猫を拾ってタバコを吸っていただけなのに、なぜか次期伯爵に愛の告白をされました〜 

御厨そら

文字の大きさ
5 / 6

第5話 さよなら伯爵邸

しおりを挟む
「今月末でお暇(おいとま)をいただきたいのです」

​ 私は侍女長の部屋に入り、机に向かったナーディアさんの背中に向かって言った。

 ナーディアさんのペンが止まり、彼女は振り返った。

​「ここを辞めて、どうするの?」

​「縁談がありまして。受けてみようと思います」

​「縁談? 結婚するの!」

​「はい。以前から父に勧められていました」

​「寂しくなるわね……でも、あなたが幸せになるなら」

 ナーディアさんは立ち上がり、私の両手を包み込んだ。

​「仕方ないわね」
 そう言って、ニコッと笑った。

​ 私は、ここらが潮時だと思った。
 ライネーリ伯爵の悪事を暴こうとしたけれど、そんなものは見つからなかった。使用人の扱いは完璧で、不満を漏らす下男もいない。執事も侍女長も人柄が良く、私によくしてくれた。もうここにいる理由はないのだ。


​「聞いたぜ、ここを辞めるってな」
 焼却炉の前にはウーゴがいた。

​「結婚するって本当なのか?」

​「本当よ」

「相手はじいさんなんだろ? やめちまえよ、そんなの」
 ​私は黙って、右手に持っていたリボン付きの箱を手渡した。

​「なんだ、こりゃ?」

​「葉巻。キューヴァ産の最高級品よ」

​「へー、ありがたくもらっとくぜ」




​ マリエッタが左目から義眼を取り出した。医師のアゴストがそれを掌で受け取り、しげしげと眺めて言った。

​「これは子供用の大きさだ。幾分大きめに作られてはいるが、成人の物じゃない。これでは動いてしまって、目の奥に炎症が起きるわけだ。だが、ぴったりしたサイズの義眼を使えばじきに治る。安心しなさい」

​ マリエッタが破顔した。そして隣に立つ私を見た。

​ 良かったわね。
 首都で名医と言われるアゴストさんをこの町まで呼ぶのは大変だったのよ。お金も相当かかったけれど、もちろん支払いは私がするわ。

​「……モニカさんの手紙には、目の色のことが丁寧に書かれていました。とび色の虹彩の義眼を複数用意してきましたので、見てみましょう」

​ アゴスト医師は机の上の木箱を開けた。中には義眼が十個ほど並んでいた。彼は元の義眼より一段階大きいものを手に取った。

​「まず、このサイズをはめてみましょう」


​ 町には父・マゼッティ男爵が経営する商会があった。地元の特産品を買い付ける店を国中に置いているのだ。私はその店の奥で、父と密かに会った。

 父はライネーリ伯爵のスキャンダルを探しており、そのために私を伯爵邸に送り込んだ。
 けれど、使用人の評判はすこぶる良く、悪事の噂すら出なかった。書斎に忍び込むまでしたが、結局何も見つからない。もうここにいる意味はないのだ。

​ マリエッタと別れるのは辛いし、私がいなくなってからの子猫のルーの世話も気になる。実家に連れて帰ってもいいけれど、私以外にも懐いている。特にルーはナーディアさんが大好きだから、置いていくべきかしら。




「悪事の証拠はなかっただと? お前は使い走りか。半年も屋敷にいて、何の手がかりもないと言うのか!」
 父が私を睨みつけた。

 おー、怖い。

​「書斎をあら捜ししましたけれど、何も見つかりませんでした。お父様、姉の婚約破棄の復讐なんて、もうやめませんか。敵を作りすぎるのはよくありません」
​「わかったような口をききおって。一人前になったもんだな」
​ やれやれ、これでは堂々巡りだ。

​「結婚の話を進めてください。私はどこへでも嫁ぎます」

「本気か? お前は老貴族との縁談をあれほど嫌っていただろう」

「あの屋敷にいるのが、辛くなってきました。みんないい人たちばかりで仲良くなりましたが、どうせいつかは別れなければならない。今ならまだ傷が浅いから、離れるべきだと思ったのです」
 
「その決断が、意に沿わぬ老人との結婚か……」

​「ただし、条件があります」

「何だ、言ってみろ」

「持参金の前借りをお願いします」
​ そう、私は屋敷を出る前に、お世話になった人々に恩返しがしたかった。そのためにお金が必要なのだ。

 持参金で自分を売ったようにも思えるけれど、貴族の娘なんてどうせ政略結婚の道具だ。せめて使えるお金くらいは好きにさせてほしい。

「わかった。使い道は聞かないでおこう」

​ 休日に、ナーディアさんの実家を訪ねた。私が馬車で持ち込んだ車椅子に、ナーディアさんのお母様が妹さんの手伝いで座ってくれた。

​「ありがとう。ナーディアにお礼を伝えてね」
​ 私は、この車椅子はナーディアさんからのプレゼントだと嘘をついたのだ。

 すっかり信じ込んだお母様の嬉しそうな顔を見て、私はこれで良かったのだと思った。


​ 屋敷を出る日が来た。
 部屋の片付けをする。トランクに入らない物はそのまま置いておくことにした。次の侍女が使ってくれたらいい。朝礼での挨拶は済ませていた。あとは門を出るだけだ。
 

「待ってくれ、話がある!」
 
 屋敷の門の手前で、背後から声をかけられた。振り返ると、ライネーリ伯爵の長男ジェラルドが息を切らして立っていた。

​「お別れの挨拶なら、昨日いたしましたけれど」

​「そうじゃない! 君に行ってほしくないんだ!」
​ やはり、そうだったのか。
 私が双子と一緒にいると、必ずジェラルドが様子を見に来ていた。最初は妹思いの兄だと思っていたけれど、いくら何でも頻繁すぎた。もしや私に気があるのではと勘繰ったこともあった。

 ジェラルドの評判はすこぶる良く、下男や侍女たちにも人気がある。私は姉の元婚約者候補である彼に近づきたくなかった。
 正体がバレる恐れもあったので距離を置いていたのに、彼はお構いなしに話しかけてくる。笑顔が眩しすぎて、私がぶっきらぼうに返しても、彼はちっとも気にしなかった。

​ いつの頃からか、私はジェラルドに会うのが辛くなっていた。当初、その理由は分からなかった。

​ もしかして、私はジェラルドのことが……。

​ 駄目よ、絶対に駄目!
​ 彼は姉の元婚約者。そんな人を好きになるなんて、ルール違反だわ。モラルに反することはできない。それは私の人生観を否定することになる。

​ でも、心がざわつくのを止められない。それが怖かった。

​ ジェラルドが私のトランクを取り上げ、私の左手首を強く掴んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

皇帝の命令で、側室となった私の運命

佐藤 美奈
恋愛
フリード皇太子との密会の後、去り行くアイラ令嬢をアーノルド皇帝陛下が一目見て見初められた。そして、その日のうちに側室として召し上げられた。フリード皇太子とアイラ公爵令嬢は幼馴染で婚約をしている。 自分の婚約者を取られたフリードは、アーノルドに抗議をした。 「父上には数多くの側室がいるのに、息子の婚約者にまで手を出すつもりですか!」 「美しいアイラが気に入った。息子でも渡したくない。我が皇帝である限り、何もかもは我のものだ!」 その言葉に、フリードは言葉を失った。立ち尽くし、その無慈悲さに心を打ちひしがれた。 魔法、ファンタジー、異世界要素もあるかもしれません。

「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました

唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」 不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。 どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。 私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。 「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。 身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。

三年分の涙を飲み込んで離婚を決めた私に、今さら愛してると言わないでください

まさき
恋愛
「別れてください」 笑顔で、声を震わせずに、澄花はそう言った。 三年間、夫の隣に立ち続けた。残業続きの夫を待ち、不満を飲み込み、完璧な妻を演じた。幼なじみの麗奈が現れるまでは、それが愛だと信じていた。 嫉妬も、怒りも、とうに泣き尽くしていた。残ったのは、静かな決意だけだった。 離婚届を差し出した翌朝、夫・誠は初めて泣いた。 ――遅すぎる。三年分、遅すぎる。 幼なじみに夫を奪われかけた妻が、すべてを手放す覚悟をしたとき、夫はようやく目を覚ます。泣き終わった女の強さと、取り戻せないものの重さを描く、夫婦の崩壊と再生の物語。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

妹の身代わりだった私に「本命は君だ」――王宮前で王子に抱き潰され、溺愛がバレました。~私が虐げられるきっかけになった少年が、私と王子を結び付

唯崎りいち
恋愛
妹の身代わりとして王子とデートすることになった私。でも王子の本命は最初から私で――。長年虐げられ、地味でみすぼらしい私が、王子の愛と溺愛に包まれ、ついに幸せを掴む甘々ラブファンタジー。妹や家族との誤解、影武者の存在も絡み、ハラハラと胸キュンが止まらない物語。

お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌
恋愛
[イヌネコ] 「奥様、旦那様がお見えです」 「はい?」 ベッドの上でゴロゴロしながら猫と戯れていると、侍女が部屋を訪れて告げたことだった。

【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。

ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。 彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。 婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。 そして迎えた学園卒業パーティー。 ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。 ガッツポーズを決めるリリアンヌ。 そのままアレックスに飛び込むかと思いきや―― 彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

阿里
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

処理中です...