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獣ノ終幕82話「五分三十秒」
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アジサイは船首に佇む。口には灰が伸びた煙草を咥えていた。腰にはどうやっても使うことができない妻の形見である柳葉刀をぶら下げていた。
「あんまり煙草を吸っていると早死にしますよ」
アキーは静かに言う。
「これが最後の一本さ」
「それ……」
「多分な、まぁ俺にしてはよくやれたと思う、両腕、両目のない俺より五体満足の宮廷魔術師の方が……使いようがあるってことさ」
「良いのですか?」
「うーん、良いか悪いかそう言われると迷うな、多分もっと良いやり方なんていくらでもあった。こういうとき客観的に見れるやつは強い。俺は……俺たちはそれができなかった」
アジサイは静かに笑う。煙草の灰が甲板に落ちるが風でどこかに消えて無くなった。
「静かですね」
「良いだろ、海は?」
「ええ、今日じゃなければ」
「そうだな、お、そうだ俺の尻ポケットにプレゼントがある」
アキーはアジサイの尻ポケットから、ネックレスを取り出す。ネックレスと言ってもチェーンに鍵の意匠を込められた物であった。宝石が綺麗に並べられていた。
「これは?」
「秘密の部屋の鍵、石はウヴァロヴァイト、ネフライト、ダイアモンド、エルバアイト、ラピスラズリ、ハックマナイト、オパール、モルガナイト、エメラルドの順番で並んでいる。持ち手から見てな」
「え? ええ……」
「もしものことがあったら使うと良い、王城の自室、郊外の一軒家はこれで開けることができる」
「そうですか、何かあるのですか?」
「何でもあるさ、ちなみにそれ以外で開けようとすると爆破するから注意な」
「あなたらしいですね……」
アジサイは静かに煙を吐き出す。
「さて、色々あったねぇ、何から話そうか」
「そう言えば、アジサイさんの知識ってどこで学んだのですか?」
「んー、ああ、そっか、俺はこの世界の住人じゃない、どういうわけかこの世界に呼び出されたんだ」
アキーは驚きより先に納得が先行している表情をしていた。
「召喚魔術の一種でしょうか」
「さぁ……ねえ、そんなことより、先輩には悪いことしたなぁ、なんだかんだ色々やって貰ったし、心配とかあんまり言わないけど内心慌てているんだあれでも」
「すごく暢気な方だと思っていましたけど意外ですね」
「ポーションとか消耗品類を色々くれるんだけど結局一切使ってなかったなぁ、こっちの世界ではラストエリクサー症候群っていってたりする。結局貧乏性は直らないってことさ」
「あー、アジサイさん私たちにはポーション一切渋らないのに自分の時は馬鹿みたいに渋りますよね」
「耳が痛い……」
「それにアジサイさん、生きてたらその内。腕だって治るかもしれないのに」
「アキー、いいか、確かにそうかもしれない、でもな、そうは、そうはならなかったんだ」
アジサイは吸い終わった煙草をアキーに渡し、次の煙草を咥え、火を付けさせる。
「往々にしてそういうものさ、それに俺たちは……んあ、これタダの煙草じゃん……」
「えっ?」
「……何でもない」
「いや、特殊な煙草があったのですか? 銘柄は同じはずですが?」
「はっはっは、秘密にしとくわ」
アジサイはやらかしたという表情を露骨に表していた。
「は、はぁ……」
「えっと、やることは全部やったし、あとはせいぜい最後に暴れて終わらせるか」
アジサイは眼の無い瞼を開けると眼球の様な物が二つはめ込まれていた。
一つは丸で季節の色を表したかのような極彩色の宝珠、季装『春夏秋冬』、もう一つは闇のように黒い、黒曜石を彷彿させる宝珠、悪装『津罪』である。義装『忠節』は装備しているため宝珠の姿になっていない。
マージされている物を含めてもあと四つの装具が残っているが、今となってはどのような能力なのか、どんな武器となるのかさえわからない。
「死ぬのですよね……」
「いやぁ? どうだろうね、こっちはエレインさんが奪還できりゃあとは俺が好き勝手やって逃げても問題ないからね」
アジサイは取り繕った表情で言う。
それからぬるりと立ち上がると、静かな足音で船中へ向かっていった。
「さて、中で挨拶してくる」
アジサイは煙草を吸い終わると甲板から船内へ移動する。ミオリアとジークがナイーブにしているのがよくわかった。
「うーっす、船酔いですか?」
「いや、そういうわけじゃねえけど」
ミオリアはため息をつく。
「まさか先輩気にしてます?」
「当たり前だ」
「もう、遅いっすよ、それにまぁ、この体じゃこの先足手まといです」
「お前なら頭脳労働でもいけるだろ」
「眼も使えません」
「俺が適当に過ごさずお前のところに応援に行っていたら状況も変わっていたはずなのにな」
「俺もまさか不意打ちされるとは思いませんでした。結局原因はどこにあったんでしょうね……それに先輩は知らなかった訳ですから」
「んでも、片腕無くなってたのは知っていた……」
「そら、円卓七騎士に大見得張って、それでアクバ王にも片腕でも一人でできるもんねっと言い切った手前、先輩に助けて貰いましたもメンツもクソも無くなっちまう。先輩も心のどこかでそういうのがあったんじゃねえかなぁと思いますよ」
アジサイはクドクドと言うが、ミオリアとジークが何もできなかった結果が変わるわけでは無い。
二人とも心配しなかった訳では無い、ただアジサイの人に頼るという苦手なことを避けたまま今まで物事を運んできたツケが回ってきただけのことである。
助けを求めればいつだってこの二人は駆けつけた。それは間違いなく、この上なく幸せなことであったのにも関わらずアジサイはそれを蹴ってしまった。
ミオリアが悪い、ジークが悪いと掘ればいくらでも出せるが、それ以上にアジサイ自身の問題を蔑ろにしていたアジサイに非はある
アジサイはシステムエンジニア時代の頃、報連相ができず何度も上司に叱られたことを思い出した。
「メンツって、そんな状態になってもプライドかよ」
「えっと……まぁ、そうですね」
「理解できねえよ」
「すみませんね」
「なぁ、アジサイ、これで良かったのか?」
「考え方次第さ、生き残れば御の字、死ねばスピカに会える。どっちに転んでも美味しいさ」
「なんだそのマイナス思考が限界突破したみたいな発想」
「いや、まぁ、何せエレインさんは最優先ですよ、それに俺が死ぬ方が都合のいい連中は腐るほどいますよ」
「そんなにお前裏家業やってたのか……」
「せやでジーク、最近の貴族暗殺関係は全部俺だよ、好きでやってたわけじゃないが良い稼ぎになったさ」
「そう言えば、部下にもかなり上等な装備とか作ってたもんな」
「投資はケチらない主義なもので」
アジサイはジョークをかます。
「失礼します。アジサイさん、お時間です」
アキーがアジサイを迎えに来る。立ち会いにはジークとミオリアも参加する。
甲板に向かうと既に渡り板が敵船の船首とこちらの船首を繋げている。
そして三人は、敵船から尋常じゃない威圧感を肌で痛いくらいに感じ取っていた。
船にはメタトロンを初めとした美麗な天使立ちが神々しく出で立ち、その奥では王者の風格を見せる男が絢爛な椅子に座していた。
「私こそ、天使族の長、至高天キリク、ダアトとも呼ばれるが、キリクの方を好むそう呼ぶが良い、劣悪種共」
口を開くと同時に差別発言を高圧的に言う。燃えるような赤の髪に白い肌、端正な顔立ちで目元には幼さが残っており甘いマスクという表現が似合う。背中には五対の羽がある。声音は生意気な子供を思わせるが、それでいて好青年でもある。あらゆる要素をバランス良く取り込んだイケメンというのが当てはまる。
「俺がアジサイ、エレインさんを引き渡して欲しい」
「口を慎め反逆者、言われずとも女の一人や二人くれてやる」
キリクはそう言うと、天使の一人に手枷足枷を付けたエレインを甲板に引きずり出させた。
口を布で塞ぎ声さえ上げられない姿を目の当たりにしたミオリアは顔を引きつらせる。
「落ち着いてください」
ジークがミオリアをなだめる。
「では先輩、しばしのお別れです」
アジサイはゆっくりと渡り板を歩む。それに合わせてエレインも向こうから歩み寄る。二人が交差するとアジサイは義装で背後をモニタリングしながら敵船の船首へ降り立つ。
渡り板が取り外されると、キリクは立ち上がった。
気がつくと、キリクはアジサイの頭を掴んでいた。
あまりの速度にアジサイは動揺を隠しきれなかった。
「ふむ、お前の魔力ではネフィリの持つリツフェルの能力を封殺することができない。わかりやすく小学生に伝わる言葉で言うなら、お前はネフィリに術など掛けていない。とんだ大ホラ吹きということだ」
アジサイはそのまま、訳もわからないまま甲板に叩き付けられた。
「ってぇなぁ、交渉は交渉だろう?」
アジサイは唾を吐きながら言う。
「ふん、糞尿にも劣る雑魚が!」
キリクは怒りをぶちまけると天を仰ぎ見た。
「見ているのだろう! さっさと出てこい!」
キリクはそう空に向かって吼えると、二つの光が流星の如く降り立つ。
先ほどまでの重厚感のある威圧が本当の痛みを帯びていく錯覚さえ覚えるほど、場の空気は張り詰めていた。
金色の髪に壮健な肉体、屈強でありながら無駄を感じさせない男。
もう一人は黒髪に黒い瞳、眉間に皺が寄っており、見るからに目つきが悪い。体中に斬り傷や刺し傷を持ち、幾千の戦場を駆け抜けたような男が現れる。
「盗み聞きもなかなか楽しかったぞキリク」
「クソ見てえにかったるい、さっさと戦えば良いだろうが」
二人の男は会話をしている。
「なんだ、お前ら……」
アジサイはふらつきながら立ち上がる。
「申し遅れた、私は終焉天ラインハルト、空神族の王である」
「同じく龍極天ナトライマグナ、龍神族だ」
実在するのはアジサイも知っていたが、本物の威圧感に押しつぶされそうだった。
「そんな、方々が何様でしょうか?」
「いや、何、数千年振りに天使を倒した者がいると聞いてな」
ラインハルト淡々と、まるでゲーム機にスイッチを入れる者のように嬉々として答える。
「人間に戦争を挑もうと思っただけだ」
その一言を聞いた瞬間、アジサイは船首に向かい、大声で叫ぶ。
「「先輩! 逃げろ! 最悪の状況です!」」
しかし、アジサイが叫ぶ頃には二人はこちらの船に足を踏み入れていた。
「おう、なんだこりゃ?」
「戦争がどうとか言ってましたよ先輩」
アジサイは一瞬、嬉しく思ったが、状況はそんなに優しくはない。
「先輩、ジーク、逃げてください。こいつらはダメです!」
「お前今度こそ死ぬぞ! 見殺しにしろって言うのか!」
今までの積み重ねということもあり、ミオリアは声を荒げる。
「ええ、そうです、俺はここでお終い」
アジサイは義装を解除して悪装に切り替える。
「うるせえな、なんだ、殺し合いなら喜んでやるぜ」
血の気を多く、ナトライマグナは笑いながらこちらに距離を詰める。
当然ジークは龍神演武炎ノ型を発動させ、ナトライマグナに一太刀浴びせる。
「おい、なんだこのへなちょこ太刀筋は?」
ナトライマグナは欠伸をしながらジークの今出せる最速最強の一撃を、欠伸をしながら人差し指と親指で摘まんでいる。
あまりの力量差にジークの顔から表情が消えた。
「マジかよ」
ミオリアも短剣を構えるが、それ以上先にアジサイの操る黒い血液がミオリアとジークを捕らえ、船に戻した。
「後は任せます」
それからアジサイは血液を操り、船を陸地へと押し返し始める。
「ほう、自らを犠牲にして仲間を助けたか」
ラインハルトは賞賛したが、薄っぺらい表情がどういう意味を示すかは明白だった。
「犠牲にしたところで遅かれ早かれ死ぬがな」
ナトライマグナは気怠そうに毒づく。
「さて、俺はここにいる奴らを全員止めなくちゃいけないのか」
アジサイはため息をつく。
「ふむ、ではゲームをしよう」
ラインハルトは提案を持ちかける。アジサイはラインハルトの声を頼りにそちらを向く。
「というと?」
「アジサイと言ったか、お前がもし我々を五分間止めたら、この五年は奴らに手出ししないと誓おう、といってもあくまで我々三人が直接手を下さぬというだけではあるがな」
「それはいいや、でも五年はケチ臭くないか? 一分十年にしてくれよ」
「過ぎた提案だな」
「一分五年」
「身の程を知れ」
「一分二年! 頼むぜ、こっちは両手両目が無いんだ。それに――」
アジサイは黒い血液を自在に操り煙草を咥える。
「それに、数年すりゃあ、ミオリアとジークはお前らを殺せると思うがな」
「ほう、あの雑魚剣士が強くなると?」
ナトライマグナは肉を断ち切りそうなほど鋭い犬歯をむき出しにして笑った。
「そうだ、ナトライマグナさんだっけ、ジークは強いぞ、期待に添える人間だ、そうだな、子牛じゃ食い応えも無いが立派に育ててから食うのも良いんじゃねえか?」
「ほう……確かに人間は数年で急成長する種族だ。なるほど面白い」
ナトライマグナは納得する。この男は戦う行為そのものを愛しているように見受けられた。つまりは強者と戦えれば何でも良いのだ。
「おう、十年くらい待ってやろうぜ、この白髪野郎が言うことに乗ってやろうぜ」
「ナトライマグナが賛同するなら一興、私からは何も言うまい」
ラインハルトはそれ以上のことは何も言わなかった。
「僕としては、そこの男を殺せればそれでいい」
キリクは鋭い視線をアジサイに向けていた。
「よし、では、始める」
ラインハルトは宣言する。
ゲーム開始。残り五分。
「あー、宣言しちまった後で申し訳ないんだが、最後の一本いい? もちろん始まっているから否とされてももちろんしょうが無いんだが」
三人は何もせずジッとアジサイを眺めている。十秒様子を見てからアジサイは煙草に火を付ける。
「気前が良いね」
「お前を殺すのに十秒も掛からないからな」
キリクは静かに答える。
「そう言えば、キリクさんだっけ、あんた自分のことを本当は僕って言うんだな」
「それがどうした? 幼稚と言いたいの?」
「いや、なに、意外だなと。ただ純粋にそう思っただけさ」
紫煙を少量吐き出し、アジサイは静寂を保つ。徐々に灰が伸びている煙草をアジサイは切なそうに見つめる。
「あまり吸っていないようだな」
「察しが良いねラインハルトさん。もちろん時間稼ぎだからね」
「小賢しいことを考えるな」
ナトライマグナは少し苛ついたのか言葉尻を強くした。
「こうでもしなきゃ勝ち目なんてねえよ」
アジサイは自嘲気味に答える。既に開始から二分が経過している。煙草の火はまもなく消える頃合いだ。
アジサイは装具越しに伝わる感覚を頼りに静かに準備を整える。
時間にして二分三十秒時点で、煙草の火は甲板の水滴で消えた。
煙を吐き出したアジサイは血液を細い糸状に展開し立体構造の網のように展開すると同時に氷結魔術で海面を凍らせ、それをせり上げることで巨大な壁を構築する。差し詰めこれは背氷の陣である。
甲板の隙間に潜り込ませていた血液の一部を三人の足下を捕らえていた。更に血液を這わせ強固な拘束を作り上げる。
ナトライマグナはゆっくりとアジサイの方へ近づく。
「うっそだろ……」
思わずアジサイは本音を吐き出す。何せ逆鱗のアンフォメルの巨躯すら止めた技をナトライマグナは何も無かったかのように歩みを詰める。
他二人も同様で、アジサイが想定していた膂力を遙かに上回っており、まるで足止めになっていなかった。
辛うじて足取りを掴むことができる、何とか回避するのが精一杯だった。
「さて、散歩は終わりかな」
キリクはそう言うと、アジサイが手繰っていた感覚が消えた。何が起こったか理解する頃にはアジサイの体は船外へ叩き出されていた。
血液を何とか手繰り寄せ甲板に着地すると冷静に状況を把握しキリクを再度補足する。
「しぶといね!」
再びキリクはアジサイの感覚から途切れ、再びアジサイは甲板に叩き付けられる。
徐々に何が起こっているのかアジサイは理解しはじめる。キリクは特殊なことでアジサイの知覚に作用しているわけじゃ無い、ただ純粋に速いのである。純然たる速度でアジサイの知覚速度を凌駕していたのである。
「よく言われる。手加減どうも」
「即死されたらかなわないからね」
「サディスト天使が」
アジサイはキリクの足を掴むと血液でキリクを囲み完全に固める。
現在開始から三分が経過。
一向にアジサイは舐められながらも何とか時間を経過させる。何とか立ち上がるが肋骨が折れているのか呼吸する度に空気がまともに入る気配が無かった。とはいえそれはあくまで右肺の話で左肺はまだ機能している。
息を荒げながらもキリクを封殺すると、次はナトライマグナの方を見た。
「おー、俺の番か?」
「こいつがこのままおとなしくしてくれりゃあね」
「口は達者だな」
ナトライマグナは、甲板を軽く蹴り上げると、アジサイの腹部に軽く拳をあてがう。
アジサイはこの世のどれにも当てはまらないほどの衝撃と共に船縁に体を叩き付けられる。咄嗟に血液を集めクッションにしたことで、なんとか体が粉々に砕けずに済んだ。
右側の鎖骨、肩甲骨、上腕骨が粉々になっているのはよくわかった。腕は既にもう無くなっているため使うことの無い骨ばかりだが激痛が体を襲っていた。
「ほんの一パーセントにも行かない力だったが、ふん、なるほど判断が良い」
「お褒め頂きありがとうございますナトライマグナさん」
アジサイはナトライマグナに軽口を叩き関節と神経を狙って血液を流し込んだ。
「お、動きを止めたか、足の感覚が消えた」
「流石に生物としての理屈は当てはまってくれよ……」
「今日はそういうことにしておいてやる、ラインハルトが戦いたそうにしているのでな」
ラインハルトは嬉々としていた。
なぜなら数千年振りに興じさせてくれる玩具が見つかったからだ。
「素晴らしい、アジサイ、そんな体でも吼えるか、気に入った」
ラインハルトはアジサイの側に寄ると提案する。
「君が良ければ、君さえ良ければこれを上げよう」
「なんだ?」
アジサイは僅かに聞こえる液体の音を訝しげに聞く。
「これは吸血鬼の祖、神祖と言えば君ならわかるだろう、君の体にこの血を捧げよう、そうすれば魔力に蝕まれる体とおさらばできる。無論死にかけの君でもね。なにせこの血は死者すらも吸血鬼として蘇らせることができるのだからね」
「へぇー、嫌だね! 吸血鬼っていうのは大抵美女がなるもんだぜ、ラインハルトだかラインバルトだかしらねえが、俺から言わせて貰えば、浪漫に欠ける」
アジサイは息を切らせながら言葉を放つ。
「残念だ、では美女を探して実験させた貰う、これは人間にしか効果がないものでね」
「他を当たりな、スカウトマンさん、でも俺はいい女をたくさん知ってるが、墓場に持ってくつもりだ」
アジサイはそう言うと、血が混じった唾をラインハルトに吐き付ける。それから最後の悪足掻きのように声を裏がして笑う。
開始から四分三十秒が経過する。
ラインハルトはアジサイの胸ぐらを掴むと、片腕で易々と持ち上げる。
「おっと気に障ったか? それとも気が狂ったか?」
あざ笑うようにアジサイは言う。
四分四十秒――――
「にしても空神族っていうのかそう短気な奴らばかりなのか、年取るとゲホッゲホッ、短期になるそうじゃあないか」
「言わせておけば」
「お、なんだ? 怒っちゃった? おこなの? 激おこぷんぷん丸なの?」
四分五十秒――――
「やっぱ神様とか天使とかろくでもないやつば――」
アジサイは体の中に異物を感じた。心臓を素手で触られるようなそんな気分――――であって欲しかったがこれは紛れもない事実である。
五分〇○秒――
臓腑を引き抜かれる。間違いなく心臓である。
血の気が薄れていくのが顕著に伝わる。徐々に体が冷えるような、寒さが襲ってくる。
「五分だ……!」
アジサイにもしも腕があったら今頃中指を立てていただろう。ラインハルトは何も言わずアジサイを海に投げ捨てた。
「気が変わった。やはり船を追う」
ラインハルトは詠唱一節口にすると空中を浮遊するとミオリアたちの船に向かった。
アジサイはかすれゆく意識の中で走馬灯が走っていた。
「なんだよ、アジサイ?」
銀色の髪、美しい蒼い瞳、大きく膨らんだ胸、白い透き通る肌、うっすらピンクいろの唇。細かいところを思い出す。
「スピカ?」
「当たり前だろ?」
「そっか、じゃあここは――――」
スピカはアジサイの顔面を拳で殴りつけた。
それがどういう意味をしているのかアジサイよく理解した。
「ありがとう、愛してる」
アジサイは意識を取り戻すと全ての血液を集める。
人間は数十秒心臓が止まっていても意識があると言われている。アジサイは最後の時間を振り絞る。
全身の血液を肉体に纏わせて海面まで上がると、能力を無理矢理使いラインハルト、ナトライマグナ、キリクまで距離を詰める。
五分二十秒――――
ここでアジサイの時間は底を尽きた。
「その覚悟、賞賛に値する。私は満足した。約束を果たそう」
ラインハルトが何かを言っていたが、もうアジサイの意識はどこにも無い。
だが、アジサイは能力を行使してラインハルトたちを押さえ込む。装具がアジサイの遺志をくみ取ったのか、最後の駆動を始める。
「たと……今……次……必ず…………」
血液で構成した腕を伸ばしてラインハルトの首を掴むが、ここで本当の時間切れとなった。
アジサイは海面に落ち、静かな海の底へと沈んで行く。
「信念は――――既に――受け継がれた!」
死した血肉はアジサイの消えた命を代弁するかのように声帯震わせ、はっきり言の葉としてラインハルトに放った。
五分三十秒――――
アジサイはこのイシュバルデで静かに眠りについた――――。
深い深い海の底へ、仲間の手が届かないところへアジサイの体は落ちていく。
今日、この日を持って、イシュバルデ王国はアジサイが死したことを認めた。
「あんまり煙草を吸っていると早死にしますよ」
アキーは静かに言う。
「これが最後の一本さ」
「それ……」
「多分な、まぁ俺にしてはよくやれたと思う、両腕、両目のない俺より五体満足の宮廷魔術師の方が……使いようがあるってことさ」
「良いのですか?」
「うーん、良いか悪いかそう言われると迷うな、多分もっと良いやり方なんていくらでもあった。こういうとき客観的に見れるやつは強い。俺は……俺たちはそれができなかった」
アジサイは静かに笑う。煙草の灰が甲板に落ちるが風でどこかに消えて無くなった。
「静かですね」
「良いだろ、海は?」
「ええ、今日じゃなければ」
「そうだな、お、そうだ俺の尻ポケットにプレゼントがある」
アキーはアジサイの尻ポケットから、ネックレスを取り出す。ネックレスと言ってもチェーンに鍵の意匠を込められた物であった。宝石が綺麗に並べられていた。
「これは?」
「秘密の部屋の鍵、石はウヴァロヴァイト、ネフライト、ダイアモンド、エルバアイト、ラピスラズリ、ハックマナイト、オパール、モルガナイト、エメラルドの順番で並んでいる。持ち手から見てな」
「え? ええ……」
「もしものことがあったら使うと良い、王城の自室、郊外の一軒家はこれで開けることができる」
「そうですか、何かあるのですか?」
「何でもあるさ、ちなみにそれ以外で開けようとすると爆破するから注意な」
「あなたらしいですね……」
アジサイは静かに煙を吐き出す。
「さて、色々あったねぇ、何から話そうか」
「そう言えば、アジサイさんの知識ってどこで学んだのですか?」
「んー、ああ、そっか、俺はこの世界の住人じゃない、どういうわけかこの世界に呼び出されたんだ」
アキーは驚きより先に納得が先行している表情をしていた。
「召喚魔術の一種でしょうか」
「さぁ……ねえ、そんなことより、先輩には悪いことしたなぁ、なんだかんだ色々やって貰ったし、心配とかあんまり言わないけど内心慌てているんだあれでも」
「すごく暢気な方だと思っていましたけど意外ですね」
「ポーションとか消耗品類を色々くれるんだけど結局一切使ってなかったなぁ、こっちの世界ではラストエリクサー症候群っていってたりする。結局貧乏性は直らないってことさ」
「あー、アジサイさん私たちにはポーション一切渋らないのに自分の時は馬鹿みたいに渋りますよね」
「耳が痛い……」
「それにアジサイさん、生きてたらその内。腕だって治るかもしれないのに」
「アキー、いいか、確かにそうかもしれない、でもな、そうは、そうはならなかったんだ」
アジサイは吸い終わった煙草をアキーに渡し、次の煙草を咥え、火を付けさせる。
「往々にしてそういうものさ、それに俺たちは……んあ、これタダの煙草じゃん……」
「えっ?」
「……何でもない」
「いや、特殊な煙草があったのですか? 銘柄は同じはずですが?」
「はっはっは、秘密にしとくわ」
アジサイはやらかしたという表情を露骨に表していた。
「は、はぁ……」
「えっと、やることは全部やったし、あとはせいぜい最後に暴れて終わらせるか」
アジサイは眼の無い瞼を開けると眼球の様な物が二つはめ込まれていた。
一つは丸で季節の色を表したかのような極彩色の宝珠、季装『春夏秋冬』、もう一つは闇のように黒い、黒曜石を彷彿させる宝珠、悪装『津罪』である。義装『忠節』は装備しているため宝珠の姿になっていない。
マージされている物を含めてもあと四つの装具が残っているが、今となってはどのような能力なのか、どんな武器となるのかさえわからない。
「死ぬのですよね……」
「いやぁ? どうだろうね、こっちはエレインさんが奪還できりゃあとは俺が好き勝手やって逃げても問題ないからね」
アジサイは取り繕った表情で言う。
それからぬるりと立ち上がると、静かな足音で船中へ向かっていった。
「さて、中で挨拶してくる」
アジサイは煙草を吸い終わると甲板から船内へ移動する。ミオリアとジークがナイーブにしているのがよくわかった。
「うーっす、船酔いですか?」
「いや、そういうわけじゃねえけど」
ミオリアはため息をつく。
「まさか先輩気にしてます?」
「当たり前だ」
「もう、遅いっすよ、それにまぁ、この体じゃこの先足手まといです」
「お前なら頭脳労働でもいけるだろ」
「眼も使えません」
「俺が適当に過ごさずお前のところに応援に行っていたら状況も変わっていたはずなのにな」
「俺もまさか不意打ちされるとは思いませんでした。結局原因はどこにあったんでしょうね……それに先輩は知らなかった訳ですから」
「んでも、片腕無くなってたのは知っていた……」
「そら、円卓七騎士に大見得張って、それでアクバ王にも片腕でも一人でできるもんねっと言い切った手前、先輩に助けて貰いましたもメンツもクソも無くなっちまう。先輩も心のどこかでそういうのがあったんじゃねえかなぁと思いますよ」
アジサイはクドクドと言うが、ミオリアとジークが何もできなかった結果が変わるわけでは無い。
二人とも心配しなかった訳では無い、ただアジサイの人に頼るという苦手なことを避けたまま今まで物事を運んできたツケが回ってきただけのことである。
助けを求めればいつだってこの二人は駆けつけた。それは間違いなく、この上なく幸せなことであったのにも関わらずアジサイはそれを蹴ってしまった。
ミオリアが悪い、ジークが悪いと掘ればいくらでも出せるが、それ以上にアジサイ自身の問題を蔑ろにしていたアジサイに非はある
アジサイはシステムエンジニア時代の頃、報連相ができず何度も上司に叱られたことを思い出した。
「メンツって、そんな状態になってもプライドかよ」
「えっと……まぁ、そうですね」
「理解できねえよ」
「すみませんね」
「なぁ、アジサイ、これで良かったのか?」
「考え方次第さ、生き残れば御の字、死ねばスピカに会える。どっちに転んでも美味しいさ」
「なんだそのマイナス思考が限界突破したみたいな発想」
「いや、まぁ、何せエレインさんは最優先ですよ、それに俺が死ぬ方が都合のいい連中は腐るほどいますよ」
「そんなにお前裏家業やってたのか……」
「せやでジーク、最近の貴族暗殺関係は全部俺だよ、好きでやってたわけじゃないが良い稼ぎになったさ」
「そう言えば、部下にもかなり上等な装備とか作ってたもんな」
「投資はケチらない主義なもので」
アジサイはジョークをかます。
「失礼します。アジサイさん、お時間です」
アキーがアジサイを迎えに来る。立ち会いにはジークとミオリアも参加する。
甲板に向かうと既に渡り板が敵船の船首とこちらの船首を繋げている。
そして三人は、敵船から尋常じゃない威圧感を肌で痛いくらいに感じ取っていた。
船にはメタトロンを初めとした美麗な天使立ちが神々しく出で立ち、その奥では王者の風格を見せる男が絢爛な椅子に座していた。
「私こそ、天使族の長、至高天キリク、ダアトとも呼ばれるが、キリクの方を好むそう呼ぶが良い、劣悪種共」
口を開くと同時に差別発言を高圧的に言う。燃えるような赤の髪に白い肌、端正な顔立ちで目元には幼さが残っており甘いマスクという表現が似合う。背中には五対の羽がある。声音は生意気な子供を思わせるが、それでいて好青年でもある。あらゆる要素をバランス良く取り込んだイケメンというのが当てはまる。
「俺がアジサイ、エレインさんを引き渡して欲しい」
「口を慎め反逆者、言われずとも女の一人や二人くれてやる」
キリクはそう言うと、天使の一人に手枷足枷を付けたエレインを甲板に引きずり出させた。
口を布で塞ぎ声さえ上げられない姿を目の当たりにしたミオリアは顔を引きつらせる。
「落ち着いてください」
ジークがミオリアをなだめる。
「では先輩、しばしのお別れです」
アジサイはゆっくりと渡り板を歩む。それに合わせてエレインも向こうから歩み寄る。二人が交差するとアジサイは義装で背後をモニタリングしながら敵船の船首へ降り立つ。
渡り板が取り外されると、キリクは立ち上がった。
気がつくと、キリクはアジサイの頭を掴んでいた。
あまりの速度にアジサイは動揺を隠しきれなかった。
「ふむ、お前の魔力ではネフィリの持つリツフェルの能力を封殺することができない。わかりやすく小学生に伝わる言葉で言うなら、お前はネフィリに術など掛けていない。とんだ大ホラ吹きということだ」
アジサイはそのまま、訳もわからないまま甲板に叩き付けられた。
「ってぇなぁ、交渉は交渉だろう?」
アジサイは唾を吐きながら言う。
「ふん、糞尿にも劣る雑魚が!」
キリクは怒りをぶちまけると天を仰ぎ見た。
「見ているのだろう! さっさと出てこい!」
キリクはそう空に向かって吼えると、二つの光が流星の如く降り立つ。
先ほどまでの重厚感のある威圧が本当の痛みを帯びていく錯覚さえ覚えるほど、場の空気は張り詰めていた。
金色の髪に壮健な肉体、屈強でありながら無駄を感じさせない男。
もう一人は黒髪に黒い瞳、眉間に皺が寄っており、見るからに目つきが悪い。体中に斬り傷や刺し傷を持ち、幾千の戦場を駆け抜けたような男が現れる。
「盗み聞きもなかなか楽しかったぞキリク」
「クソ見てえにかったるい、さっさと戦えば良いだろうが」
二人の男は会話をしている。
「なんだ、お前ら……」
アジサイはふらつきながら立ち上がる。
「申し遅れた、私は終焉天ラインハルト、空神族の王である」
「同じく龍極天ナトライマグナ、龍神族だ」
実在するのはアジサイも知っていたが、本物の威圧感に押しつぶされそうだった。
「そんな、方々が何様でしょうか?」
「いや、何、数千年振りに天使を倒した者がいると聞いてな」
ラインハルト淡々と、まるでゲーム機にスイッチを入れる者のように嬉々として答える。
「人間に戦争を挑もうと思っただけだ」
その一言を聞いた瞬間、アジサイは船首に向かい、大声で叫ぶ。
「「先輩! 逃げろ! 最悪の状況です!」」
しかし、アジサイが叫ぶ頃には二人はこちらの船に足を踏み入れていた。
「おう、なんだこりゃ?」
「戦争がどうとか言ってましたよ先輩」
アジサイは一瞬、嬉しく思ったが、状況はそんなに優しくはない。
「先輩、ジーク、逃げてください。こいつらはダメです!」
「お前今度こそ死ぬぞ! 見殺しにしろって言うのか!」
今までの積み重ねということもあり、ミオリアは声を荒げる。
「ええ、そうです、俺はここでお終い」
アジサイは義装を解除して悪装に切り替える。
「うるせえな、なんだ、殺し合いなら喜んでやるぜ」
血の気を多く、ナトライマグナは笑いながらこちらに距離を詰める。
当然ジークは龍神演武炎ノ型を発動させ、ナトライマグナに一太刀浴びせる。
「おい、なんだこのへなちょこ太刀筋は?」
ナトライマグナは欠伸をしながらジークの今出せる最速最強の一撃を、欠伸をしながら人差し指と親指で摘まんでいる。
あまりの力量差にジークの顔から表情が消えた。
「マジかよ」
ミオリアも短剣を構えるが、それ以上先にアジサイの操る黒い血液がミオリアとジークを捕らえ、船に戻した。
「後は任せます」
それからアジサイは血液を操り、船を陸地へと押し返し始める。
「ほう、自らを犠牲にして仲間を助けたか」
ラインハルトは賞賛したが、薄っぺらい表情がどういう意味を示すかは明白だった。
「犠牲にしたところで遅かれ早かれ死ぬがな」
ナトライマグナは気怠そうに毒づく。
「さて、俺はここにいる奴らを全員止めなくちゃいけないのか」
アジサイはため息をつく。
「ふむ、ではゲームをしよう」
ラインハルトは提案を持ちかける。アジサイはラインハルトの声を頼りにそちらを向く。
「というと?」
「アジサイと言ったか、お前がもし我々を五分間止めたら、この五年は奴らに手出ししないと誓おう、といってもあくまで我々三人が直接手を下さぬというだけではあるがな」
「それはいいや、でも五年はケチ臭くないか? 一分十年にしてくれよ」
「過ぎた提案だな」
「一分五年」
「身の程を知れ」
「一分二年! 頼むぜ、こっちは両手両目が無いんだ。それに――」
アジサイは黒い血液を自在に操り煙草を咥える。
「それに、数年すりゃあ、ミオリアとジークはお前らを殺せると思うがな」
「ほう、あの雑魚剣士が強くなると?」
ナトライマグナは肉を断ち切りそうなほど鋭い犬歯をむき出しにして笑った。
「そうだ、ナトライマグナさんだっけ、ジークは強いぞ、期待に添える人間だ、そうだな、子牛じゃ食い応えも無いが立派に育ててから食うのも良いんじゃねえか?」
「ほう……確かに人間は数年で急成長する種族だ。なるほど面白い」
ナトライマグナは納得する。この男は戦う行為そのものを愛しているように見受けられた。つまりは強者と戦えれば何でも良いのだ。
「おう、十年くらい待ってやろうぜ、この白髪野郎が言うことに乗ってやろうぜ」
「ナトライマグナが賛同するなら一興、私からは何も言うまい」
ラインハルトはそれ以上のことは何も言わなかった。
「僕としては、そこの男を殺せればそれでいい」
キリクは鋭い視線をアジサイに向けていた。
「よし、では、始める」
ラインハルトは宣言する。
ゲーム開始。残り五分。
「あー、宣言しちまった後で申し訳ないんだが、最後の一本いい? もちろん始まっているから否とされてももちろんしょうが無いんだが」
三人は何もせずジッとアジサイを眺めている。十秒様子を見てからアジサイは煙草に火を付ける。
「気前が良いね」
「お前を殺すのに十秒も掛からないからな」
キリクは静かに答える。
「そう言えば、キリクさんだっけ、あんた自分のことを本当は僕って言うんだな」
「それがどうした? 幼稚と言いたいの?」
「いや、なに、意外だなと。ただ純粋にそう思っただけさ」
紫煙を少量吐き出し、アジサイは静寂を保つ。徐々に灰が伸びている煙草をアジサイは切なそうに見つめる。
「あまり吸っていないようだな」
「察しが良いねラインハルトさん。もちろん時間稼ぎだからね」
「小賢しいことを考えるな」
ナトライマグナは少し苛ついたのか言葉尻を強くした。
「こうでもしなきゃ勝ち目なんてねえよ」
アジサイは自嘲気味に答える。既に開始から二分が経過している。煙草の火はまもなく消える頃合いだ。
アジサイは装具越しに伝わる感覚を頼りに静かに準備を整える。
時間にして二分三十秒時点で、煙草の火は甲板の水滴で消えた。
煙を吐き出したアジサイは血液を細い糸状に展開し立体構造の網のように展開すると同時に氷結魔術で海面を凍らせ、それをせり上げることで巨大な壁を構築する。差し詰めこれは背氷の陣である。
甲板の隙間に潜り込ませていた血液の一部を三人の足下を捕らえていた。更に血液を這わせ強固な拘束を作り上げる。
ナトライマグナはゆっくりとアジサイの方へ近づく。
「うっそだろ……」
思わずアジサイは本音を吐き出す。何せ逆鱗のアンフォメルの巨躯すら止めた技をナトライマグナは何も無かったかのように歩みを詰める。
他二人も同様で、アジサイが想定していた膂力を遙かに上回っており、まるで足止めになっていなかった。
辛うじて足取りを掴むことができる、何とか回避するのが精一杯だった。
「さて、散歩は終わりかな」
キリクはそう言うと、アジサイが手繰っていた感覚が消えた。何が起こったか理解する頃にはアジサイの体は船外へ叩き出されていた。
血液を何とか手繰り寄せ甲板に着地すると冷静に状況を把握しキリクを再度補足する。
「しぶといね!」
再びキリクはアジサイの感覚から途切れ、再びアジサイは甲板に叩き付けられる。
徐々に何が起こっているのかアジサイは理解しはじめる。キリクは特殊なことでアジサイの知覚に作用しているわけじゃ無い、ただ純粋に速いのである。純然たる速度でアジサイの知覚速度を凌駕していたのである。
「よく言われる。手加減どうも」
「即死されたらかなわないからね」
「サディスト天使が」
アジサイはキリクの足を掴むと血液でキリクを囲み完全に固める。
現在開始から三分が経過。
一向にアジサイは舐められながらも何とか時間を経過させる。何とか立ち上がるが肋骨が折れているのか呼吸する度に空気がまともに入る気配が無かった。とはいえそれはあくまで右肺の話で左肺はまだ機能している。
息を荒げながらもキリクを封殺すると、次はナトライマグナの方を見た。
「おー、俺の番か?」
「こいつがこのままおとなしくしてくれりゃあね」
「口は達者だな」
ナトライマグナは、甲板を軽く蹴り上げると、アジサイの腹部に軽く拳をあてがう。
アジサイはこの世のどれにも当てはまらないほどの衝撃と共に船縁に体を叩き付けられる。咄嗟に血液を集めクッションにしたことで、なんとか体が粉々に砕けずに済んだ。
右側の鎖骨、肩甲骨、上腕骨が粉々になっているのはよくわかった。腕は既にもう無くなっているため使うことの無い骨ばかりだが激痛が体を襲っていた。
「ほんの一パーセントにも行かない力だったが、ふん、なるほど判断が良い」
「お褒め頂きありがとうございますナトライマグナさん」
アジサイはナトライマグナに軽口を叩き関節と神経を狙って血液を流し込んだ。
「お、動きを止めたか、足の感覚が消えた」
「流石に生物としての理屈は当てはまってくれよ……」
「今日はそういうことにしておいてやる、ラインハルトが戦いたそうにしているのでな」
ラインハルトは嬉々としていた。
なぜなら数千年振りに興じさせてくれる玩具が見つかったからだ。
「素晴らしい、アジサイ、そんな体でも吼えるか、気に入った」
ラインハルトはアジサイの側に寄ると提案する。
「君が良ければ、君さえ良ければこれを上げよう」
「なんだ?」
アジサイは僅かに聞こえる液体の音を訝しげに聞く。
「これは吸血鬼の祖、神祖と言えば君ならわかるだろう、君の体にこの血を捧げよう、そうすれば魔力に蝕まれる体とおさらばできる。無論死にかけの君でもね。なにせこの血は死者すらも吸血鬼として蘇らせることができるのだからね」
「へぇー、嫌だね! 吸血鬼っていうのは大抵美女がなるもんだぜ、ラインハルトだかラインバルトだかしらねえが、俺から言わせて貰えば、浪漫に欠ける」
アジサイは息を切らせながら言葉を放つ。
「残念だ、では美女を探して実験させた貰う、これは人間にしか効果がないものでね」
「他を当たりな、スカウトマンさん、でも俺はいい女をたくさん知ってるが、墓場に持ってくつもりだ」
アジサイはそう言うと、血が混じった唾をラインハルトに吐き付ける。それから最後の悪足掻きのように声を裏がして笑う。
開始から四分三十秒が経過する。
ラインハルトはアジサイの胸ぐらを掴むと、片腕で易々と持ち上げる。
「おっと気に障ったか? それとも気が狂ったか?」
あざ笑うようにアジサイは言う。
四分四十秒――――
「にしても空神族っていうのかそう短気な奴らばかりなのか、年取るとゲホッゲホッ、短期になるそうじゃあないか」
「言わせておけば」
「お、なんだ? 怒っちゃった? おこなの? 激おこぷんぷん丸なの?」
四分五十秒――――
「やっぱ神様とか天使とかろくでもないやつば――」
アジサイは体の中に異物を感じた。心臓を素手で触られるようなそんな気分――――であって欲しかったがこれは紛れもない事実である。
五分〇○秒――
臓腑を引き抜かれる。間違いなく心臓である。
血の気が薄れていくのが顕著に伝わる。徐々に体が冷えるような、寒さが襲ってくる。
「五分だ……!」
アジサイにもしも腕があったら今頃中指を立てていただろう。ラインハルトは何も言わずアジサイを海に投げ捨てた。
「気が変わった。やはり船を追う」
ラインハルトは詠唱一節口にすると空中を浮遊するとミオリアたちの船に向かった。
アジサイはかすれゆく意識の中で走馬灯が走っていた。
「なんだよ、アジサイ?」
銀色の髪、美しい蒼い瞳、大きく膨らんだ胸、白い透き通る肌、うっすらピンクいろの唇。細かいところを思い出す。
「スピカ?」
「当たり前だろ?」
「そっか、じゃあここは――――」
スピカはアジサイの顔面を拳で殴りつけた。
それがどういう意味をしているのかアジサイよく理解した。
「ありがとう、愛してる」
アジサイは意識を取り戻すと全ての血液を集める。
人間は数十秒心臓が止まっていても意識があると言われている。アジサイは最後の時間を振り絞る。
全身の血液を肉体に纏わせて海面まで上がると、能力を無理矢理使いラインハルト、ナトライマグナ、キリクまで距離を詰める。
五分二十秒――――
ここでアジサイの時間は底を尽きた。
「その覚悟、賞賛に値する。私は満足した。約束を果たそう」
ラインハルトが何かを言っていたが、もうアジサイの意識はどこにも無い。
だが、アジサイは能力を行使してラインハルトたちを押さえ込む。装具がアジサイの遺志をくみ取ったのか、最後の駆動を始める。
「たと……今……次……必ず…………」
血液で構成した腕を伸ばしてラインハルトの首を掴むが、ここで本当の時間切れとなった。
アジサイは海面に落ち、静かな海の底へと沈んで行く。
「信念は――――既に――受け継がれた!」
死した血肉はアジサイの消えた命を代弁するかのように声帯震わせ、はっきり言の葉としてラインハルトに放った。
五分三十秒――――
アジサイはこのイシュバルデで静かに眠りについた――――。
深い深い海の底へ、仲間の手が届かないところへアジサイの体は落ちていく。
今日、この日を持って、イシュバルデ王国はアジサイが死したことを認めた。
0
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